鈴蘭の君.2





調査兵団第3分隊隊長であるエレンは、リヴァイ班に所属している。
ゆえに第3分隊の日常はリヴァイ班と共有されており、訓練もまた同様だった。
「エレン!」
立体機動による陣形訓練の最中、よく通るリヴァイの声が森の外からエレンを呼んだ。
エレンは傍を飛んでいたグンタへ一声掛け、アンカーの発射方向を森の外へと変更する。
「何ですか? 兵長」
今日の午前、彼は調査兵団本部で会議であったはずだ。
帰ってきたばかりのようでリヴァイは外套を羽織ったまま、愛馬の首を撫でていた。
「てめぇの予定だけ変更だ。すぐに本部へ行く準備をしろ」
「はい…?」
詳細は何も告げられなかったが、エレンはとりあえず厩舎へ向かった。

リヴァイの後を着いて行くままやって来たのは、本部にある団長執務室。
中へ入れば団長のエルヴィン、分隊長のハンジとミケが居た。
「やあ、突然すまなかったね。エレン」
「いえ。ご用件は…?」
そういえば、自分が『分隊長』という役職であったことを思い出す。
つまりこの部屋に居るのは、調査兵団において権力を持つ者だけということだ。
エルヴィンはエレンへ1枚の封書を手渡した。
「エレン。この差出人に、心当たりはあるかい?」
上質な白の封筒を裏返すと、金色の箔押しの名前がある。

ーーーWalther Holzwarth(ヴァルター・ホルツヴァート)

はて。
「…貴族、ですよね?」
「そうだ。ウォール・シーナの中流貴族の一家でね。
実は今回から、新たに調査兵団への資金提供を申し出てくれたんだよ」
「そうですか」
さっぱり思い当たらない。
特に止められはしなかったので、エレンはすでに封を切られた中身を取り出す。
(わざわざ俺に聞いたってことは…)
これまた上質な紙に書かれた文字を読めば、呼ばれた理由が即座に分かった。
…顔見世という名の、パーティーへの参加要請。
そこに、エレンが名指しで指名されている。
「エレンよ。本当に心当たりはねえのか?」
幾分苛立ったようなリヴァイの問い掛けに、エレンは気分を害した。
「無いから困ってるんじゃないですか」
喧嘩腰のそれに、ハンジが苦笑する。
「まあまあ。リヴァイはエレンを、貴族の豚に見せびらかしたくないんだよ」
さっきからそればっかりでさあ。
「…おい、俺がいつそんなことを言った」
「言葉じゃなくて態度がそう言ってるって、キミ分かってる?」
「ああ?」

リヴァイの矛先がズレたので、エレンはもう一度エルヴィンへ問い掛けた。
「この…えっと、ホルツヴァートさん? 家はシーナのどの辺にあるんですか?」
「ああ、王都の北部に隣接する区だね」
王都の北部?
またもや思案の様子を見せたエレンに、リヴァイが片眉を上げる。
「てめぇの"仕事場"は王都じゃなかったのか?」
「勝手に過去形にしないでくれます? 割が良ければ、王都以外も行きましたよ」
北部も行ったことはあるなあ、うーん。
頭を捻るエレンを見て、ハンジはミケへこそりと耳打ちした。
「…ねえ。エレンって、こんな遠慮ない物言いだったっけ?」
「記憶に無いな。だが今、リヴァイに対する刺が見える」
「だよねえ」
コソコソと成される会話に気づき、リヴァイは舌打ちする。
ハンジはどこ吹く風、と自分の疑問をエルヴィンへぶつけた。
「ねーエルヴィン。このホルツヴァート卿って、何やってる人なの?」
「花の流通だよ。ローゼに栽培用の農場があるらしい」
観賞用だけでなく、食用の花も栽培しているそうだ。
(花…?)
そこで彼はクスリと笑った。
「彼の邸(やしき)は王都でも有名な花屋敷でね。特に冬から春が見頃だそうだ」
「え? 冬?」
普通、花って言ったら春から夏じゃないの?
ハンジの問いは尤もだ、エルヴィンは続ける。
「ホルツヴァート卿は、巷ではこう呼ばれているんだ」

