<本家にて> 不可侵の領域
『オレが大事にしてきたモン、1つ奪っていきやがった』
氷麗の頭の中で、リクオの呟いた言葉は警鐘を鳴らす。
何よりも一番に、誰よりも傍で、リクオを守ってきたからこそ。
(百物語組は言った。『奴良組が滅ぶまで、怪談は続く』と)
時刻が丑を告げる頃。
静まらぬ心臓の早鐘に従うことにした氷麗は、玄関先で出会った黒田坊へ声を掛けた。
「黒、ちょうど良かった。私と一緒に来て」
菅笠をやや上げ、黒田坊は氷麗の目を見る。
「リクオ様に、何かあったか」
雪女の性(さが)を表す、冷えて動かぬ険の眼(まなこ)。
そこに僅かな焦りを見つけ、黒田坊は氷麗へ軽く頷いた。
「往く道で聞こう」
氷麗が駆け足を向けた先は、奴良家の南に。
「雪女」
行き先に検討が付いた黒田坊は、前を走る氷麗を呼ぶ。
氷麗は駆ける速さを落とすことなく、振り返ることなく。
「黄昏時に襲われた話、黒も聞いたわよね」
「ああ」
「あいつらは、奴良組を消すために若を狙った。
正面から命を狙うんじゃない。真綿で首を締めるように、外からよ」
そして今日、1つが奪われた。
リクオが守ろうとしていた、『人間』としての居場所を。
(しかも、家長さんに見られた!)
ネット上に上げられた映像、音声、すべてが人々の好奇と恐怖を煽る。
リクオはもう、昼間に出歩くことが出来ない。
「…若の行動範囲だけでなく、精神への攻撃か」
黒田坊は回顧する。
じわじわといたぶり、逃げ場を失わせ、最悪の手段ですべてを奪い去る。
百物語組のやり方を。
(姑息な)
昼のリクオの次は、夜のリクオを。
本来、妖の戦いは『畏』の奪い合いである。
人間であるリクオの力を削ぐことで、総大将たる妖のリクオの『畏』が削げると考えたなら。
氷麗の言葉が重なる。
「昼のリクオ様が大事にされている、人としての生活。それを壊された。
若は大丈夫だと仰られましたが、そんなはずない!」
いくら奴良組総大将とはいえ、彼はまだたった13の齢でしかない。
妖の齢にしたとて、妖怪の世界に足を踏み入れたばかり。
「この上、夜のリクオ様の大切なお方に何かあれば…!」
「言うな、雪女」
想像したくもない。
そのような未来、思うことすら許されない。
ーーー南の湖に住まう存在が狙われたなら。
(もしも、何かあったなら)
水の香が強くなり始めた刹那、氷麗と黒田坊はギクリと足を止めた。
異様な『気』が満ち、周囲を圧倒している。
湖は、森へ分け入ればすぐ見えるはずだが…。
「なにが…」
黒田坊の目の端に、閃光が走った。
「雪女、伏せろ!」
「えっ?!」
2人が草むらに伏せた上空を、鮮烈な神気の波動が薙いだ。
…響いた鈴の音は、まるで刃音。
空気がビリビリと悲鳴を上げ、無いはずの風に樹々が大きく煽られる。
庇いながら顔を上げれば、大量に消し飛ぶ"何か"が垣間見えた。
「黒、あれ!」
「…っ、行くぞ!」
森の樹々を掻き分ける間も、氷麗と黒田坊はビリビリとした悪寒を肌に感じていた。
悪寒…いや、生存本能。
『神気』とは、天に住まう地を創りし神々が纏う、神としての力。
天津神の神気に触れれば、妖怪は立処に滅する。
湖の淵が見えてきたところで、再度足が止まった。
凄烈な気が湖に立ち昇り、"気"に触れたあらゆるものが燐光を纏う。
凛と張った神気の中心、湖の水面。
奴良組の者が『龍の方』と呼ぶ、西方黒龍の子が立っていた。
「あれは…」
水を己の手のように扱い、何かを捕らえている。
墨で描かれた妖気は、考えるべくもない。
「百物語の…!」
生き物のように蠢く水に圧迫され、湖上で捕らえられている妖怪。
あれはここへ妖怪を連れてきた頭目に違いない。
その妖は、息も満足に出来ていないようだ。
氷麗と黒田坊は、息を潜めて光景を見守る。
『龍の方』ことの声が響いてきた。
「百物語組っていうのは、奴良組と敵対している妖怪衆だろ?
それくらい知ってる。けど、何でオレを狙う?」
おそらくは自問自答、夜のリクオに近しいからだ。
他に理由など無い。
「お前たちの主(ぬし)は、天津神と産土神の区別も付かないのか?
安倍晴明が居るなら、なおのことだ」
の声音に怒気が篭る。
外へ出すまいと内に圧殺された怒りが神気の波へと変わり、水面にさざ波を創る。
力が強かったのか形を保っていた妖怪の残骸が、縛された1体を除いて掻き消えた。
「…っ、だめ。これ以上近づいたら、私たちも消される…!」
自らの妖気が神気に侵され、消滅していく様が見える。
パシャン、という水音に目線を上げれば、妖を捕らえた水が大きく動いた。
「天津神は、妖怪同士の争いには決して手を出さない。関わらない。
お前たちの主に伝えとけよ。今度オレに牙を向けたら…」
容赦なく薙ぎ払う、と告げた瞳は、龍神のそれに違いなく。
氷麗と黒田坊は、ゾッと心の臓が凍った。
(あれ、は…)
リクオの友人として見る、ではない。
「格も無い妖怪が、オレの領域に入るな」
いずれは何処かの主神となる、『龍神』。
リクオとぬらりひょんを通して関わっていた氷麗たちは、忘れていた。
彼が、妖怪にとって不可侵の存在であることを。
妖を捕らえる水がぐるんと回転し、捕らえられていた妖が勢い良く放られた。
「きゃっ!」
またも氷麗と黒田坊の上空を、非常に弱った妖怪の身体が飛んでいく。
(アジトへ付いた瞬間、妖気が消滅しそうだな)
百物語組のアジトは判明していないが、黒田坊は確信だけを思った。
という少年に対する認識は、"あの事件"で既に覆っている。
どれだけリクオと共に居ようとも、彼は『天津神』なのだ。
「…黒、戻りましょ」
「そうだな」
2人はそっと踵を返し、湖を囲む森から抜け出す。
「リクオ様には、何も告げない方が良いな」
「私たちがここに来たことはね。龍の方については、きっとご自分で聞きに行かれるわ」
「もっともだ」
ただ、2人には分かったことがある。
今までよりもなお強固にリクオを守り、そして奴良組を強くすることに邁進せねばならないと。
End.
11.7.18
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