「え〜、今日から3ヶ月間、クロスフィールド学園からの留学生を迎えることになった」
担任教師のどこか浮ついた声に、ギャモンは頭の後ろで組んでいた手指を外した。
(なんだぁ?)
クロスフィールド学園といえば、小中学生時代にカイトが通っていた学校だ。
実質世界一と言える、秀才育成校。
日本におけるクロスフィールド学園に近い√学園は、そのクロスフィールド学園と姉妹校である。
教師の言い方から推理すると、その留学生はこのクラスに入ってくると。
「では紹介しよう。どうぞ」
言葉に応じて教室へ入ってきた人物に、ざわりと教室内が色めき立った。
白に近い金髪、空のように鮮やかな蒼の眼、欧米人らしい白い肌。
(おい…マジかよ)
女子の黄色い悲鳴に、男子の期待の声。
つまりはそう、入ってきた留学生は可愛いかったのである。
(…どっちだ?)
そして、アナほどとは行かないが性別不詳である。
身体の線が細い点までアナによく似ている。
教室内がシンと静まり返る中、留学生はにこりと微笑み口を開いた。

「初めまして。フリーセル・パラスと言います」

流暢な日本語はテナーとアルトの中間、透き通るようなハスキーボイスにより発せられた。
おや? と目を瞬いたのはギャモンだけではなかったようで、フリーセルと名乗った人物は苦笑する。
「男子生徒の皆さんはごめんね。僕、男なんだ」
何に対する謝罪なのかと思ったが、ギャモンは深く考えない。
フリーセルが困ったようにことりと首を傾げた仕草は、非常に可愛らしい。
可愛らしいのだが…。
(男なのか…)
これでは可愛い物好きの女子たちが毎日騒がしそうだと、今から辟易した。



「Mr.Sakanoue?」
「うおっ?!」
1時間目の授業が終わり、休み時間。
閃いたパズルでも書くかと方眼紙のメモを開けたギャモンは、唐突に声を掛けられ驚いた。
慌てて顔を上げれば、目の前にはあの人形のように整った顔立ちがある。
「ビビらすんじゃーねよ、えっと…パラス?」
苗字を呼んでみれば、くすりと笑みが返った。
「名前でいいよ」
「そうか? んじゃフリーセル。何か用か?」
ついでにこちらも名前で呼べと告げてから、用件を尋ねる。
「うん。Mr.Kaidouがね、君が良いパズルを創るって言っていたから。見せてほしいなって」
無邪気に問い掛けてくる相手に、悪い気はしない。
「おう、良いぜ! ほれ」
メモ用紙の上から何枚かは、昨日の夜に作成した試作品だ。
一番上の足し算パズルを切り取って渡してやれば、フリーセルの表情が輝く。
(カイトみてーなヤツだな…)
今の彼の表情は、良いパズルを前にしたときのカイトによく似ていた。
「解いていい?」
「解かねーでどーすんだよ? ほら」
ペンを渡してやれば、彼は嬉々として解き始める。
「お前はパズル創るのか?」
「うーんと、創るけどこういうのは苦手で、」
解答を記入されたメモを受け取り、正解を確認してギャモンは片眉を上げた。
「こういうのが苦手?」
フリーセルが笑う。
「じゃあ、今から歌うから解いてみて」
「は?」
歌うから?
戸惑うギャモンに構わず、フリーセルは節を付けた言葉を紡ぎ出した。

透き通る声と旋律に乗せられた、美しい言ノ葉パズル。

(こいつはすげぇ…)
難易度は高くないが、歌声を聴いてしまう。
現に、彼と話していたギャモンだけでなく、教室内に居た誰もが彼の歌に意識を吸い寄せられていた。
「分かった?」
歌い終わり笑顔で解答を求めたフリーセルに、にやりと笑い返す。
「Root.Academy」
「正解!」
今のパズルをカイトに聴かせたら、どんな感想を出すだろうか。
(昼休みは、こいつ連れて天才テラスだな)
ギャモンは柄にもなく、楽しみだった。



ガタン、と立ち上がったカイトに、ノノハは彼を見上げた。
「カイト?」
同じく向かいで、アナとキュービックがカイトの様子に食事の手を止めた。
彼の凝視する先には、レストランのウェイターよろしく皿をいくつも持つギャモンの姿が見える。
「よぅ、お前ら。うちのクラスに来た留学生連れてきたぜ」
ギャモンは首だけを後ろへ振り向かせ、後からきた人物を示す。
(お、可愛い子だ…)
ノノハがそんな感想を抱いた処へ、隣から呆然とした言葉が零れ落ちた。