Convallaria Earl(鈴蘭伯爵)、と。



*     *     *



ホルツヴァート邸は華美でもなければ、質素でもない。
無駄に見栄を張る他の貴族とは一線を画しているようで、その点は好ましいが。
「チッ、面倒くせぇな」
「リヴァイ。卿の前で舌打ちは止めてくれよ」
前を行くエルヴィンとリヴァイの後ろを、エレンはハンジと共に着いて行く。
(…さすがに似合うな、正装)
2人はスーツに着られることなく、鍛え上げられた肉体を隠しながら魅惑的な"色"を湛えている。
貴族の令嬢らが逆上せ上がるのも、これは致し方無いだろう。
ハンジはハンジでウィメンズのダークスーツを纏う姿は美しく、黙っていれば求婚されそうだ。
全員の揃えには薄手の革手袋が入っており、リヴァイが卿を見直したことは言うまでもない。
ちなみに、ミケは留守番役となった。

「にしても、夜会服送って貰えて良かったです」
そんな上等なもの持ってないですし。
エレンが小さくぼやけば、ハンジは肩を揺らして笑った。
「まーね。ていうか、エルヴィンくらいじゃない? 自分で持ってるの」
ホルツヴァート卿は中々に気配りの上手い人間のようで、家の使いが本部までやってきて、参加者の採寸をしていった。
かと思えば、翌々日には各々の夜会服が贈られてきたのである。
入り口でエルヴィンが招待状を差し出せば、すぐに中へと通された。

(うわあ…)

こういった貴族の夜会というのは、エレンには随分と久しぶりだった。
リヴァイとの勝負に負け訓練兵団に入る前であれば、標的を狙うために潜入することもあったのだが。
邸宅の外もそうであったように、夜会会場も至るところが花で飾られている。
豪奢ではなく、かといって見窄らしくもない。
控えめに主張する花々は、この家の在り方を主張するかのようだ。

エレンたちが会場へ足を踏み入れると、賑やかな会場が一瞬にして静まり返った。
「(おい、調査兵団だぞ?!)」
「("人類最強"のリヴァイ兵士長じゃないか…!)」
小声で囁かられる言葉たちは、数が集まれば騒音に変わりない。
「…チッ、煩え豚共が」
「リヴァーイ。さすがに聞こえるよ〜?」
「聞こえるように言ってんだ、クソが」
あっはっは、だよねえ! なんて返すハンジも、こういう場所は嫌いなようだ。
(料理は美味しそうだな)
長テーブルの上にずらりと並ぶ料理へ視線をやれば、なぜかキャア! と黄色い悲鳴が上がった。
(あらら…)
ハンジは内心で眉尻を下げる。
エレンが視線を向けた先には、招待客のご令嬢やご婦人方が集っていたのである。
「…おい、エレン」
リヴァイが視線を投げて寄越した。
「てめぇ、自分の容姿を自覚しろ」
言われた意味が判らず、エレンはとりあえずハンジの方を見てみる。
流されたハンジは、いちおう聞いてみた。
「…うん、エレン。その服に着替えた後、姿見って見た?」
「はあ…。"馬子にも衣装"ってやつなのかなあ、と」
えっと、それって自覚してるのかどっちなんだろう。
ならばハンジさんが教えてあげる! とばかりに、彼女は人差し指で己の唇に触れた。
「今のエレンは相当な美男子だよ。さっきの黄色い声は、エレンに向けられたものなわけ」
「えっ…」
言われたエレンは自分自身を見下ろし、その様は子どものあどけなさが抜けていない。
えぇ〜? とげんなりとした表情に変わった彼は、ぽつりと一言。
「嫌ですよ。殺したくなるから」
随分と物騒な言葉を吐いてくれたので、ハンジは笑いを堪えることに殊の外苦労した。

