今宵、満月也。
漆の盃に注がれた酒には、揺らめく月が浮いている。
「良い月じゃ」
しかし、
「今宵は少々、眩しいがな」
くいと飲み干し、中々に旨い酒だと誉めてみる。
盃を持たぬ左手をついと銚子へ伸ばし、傾けた。
「どうじゃ?京の酒の味は」
江戸から京は遠かろう。
言葉と共に注がれた酒は、確かに旨かった。
「…京から動かねぇ化け狐に、言われたかねぇよ」
さわりと吹いた夜風は、互いの長い髪を撫でては去ってゆく。
「何を言う、童子風情が。斯様(かよう)な台詞は、海を渡ってから言うが良い」
「海、ねえ…」
呟いて、傍にある別の銚子を手に取った。
「あんた、渡ったのかい」
注ぎ返した酒は、相手の言葉に合わせるならば、江戸の銘酒。
「それこそ、童子の時分にのぅ。…江戸の酒も、なかなかじゃな」
「だろう?海の向こうにも居るのかい?妖は」
「ああ。手強い」
「ふぅん…」
言葉の途切れに合わせるように、すらりと白い手を眼前へ掲げた。
「やはり今宵は、月が眩し過ぎる」
光を遮っているはずの雲が、灰色に見える程に照らされている。
完全なる美の円を描く周囲には、同じ円の光がほの朱く雲を染めていた。
「眩しい、ねえ…」
そこまで明るいだろうかと相手に目をやり、どうやらそうらしいと納得した。
漆黒の髪が、夜空に浮いている。
月空は、漆黒ではなく深淵の藍色をしていた。
けれど、別に眩しいとは思わない。
自分で酒を注ぎ、飲み干す。
(…そろそろ空だな)
こちらの銚子がこの状態なら、相手も似たようなものだろう。
とりあえず、言ってやった。
「あんたが闇色だからだろ、化け狐」
すると、鈴の音よりもなお透る笑いが、夜に溶けた。
思った通り、相手が自分で注いだ酒も空のようだ。
月を仰いで飲み干してから、月明かりを反射する漆黒が弓なりに細められる。
「成る程?月の其方には分からぬか」
その言葉に、奴良組の若頭は眉を寄せた。
本当に意味が分からないらしい。
嗚呼、愉快だ。
「次は朔の日にどうじゃ?」
漆黒の宴に、招待しよう。
今宵は月下の宴ゆえ。
09.11.3
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