猛毒の爪、鋼鉄の牙

(地下街頂点と人類最強の鬼ごっこ・オフ本サンプル)




ピタ、と足音が止まる。
足音の主はその場で二秒を使い込み、今度は足音も無く踵を返した。
(…チッ、まだ完全には消せてねえか)
潜んでいたあばら屋の影から身を出し、リヴァイは遠くなってしまった背を見る。
姿はひら、と建物に隠れた。

…これは、かつての『鬼ごっこ』の話。

ウォール・シーナ王都地下街は、城下をも覆うような広大さを持つ。
これはかつて、巨人侵攻の際に人々を地下へ避難させる計画があった名残だ。
今では王都は元より、壁に囲まれたそこかしこから、行き場を失ったものが行き着く。
リヴァイもまた似たような一人であったし、地下での渡り方はそう変わるものでもない。
が、年月というものは中々に無情であった。
人気の少ない路地を出て、地下街でもっとも繁栄している花街へ戻る。
私服の上に薄汚れた布切れを纏い、汚れ防止も兼ねて頭にはターバンが巻かれている。
口許も似たような理由で布で覆えば、誰も『人類最強の兵士長』などと気づきはしない。
適当な酒場へ入り、安酒を一瓶購入してどかりと店頭の椅子へ腰掛けた。

『地下街で俺を捕まえられたら、調査兵団に入っても良いですよ』

エレン。
金色の眼をした暗殺者。
出会ったあの日から、リヴァイの思考を占めるのはその金眼の子どもだった。
(次に当たりそうなオークションは…北側か)
暗殺者『Jäger』が狙う獲物は、主に貴族。
それも人買いとそれに関わる者が大半を占め、その損害は人買いオークション全体の三割に及ぶという。
(ガキ共にとっての救世主、あるいはヒーロー)
特に自分が子持ちであったり、親族の誰かや親しい者が子を持っている場合。
相手は『Jäger』に関して口を閉ざす。
そして地下街のあちらこちらに居る根無し草、あるいは根はあるが親も親族もない子ども。
彼らの実に半分は、『Jäger』に心酔していると言っても良い。
『Jäger』を捜していると聞いた途端、警戒心がMAXになる。
(くっそ、面倒なヤツだ)

安酒の瓶が空になり、思考を移す。
(さて、どこへ泊まるか)
布切れの下から取り出した懐中時計を盗み見、外ではすでに日が暮れていることを確認する。
立ち上がり酒場を後にして、リヴァイは周辺地理を思い描いた。
(…その前に、何箇所か回ってみるか)
昨夜は苛立ちを募らせていたこともあり、娼館へ泊まった。
中の上レベルの娼館を選べばそこそこ清潔で、結構な融通も効くのである。
顔を見られたくないと言えば部屋の明かりは完全に消されるし、相手の女も目隠しを…本当に見えていないのかは知らないが…する。
声は要らないと言えば、口にタオルやハンカチを噛んで声を殺す。
…女を抱きたいだけなら、もっと安い娼館が幾らでもあった。
無いのは『清潔な』娼館だ。
場所がウォール・シーナの地下であるだけあり、相手と場所に清潔さを求めるリヴァイのような客は珍しくない。
何せ、地下へ降りてくる酔狂な貴族を相手にしようと思ったら、彼らの生活条件に近い環境を持たなければならない。
(『Jäger』は、娼館には馴染みが薄い)
当人が子どもであることと、娼館の女(あるいは男)の調達がオークションではないことも起因しているのだろう。
ただし、厄介なのは娼婦たちの世話役として付く見習いだった。
見習いはその名の通り、いずれは自身の身体を商品にする『子ども』だ。
「……」
リヴァイが昨晩抱いた相手は、ただの娼婦だった。
顔は見られたくないし声も煩いから必要ないと言ったので、相手は抱かれた感触でしかリヴァイを認識出来なかったろう。
『Jäger』を…エレンを捕らえることの難しさが身に沁みて、捕らえられない苛立ちを性欲処理にぶつけた。
一度欲望を吐き出し息をついたところで、リヴァイはふと思ったのだ。

(組み敷いているのが『エレン』なら)

暗闇で爛と輝く眼。夜に浮かぶ満月の色。
それが強い意思を伴い、リヴァイの下で、リヴァイを見上げていたら。
「…!」
どくり、と欲望を吐き出したばかりの中心が熱を持った。
(まさか、)
有り得ない。
想像するだけで興奮するなど。
だが一度そう考えてしまったら、止まらなかった。