「お待たせしました」

会場の奥から、執事を伴った青年…いや、まだ少年だろうか…が歩み寄ってきた。
「初めまして、エルヴィン・スミス団長。私が当主のヴァルター・ホルツヴァートです」
若い、若すぎる。
さすがのエルヴィンも一瞬呆け、しかしそんな失態は微塵も感じさせず右手を差し出した。
「こちらこそ、お招き頂きありがとうございます。調査兵団団長、エルヴィン・スミスです」
握り返した手は、やはり少年に近い。
エルヴィンは隣のリヴァイを示した。
「こちらは兵士長のリヴァイです」
「…どうも。お招き頂き、光栄です」
うわ、棒読み。
エレンはリヴァイの態度が誰が相手でも変わらぬことに、笑えば良いのか判断に困った。
「第2分隊分隊長の、ハンジ・ゾエです」
ハンジだけは愛想が良かった。
「初めまして、ホルツヴァート卿。噂に違わぬ花屋敷で、驚きました」
卿は嬉しそうに笑う。
「そう言って頂き、光栄です」

Convallaria Earl(鈴蘭伯爵)の名は伊達ではないようで、邸の内外を彩る花の半分は鈴蘭だ。
控えめな鈴蘭は、当主の姿を映したようにさえ見受けられる。
ヴァルターという少年は見目が特別良いという訳ではなかったが、折れること無く育つ若木を思い起こさせた。
エルヴィンは最後にエレンを紹介する。

「それからこちらが、第3分隊分隊長のエレン・イェーガーです」

調査兵団第3分隊。
またもや会場の中がざわめいた。
そのような存在は、まだ内地には伝えられていないのである。
(またまたぁ、策士だねえ!)
ハンジにはエルヴィンの策が半分ほど見え、これから先が楽しみだと口角を上げた。
だがエレンと握手を交わした卿が、思いがけない台詞を吐く。

「…ようやく見つけましたよ。"イェーガー"さん」

軽く目を見開いたリヴァイが、問う。
「こいつを知っているのか」
卿は微笑み、頷いた。
「ええ。何せ、以前に私が誘拐されたときに助けてくれた、命の恩人です」
ざわっ、と会場内がさらに動揺する。
握手の手を離し、エレンは肩を竦めてみせた。
「それにしては、見つけるのがおっせーよ」
砕けた口調で、何年経ったと思ってんだ? と責めてやる。
「仕方が無いでしょう。まさか訓練兵団に居るなんて、思いもしなかったんですから」
卿は卿で、あっさりと言葉を返してみせた。
その様を見た者は、彼らが確かに旧知であると理解しただろう。
「……」
リヴァイは眼を眇め、眉根を寄せた。
(この餓鬼、同じ"目"をしてやがる)

地下街で幾人となく相対した、エレンを慕う子どもと同じ目を。



*     *     *



数年ぶりに足を踏み入れた酒場は、以前よりも繁盛していた。
まず店が変わらず在ったことに安堵した事実は、胸の内に仕舞っておく。
黒いフードで顔を隠し、エレンは以前と同じようにカウンター奥、上等な酒の並ぶ側に立つ壮年の男に声を投げた。
「なあおっちゃん。ここ、個室ってねぇの?」
数年分歳を取った男は五月蠅げにこちらを見て、目を見開く。
「…おめぇ、あん時のボウズか?」
フードに隠れた影から覗く珍しい色合いの眼、背も随分と高くなったが同一人物であろう。
エレンはにまりと口の端を上げた。
「さすがおっちゃん。よく分かったな」
「酒場の店主嘗めんじゃねえぞ? …っと、連れは前のボウズじゃあねえのか」
こちらも外套のフードで顔を隠した男だった。
ちらりと覗いた眼光は思いの外鋭く、男は即座に詮索を止める。
「ちぃと待ちな、2番に客入ってるんでな」
「じゃあ、何か1本サービスしてよ」
「馬鹿言ってんじゃねえ。サービスは通しだけだ」
「えー」

奥の2番目の部屋を開けてもらい、エレンはワインクーラーとグラスを手に部屋へ入る。
残念ながら酒には詳しくないので中身は不明、そしてなぜか2瓶。
パタン、と扉が閉まってから、2人はようやく顔を隠すフードを脱いだ。

