Goodbye to yearning and Dear.

柔らかな日差しが、カーテンの隙間から室内へ溢れる。
幾重にも細く注がれる光は、歓びと懺悔の合図。



「シスター、おはよう!」
「おはようございます、シスター」
教会に併設された孤児院の子どもたちが、朝の礼拝に顔を出す。
こちらを見上げ元気に挨拶をくれる彼らに、知らずこちらも笑みが浮かんだ。
「はい。おはようございます、皆さん」
全員へ朝の挨拶をしてから、1人ひとり名を呼び目を合わせる。
…子どもと同じ視線となり、目を合わせ、しっかり相手と話すこと。
それは母が、そして兄が、己にしてくれていた大切なこと。

静かに祈りを捧げる相手は、神ではない。
想いを捧げるのは、祈っても何もしてくれなかった神ではなく。
願いを叶えてくれた、叶えようとしてくれた、大切な肉親へ。
「ねえナナシスター! この間植えたお野菜、もう芽が出たかな?」
早々に祈りを終えた子どもの一人が、キラキラとした目でこちらを見上げていた。
それにクスリと笑みを零す。
「ではみんなで見に行きましょうか」
礼拝を終えた子どもたちを連れ、教会の外へ。
外にいた先輩シスターに子どもたちを預け、誰も居なくなった礼拝堂へと引き返した。

控えめな装いのステンドグラス。
色づいた光を背に白から浮き上がる、両手を広げた聖母。
「……」
紡ごうとした名は吐息に、音は霧散した。

(お兄様)

もはや彼の名は、自分が気安く呼んで良いものではない。
ブリタニアを変えた賢帝は、もうただ一人の…肉親の為だけに在るのではない。
妹を守り続けてくれた兄の名を呼ぶことを、あの日自らに禁じた。

ナナリー・ヴィ・ブリタニアはあの日、ヴィの名を返上した。
ナナリー・ランペルージはあの日、ランペルージの名を大切に仕舞い込んだ。
ここにいるのは、シスター見習いの『ナナ』だ。

世界は、劇的に変化した。
第99代皇帝ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは、98代シャルル・ジ・ブリタニアの政策、その9割にあたるものを転換。
侵略政策から始まりエリア政策、内政の教育政策まで見事に。
ブリタニア臣民は元より、オーストラリアのようにブリタニアの侵攻地図にさえ無かった国の民まで動揺したことは、記憶に新しい。
それはブリタニアという国が、等しく『世界』に多大な影響を与えられるという証明でもあり、皮肉なものだとある筋は語った。

ナナリーは箒と塵取りを手に表へ出る。

燦々と降り注ぐ太陽の光は、あとひと月もすればカッと照らしだすだろう。
子どもたちと植えた野菜は、ぐんと元気になるに違いない。
真っ白としか捉えられない太陽を見上げ、ナナリーはこの眼が焼けてはくれないだろうかとふと思う。
…兄を見るために開いたこの『目』。
これこそ、償いのために潰されるべきではないかと。
キィと車椅子の車輪が引きつれた音を上げ、ナナリーは車輪に噛まれていた石くれを取り除く。

足は治らないと言われた、それで構わないと思った。
歩けぬ生活とは、もう長い付き合いだ。
けれど、目は。
(お兄様は、優しすぎるんです)
最後に見たルルーシュの表情は柔らかで、暖かくて、開けぬ瞼の向こうでいつも注がれていた陽だまり。
いつまで経っても鮮明に思い出せる兄との最後の思い出は、ナナリーへ初めての恐怖を植え付けた。
(なんて、残酷なひと)
変わらなかった。
フレイヤを撃ち、何千万という人の命を失わせた。
自己保身以外の何者でもない罵声を、与えられていた愛を無いものとして浴びせた。
なのに、彼の態度は何ひとつとして、変わらなかった。

『さようなら、ナナリー。俺の妹』

そう、何ひとつとして変わらずに。
ナナリーが修道女となると決めたときも、ヴィの名を返上したときも、ランペルージの名を隠したときも。
いつだってルルーシュは『兄』だった。
そして『母』のように見守ってくれていた。
それがナナリーにとって精神的な柱であったこと、自身が気づいていなかった内からずっと。

