「今からこの調子じゃあ、先が思いやられるぜ…」

その言葉に込められた思いは、彼も分かっていただろうに。
聴こえていて、そう言ったのか。
それでも彼は、『大丈夫だ』と言ったのだろうか。



「猩影!」

ひらり、と目の前へ降り立った彼(か)の姿は、こんな時でも優美であった。
猩影は面を外し、額を流れ落ちる血滴を拭う。

「…若。お怪我は?」

尋ねれば、苦笑いに近い笑みが向けられる。
「あると思うかい?」
軽く両手を広げて見せ、彼は肩を竦めた。
(当たり前だ)
このようなことで怪我をされては、堪らない。

ふと足元に風を感じて視線を落とせば、川面が凍りついていた。
宝船を止めることに必死で気がつかなかったが。
(遠野組か…)
ほんの数十分前までいがみ合っていたことが、嘘のようだ。

「おめぇの方が、傷だらけだ」
「…大したものじゃないですよ。船を止めただけですから」

そうだ。
この程度で騒いでいては、羽衣狐どころか京都の中枢までも辿り着けまい。
未だ猩影は、奴良組という百鬼夜行を信じ切れてはいなかった。
…強いから靡く、保身の為に。
そのような『色』が、四国の一件が過ぎた後も散らついて。

猩影の返答にリクオが何を思ったか、それは分からない。
だが、彼は笑った。

「ありがとよ」

おめぇのおかげで、奴良も遠野も、誰一人として欠けなかった。
止められるか分からずとも、止めると信じておめぇは前に出た。

「その果敢さには、誰も構わねぇさ」

だから大丈夫だと、彼はそう言って笑った。

「鴆!猩影を頼む!」
リクオは船上の鴆へ声を投げると、宝船へと駆けていく。
降りて来た鴆によくやったなと肩を叩かれながら、猩影は宝船に声を掛けるリクオの背を見つめた。

この船に乗っているのは、奴良組だけではない。
リクオが加勢を頼んだ遠野組や、彼が自分で引き入れた者たちが居る。
奴良組も未だぬらりひょん配下の者と、リクオ自身と盃を交わした者が居る。
そういえば、つい先刻の白蔵主はまだ乗っているのだろうか。

(奴良リクオ…)

彼の百鬼夜行を信じる要素は、あまり無い。
猩影自身、夜のリクオに出会った回数は未だ両手で余る。

それでも、あの姿に一太刀たりとも浴びさせたくはないと、そう思うのだ。



09.12.23

閉じる