PROUDER HORSE JAPANの開店は、9時30分である。
大抵の大型店舗は10時が基本だ。
周囲に一切の競合施設がないPROUDER HORSE JAPANは、自身の特徴により開店が早かった。

エレベーターの電源が全基に入り、エスカレーターが調整稼働を始める。
フロア全体を閉じているに等しいシャッターの"Open"パネルを操作し、シャッターがゆっくりと上がる様を見守った。
ビルの内部は似たような稼動音のオーケストラと化し、PROUDER HORSE JAPANの一日が始まる。

今日は祝日。
常の土日よりも売り上げが見込めるため、店舗オーナーにとっては気合の入れどころだ。
シャッターが開き切ったことを見届け、ガラス製自動ドアの下部ロックを外して横へとスライドさせる。
店舗の主電源が入っていないので、もちろん人力だ。
ビルの採光設計により薄暗い程度で済んでいる店内を足早に奥へと進み、主電源のスイッチを押下した。

明かりの次に灯るのは、PROUDER HORSE JAPAN最大の集客率を誇るパネルたち。
パズル画面を映すパネルと大本のシステムについては、もっとも多くの注意を払う必要がある。
ゆえに11階を預かるマスターことPhilippe氏は、早番のスタッフと共に毎朝30分をパネルの整備に費やしていた。
「さて、本日の中継スケジュールを確認しましょうか」
ある日を境に、彼には楽しみが増えた。
11階のパズルコーナーの中でも1番人気である、対戦パズルステージ。
ここでランクAAA(トリプルエー)の協力パズルを、PROUDER HORSEにおける世界新記録でクリアした少年たち。
彼らの記録がいつ塗り替えられるか、毎度毎度胸が踊るのだ。
「マスター、一昨日のPROUDER HORSE LS(ロサンゼルス)の録画、見ました?」
そしてどうやら、胸を踊らせているのは己だけでは無いようで。
スタッフが目を輝かせるのに、笑みで答えた。
「ええ。彼らも惜しかったですね」
一昨日、PROUDER HORSE LSにて行われたランクAAA協力パズルは、惜しくも1分の差を残してクリアとなった。
「AAAの対戦パズルも凄かったですよね。あのSOLVER Kの子」
「もしかして先週のやつ? SOLVER KとGalileoの」
「そう、それ! あれ決着付かなかったけど、再戦が楽しみで」
スタッフたちがそれぞれに仕事をこなしながら、雑談を交わす。
"SOLVER K"の名で2度ほどAAAステージに挑戦した少年は、あっという間にここの話題を攫ってしまった。
「では最終ミーティングです」
パネルの点検、朝のスタッフミーティング。
これが終われば開店時刻ちょうどとなり、からくり時計のメロディが階下から開店を知らせる。
忙しい一日の始まりだ。

「Hello, Master.」

大抵のことには動じないPhilippe氏であるが、店の外から掛けられた声に驚いた。
もちろんそんな素振りは見せないが、噂をすれば何とやらとはこのことか。
「これはカイト様。いらっしゃいませ」
声を掛けてきたのは、以前にここの馴染みとなった少年・大門カイトだった。
話題渦中の"SOLVER K"である。
随分とお早いですねと続ければ、彼は片手で軽く頭を掻く。
「んー、開店直後なら話せるかなと思って」
どうやら相談事のようだ。
「貴方であれば、ご連絡くださればいつでもバーで伺いますよ」
奥のバーへ彼を案内しながら告げれば、今度は苦笑が返った。
「いや、他のお客さんの邪魔はしたくないし」
ステージパズルはオレも見たいし。
後者の方が比率が高いのだろう、正直なところは微笑ましいばかりだ。

