エニグマ…いや、ザガートカとラヴーシュカ。
レイツェルと真方ジン。
そして、POGとピタゴラス伯爵。
解道バロンにより、最後のピースが嵌められたパズル。
それは『神のパズル』に帰結する、負の連鎖であった。

レイツェルが待つ"ヘルズバレー"がどのような場所か。
おそらく、碌でもないであろうことは想像に難くない。
カイトに逃げる気はない、正面からレイツェルと戦えるなら臨むところだ。
(…けど、)
拳を握ったカイトへ、解道が声を掛けた。
「場所はすぐに分かります。カイト君、行きますか?」
行く以外の選択肢の掲示がないことは、おそらく誰もが悟っている。
カイトは顔を上げた。
「ああ、行く。けど…」
このままでは、集中出来ないことは明白だった。

「…その前に、ルークとフリーセルに会わせてくれ」



*     *     *



POGジャパン本部に降り立った面々は、カイトと解道を残して社員食堂へやって来た。
「腹が減っては戦はできぬ、って言うしね!」
「ごはんごはん〜!」
充実したメニューに目移りしながら、ノノハはふと思う。
「そういえばカイトって、」
フリーセル君に会ったの、本当にあのときが初めてなのかな…?
彼女の隣に居たソウジが、その呟きを拾う。
「あのときって言うと、オルペウス・オーダーの?」
「あ、はい。けどなんか…うーん、上手く言えないんですけど」
妙に相手のことを判ってる感じがあったというか。
「それから、カイトのフリーセル君を見る目が他と違う気がして」
林檎ジュースのパックをトレイに乗せ、ソウジも考える素振りを見せた。
「…そういうちょっとした違和感の話だと、僕は管理官とフリーセル君に思うなあ」
「えっ? ルーク君とフリーセル君?」
「そう。順序立てて考えると、パズル解放のパートナーにフリーセル君を選ぶのは、どうも飛躍している気がしてね」
すでにノノハとソウジ以外は食事を開始していた。
空いた席へ着き、2人も手を合わせ彼らに倣う。
「2人とも、何の心配事?」
パスタを呑み込んだキュービックが、ノノハとソウジへ尋ねた。
「いや、心配事というより、"些細な気になること"かな」



管理官執務室を訪うと、ビショップが解道とカイトを出迎えた。
「お疲れ様、解道学園長。それにカイトも」
扉に背を向けていたフリーセルは、ルークの声にパッと後ろを振り返る。
「カイト!」
ビショップはルークと目が合うと心得たとばかりに黙礼し、解道を伴い執務室を後にした。
シュン、と扉が静かに閉じる。
カイトが床を蹴ったのとルークが立ち上がったのは、同時だった。

「セル!」
半ば勢い任せに抱き締められ、フリーセルは目を瞬く。
「カイ、ト?」
少し戸惑ったような彼の声にも、答える時間が惜しいとばかりにカイトは彼を抱き締める。
そんな彼の背に手を回し、フリーセルもカイトを抱き締め返した。
…イギリスで会いはしたが、カイトもルークももちろんフリーセルも、レイツェルたちに振り回されている。
ゆえに後手に回ってしまう状況は、全く以て好ましくない。
「…お前、怪我は?」
「大丈夫。ないよ」
ルークが一緒だったんだから、と笑った彼に、カイトはようやく抱き締めていた腕を離した。
外した両手で、フリーセルの頬を包み込む。

「ごめん、セル。ルークも俺も、解ってたのに」

そのままこつりと額を合わせて、カイトは眼差しを伏せた。
(せっかく、オルペウス・オーダーから解放されたのに)
フリーセルは、愚者のパズルを筆頭とした大掛かりなパズルには不向きだ。
彼本人の気質は本来、鋭さよりも穏やかさが勝る。
カイトの心中を察したフリーセルは、くすくすと小さな笑い声を上げた。
「カイトは心配性になったね。僕がオーダーに居たときは逆だったのに」
自分に触れるカイトの手を、上からそっと握る。
するとぽん、と別の手がフリーセルの頭を後ろから撫でた。
「予想外だったから、じゃないかな?」
相変わらず、ふわふわとした髪は触り心地が良い。
ルークは気まずげに視線を逸らしたカイトに、口元を緩ませる。
「POGもオルペウス・オーダーも、健全な組織に戻ろうとしている。
オーダーが君を保護する立場になって、君が巻き込まれることはもう無いはずだった」
それでも巻き込まれてしまった。
安全だと思っていた場所が、安全ではなくなってしまった。
「心配という意味だと、僕もちょっと詰めが甘かった」
何も無いと思って、君に助力を頼んだのに。

