巨人の影響色濃い時代に逢ったこと。
(6.また、いつか)
リヴァイがエレンを初めに失った年から、200と60年程の年月が去った。
「あれ? ねえお兄さん。お兄さん、もしかして"リヴァイ"って名前じゃない?」
黄昏手前の空、人のまばらな川縁にて。
振り返ったリヴァイは、そこに愛しい面影を見た。
「…誰だ? お前」
本人ではない、けれどよく似ている。
その子どもはヘーゼルの眼を弓なりに笑った。
「やっぱり! じーちゃんの描いた絵にそっくりだし!」
常であればリヴァイの目付きに慄く輩ばかりだが、この子どもは違うらしい。
それよりも。
(何て言いやがった? 絵だと?)
リヴァイの背後で沈みゆく太陽が、子どもの顔を明るく照らす。
「オレのじーちゃんね、エレン・イェーガーって言うんだけど」
目を見開いた。
「もし"リヴァイ"って人に会ったら渡してくれって、頼まれてたものがあるんだ」
リヴァイはエレンの面影を持つ子どもの後を、追った。
着いた場所は都市の南側、一軒家と小綺麗なアパートの立ち並ぶ区画。
二親はまだ仕事から帰らないと告げた子どもは、どうぞ、と当たり前のようにリヴァイへ告げてきた。
一言断って上がり込み、やはり子どもの後を着いていく。
「ここ。少し待ってて」
1階の奥、ややこじんまりとした部屋。
潔癖の気があるリヴァイでも、綺麗だと評価を下せるほどに片付いている。
小さな化粧台の上には写真立てが並べられており、視線はそちらへ引き寄せられた。
(エレン…)
学生らしい彼が、両親と写っているもの。
仕事仲間であろう者たちと笑い合っているもの。
白の正装に身を包んでいる写真は結婚式か、彼の隣にはやはり白のドレスの。
「アニ・レオンハート?」
思わず口に出してしまった名前に、子どもが目を丸くした。
「えっ? お兄さん、ばーちゃんも知ってるの?」
じーちゃんからしかお兄さんのこと聞いたことないのに。
(名前まで同じか)
忘れはしない。
調査兵団に多大な犠牲を払わせた存在のことは。
「…いや、俺が一方的に知っているだけだろう」
今はあの頃から250年以上の時が経ち、記録はあっても記憶している者はリヴァイの他に居ないだろう。
あのユミルも、10年前にその長い生涯を終えたというので。
写真立てはまだ並んでいる。
海を眺める2人のもの、彼らの子が産まれたときのもの。
子の成長を追う写真が続く中、ようやく違和感の原因に思い至った。
「お前の祖母も、"Non-Grow"だったのか」
孫…リヴァイをここへ連れてきた子ども…らしき赤子を抱いている写真。
エレンと同じように、アニは20歳前後の容姿を保っていた。
「うん。オレん家は母さんが産まれてから、ずっと特別調査対象なんだって」
『巨人症(アニマ・レモラ)』が遺伝するのか、という疑問に対する観察対象のことだろう。
カチン、と硬い音が聴こえ、見れば子どもが小さな漆箱を開いていた。
「はい、これ」
差し出されたのは、灰色の封筒。
横に長いそれは大した分厚さもなく、手紙あたりが入っていそうだ。
「じーちゃんから預かってたのは、それだけだよ」
わざわざ手渡すには、拍子抜けするものかもしれない。
元より期待などしていないリヴァイは、ただこちらの反応を窺う子どもを見下ろした。
「絵はねぇのか?」
「絵?」
「エレンが描いたっていう俺の絵だ」
「あ、あの絵? あれはこっち」
今度は少し廊下を戻って、別の部屋へ入った。
落ち着いた色合いで纏められソファが向かい合うように据えられた、応接間と思しき場所だ。
目的のものは探す必要もなく。
「……」
入り口を潜れば、即座に目に付く位置に調査兵団の紋章旗が掲げられ。
その両隣には、額に飾られた油絵が吊られている。
紋章旗の左…入口側…には、正面を向き右拳を心臓に据えた、敬礼姿のユミル。
(あいつの絵も描いていたのか)
確かにエレンはあの街で彼女と姉弟のように過ごしていたが、それにしたって意外である。
そして紋章旗の右側。
こちらに背を向けブレードを構えた、横顔の映るリヴァイの絵。
「じーちゃんの絵、風景画が知られてるんだ。人を描いてるのはこれだけだし」
何を思って描いたのか、残念ながらリヴァイには察することが出来ない。
それでも。
(忘れずにいたいと、願ってくれたのか)
写すことは、遺すことは、忘却への抵抗だ。