「セル…?」

明らかに自分を通り越しているカイトの視線に、ギャモンはもう一度首だけで振り返る。
「なんだ、知り合いか?」
フリーセルは頷くだけに留めた。
「久しぶり、カイト」
そうフリーセルが微笑んだ先をなぞるように見返り、ギャモンは呆気に取られて口が開く。
誰よりもカイトを知るノノハまでもが、虚を突かれ目を見開いていた。

喩えるならば、ふわふわとした綿菓子、ほわりと浮かぶしゃぼん玉。
そんな、あまりにも優しい眼差しをカイトが向けているから。

「おう。久しぶりだな、セル」
浮かべられた笑みさえも、1年近く共にいた面々が見たことのないもので。
(おい…)
ギャモンは唐突に悟った。
自分たちが見てきたカイトは、未だ部分的でしか無いのだと。
「そっちの人たちも、カイトの友達?」
小首を傾げて尋ねたフリーセルに、カイトは僅かに考えてノノハたちを見下ろした。
「…友達? うーん、仲間?」
「アナが思うに、それはどっちも似たようなものなんだな」
クスクスと口元を隠しながら笑うアナに、納得いかないのかカイトが唸る。
「そうか? ああ、ノノハは幼馴染だな」
隣を軽く指差したカイトに、フリーセルが何事か思い出しパッと表情を変えた。
「カイトが言ってた、運動が凄く出来てパズルが全然解けない人?」
ノノハは我に返らざるをえない。
「…えっと、それって褒められてるのしら……?」
もちろん、怒りの矛先はカイトである。
ここで技掛けはやめろと彼女への視線に強く込め、カイトは座り直した。
ノノハの隣にギャモンが座り、その向かい…キュービックの隣にフリーセルが座る。
全員を見回し、彼は楽しげに笑った。
「初めまして。初対面の挨拶は、こんなパズルでどうかな?」
コホンと咳払いをひとつ、すぅと息を吸う。

「…!」

ちょうど階下に居たソウジは、料理を待ちながら上階を仰いだ。
「綺麗な声ですね…」
後ろに並ぶタマキの感じ入った呟きに、同意する。
見れば、周りの生徒達も天才テラスを見上げて、ざわざわと聴き入っている。
「そうだねえ。しかもこれ、パズルだよ」
「えっ?」
言葉のパズルは珍しくない。
アナグラムを筆頭に一定の法則に沿って別の文章を紛れ込ます等、暗号として遥か過去から存在している。
「…ふむ、フリーセル君か。学園長の仰っていた留学生が歌の主だね」
後で、天才テラスへお邪魔してみようか。

「そっかぁ、フリーセルって言うんだね〜」
「クロスフィールド学園からの留学生か。あの学園ともほんと縁があるね、ボクたち」
短い詩が終わり、アナとキュービックが口々に彼へ話し掛ける。
ノノハは1人混乱していた。
「えっ? どういうこと? 2人とも何で名前知ってるの?」
何も言ってないよね?! と彼女は慌ててカイトに解説を求め、いつものことなのでカイトは説明してやる。
「セルが歌った歌詞、覚えてるか?」
「え、うん」
「んじゃ、後で紙に書いてみろ。最初の3つの文が、その先の文節の読み方だ。
今回のやつは『全部1文字飛ばして読む』だから、お前でもすぐ分かるぜ」
「わ、分かった! アナ、ちょっと紙とペン貸して!」
「はーい」
食事を中断したままパズルの解説をなぞり始めたノノハを横目に、カイトはフリーセルを見る。
視線に気づきにこりと微笑んだ彼へ、同じく軽い笑みだけを返した。
(The library at after school…)
ノノハへ告げた解き方は、間違いではない。
だが、それが全てではない。
「ねえ、カイトといつから知り合いなの?」
「初等部の2年生かな。知ってるかどうかなら、転校してきたときから知ってるよ」
「…んな有名だったのかよ、コイツ」
ギャモンの皮肉たっぷりの言葉には、ほっとけ、と返してやる。
フリーセルは彼らのやり取りが面白いのか、笑い声を上げた。
「だって、カイトは凄いもの。解けないパズルなんて無かった。
だから他の学年からも、カイトを打ち負かそうといつも挑戦者が来てたよ」
「へえ…」
文節は、日本語独特の区切り。
それを英語の節に戻し、ある法則に沿って文字を拾っていく。
拾った文字をさらに一定の法則で組み上げれば、浮かぶ言葉は『放課後、図書室で』。
それはカイトとフリーセルしか知らない、2人だけの暗号表。



