<本家にて> 誓いと覚悟を、哀と愛に込めて

背負うは御旗、奴良家の称号。
奇(く)しくも、闇夜には満月が浮かぶ。
そより、と頬を撫ぜた風に、リクオは本家を抜け出した。

水面(みなも)の鏡花。
映るのは花ではなく、月。

深淵の藍色をした闇夜は、かつて父が愛したあの妖のようだ。
羽衣狐をして『すべてを呑み込む闇色』と称した、美しい女性に。
あの化け狐は、そして山吹乙女なら、この情景をなんと表現しただろうか。
そっと足を踏み入れた湖の淵で、リクオは泣きたいような情に襲われた。
…」
発した声は、意図せず掠れた。
水面に降り立ちリクオを待っていたのであろう彼は、シャンッと透き通る音と共にすぐ目の前へとやって来る。
手を伸ばせば、届く場所へ。
が浮かべた微笑みは、鏡月よりも眩しかった。

「三代目襲名、おめでとう。リクオ」

これで彼は、関東一の妖怪衆を束ねる頭(かしら)となった。
日頃からそれを目指し、人の姿でも努力を重ねていたことを、は知っている。
弐条城で起きた一連の出来事も、見下ろした範囲でならば知っていた。

「…ああ。ありがとよ」

知ってくれていた彼だからこそ、祝いの言葉は誰よりも嬉しいものだ。
だがリクオは、笑みを作れた自信がなかった。
「リクオ…?」
首を傾げたに、衝動的に手を伸ばす。
その身体をかき抱けば、安堵と同時に涙が溢れた。

なぜ、父は死んだのだろう。
なぜ、山吹乙女はここに居ないのだろう。
リクオは父と、母であったかもしれない人を、今度こそ本当に亡くしてしまった。

『もしも子が居たならば、あなたのような』

誠(まこと)の言葉とは、あんなにも哀しいものだったのか。
真(まこと)の言葉とは、命燃え尽きる間際に発されるものなのか。
(なんで…)
呆気なく業火に沈んだ、羽衣狐。
(どうして…)
父の愛した人を、二度も見送った祖父。
祖父が父の墓前に、静かに語りかけている姿を見た。
その祖父の隣に佇む、母の姿を見た。
いったい、どんな思いだったのだろう。

なぜ千年も前の人間に、現実を狂わされる?

ただ強く抱き締めてくるリクオの背に、はそっと腕を回す。
「大丈夫」
彼が安心出来るように、囁いた。

「リクオなら、大丈夫だ」

背負った御紋が、その証。
幹部たちが揃って懐疑的であった、過去とは違う。

手を組まないと断言していた遠野が、リクオにだけは手を貸した。
誰もが気に留めなかった小妖怪たちが、彼の役に立とうと必死になった。
敵である京都組でさえ、彼が奴良の大将であると認めていた。
花開院が、彼に礼を言うほどに。

流す涙は強さなのだと、彼にならば言えた。



―――どれだけの時を、そうしていたのだろう。
未だ自分を離そうとしないリクオに、は尋ねる。

「ねえ、リクオ。新しい祢々切丸はいつ出来そう?」

の問いを反芻するまでに、時間が掛かった。
リクオは幾度か瞬きを繰り返し、思い返す。
「…1年で完成すれば、上出来だと」
そこでようやく身体を離せば、正面から覗き込まれる。
澄み渡った水面の瞳には、満月が映っていた。
「じゃあ、祢々切丸が完成したら、オレを呼んでよ。神楽を舞ってあげるから」
「なっ?!」
リクオは驚きに目を見開いた。
刀の完成に神楽を舞い奉納することは、神事を生業とする人間ならばおかしくない。
だがは人間ではなく、龍神だ。
神々が人へ伝えたと云われる舞いを、彼が舞えることもおかしくはない。
だが、駄目だ。
、それは…!」
なぜなら彼は『神』であり、リクオは『妖怪』だ。

舞いの相手として、許されるものではない。

思わず両肩を掴んできたリクオの頬に、は苦笑と共に己の両手を添えた。
「大丈夫。オレの刀もそうだけど、人間が創ったものだから」
人間の創ったものは、聖も邪も、双方が蓄積され易い。
そうでなければ、妖気を祓う刀と神殺しの刀が存在することは、有り得ない。
「…それに、前も言っただろ?」
リクオに触れられることを、後悔する日など決して来ない。
"神位"を、手に出来ないとされても。
それでも良いと、はあの日に決めたのだ。

…覚悟など、疾うにしてきたはずだった。
奴良組総大将の座を継ぐ覚悟ならば、ずっとずっと昔から。
(本当に…)
張り詰めていた糸を切るように、リクオは軽く息を吐く。
(敵わねえや…)
頬に触れてくるその手を、そっと握り締めた。
いったいどれだけのものを、に救われているのだろう。

「おめぇは、眩しいなあ…」

眩しくて暖かくて、焦がれて止まない。
感じていた重圧も不安も何もかも、水に洗われたように流れていく。
…"いつか"の日が来たとしても、この想いが風化する日など来ないのだ。
(だからオレも、あの日に決めた)
自分が祓えるものであるなら、彼を護るのだと。
誓うように口付ければ、不意を突かれたの気配が揺れた。
「リ、クオ…?」
知らず、笑みが零れた。
「新しい祢々切丸が完成したら、ちゃんと呼ぶよ。おめぇを」
ゆらも秀元も、が来ると知れば喜ぶだろう。
いや、後者は面白がるだけかもしれないが。

(オレたちは、これで良いんだ)

"いつか"は避けられない。
けれど、それで良いのだと。



End.



10.12.11

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