「…そうだな。エレンの描いた風景画なら、見たことがある」
彼と同じ名前の街、調査兵団本部の食堂にその絵は並んでいる。
初めてその絵を見た者達は皆、絵に描かれた場所を初めの目的地として世界へ踏み出して行く。
教えてやれば、子どもは嬉しそうに笑った。
「じゃあね、お兄さん」
じーちゃんの形見、渡せて良かった。
手を振る子どもに背を向け、片手を上げてやる。
「お前も精々、後悔しない方を選んで生きろ」
くすくす、と子どもが笑い声を上げた。
「じーちゃんも同じこと言ってた」
そうか、と振り返ること無く返し、リヴァイはその場所を去る。
…もう二度と、ここに来ることはない。
此処に、エレンは居ないのだ。
宿に戻り、リヴァイは子どもから渡された灰色の封筒を開けた。
封筒に入っていたのは1枚の便箋、そして。
ころん、と転がり出てきたものを見て思わず頬が緩んだことを、リヴァイ本人は知る由もない。
…片翼を模した紋様のある、銀細工の指輪。
50年前…もしかしたらもっと前…に、エレンへ贈ったもの。
便箋には見慣れた地図と同じ筆跡で、自分へ宛てた文字が綴られていた。
『 拝啓 リヴァイさん
あなたがこの手紙を読む頃、俺はこの世に居ないのでしょう。
少なくとも俺を忘れていることはないと思うので、あなたにこの手紙が渡るようにしておきます。
これ、誰から受け取りました?
早くて俺の孫かなーと思ってますが、曾孫かもしれませんね。
中略…あなたが贈ってくれた指輪を、お返しします。
あの日、なぜあなたがこの指輪を持っていかなかったのか、未だに俺には分からない。
おかげで俺はあなたを吹っ切る切っ掛けを失い、アニを散々やきもきさせることになりました。
あ、アニっていうのは俺の伴侶のことですが、…まあ、彼女のことを話しても仕方ないですよね。
あなたと別れて幸せになんてなれるのかって、初めは思っていました。
でも、リヴァイさんは居ないけど、俺はあなたを思い出に出来たみたいです。
さすがに年が年なので、あの頃の記憶が曖昧になってきただけかもしれませんが。
ねえ、リヴァイさん。リヴァイさんは今、幸せですか?
もし幸せじゃないって言うなら、それは俺が居ないからだって自惚れても良いですか?
リヴァイさん。
俺は、あなたに出会えて幸せでした。
きっと俺は、あなたを一番愛してた。
敬具 エレン・イェーガー 』
* * *
太陽が、海に沈む。
「自惚れて構わねえぞ、エレン」
幸せか不幸せかと言われれば、不幸せだとリヴァイは答えるだろう。
五体満足で、食うに困らず生きている。
ーーーそれでも此処には、エレンが居ない。
(俺が、臆病だっただけだ)
季節が6回巡るまで。
それは、かつてエレンと過ごしただけの年月。
まだ人類が『壁』に閉じ籠り、巨人に怯えて暮らしていた頃の。
返された指輪は、ネックレスチェーンに自分のものと同じく通して服の下へ仕舞った。
渡された手紙は、少し後ろで咲き乱れる白い花々の生える土の下へ。
いつからかは知らないが、かつてエレンを埋葬した場所は年中白い花が咲き誇るようになっていた。
季節が移り変わる度に咲く花々は、何者にも囚われぬ彼の心を体現しているようで。
(…あいつは、また)
言葉は魔物だ。
ゆえにリヴァイは、胸の内に燻る感情を口にすることを恐れる。
言葉にすれば失ってしまうことを知っているがゆえに、恐れてしまった。
けれどエレンは違う。
後悔するくらいなら、と彼はいつだって言葉を惜しまなかった。
かく云う自分は。
『精々、後悔しない方を選べ』
は、と自嘲が漏れる。
(後悔してんのは、どっちだ)
光を水平線に残していた太陽が沈みきり、絵の具を流し込んだように空が夜へ変わる。
…立体機動装置のガスも替え刃も、問題ない。
馬は山の麓で、リヴァイの戻りを待っているだろう。
背後を見返れば、夜の色に浮かび上がる白。
眼差しをつと緩め、リヴァイは僅かに微笑んだ。
「…愛してる、エレン」
また、いつか。
深緑に描かれた、白と黒の重ね翼。
誰よりも長くその紋章と共に在った男の姿を、目撃した話は未だ無い。
--- 巨人の影響色濃い時代に逢ったこと。 end.
2013.12.15
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