背後で銃を構える音がする。
(IDについては、王の手落ちだな…)
さて、どうやってこの事態をくぐり抜けようか。

国際テロネットワーク組織を潰すため、刹那はエクシアを駆りイギリスへやって来ていた。
情報に入ったテロリストがつい先ほど、こちらの追跡を躱して街中に消えたところだ。
…まあ、その先で待ち構えていたこちらのエージェントに捕まっただろうが。
運が悪かったのは、この国の警察隊が近辺の警戒にあたっていたことだ。
発砲までしてあのテロリストたちを捕らえられなかったことに、刹那は内心で苛立つ。
捕らえていれば、この事態も簡単に脱せられた。
防弾硝子である可能性を考慮しなかったのは、自分の手落ち。

「住民IDを見せてもらおうか」

持っているわけがない。
警官の近づいてくる気配を感じつつ、もう一度考える。
(どうやって抜け出そうか…)
ふと、黒塗りの高級セダンが目の前に停まった。
何だろうかと眉を寄せると、運転席から降りて来た男が妙なことを言い出す。

「…失礼。この少年は、我々の連れなのです」

何を言っている。
疑問を抱えながらその男の挙動を見守っていると、示された身分証明書を見た警官たちが驚き敬礼を返した。
「こ、これは失礼致しました!」
銃を下ろす気配がしたので、刹那も上げていた両手を下ろす。
立ち去っていく警官たちを見送り黒塗りのセダンへ視線を戻せば、後部座席のスモーク窓がゆっくりと下ろされた。

「まずは、我々に付いて来て頂けますか?」

運転手らしい男の声に頷きそちらを見れば、窓越しににこりと微笑んだ女性。
その顔に、見覚えがあった。



「迷惑だったかしら?」

石畳の橋の上から街を見下ろして、女性…マリナは目を伏せる。
(この偶然に感謝致します。アザディスタンの神々よ)
本当に陽炎だったのだろうかと思ってしまう前に、再び会うことが出来た。
…この国を訪れて3日目、テロによりホテルの移動を余儀なくされた。
避難する途中で出会ったのが、この少年だ。
"カマル"と名乗ったこの子供に、10年前に行方不明となった実弟の面影を重ねて。
今も思う。

(この子は本当に、ファンロンではないの…?こんなにも、面影があるのに)

王宮を狙ったクーデターで誘拐され、消息の途絶えた愛する弟。
この少年が弟ではないかと感じるのは、何もマリナだけではない。
SPが何とか記録してくれた写真を見せれば、シーリンだけでなく当時から知っている側近たちは誰もが頷いた。

これは王国の第1皇子である、ファンロン・イスマイールだと。



迷惑だったかと問うて来た女性に、刹那は首を振る。

「…いや、助かった」

やはり見たことのある女性だった。
黒く長い髪をした、いかにも育ちが良さそうな身なりの。
1週間ほど前にここよりも南の都市で、鉢合わせた気がする。
助かったのは本当で、今頃は相当に面倒なことになっていただろう。

「カマル君は、観光でこの街に」
「…友人に会いに来た」
「そう」

警戒を解かない鋭い眼は、同じ中東の人間に対しても揺るがないらしい。
マリナは自分が名乗っていないことに気付く。
(偽名?いいえ、それでは何の解決にもならない)
迂闊に名乗るなと、シーリンにはキツく言われている。
けれどこの、弟ではないかと思い募るばかりの少年に対して、偽ることなど不可能だった。

「私はマリナ・イスマイール。自国の為の外交でここを訪れているの。
時間があるなら、少しお話ししてくれない?"カマル"君」

次の指令はまだ来ていない。
助けてもらった手前、このまま立ち去るのもどうかと思う。
頷いた彼に笑みを返したマリナという女性は、刹那の服装を目に留める。
「本当はね、こんな場所で同郷の人に会えるとは思わなかったの」
「同郷…?」
確かに、この女性が中東の人間だろうとは予想がついていた。
だが続いた言葉に、刹那は瞬時に怒りを燃やす。

「貴方、アザディスタンの方でしょう?」
「…!」

クルジスの敗北が決定された、あの日。
あの後刹那はソレスタルビーイングの外部組織に入ったので、詳しいことは分からない。
今も併合と分離を繰り返す中東の国々は国名が安定せず、今日も名前が変わっているかもしれない。
だからこそ外交で来たと言った、明らかに"戦場を知らない"目の前の女に、腹が立った。


「違う。俺の出身はクルジスだ。お前たちが滅ぼした、クルジス共和国の」


ああ、なんということだろう。
マリナはくらりと目の前が暗くなった。
見えて来た希望の光こそが、蜃気楼の魅せた夢なのか。

(アザディスタンの神々よ。あなた方は、私に弟を返しては下さらないのですか…!)


貴方が弟かもしれないなどと、誰が言えようか!

砂塵に消える星


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07.12.23

せっつーが本当に弟なのかは、私も決めていません(…)
でも故国以外の国でずっと過ごすと、その国の人の顔になりますからね。
クルジス人と思われて、実はアザディスタン人ってのもあり得る。