「なかなかに佇まいの良い教会だ」

ぼんやり思考に耽っている内に、来客があったようだ。
ナナリーはハッと顔を上げた。
箒と塵取りが役目を果たせていない。
「おはようございます。礼拝堂は開いていますよ」
言いながら、自身の目が丸くなっていることを自覚した。
声で咄嗟に判断した来客の年齢が、まったく当たっていない。
ぱちぱちと幾度か瞬きしたナナリーに、来客の少女は笑った。
(女の、子?)
30頃の女性と判断したのだが、そこに居たのはナナリーより4つは年下であろう少女だった。
「ここも、随分と街から離れているな。人に触れたくない理由があるのか?」
踝(くるぶし)に届こうかという程に長い金髪が、朝日を跳ねて波打った。
「開いているというなら、遠慮なく入らせてもらおう」
ナナリーを見る少女の口元には、まるで幼子を諭すような笑みが。
教会へと足を踏み入れた彼女の後を、ナナリーはほんの少しの逡巡で追う。
(ああ、思い出した)
目を閉じれば、ほんの数ヶ月前の感覚が甦る。

『さよなら、ナナリー。二度とお前に会うことはない』

美しいライトグリーンの髪に、金の目をしていたあの女性。
(C.C.さんと、同じ…)
誰よりも兄の傍で、ルルーシュの傍で、兄と共に歩んでいたあの人と、同じ。
この少女は、彼女とまったく同等の気配を纏っていた。
「…C.C.さんのお友達、ですか?」
金髪の少女はナナリーを振り返り、ひょいと肩を竦めた。
「ふむ、友人か。まあ似たようなものだろう」
長椅子の後ろから3列目へ腰掛け、少女は聖母像を見上げる。
ふ、と彼女の声音が和らいだ。

「望みの物語があるなら、読み聞かせてあげよう」

ナナリーの脳裏に、幼き日の母の姿が重なった。
「……」
礼拝堂の扉を静かに閉じ、ナナリーは一度引き結んだ唇をそっと開く。
「それなら…、第99代皇帝陛下の御世で、『ゼロ』に関わりのあった方々のことを」
少女が苦笑した。
「おやおや、随分と長い物語をご所望だ」
最後までちゃんと聴けるかな? 幼子よ。
母にも兄にもよく似た少女の言葉に、ナナリーはこくりと頷いた。



ーーーある火種の話をしよう。
突然だが、"軍"の有り様を知っているか?
…そうか。今さら誰も咎めはしないさ、知らぬを認めることが大事だ。
"軍"とは"国"の為にあり、"国"の意向無しに"軍"が動けばそれはいずれクーデターとなり、国家転覆の危機を招く。
そう、最終決戦に至る頃、『黒の騎士団』が第99代皇帝を信用出来ぬと騒ぎ出した。
これが超合集国の火種となったのさ。

「火種…超合集国が分裂する火種、ですか?」
ナナリーが口を挟むと、少女はよく出来ましたとばかりに頷く。
「そうだ。分裂の最たる国家がどこか、分かるか?」
「はい。超合集国でもっとも大きな中華連邦ですね」
「中華連邦は、技術力では合衆国インドにも及ばない。それでも『大国』と呼ばれる理由は分かるか?」
「はい。サクラダイトはありませんが、広大な国土に多種多量の資源が眠っています。
政治の腐敗が長く続き民は困窮していると聞きますが、現国家元首たる天子様は国民の支持が厚いと」
少女はふふっ、と笑みを零した。
「そう、中華の天子は齢14の少女だが、国民の支持は素晴らしく高い。
彼女は超合集国へ加わると決定した翌日、国民へこう言ったそうだ」

ーーーわが中華連邦は、『ゼロ』に"きぼう"を見出しました。
『ゼロ』のこころざしは、『弱き者を見捨てず手をさしのべる』精神は、わが国にも必要なことです。
時間が、かかります。ですがわらわのこの先10年、20年、30年、わらわが死ぬときまで、すべてを皆さんへ捧げます。
だからどうか、わらわに力を貸してください。

