オペレーションルームへやって来たのは、ロックオンと刹那。
その刹那の後ろから現れた少年に、居合わせた誰もが唖然とした。

「刹那…?じゃ、ないわよね」

同じ台詞を、ロックオンがすでに発した後である。
(…刹那、か。ここではすべてがコードネームで交わされる)
再会して口にした彼の名前を、軽々しく表に出すことは出来ない。
それがシンには少し哀しかった。
前へ進み出て、責任者らしい女性へ会釈する。

「初めまして。俺はシン、約束していた商談相手の…表」

王が問い返す。
「表…?それはどういうことかしら?」
刹那と共に居た青年や、責任者らしい女性のことは分からない。
だが今問うてきた、この少女については知っている。

「言ったとおりの意味だよ、王留美。この組織における最大の支援者」
「…答えになっていませんわ」
「だから言っただろ?"表"だって。俺は…"刹那"に会うために生きてきた。
探してもらうための条件が、"目に見える存在"になることだったんだ」

そういえば、まだ刹那との相似性を聞いていない。
スメラギが代表して尋ねた。
「シン…と言ったわね。刹那、貴方とこの子の関係性は?」
刹那はシンを見、僅かに顔を俯けて言った。


「俺の、双子の弟だ…」


予想していた答えでも、事実を聞けば驚くしかなかった。
それ以上を彼が言わないので、シンも何も言わない。
ただ目的を告げた。
「ここ、いつまでもホワイトアウトした画面じゃ困るだろ?ちょっと使って良い?」
返事が来る前に、一番傍にあったキーボードを叩く。


『見つけた。俺はここに残りたい』


彼を咎める前に、画面の文字が切り替わった。


『そっか、おめでとう。僕らも頑張った甲斐があったよ。
ところでそこの責任者は居る?有力者でも良いけど』


シンは王とスメラギを振り返った。
王が頷き、キーボードを叩き始める。
彼女らに場所を譲ったシンは、刹那の隣へ戻ると彼の手を取った。
「……」
刹那は口を開きかけたが黙って目を閉じ、その手を握り返す。


『悪戯にしては、性質(タチ)が悪いと思いませんこと?』
『そっちの中枢に異常はないでしょ?僕らを嘗めないでくれる?』


のっけから不穏なやり取りになった。
勢いに任せて言い返してやりたいところを、王はぐっと堪える。
相手は、こちらから望んだ商談相手なのだ。


『…私は王留美。シンという子供は、そちらの代表ととって構いませんの?』


意外だったのか、返答までに間が空いた。


『へえ、あの財界最年少の有力者?シンはあくまで表であって、代表じゃない。
彼は僕らの仲間だけど、おそらく今…この瞬間にも、僕らの手から離れる』


王はシンを見返る。
「どういうこと…?貴方は"表"、けれど違う…と言うの?」
シンは頷き、肯定を示した。

「それもさっき言った。"俺は刹那に会うために生きてきた"って。
刹那がこの組織に居るなら、俺もここに残る。
そのための知識も技術も、手段も全部持ってる。
こんなにも頑張って、やっと見つけたんだ。もう一度離れるなんて…絶対に嫌だ。
…交渉の返事を聞きたいだけなら、そっちで聞けばいい」

ルビーのように赤い眼が、ダイヤモンドのように強く輝く。
どんな人間が説得しようとも、彼を引かせることは難しいだろう。
スメラギはふと、どれだけの時間を彼らは分たれたのだろうかと思った。

(自分の半身、とでもいう存在なのね…きっと)

シンという少年だけでなく、刹那も。
彼らは互いに繋いでいる手を、しっかりと握っている。
…二度と離さない、と言うように。
王は再びキーボードを叩く。


『結論だけで良いですわ。私たちとの協力は、して頂けるのですか?』
『僕らが飽きないうちで良いならね。契約書は後日送るから』


それはプッツリと。
本当に前触れもなくプツリと相手との回線が途切れ、入れ替わるようにモニター画面が正常に戻った。
…コンピューターに化かされた気分だ。
スメラギが苦笑を漏らす。
「厄介極まりない相手ねえ…。さすがの王留美も、お手上げかしら?」
「…そうですわね。負けを認めた方が良さそうですわ」
言われた少女も、肩を竦める。
シンを見たスメラギは、ふっと微笑んだ。

「貴方のことに関しては、明日聞くわ。今日はもう休みなさい。刹那、貴方もよ」
「え、」
「しばらくは、監視も兼ねてその子と同室。文句ある?」
「…ない」
「よろしい。明日は朝一番でここに来ること。その子を連れてね」





自室への道を、シンの手を引き無言で辿る。
部屋に入り鍵を掛けてから初めて、刹那は自分が思った以上に動揺していることを悟った。

「ーーー?」

そっと後ろから囁かれた名前は。
二度と、自分でも二度と口にしないだろうと思っていた言葉だ。

「…やめろ。その名前で、呼ぶな」

その名前を呼ばれる度に、時間が巻き戻っていく。
CBとの接触、ガンダムとの出会い、果てのない戦場。
初めて人を殺した日、そして…この手を離した瞬間。
「…っ!」
ゾッとした。
今繋いでいるこの手は、本当に在るのかと。

繋いだ刹那の手の震えは、シンにも伝わった。
その理由を察し、世界のあまりの理不尽さに泣きたくなる。

「俺はちゃんとここに居る!疑う前に確かめろよ!!」

驚きに見開かれた、赤褐色の眼。
自分の姿が映り込んだと思った瞬間、キラリと光るものが落ちた。
それが自分のものなのか、刹那のものなのかは分からない。
ただ、抱き締められた腕の強さの分だけ、抱き返して。

「もう…呼ばないから。それが"刹那"を苦しめるだけなら、もう呼ばない」

会いたかった。
その名前を呼んで、自分の名前を呼んでほしかった。
けれどそれが過去に還るだけだと言うのなら、本当に必要なのだろうか。
彼が要らないと言っているのに、自分が持っている必要性は本当に。
「…お前は、捨てるな」
背に回っている刹那の手に、力が籠った。

「俺が呼べる名前は、"シン"だけだった。だからお前は、絶対に…捨てるな」

この世界に、神など居ない。
居もしない神の名など知るはずもなく、呼べる名前はただ1つ。
…護るために、繋いだ手を放した。
顔も覚えていない両親が、最後に『逃げろ』と言ったから。
小さな子供に先を予想することは出来なくても、予感くらいは出来たから。
けれど、本当は。


「離したくなんて、なかった」
「うん。離すつもりなんて、なかった」


2人で静かに、涙を流した。
争いも、神に祈る必要もない場所で、生きていけたなら。

神など居ない。要らない。


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07.11.29

「Gott ist tot(神は死んだ)」
ドイツの哲学者ニーチェによる、ニヒリズムを表す言葉。