ルークにまで言われてしまい、フリーセルは困ったような笑みに変わる。
「だから、2人とも心配しすぎだよ」
エニグマという男が言った言葉は、強ち間違いじゃあない。
(オルペウス・リングが無ければ、僕たちは)
それは認めよう。
でもそれが無ければ、こうして3人一緒にいることも無くなっていたのかもしれない。
フリーセルは右手でカイトの左手を、左手でルークの右手を取る。
そうして、それぞれの手の甲にキスを落とした。
「心配してくれるのは嬉しい。巻き込まないように、守ってくれるのも嬉しい。
でも僕は、待つだけのお姫様じゃないから」
カイトにも、ルークにも、及ばないことはよく知っている。
それでも、出来ることがある。

「待っていてくれと云うなら、僕は幾らでも待つよ。でも、手伝うくらいは出来るでしょう?」

その笑顔だけは、昔からずっと変わらない。
朗らかな、春の陽射しのような笑みは。

敵わないな、と思う。
カイトは繋いだ腕を引き、フリーセルへそっと口づけた。
「分かった。セルはルークと一緒に、俺のサポート頼むぜ。それで、」
俺が帰ってくるまで、待っててくれ。

…否など、言うはずもない。
「うん。待ってる」
さらりと頬を撫ぜた指先に、フリーセルは目を細めた。
「そうだ、カイト。これ持って行って」
差し出されたルークの掌には、金色のネックレスチェーンがある。
同じ金のペンダントトップはとても薄い菱型をしていて、何枚か重なる中に文字が彫られているようだった。
「これ…パズルか?」
「そうだよ。フリーセルが考えたパズルでね、面白そうだったから創ってみたんだ」
君にも、とルークはフリーセルにも同じネックレスチェーンを手渡した。
カイトに渡したものと違って、こちらはすべて銀色だ。
ペンダントトップを目の前に持ってきて、フリーセルは目を輝かせる。
「ルーク、凄い…! あのパズルがこんな風になるなんて!」
ありがとう! とはしゃいだフリーセルの頭を、ルークはまた撫でた。
一度カイトに彼の頭を撫でるのが好きなのかと聞いたことがあるが、自分も人のことは言えないかもしれない。
「サンキュ、ルーク」
「うん。どういたしまして」
2人に色違いのパズルを贈った理由は、まだしばらくはルークだけの秘密だ。

扉を指差し、ルークは提案する。
「他のみんなは食堂に行ったみたいだね。僕たちも、ご飯食べに行こうよ」
腹が減っては戦はできぬって言うし。
カイトもフリーセルも賛成意見しか持っておらず、3人は連れ立って食堂へ向かった。
「ここの食堂も、飯美味いからな〜」
「そうなんだ。オススメはあるの?」
「うん、たこ焼きだね」
「は? ルーク、お前まさか…」
普通、たこ焼きはレストランメニューに存在しない。
「前に食べたたこ焼きが美味しかったから、ちょっと管理官権限で入れちゃった」
てへぺろ☆なんて音が聴こえそうな良い笑顔で答えてくれたルークに、カイトは口元が引き攣った。
(それ、職権乱用って言わねえ…?)



食堂へ入ると、ギャモンが最初に彼らに気がついた。
「おう、遅かったなお前ら。こっちはもう食っちまったぞ」
どうやら食器もすべて片し、食後のティータイムに突入しているようだ。
「わりぃな。俺が食い終わるまで待っててくれ」
ソウジは注文に向かう3人の内、ルークへ声を掛けた。
「ルーク管理官、"ヘルズバレー"の場所が判りました。ここから向かうと、丸2日掛かる距離です」
絶海の孤島、おそらくは『神のパズル』の在った場所と似通った。
「…そうか。ありがとう」
礼を言い、ルークは考える。
(さて、何があるのかな?)
何も起きないなんて、有り得ないのだから。

ねえカイト、これなに?
ん? ああ、焼きそばだな。
ふぅん、パスタみたいな感じ?
そうだな、お前箸使うの上手いからどれでも食えるぞ?
そっか、どれにしようかな。

カウンターで料理を待つカイトとフリーセルの後ろ姿を、ノノハは紅茶片手に見つめていた。
(やっぱり、何か違うのよね…)
カイトが人に対して浮かべる笑顔は、総じて"楽しそう"と形容できるものだ。
けれど今、彼がフリーセルに見せているものは。
(…優しい、笑顔)
彼女の隣で、アナがふふっと笑みを漏らす。
「今のカイト、すっごくほわわんしてる」
「え…?」
その指摘に、驚いた。
これからレイツェルの元へ行くとは、思えない。

