春. 桜花の舞い
江戸に居を構え、はや幾百。
奴良組創設以前よりこの地に鎮座す、この櫻も同じく齢を重ね。
今年も見事に咲き誇り、月下に凛冽たる美しさ。
やんや、やんや。
「今年は去年にも増して賑やかですなぁ、総大将」
「うむ。昨年は離れておった組が、幾つか戻っておるからのぅ」
やんや、やんや。
「若菜様、これはもう出して良いですよね。あ、このお酒も持って行きますから!」
「ありがとう氷麗ちゃん。気をつけて」
やんや、やんや。
「おい、首無!」
「何でしょうか?鴆様。お酒は先程お持ちしたでしょう」
「違ぇよ!リクオ知らねぇか?さっきまで居たんだけどよ…」
「おや、そういえば…」
南の湖より流れる川、架かる橋の袂。
「抜け出して来たの?」
せっかく皆でお花見してるのに、と苦笑したに、リクオは肩を竦めた。
「ただ騒ぎたいだけだろ。それに気づいたとしても、今時分になってからだろうよ」
ぬらりひょんとは、気づけばそこに居る妖怪。
大勢の目を躱すことなど造作もない。
リクオは欄干に腰掛ける彼の隣りで、同じように川上を眺めた。
「たまには、1人で花見に洒落込もうかと思ってよ」
さわさわと吹き抜ける風が、2人の長い髪を遊ばせる。
連なる櫻並木はほぼ満開、吹き抜ける風で舞う花びらが闇に映えて美しい。
櫻の名所とされる場所は夜にライトアップなどということをされるが、そんな必要はないとリクオは思う。
人工の灯りなどなくとも薄紅色は夜に浮かび、月が出ていれば月が照らし出す。
だからこそ、夜櫻は『魅せられる』と称されるのだ。
は川岸に連なる櫻並木に、感嘆の溜め息を吐いていた。
「ここの櫻はオレの居たところとは種類が違うけど、本当に綺麗だな…」
今が住まわせてもらっている湖の周辺にも、山櫻が咲いている。
『竜』に連なる"蛟(みずち)"の1人が、奴良家に近い川下の櫻が見事だと勧めてくれたのだ。
「今日は月も綺麗だから、夜櫻を観るには最高だ」
昼間は昼間で、夜とは違う風情の美しさがあるけれど。
そう続けたに、リクオは目を瞬いた。
「昼からずっと居たのか?」
「うん。正確には朝…かな?」
それに、とは続ける。
風に煽られた青水晶が、シャン、と澄んだ音を立てた。
「夜にならないと、君には逢えないから」
その言葉は、酷く当たり前のような響きを持ってリクオへ届いた。
気恥ずかしいと思うよりも先に、愛おしさが込み上げる。
(ああ、ほんとに…)
伸ばした指先は当たり前のようにの頬を撫で、その事実が奇跡であると身を以て知っている。
触れられたことでリクオを見た蒼色は、初めて見た日と変わらない。
「お前には敵わねぇな…」
何が?と首を傾げたに、笑みが零れる。
…満開の櫻がどれだけ麗色(れいしょく)であろうと、闇夜の月がいかに玲瓏であろうと。
が居れば、それは彼の麗姿を彩るものでしかないのだ。
そして外見だけの美しさでは、"彼ら"に勝ることは出来ない。
「櫻を観に来たのにな。お前が居たから、お前しか見えねぇってことだよ」
さらりと吐かれた告白に、次はが苦笑に変わる。
「それ、反則」
クスクスと笑って、互いにそっと唇を合わせた。
…触れた先から、この溢れかけた想いが伝われば良い。
言葉で伝えるには大き過ぎる想いは、伝えようにも自分たちは未熟過ぎて。
ざぁっと吹いた風に、櫻の梢から流れるように花びらが踊る。
リクオは櫻並木へ視線を返し、離した唇に弧を描かせた。
「…冷やかされてるみてぇだな」
同じように笑んで、は着物の袂から扇を取り出す。
「じゃあ、お返しに出て来てもらう?ここの櫻には、きっと"居る"だろうから」
ふわりと欄干より飛び降りて、彼は水音ではなく波紋を供に川面へ降り立った。
