Sympathizer30.1... 革新者の涙

「…やられたな」

静かな声はただ落とされ、ややの沈黙を挟んで机を叩き付ける音が響いた。
「っ、ほんと、最悪…」
いつだって苛烈なのはカナードで、温和なのはキラで。
そのキラが相手を射殺せるだけの眼光でディスプレイを睨み、握った拳は怒りで震えていた。
これはよほどのものであるのだと、シンは認識する。
シンの隣で部屋を見回していたリジェネが、カナードへ問い掛けた。
「…さっきの、イオリアの回線ジャックだけど。その後のこと?」
「ああ」
アロウズ瓦解後の、新連邦政府樹立宣言。
それが行われる、世界標準グリニッジ時間午前11時。
狙い済ましたその時間に、すべての情報端末が乗っ取られた。

イオリア・シュヘンベルグの、メッセージに。

メッセージの内容は、"来るべき対話のために、『ウェーダ』を連邦政府へ託す"というもの。
問題は、直後に必要な情報と称して一方的に流れてきた、膨大なデータ。
カナードが言うには、そのデータ量が通常では考えられないくらいに膨大で、すべてのシステムを稼働せざるを得なかったという。
そこへ、
「システムが攻撃された?!」
頷いたカナードは、未だディスプレイを睨みつけるキラを見遣る。
「膨大なデータの中に、特定の情報をすべて破壊するプログラムが組まれていた」
気づいたキラは、真っ先に応戦した。
彼のハッキング能力は世界一と言っても過言ではない。
…しかし、敗北を喫した。
世界一とも謳われる情報屋、『GARMR&D』が。
「っ、悔しい…!」
握られた拳が、再度叩き付けられた。
キラは、自身の腕に絶対の自信を持っている。
相手がどんな者であろうとも、負けを喫するなど屈辱でしかない。
ふと、誰かの携帯電話が鳴った。
「回線が復旧したのか」
机に適当に転がっていた携帯電話を、カナードが取る。
通話を開始した直後、彼の目が驚いたように見開かれた。
「へぇ、珍しいな。お前のところが"GARMR&D(うち)"に連絡とは」
相手は誰だろうか。
ほんの僅かな会話の中、カナードの表情が皮肉げな笑みを象る。
「…残念ながら、こっちも同じだ。全部やられた」
通話相手の驚いたような声が、漏れ聴こえた。
「今の、誰から?」
キラの問いに、通話を切ったカナードは肩を竦める。
「競合他社、最大手」
え、とキラの目に怒り以外の感情が戻る。
「あいつらも、やられたらしい。最後の砦が俺たちのところだったってわけだ」
力が抜けたように、キラは椅子へ座り込んでしまった。
「…そう」
ということは、いかなるメディアも同じ状況ということか。
張り詰めた空気が緩み、シンはホッと息を吐く。
「なあ、破壊された情報っていうのは?」
問うて、ギクリとした。
こちらを見たキラの目には、確かな"哀れみ"があった。

「CBに関する情報、すべてだよ」





ただじっと、見守っていた。
すべてが終わるまで、ティエリアはその場を動かなかった。

画面に【All Delete...】の文字が浮かぶ。

同じくその画面を見つめる背へ、静かに声を掛けた。
「…本当に、良かったのか?」
問われた刹那は、視線を落とす。
無意識のうちに握り締めていたその拳は、葛藤を示すかのように硬い。
肩へそっと触れると、微かな動揺が伝わる。
「…分からない」
ぽつりと零された声は、常の彼からは想像出来ないほどに弱い。
「分からない、けど…どうすれば良いのか…分からないんだ」
あやふやに、矛盾を孕んだ言葉。
まるで迷子になってしまったように、刹那はただ『分からないんだ』と繰り返した。
「そうか」
ただ一言だけ、返して。
ティエリアはそっと刹那を抱き寄せた。

純粋種のイノベイター。

CBの科学者たちが、『ヴェーダ』と共に解析した結果。
刹那の身体は、構造が細胞レベルで変化していることが判明した。
脳量子波を扱えるようになったことが、第一。
さらに身体能力・耐久力の劇的上昇と、老化スピードの減衰が明らかになった。
(刹那は真実、『人間』だ。けれど、生きる時間が人間のそれとは異なってしまった。宇宙という環境に、適応するために)
ティエリアはイノベイドであり、元々が人間と違う身体構造をしている。
しかも今は、身体という"容れ物"を入れ替える、一種の『魔法』さえ使えた。

『ヴェーダ』が存在する限り、ティエリアも存在する。
彼は『ヴェーダ』の"共鳴者"であり、そして『ヴェーダ』の一部だ。

刹那は、違う。

彼は『ラグナ』の"共鳴者"だが、1つの生命体であり、人間だ。
両親が居たし、兄弟も…居る。
ティエリアの背に回された手は、恐怖を覚えて震えていた。

「…俺は、シンと同じ時間を生きられない」

戦ってきた。
戦い続けてきた。
信念の元に、約束のために、守るために。
イノベイターへと革新したことも、刹那自身にとっては望んだものだった。
答えを、導き出すために。
(…でも)
可能性がないわけでは、ない。
同じ血を分けた兄弟であるシンが革新する確率は、低くはないだろう。
それでも、恐怖は増すばかりだ。

必ず、見送ることに、なる。

手放した恐怖、失った恐怖、手が届かなかった恐怖、助けられない恐怖。
どれもこれも身に染み付いて、動けない。
どうすれば良いのか解らなくて、ただ怖くて、考えたくもなくて。
『ヴェーダ』が新連邦政府へ委譲されるという計画を知り、気づけば刹那は行動していた。

その瞬間に、自分たちの痕跡をすべて消し去ろうと。

CBとして問題が無いことは、とうの昔に分かっている。
その方が、動きやすいからだ。
だから刹那は、『ラグナ』に実行を頼んだ。
『ヴェーダ』がすべての情報端末を乗っ取ったときに、すべての情報端末からCBの情報を消し去ってくれと。
これは『ラグナ』でなければ出来なかった。
なぜなら、『ヴェーダ』は"可能性を模索する"ための存在だ。
可能性を模索するには、存在する可能性を削除してはならない。

『ヴェーダ』と『ラグナ』は同じだけれど、違う。
『ヴェーダ』が可能性を模索するからこそ、『ラグナ』は可能性を削除出来た。

シンに逢いたくて、たまらない。
けれど。
逢ったとして、どうすれば良い?

(…俺は、どうすれば良い?)

己にしか出すことの出来ない"答え"は、出口さえ見えない。
終わりの無い葛藤に苦しむ刹那を、ティエリアはただ、抱き締めた。

未来へ恐怖する日


ー こんな恐怖は、要らないのに ー



10.9.20

アロウズ戦後。CBは、痕跡さえ残さずどこかへ消えたのだ。

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