目の前の身体は女で、実際はこんなに柔らかくも受け入れもしないだろう。
けれど、あの瞬発力と身の軽さを生み出すしなやかな肢体は、きっと美しい。
日に当たる機会も少ないのだから、身を磨く女たちのように肌も白いに違いない。
冷ややかであった少年の声は、艶めいて歌ってくれるだろうか。

もはや、リヴァイが抱いているのは娼婦ではなく『エレン』だった。
そしてリヴァイは理解した。
自分はあの暗殺者を、個人的欲求で欲しているのだと。



花街の中心部を出て、外れへと歩き始める。
しばらくして、ちらちらと視線を向けてくる存在が出てきた。
(ガキの口を割らせるのが、ここまで面倒だとはな)
リヴァイが地下街へ頻繁に出入りするようになって、もう三ヶ月を過ぎようとしている。
背格好や気配の特徴を覚えられてしまったらしく、結構な妨害を受ける。
「…面倒くせぇな」
本当に小さな声で呟いて、リヴァイは足を止めた。
目の前を投擲された刃物が横切る。
予想位置とは正反対からであったが、そんな動揺は微塵も見せはしない。
右下方から、音もなく殺気が伸び上がった。
一歩下がることで第一閃を避け、二閃目でリヴァイの間合いに入った腕を掴み、捻り上げる。
「…っ!」
痛みに高い声が上がった。
募る苛立ちを乗せ、その腹を蹴り飛ばす。
軽い身体は宙を飛び、無造作に積まれたガラクタの中へ突っ込んだ。
次の手合はもっと小さな細い腕、掴みそのまま投げ飛ばした。
別の場所から、違う悲鳴が上がる。
打ち所が悪く相手がそこで息絶えようが、リヴァイにはどうでも良い。
何かあったとしても、どうにでもなる。

また、新たに視線が集まってきた。
子どもに構えば構うだけ、相手の目論見の通り時間を浪費することになる。
リヴァイは口許を隠す布を引き上げ、雑多な路地を駆け出した。

『Jäger』は、まだ捕まらない。
人間を相手にする勘も、まだリヴァイには戻り切っていない。



*     *     *



苛々。
目つきが、態度が、空気が、そう言っている。
エルヴィンはやれやれと苦笑した。
「リヴァイ。その苛々オーラを仕舞ってくれないか」
「あぁ?」
また苛々。
何だか、聞き分けの無い子どもを相手にしている気分だ。
その原因は明白で。
「あと十四日か」
リヴァイの視線が、エルヴィンへ戻る。
わざわざ言うな、という不快感を存分に滲ませて。
(…手強いな)
リヴァイが『人類最強』と謳われるのは、何も巨人相手だけではない。
少なくとも調査兵団の人間で、彼に勝てる者は居ない。
心技体、どれを取っても。

調査兵団はその特性上、壁内の誰よりも実戦経験がある。
訓練兵団では点数にすらならない対人格闘術さえ、生き残る術となる。
ゆえに調査兵団で最強ということは、壁内のどんな人間よりも強いということだ。
もちろん例外はあり、公に出てこない地下街や各地区の『吹き溜まり』には、彼より強い者が居るのかもしれない。
が、エルヴィンが実際に知るのは二人だけ。
(お前の弟子は恐ろしいな、本当に)

気付けば暗殺者に身をやつしていた、学び舎の同期。
その彼が可愛がり育てた、最高の弟子。

エルヴィンはペンを走らせていた手を止め、執務机の引き出しに手を掛けた。
「彼を捕らえられたら、その周りも付いて来ると私は踏んでいる」
情報屋の『ジャン』、研ぎ師の『コニー』、エレンの周りに何人もいる子どもたち。
何も発さず、リヴァイはエルヴィンの言葉の続きを待つ。
「対人と対巨人では随分と勝手が違うが、図太く生き残る者の共通点は変わらない。そこに勝機もある」
回りくどい。
舌打ちにその言葉を乗せれば、エルヴィンはせっかちだな、と苦笑する。
気に食わない。
すい、とリヴァイへ差し出されたのは、やや上質な紙を使われた封筒。
すでに封は切られている。
中身は業務上の書類で、忌々しい紋章が右上に踊っていた。
憲兵団第一師団師団長、ナイル・ドークの署名が入った調査兵団への要望書。
要望書とは名ばかりで、書いてあるのは飴をチラつかせた協力要請。
それも、一人を名指しした。
「ハッ、あのナイルが泣きついてきたのか?」
「要約すると、ね」