「馴染みか」
リヴァイの言葉に、エレンは首を捻る。
「馴染みってほど来てませんけどね。3回くらいしか」
しかも何年も音沙汰なしだ。
それでも覚えられているということは、余程エレンが印象的であったということだ。
エレンは過去と同じく奥の席へ腰掛け、ワインクーラーから酒瓶を取り出す。
「何ですか? このお酒」
「知らねえのか」
「だって、酒飲める年齢になったの訓練兵団ですよ」
グラスはワイングラス、適当に突っ込んであったのはマドラーらしい。
「こいつはシャンパンとオレンジ・リキュールだ。混ぜて飲む」
「はあ…混ぜるんですか。わざわざ?」
なるほど、こういった部分だけを見ればまだ子どもだ。
可愛げは欠片しか見当たらないが。
「このタイプの酒場に来るなら覚えとけ。1種類で飲む酒の方が少ねえ」
「へえ」
エレンが感心して見ている間に、2つのワイングラスは淡いオレンジ色の水分で満たされた。
匂いは甘めだ。
「まあ、リキュールなら餓鬼でも飲めるだろ」
鼻で笑ったリヴァイにムッとしながらも、口を付けたエレンは目を瞬く。
「おいしい」
予想を裏切らない反応だ。
「飲みやすいからって飲んでると、あっという間に酔うぞ」
「…善処します」
口に出されなかった行間を読み、エレンは苦々しく酒を飲み込んだ。
「…あの餓鬼、てめぇの身内ではねえんだろ」
リヴァイは気にした風もなく、問い掛けた。
エレンは頷く。
「まあ、そうですね。ちょっと手を貸しただけで」



帰り際、エレンは卿から鉢植えのスズランを贈られた。
『やっぱり、貴方にはスズランが似合いますね』
満開のスズランを手にしたエレンを見て、卿は満足気に笑ってみせた。
…どこの口説き文句だ。
中々にシュールな絵面な気がして言ってやれば、卿は臆面もなく返してみせる。
『私にとって、貴方は"特別"ですから』
そういうのは女に言えよ、と口元が引き攣ったことは言うまでもない。

(気に食わねえ)

先を行くエレンとハンジの後ろを歩いていたリヴァイは、エルヴィンの含み笑いが気になった。
『なんだ?』
『いや、熱烈な御方だと思ってね』
紫の花は何か判らないが、スズランの花言葉は知っているかい?
『"幸福が訪れる"。それから、"無意識の美しさ"を意味するそうだよ』
卿の商売では、それも含めてスズランが一番の売れ筋だと云う。



眉間の皺を減らさぬまま、リヴァイは1杯目のグラスを空にした。
(あの餓鬼も、同類だってのか)
意識せずとも在る美しさ。
獰猛な金色に魅入られた、己と同じ種類の人間だと。
「リヴァイさん?」
エレンは初めのリヴァイの忠告を律儀に守り、ちびちびとグラスの中身を減らしている。
不思議そうにこちらを見るので、リヴァイは彼の足元の袋へ視線をやった。
「その鉢、土零してねぇだろうな?」
言われたエレンはグラスを置き、袋から鉢植えを取り出す。

ちりん、と小さな花を揺らすスズランは、陽光の元であれば相違なくエレンを飾るのだろう。
けれど夜、こんな小汚い酒場で2つを見れば。
(…まるで娼婦だな)
陰になる笑みは誘い、唇から覗く舌は情欲を沸かせる。
じっとエレンを見つめるリヴァイに何を思ったか、彼は小さな花を指先でちりんと揺らしてみせた。

「この子、こんな可愛いけど全身毒なんですよ」

花も茎も根も花粉でさえ、体内に取り込めば毒素が回る。
リヴァイは無表情の奥で嗤った。
(てめぇそっくりじゃねえか)

煽った2杯目の酒は、やはり甘い。
--- 鈴蘭の君 end.


2014.3.3
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