カイトがバーカウンターに着席したタイミングを見計らい、ミネラルウォーターのグラスを出す。
コースターをパズル模様のものにするかどうか一瞬迷ったことは、秘密だ。
「して、カイト様。わざわざ私へのご相談とは、如何様なもので?」
彼はグラスの水を一口、喉を潤した。
「…実は、"Cue Cube(キュー・キューブ)"のパズルなんだけど」
"Cue Cube"とは、11階フロアのAAAパズルをクリアし、かつマスターの眼鏡に適った者だけが入場出来る部屋のことだ。
この部屋はマスターであるPhilippe氏とスタッフの肝入り、古今東西のアンティークパズルが所狭しと展示されている。
装飾品からインテリア、絵画等々、小さな美術館と言っても過言ではない。
展示品の一部は販売されており、稀に譲る場合もある。
そこでPhilippe氏は、大部分を得心した。
「何か、特別なパズルをお探しですか」
断定したのは、彼がどの品か決めていると判断した為だ。

以前にカイトがフリーセルと共に"Cue Cube"へ入場した際、Philippe氏は彼らが気に入った物を譲ろうと思っていた。
…パズルの良さを共有出来る人柄を持つのであれば、"Cue Cube"のパズルを持つに相応しい。
大切にしている物を譲る先は、同じように大切にしてくれる人が良いに決まっている。
が、彼らは何も欲しがらなかった。
ゆえにPhilippe氏は、次に訪れたときに欲しいものがあれば遠慮なく言ってくれ、とだけカイトに伝えていた。
「あー…うん、そうなんだけど…」
しかし、カイトの歯切れは悪い。
おやと僅かだけ首を傾げれば、彼は困ったように笑った。
「何かかなり特別そうなやつだから、ちょっと…」
グラスを拭く手を止め、軽く肩を竦めたPhilippe氏はバーの奥を示す。
「実物を前にして話しましょうか」



"Cue Cube"にてカイトが指し示したのは中央の硝子棚、上から3段目に展示されているアンティークパズルだった。
(なるほど…)
Philippe氏はまたも得心した。
ライトアップの仕方、人の視野パターンを考慮した展示位置、そして物そのもの。
すべてが"Cue Cube"の最上級コンテンツの1つであると語っている。
これではカイトの歯切れが悪かったのも、当然だ。

化粧箱に収められた、ひと組の2連リング。

やや色褪せた金のリングに施された意匠が、連なるリングとの合わせパズルになっている。
ひと組で化粧箱に収められているということは即ち、2つの2連リングの模様が合うことを示す。
真鍮製の化粧箱の外観には螺鈿細工が彫り込まれ、七色の彩りが煌めいていた。
また化粧箱の内側には、意匠と共に装飾体アルファベットで文章が綴られている。
Philippe氏の見立てでは、この化粧箱には隠れた引き出しがあり、文章はその開け方だ。
「どなたかへの贈り物ですか?」
尋ねれば、カイトはリングを見つめたまま答えた。
「そう。セルに贈ろうと思って。あいつ、今度誕生日だから」
「そうでしたか」
だが指輪を相手に贈る、というのはこの年頃の少年にしてはやや奇異に映る。
予想していたか、彼はそのまま続けた。
「前にここ入ったとき、あいつ、ずっとこれ見てたんだ」
そんなに気に入ったのかと問えば、確かに素晴らしい物だけどそうじゃない、と返った。

