<古都にて> 千夜一夜の終わり

開くは地獄門。
自ら光に、背を向ける。

「母上。あなたは私の光だった」

鵺…否、安倍晴明は、再び己を産んだ実母を。
羽衣狐を、突き落とした。
愛してると叫んだ母を、地獄へと。
地獄から伸びる数多の手が、落ちる羽衣狐を掴もうと開かれる。
羽衣狐の依り代を抱えたリクオは、動けない。
羽衣狐に付き従って来た京妖怪たちさえ、動けない。

あの羽衣狐が落ちていく様を、コマ送りの活動写真の中に見ていた。

「!」

鮮烈な蒼が駆け抜け、安倍晴明は目を見開く。
ちりちりと、『何か』が掠めた腕が焼け焦げる。

妖光の中でも本来の美しさを損なわぬ、蒼。

僅かでもそれが醸す風に触れた妖たちは、瞬く間に消しんだ。
「あれは…」
地獄の灯明さえ、恐怖の感情からすり替える姿。
長くしなやかな曲線を描き、飛び去るその肢体目掛けて。
清明は手にした刀を振るうべく、右腕を振り上げた。
しかし、振るわれた腕は背後へと薙がれる。
合わせた刃は、名高き妖刀・袮々切丸。

「てめぇの相手は、オレだ…っ!」

満身創痍の体躯を抱えて、リクオは声を絞り出す。
この男の手を、届かせてなるものか。

明けゆく空の向こうに、蒼い龍の姿が溶けた。
羽衣狐の姿と、1人の天狗の姿も、共に。





降り立ったのは京の奥山、鞍馬。
「こっちじゃ」
山の主たる鞍馬天狗は、鬱蒼たる杉の間を縫うように飛んでいく。
龍の姿から人の姿へと変化し、抱えた女性の衣の裾が地面を擦らぬよう、はやや高度を上げて付いていく。
辿り着いた暗闇には、庵。
電気ではなさそうだが、扉を潜れば灯りが点いた。

「…そなた、なに、を」

ようやく、が抱えていた存在が掠れた声を発した。
鞍馬天狗は一足先に座敷を開き、囲炉裏へ火を入れる。
抱えていた羽衣狐を上座へ下ろしてから、はその斜め前へと腰を下ろした。
鞍馬天狗は、ちょうど向かいだ。
ちりちりと燃える音、それが囲炉裏の火ではないと察する。
(地獄の火…)
十二単の裾が、地獄の火でじわじわと燃え上がっていく。
ゆるゆると単衣を登る火が身体に届くまで、あと何刻だろうか。

「龍の子、そなた、なにを考えておる?」

己を燃え尽かさんとする火を一瞥し、羽衣狐はを見据える。
鞍馬天狗の存在は、鏖地蔵(みなごろしじぞう)が滅された際に思い出した。
かつて幹部でもあった、重鎮。
だがこの、羽衣狐にしてみれば童(わらし)に過ぎない龍神の子は。
あのぬらりひょんの孫と、懇意の存在ではなかったか。
咎めるような視線を受けても、は圧倒されもしない。

「前にも言ったよ。鬼蜘蛛は面倒くさがって話してくれないから」

だから、貴女の話を聴かせてよ。
桁違いの時間を生きてきた、オレの知らない時代の話を。
(…本当に、童じゃの)
呆気に取られた羽衣狐は、ややして笑みが込み上げてきた。
(ほんに、神族には勿体ない童じゃのう…)
笑う龍の子の無邪気さに、愛おしささえ芽生えてくる。

身を舐める炎は、幾刻保つだろうか。
鞍馬天狗の差し出した茶を受け取り、ふっと息をついた。
自身の口元が笑んでいることに、気づく。
「…そうじゃな。わらわが平家に居た頃の話をしてやろうか。
淤加美神(たかおかみのかみ)は知っておるか?」
「え?!」

永い、永い話が、始まる。
語り部は千年の齢を生きる妖狐、合いの手は天狗の長。
そして聞き手は、若き龍神。

地獄の炎が羽衣狐を呑み込むまでの、彼女には刹那と言える刻を使って。




―――火が、魂に喰らいついた。

「羽衣狐様…」
最期の時を看取る鞍馬天狗へ、羽衣狐は苦しい笑みを向けた。
「そなたの気が向いたなら、狂骨たちを見てやってくれぬか」
軽く下げられた頭(こうべ)は、是とも否とも取れた。
…それで良い。
頷いた羽衣狐は、向かい側へと振り返る。
「まったく、ほんに物好きな龍の子じゃ…」
じゃが最期であると思えば、楽しい刻であったぞ。
礼と共にへ差し出されたのは、黒い扇。
「これ…」
確かこれは、花開院の陰陽師を吹っ飛ばしたものだ。
受け取ってみれば、羽のように軽い。
眺め眇めつするに、羽衣狐は満足げに笑む。
「どうやら、大丈夫そうじゃの」
「え?」
「二尾の鉄扇は、持ち主を選ぶ。認められねば、その重さは鉄に同じじゃて」



―――あの日に譲り受けた、鉄扇。
それは今も、の手元にある。



End.



11.5.8

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