料理を待っている間に、フリーセルのスマホが何かの通知を知らせた。
ジャケットからスマホを取り出した彼は、開いたメッセージアプリに笑みを浮かべる。
「誰からだ?」
「メランコリィだよ」
驚くカイトに、フリーセルはスマホの画面を見せた。
そこには一文だけ、

『さっさとあの野良猫をとっちめて来なさいよ![猫]』

と書いてある。
「野良猫って…レイツェルのことか?」
そういえばメランコリィも猫っぽかったな、とカイトは思い出した。
フリーセルはスマホを仕舞い、出てきた料理をトレイへ乗せる。
「そうだね。彼女のことは、ピラミッドでの映像でしか見たことがないけど」
メランコリィとレイツェルは似ていると、フリーセルは感じた。
「淋しがりやで、手にしたものを手放したくなくて、でも素直に欲しがる方法が解らなくて」
だから差し伸べられた手に、爪を立ててしまう。
(…そうか)
レイツェルも、独りだったのだろうか。
√学園に編入する前までの、自分のように。
「…セルって、ノノハスイーツ食ったことあったか?」
「え? えっと、ノノハの作ったお菓子? ないと思うけど…?」
カイトも出てきた料理を両手のトレイいっぱいに並べ、テーブルへ向かう。
「あれ? フリーセルって、結構小食なんだね」
席についた彼の料理の量を見て、キュービックが意外そうな声を上げた。
「ほら、ルークより少ない」
「タコ焼キノ分量ダケデス、マスター」
キュービックとイワシミズ君の会話に、フリーセルは苦笑する。
「僕はこれが普通だと思うんだけどな」
大量の料理を食べる筆頭であるカイトが、親子丼を手にルークへ声を投げた。
「なあ、ルーク」
「ん? 何だい?」
彼がたこ焼きを1つ食べ終わるのを待ち、カイトは続けた。

「このマスターブレインの件が片付いたらさ、みんなでパーティーしようぜ!」

俺たちとルークたち、フリーセルたちや学園長、エレナとか生徒会長とか、ミハルとか。
「ジンも、メランコリィも、それから…レイツェルも」
全員の目が、カイトへ向いた。
(…アイツは、昔の俺みたいだ)
ふと向けた視線の先に居たフリーセルが、きょとんと小首を傾げる。
(ジンやルーク、セルに出会えなかった、俺)
カイトは言葉を止めない。
「あいつが悪いやつじゃねえのは、みんな判ってんだろ?」
大きく頷いたのはアナだった。
「うん。レイレイは良い子! ツンデレさんなだけ!」
あれがツンデレってレベルかよ? とギャモンが肩を竦める。
「あの生意気な態度がどうにかなってりゃ、考えてやっても良いがな」
「うーん、生意気かあ。確かに、毛を逆立てた猫みたいな感じはするけどねえ」
ソウジはいつものように林檎ジュースを飲みながら、笑った。
カイトも笑う。
「ギャモンの料理とノノハスイーツがあれば、何とかなるだろ!」
「てめっ、人任せかよ?!」
ギャンギャンと言い争いを始めたカイトとギャモンを他所に、フリーセルは斜め向かいのノノハへ問い掛ける。
「ねえ、ノノハの作るお菓子って、そんなに美味しいの?」
「えっ?」
「うーん! 美味しいよ〜お店出せるくらい!」
横から割り込んだアナの評価に、俄然興味が湧いた。
「本当? 楽しみだなあ」
じゃあ、ミゼルカだけじゃなくてイヴも呼ばないとね。
フリーセルの言葉にアナは嬉しそうに顔を綻ばせ、ノノハは一体何人分になるんだと指折り数え始めた。

(…大丈夫だ)

自身の周りの皆をそっと見回し、カイトは胸の内だけで呟いた。
ぎゅっと握った胸元…服の下には、ルークに贈られたペンダントが在る。
色違いの揃いのペンダントは、フリーセルの胸元を飾っている。

(俺は、ここに戻ってくる)

ジンとレイツェルを連れて、必ず。
Espoir de demain (明日の希望)


14.1.13

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