『ママがね、よくこういうのを集めて飾っていたから』

フリーセルの母親は、数年前に亡くなっている。
他に肉親は居らず、家にいるのは彼の他に執事が1人と使用人が2人だけ。
彼の実家はクロスフィールド学園に通える距離にあるが、母が亡くなって以降、フリーセルは寮生活を送っていた。
「で、特にお気に入りの彫金師の名前が…」
カイトが朧気に覚えていた、すでに故人である幾人かの芸術家の名。
その内の1人は、まさしくこの2連リングの作者である。
Philippe氏の口元には笑みが浮かんだ。
「お譲りしましょう」
「え?」
一切の迷いなく言い切られ、戸惑ったのはカイトの方だった。
「えっ、けど…」
「もちろん、タダでというわけには参りません。ただし、カイト様に頂くのは金銭ではありませんよ」
「金銭じゃない?」
「ええ。『パズル』をご提供ください」
「パズル?」
カイトの頭上に?マークが飛び交う様子をこれまた微笑ましげに眺めながら、Philippe氏はバーへと引き返す。
時刻はちょうど10時。
後から入ってきたカイトは、マジック・ミラー越しにステージパズルが始まったことに目を丸くした。
「もう10時だったのか…」
Philippe氏はマジック・ミラーをすいと指差し、朗らかに笑む。
「貴方はソルヴァーとして一流です。ゆえに、私は貴方の交友関係を見込んで交換条件とするのです」
一流のソルヴァ―の周りには、一流のギヴァーが集まる。
逆も然り、一流が一流を呼ぶことはビジネスにおいて顕著となる。
「パズル…。あのリングと交換できるくらいの?」
カイトの返しにそうです、と頷いたPhilippe氏は、盛り上がるステージを愛おしげに見遣った。

「ステージA、B、C、それぞれの最終問題に相応しいパズルを」


*     *     *


扉をノックする音に、フリーセルは顔を上げた。
「どうぞ」
ノックの主など、己以外に3名しか居ない。
失礼しますと扉を開けたのは、壮年から老年へ差し掛かった執事であった。
「フリーセル様、お荷物が届いております」
次にはパッと立ち上がる。
「カイトから?」
「左様でございます」
嬉々として小包を受け取った主を、執事は微笑ましくも見守る。
「では、私めはこれにて」
「うん。ありがとう」
執事が扉を閉めるが早いか、フリーセルは小包を開けた。
(意外と重い…?)
カイトは今日という日付になった初めに、祝いのメールをくれた。
電話でないことは少し淋しかったが、現在の状況を考えると仕方のないことでもある。
祝い、祝われる状況でなかったことを思えば、尚のこと。
衝撃防止に厳重に覆われた最後の包装紙を開き、息を呑んだ。
「これ…!」

螺鈿を埋め込まれた、真鍮の化粧箱。
古びた小さな錠前を同封の小さな鍵で開けば、色褪せながらも美しい金の2連リングが2つ。

間違えようもない、PROUDER HORSE JAPANの"Cue Cube"に在ったアンティークだ。
(どうして…)
誕生日プレゼントであろうことは、分かる。
けれど封筒の1つも同梱されておらず、フリーセルは困惑した。
プレゼントとして贈るには、どうにも釣り合わないように思う。
(これを選んだ理由は、どこに…?)
そのまま化粧箱を凝視して、1分経っただろうか。
フリーセルは不意に閃いた。
(まさか)
化粧箱の内側、意匠と共に装飾体アルファベットで綴られた文章。
2連リングそれぞれが組み合わさる、その規則性。
「!」
化粧箱を両手で掲げ、底を覗き込む。
「凄い…」
フリーセルが思わず唸ったのは、他でもない。
化粧箱の底には、螺鈿細工によるスライドパズルが埋め込まれていた。
美しい曲線を描いている様を見るに、中央に螺鈿の円が刻まれれば良いのだろう。
フリーセルの口元にも、笑みが刻まれる。
「さすがカイト。それにマスターも」
難しくはないパズルだが、この芸術性は何者にも勝るものであった。



カシン、と小さな音がしたことを見届け、フリーセルは化粧箱を元の通り机の上に置いた。
化粧箱正面の側面から、小さな引き出しが覗いている。
「あ…」
ベルベッドの上に並んだ、また別の銀のリングが2つ。
そしてその下にある、1枚の小さなカード。

『Happy Birthday, Freecell.
               from Kaito』

思わず笑みが零れた。
「ほんと、格好良いなあ…」
たった一言ではあるけれど。
その言葉は先にメールでも貰ったけれど。
ほんの少し癖のある、彼の手により綴られた文字の方が。

「ありがと、カイト」

よほど心に残る、贈り物だ。
Le bonheur de demain (明日の幸福)


13.1.19
(Happy Birthday! Freecell)

閉じる