「おめぇが見る景色は、オレとは違うんだろうなぁ」
こちらを見上げて、リクオがそんなことを呟いた。
彼を見下ろした猩影は、何となく微笑ましい気分になる。
…本家の者たちにも言われるが、まさか彼にまで言われるとは思わなかった。
ふっと笑みを浮かべると、猩影は隣にある姿へ手を伸ばす。
「見てみますか?」
「え?…ぅわ!」
ひょいとその身体を持ち上げれば、予想に違わず軽かった。
妖怪の姿が青年に近いとはいえ、やはりまだ子供であるということだろう。
一方、突然のことに驚いたのはリクオだ。
バランスを取ろうと慌てて掴んだものは、フードに覆われた猩影の頭(こうべ)。
「!」
目を瞬いて視線を上げれば、すべての景色が眼下にある。
今リクオの視界は、見上げていたはずの猩影よりも高い。
「…重くねぇのかい?」
「まったく」
尋ねてみれば軽く返され、複雑な気分を味わう。
これは自分が軽すぎるのか、単に猩影が馬鹿力なのか。
(まさか、どっちもか…?)
肩車など、される年齢でも体格でもないと思っていたのに。
けれどそよいだ風に合わせて、懐古の思いが胸の奥から沸き上がる。
(懐かしい…)
ぽつりと呟かれた言葉は、猩影には聞き取れなかった。
「若?」
彼の見上げるような仕草に、リクオは振り向くなという意思を込めて、少しだけ腕に力を込めた。
実際にこちらを見ることは無理だろうが、それでも、見られたくはなかった。
(…親父が死んだの、いつだっけ)
ずっとずっと前は、こうして肩車をして遊んでくれた父。
この姿で会うことは終ぞなかったが、強くて優しくて、暖かかった。
けれど。
(何も知らなくて良いと、言われた)
(亡くすわけにはいかないと、言われた)
(だから、知らない振りして生きて来た)
それでも。
「遠い、な…」
祖父が纏め上げ、父が率いた奴良組百鬼夜行。
いずれはそれを己が継ぐのだと、その意志が揺らぐことは無い。
しかし己を省みて、出来るだろうかと突然に疑問が湧くのだ。
…小さくとも、多くの意味を込めて呟かれた、『遠い』という言葉。
猩影には、ふと気づいたことがあった。
『夜のリクオ』に、弱音を吐ける場所はあるのだろうかと。
昼の彼にはある。
なぜなら、『昼のリクオ』は人間だ。
周りは妖怪ばかり、母を除けば自分だけが人間という家に住んでいる。
だから彼は誰にでも(というわけではないだろうが)、文句も悪態も弱音も吐けるだろう。
学校へ行けば、人間の友人も居る。
人間であるからと、本家の者たちも接し方を替えているだろう。
(なら、今の『彼』は?)
彼が現れた瞬間、彼らの間柄は率いる者と率いられる者に変わる。
猩影とて、その"畏れ"に呑まれた妖であることに変わりはない。
だから、忘れていた。
奴良リクオがまだ、たった13という年齢であることを。
リクオはそっと息を吐くと、自分の腕に顔を伏せた。
(らしくねぇ。何、弱気になってんだ…)
それもこれも、猩影が悪い。
(おめぇが、肩車なんてするから)
泣きたくなるだなんて。
「若」
猩影からリクオが見えないように、リクオにも猩影の表情は窺えない。
ただ、なんとなく笑っているような気配がする。
「…なんでぇ」
伏せた顔を上げること無く声だけを返せば、軽い反動で担ぎ直される。
続けられた言葉は、どこまでも優しかった。
「誰も見てませんし、オレも見えませんから。だから、」
大丈夫ですよ、と。
囁くように告げられて、思わず笑った。
「…そうかい」
一番年齢の近い猩影に言われるなんて、情けない。
思いはしたが、言の葉にはせず仕舞い込む。
「…ありがとよ」
泣いても、良いですか。
09.12.29
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