シャンッ、と神楽鈴に似た音色が響く。
は川上の櫻へ向けて扇を広げ、水平に差し伸べた。
「夢より現(うつつ)へ 清澄(せいちょう)の樹々より 現の夢に」
ひらひらと舞っていた薄紅が一振り煽がれた扇に誘われ、空へと螺旋を描いた。
円を描く花びらは他の花びらを寄せ、濃くなってゆく薄紅色にぽぅと光が灯る。
ゆらと淡く光るそれは、まるで生き物のように。
『イトウツクシヤ、黒キ龍ノ子。コウシテ誰(タレ)ゾト言ノ葉交ワスハ、イツ以来カ』
音なのか、声なのか。
舞い散るような『言葉』が、雨粒の降るように聴こえた。
舞う花びらに囲まれた光は玉となり、呼吸をするかのように揺れている。
広げた扇を流麗な仕草で元の袂へ仕舞い、は桜花の灯火へ話し掛けた。
「貴女はいつから、この地に?」
『其方ノ産マルル、四ト百ヨリ以前カ』
「…オレを知ってるのか?」
ころころと微笑うように、灯火が小刻みに揺れた。
『旧来ヨリノ山々ノ精、蛟共モマタヨウ語ル。守護ノ地ヨリ飛ブ龍ハ久シイテ…』
祖父や鴉天狗が事ある毎にの父を"変わっている"と評するのは、そのためか。
と"櫻の精"と言って良いであろう者の会話で、リクオは思い当たる。
(ここの櫻が四と百より前ってこたぁ、奴良家のあの櫻も"居る"のか…?)
ふと視線を感じて顔を上げれば、ただの灯火でしかない光と『目が合った』。
風が弱まる。
『人ト妖、神ト人ハ交ワル。然(シカ)シ、妖ト神ハ交ワルコト非(アラ)ズ』
リクオは妖怪と人、は神と人の間に生を受けた。
それでも、決して超えられない壁がある。
"超えてはいけない"のではなく、"超えられない"壁が。
「ああ。よぉく知ってるさ…」
だからこそ、知っているからこそ、愛おしい。
いつかの別れが必然であっても、この想いは途切れない。
リクオの返した言葉に、灯火は笑ったようだった。
『ユカシ心、シノブ心ニ境界ハ非ズ。…其ノ心意気ヤ、童(ワラシ)ニハメヅラシキ』
桜花の灯火は賛辞を残し、光と螺旋を描く花びらを夜に散らす。
溶けるように消滅した灯火は櫻へと戻ったのか、旧知の者たちへ会いに行ったのかもしれない。
「あ、お迎えだよ」
「え?」
の声に櫻から意識を外せば、上空からバサバサと羽音が聴こえた。
「これは…申し訳ありません。お邪魔してしまいましたか」
ささ美が苦笑と共に降りてくる。
一拍置いてふわりと欄干の淵へ飛んだに、彼女は挨拶も兼ねて会釈した。
は首を横に振る。
「オレはもう戻るから、良いよ」
そのまま川上へ去ろうとした彼に、リクオは声を掛けた。
「!明日は酒と肴で花見だ!」
立ち止まり、は笑みと共に頷く。
「分かった。楽しみにしてる」
彼がリクオに向ける笑顔を横から見てしまい、ささ美は意図せず頬を紅くする。
シャンッという音色を見送ったリクオが、そんな彼女をからかった。
「お前も彼奴に惚れたかい?」
「あああ、いえっ、あの…」
しどろもどろになったささ美に冗談だと笑い、リクオは屋敷へと足を向けた。
ささ美は彼の後ろに従いながら、川岸の櫻並木の先を見つめる。
(…龍の方はとてもお美しくて、見つめられたら照れてしまうけれど)
けれど先刻は、こちらが恥ずかしくなってしまったのだ。
若頭と龍の子が、互いをあまりにも愛おしげに見つめていたから。
End.
10.4.11
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>> あとがき
いろいろ失敗してるけど、甘さを感じて頂ければ幸いです。
リクオが龍の子を愛称で呼ぶ切っ掛けになる話が思いつかない…orz
古語や口上を深く考えてはいけません(…)