*     *     *



閉じた窓の向こうから、下校する生徒たちの賑やかな声が届く。
いくつも並ぶ大きな本棚、中でも図鑑や図録で埋まるもっとも奥にある列の中程。
「カイト」
名を呼ばれ、開いた図録を見下ろしていたカイトは顔を上げた。
本棚の途切れる先に、フリーセルが立っている。
目が合ったことを喜ぶように彼の口元が綻び、足先がこちらへ向けられる。
そうしてほんの数歩ですぐ隣までやって来て、フリーセルは目を瞬いた。
「それ…」
開かれたページは、クロスフィールド学園からそう遠くない遺跡。
カイトはひとつ笑みを零し、図鑑を閉じた。
「最近見てなかったけど、セル見たら思い出したんだ」
√学園へ編入したばかりの頃、1人でずっとこの写真を見ていたことを。
図鑑を元あった場所へ仕舞い、カイトはそっと隣の存在へ手を伸ばした。

ふわふわとペルシャ猫のような髪の、手に馴染む感触。
そのまま頬を撫ぜれば、空色の眼差しが擽ったそうに細められる。
…これが当たり前に隣にあったことは、本当に過去なのだと。
脳の理解は衝動へ繋がり、カイトはフリーセルの身体を抱き寄せた。

「…ーーっ」

ほとんど掠れた言葉は、それでもしっかりと拾えた。
少し痛いくらいに抱き締められながら、フリーセルも両手を彼の背へ回し抱き返す。
「…うん。僕も会いたかったよ」
彼がクロスフィールド学園から√学園へ呼び戻されたのは、1年と少し前。
当たり前に彼が隣に居た日常が消えて、どれだけ息を詰まらせて来ただろう。
(僕よりずっと寂しがりのカイトは、)
心の内のどれだけを、閉ざしたのだろうか。
きっと、抱き締められたこの息苦しさが、答えで。
そしてこれが自惚れではないことも、己が等しく心を枯らしていたことも真実で。
(あの人たちはまだ、気付けないんだね)
今日仲良くなったばかりの、カイトの友人たち。
彼らとカイトが笑ったり言い争ったり、呆れたり和んだり、それはとても楽しい空間だった。
(…それでも、)
それでもまだ彼らは、カイトが自ら創った壁に阻まれているのだ。
ふと抱擁が緩み顔を上げれば、様々な感情に揺れる瞳がフリーセルの姿を映す。
それに僅かながら苦笑を浮かべ、己の両手で彼の頬を包み込んだ。
「幽霊じゃないんだから、消えたりしないよ」
ねえ、カイト。

ほんの少しだけ困ったように笑う彼の、触れてくる手に自分の掌を合わせる。
別れた日からお互い成長して、不意に再会が来て、溢れた感情が行き場を失くしていた。
それがようやく、カイトの中で収まりを見つけようとしている。
「お前、いつまで居るんだ?」
「学期が変わるまでだから、3ヶ月弱…かな?」
こつん、と額を合わせる。
「…短いな」
3ヶ月だけ、なんて。
するとフリーセルはクスリと笑った。
「違うよ、カイト」
3ヶ月も、だよ。
釣られるように、カイトも笑った。
「ははっ、そうだな」
ここにギャモンやノノハが居合わせたなら、またも唖然としただろう。
良いパズルを前にしたときとは全く違う、彼の穏やかな笑顔に。



本棚に遮られた先は、随分と傾いて色濃い夕焼けに染まっている。
鋭角を描く長い影の中、幾度も口づけを交わす。
物理的な距離で隔てられた時間(とき)の中、友愛と恋情は日向の影のように融け合ってしまった。
もう一度フリーセルを抱き締めて、カイトはぽつりと呟く。
「…高校は、無理だったけど」
「うん」
「大学は、セルと同じところが良い」
フリーセルは驚き、目前の黒耀を見つめた。
…カイトは、未来を語らない。
明日、明後日、1週間後のことは話すが、1年、2年、5年後のことを耳にしたのは初めてだ。
目の前で両親を失くした彼は、未来がどれだけ不定形であるかを知っている。
(それでも、言ってくれた)
堪らなく、嬉しい。
「本当?」
「お前に嘘ついてどうすんだよ」
やや呆れを含んだ笑みを返され、フリーセルは喜色を隠さない。
「ふふっ、あのねカイト。僕、そろそろクロスフィールドから出ようと思ってるんだ」
イギリスから? と問われ、頷く。
「カイトだって、このまま日本に居る気はないでしょう?」
「…ああ」
不自由はない。
ただ少し、ほんの少しだけ、
「オレには…狭い、から」
フリーセルはカイトの頭(こうべ)を抱き寄せ、その黒髪を撫でる。
「…うん。だから約束しよう、カイト」

次は、一緒に行こう。
13.4.29 (For song of the future.)

閉じる