「これは内緒の話だが、彼女は『ゼロ』に薫陶を受けたと聞く。
彼女個人としても、『ゼロ』には深く信頼を置いていたのだろうな」
ところで、『ゼロ』が超合集国を創った理由は解るか?
ナナリーは考える。
「…ブリタニアは、大国です。大国に対するには、大国である必要があったのでは?」
少女は笑った。
「半分正解だ。資源、人、技術、すべてを1国で賄えるブリタニアに対するには、同じものを揃える必要があった」
寄せ集めだとて、ブリタニアの主力半分と対等になっていたのだから、大したものだ。


ーーー話を戻そう。この火種が燃えたのは、お前がここへやって来た頃の話だ。
終戦協定が結ばれた直後、超合集国はブリタニアへ謝罪し、超合集国憲法の元で『黒の騎士団』を厳罰に処した。
同じ騎士団の者でも、一般兵や『ゼロ』に厚かった者は刑を免れている。
…そうだな、刑の話が出たのでブリタニア側についても話そうか。
第99代皇帝は、慣習としての貴族制を廃止した。
そしてお前がここへやって来た後のことだが、皇族制もほとんどが廃止の方向で準備が進んでいる。
要職に就いている者はそのまま、本人以外が皇族から外されるそうだ。
もちろん、要職に就いている者も能力によっては入れ替えられている。
皇宮を出る者に対する手当や保証はかなり充実している、と誰かが言っていたな。
面白い話だが、要職に就いているわけではない第1皇子と第1皇女が、そのまま皇族として残っているぞ。
なぜか?
皇族から出ざるを得なかった者たちの、不満の捌け口として必要なのさ。

「…あの、」
ナナリーは少女の話をこわごわと遮った。
どうした? と首を傾げた少女は、やはり母にも兄にも似ていた。
「…貴女にお聴きするのは違うのかもしれませんが、」
アッシュフォード学園のことは、何か知りませんか?
その疑問などとうに知っていたとばかりに、少女は唇に笑みを刻む。
「知っているよ」

ーーーミレイ・アッシュフォードは、相変わらずエリア11でニュースキャスターとして働いている。
ニーナ・アインシュタインは、自らの責務として"フレイヤ"の完全無効化システムの開発中だ。
リヴァル・カルデモンドはアッシュフォード大学へ進んだという。
カレン・シュタットフェルトは、…知っているな。
スザク・クルルギだが、以前と変わらず諸外各国で"白い死神"と呼ばれているぞ。

ナナリーは純粋に驚いた。
「スザクさん、お兄様のところに居るんですか?」
言ってしまってから、しまったと口調に気づき口を塞ぐ。
それを面白そうに見遣って、少女は立ち上がった。
彼女は通路をゆったりと歩き、祭壇の目前へ至るとナナリーを振り返る。

「その言葉には語弊がある。"アレ"はもはや、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアには近づけん」

我が王の"世界"は、すでに閉じられた。
ゆえに何人(なんぴと)たりとも、入ることは出来ない。
「近づこうと足を踏み出した刹那、"世界"がその首を刈るだろう」
聖母の下、祭壇の前で後光を受けた少女の姿は、『聖母』よりも余程『母』であった。
車椅子の肘掛けを握る手が、知らず震える。
「それは、どういう…」
両手を広げた少女は、ナナリーへと微笑んだ。
「知らぬが華、知らぬが仏、…知らぬが幸福、というものさ」

そうだろう? 只人(ただびと)よ。



はっと思ったときには、ナナリーの眼前には誰も居なかった。
祭壇の前に居たはずの少女は、金の髪一筋も残さず姿を消していた。
(夢…?)
いいや、そんな訳はない。
だって、聴いた話は一字一句逃さず、覚えている。
ぎぃ、と礼拝堂の扉が音を立て、ナナリーはビクリと肩を震わせた。
「あっ、ナナシスター! 誰かとお話してた?」
話し声が聴こえたんだ、と外へ出ていた子どもの1人が入ってくる。
ナナリーはホッと息を吐き、笑みを向けた。
「ええ。でももう、お客様はお帰りになりましたから」
すると子どもは不思議そうな顔をする。
「えー? だって、このドア開いてないよ?」
ナナリーは笑みを崩すことなく、人差し指を口元に当てる。
そう、これは内緒話なのだ。

「そういうことも、あるんです。このことは秘密ですよ?」
思慕と親に別れを

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13.6.16
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