要望書の中身はこうだ。
憲兵団と懇意の貴族の子息が攫われた。
現行犯は何とか割り出したが、アジトが掴めない。
そうこうしている内に、人買いオークションの一つに件の子息が『出品』されることが判明。
しかし憲兵は地下街に慣れておらず、また人員を大勢投入しては警戒される。
オークション自体が中止となってしまえば、奪還機会がふいになってしまう。

「で、俺に指揮を取れと」
「要約すると、ね」
リヴァイは自身が、凶悪な笑みを浮かべている自信があった。
こんなチャンスは二度と無い!
「受けるなら明日の朝七時、シーナ庶民街の憲兵団支部へ来てくれということだ」
「分かった」
揚々と団長執務室を後にしたリヴァイに、エルヴィンは嘆息する。
「…まったく。愉しそうな顔をしてくれる」
憲兵に被害がなかったら良いな、ナイル。
エルヴィンは訓練兵時代の同期に、少しだけ同情した。



*     *     *



…嫌な予感がする。
王都地下街、人を殺害する仕事、追手を躱す日々。
そんな中で研ぎ澄まされた第六感が、止めておけと囁く。
(分かってる。けど、今回は駄目だ…)
今回ばかりは、逃すわけにはいかない。
エレンはジャケットのフードを深く被り直した。

このオークション主催者は用心深く、滅多なことでは足を見せない。
この地下街の渡り方を知っている人間だ。
ゆえに、本人が現れる今回は千載一遇のチャンスと言えた。
(こいつを殺れば、この系列のオークションは一度散る) 
人身売買の市場は消えない。
それはエレンとて飲み込んだ現実だ。
しかし大きな核となるオークションを一つ潰せば、市場全体が少なくとも一ヶ月は停止する。
市場が止まる一ヶ月は『商品』として囚われた者にとっての猶予となり、また新たな情報源を手に入れる絶好の機会だ。
エレンは『商品置き場』へ忍び込み、ざっと檻の中を見渡す。
(全員を助けることは出来ない)
出来るのは、逃げる機会を作ることだけ。
師の仕事へ同行するようになったとき、エレンは身を以て知った。
例え自ら助け出したとしても、生きる意欲を、生き抜く覚悟を持たぬ者は、ただの足手纏いというだけではない。
助けた者の生存率すら下げるのだと。

搬入口脇の壁に背を預け、檻の中から投げられる視線を吟味する。
(…居る)
意思の籠った視線。
その視線の元である檻を探し当てたエレンは、目線を合わせるように屈み込んだ。
赤に近い茶色の眼が、エレンを見返す。
「なあ、お前。生きたいか?」
暗がりで、コクリと子どもの頭が上下する。
「お前、武器になるものは持ってるか?」
ふるり、と首が横へ振られた。
暗い中で目立つ髪の色は、銀色だろうか。
エレンは左の指先を袖口へ折り曲げる。
瞬きの間にその左手に現れたのは、医療用メスによく似た抜き味の刃物。
子どもの手にも小さく、平たい。
格子の向こうで、子どもの目が驚きに瞬かれた。
格子越しに左手を差し出すと、子どもは一瞬の惑いの後にその刃物を手に取る。
「お前の買い手が決まったら、豚の屋敷までは大人しくしとけ。退路が見つかったら…」
エレンはニィと口の端を吊り上げ、己の首の側面を示した。
今は亡き師が、最初に教えた人間の急所。
「豚のココを、思いっきり切り裂いてやれ」
マルーンの眼がじぃっと金の双眸を見つめ、頷く。
「じゃあ、またな」
これは『アタリ』かもしれない。
そんなことを思いながら、エレンは『商品置き場』を出た。
関係者用通路をするりと抜け、会場まで戻る。
(オークション開始まで、あと十分)
少なくともあの子どもの競りまでは、待とう。
ジャケットの上から羽織っていた白い布切れを羽織り直し、エレンは周囲へ溶け込むように気配を殺した。


--- 猛毒の爪、鋼鉄の牙 end.

(本文抜粋)


2014.7.16
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