アルミンダイジェスト
(幼馴染のエレンが消えた日・オフ本サンプル)
僕の名前はアルミン・アルレルト。
ウォール・ローゼ南方訓練兵団、第104期卒団兵。
調査兵団第3分隊所属、分隊長補佐その2を務めている。
今日は僕の親友で、上司で、大切な幼馴染のエレンの話を聴いてほしい。
* * *
僕とエレンはウォール・マリアの南端突出地区、シガンシナの生まれだ。
エレンはシガンシナで数少ない医者である、イェーガー先生のところの長男だった。
彼は外を走り回り冒険することが大好きだったけれど、本ばかり読む僕の話をそれなりに聴いてくれる子どもだった。
それなりに、っていうのは、途中で飽きちゃうってことだけど。
フィールドワークを主にする学者だった僕の両親は、元気溌剌としたエレンを可愛がっていた。
性格にも起因するけれど、僕は野山を巡るには、ちょっとばかり体力が足りなかったからね。
イェーガー先生も、植物について学ぶには持って来いだと、エレンがフィールドワークに参加することを快諾してくれていた。
それとは逆に、エレンは本をじっと読むことが苦手だった。
だから、本によって得られる知識には疎い。
僕とエレンは、僕が本を読んでエレンが外で実践する、そんな感じだった。
本を読むのが苦手なエレンだけど、1冊だけ、とても好きな本がある。
「『氷の大地、炎の水、砂の雪原、そして海』…か。そんなスゲーものが、『壁』の向こうがわにあるんだな!」
それは所謂『禁書』と呼ばれるものの1冊で、僕の祖父が隠し持っていたものだ。
この『壁』の中では、『壁の外』に関するすべての知識が禁じられていた。
(調査兵団なら、ありそうだけど)
見つかれば厳罰だ。
あるとき、エレンの隣に女の子の姿が増えた。
黒い髪に黒い目をして、将来美人になることが絶対だろうと分かる美少女だった。
赤いマフラーは、あれ?
確かエレンが着けていたものじゃなかったっけ。
「こいつミカサっていうんだ。今日からオレの妹!」
「…よろしく」
「ボクはアルミン。こちらこそよろしくね」
彼女の両親は人買いからミカサを守って殺され、ミカサ自身も危ういところでエレンに救われたという。
「エレンが男の内の2人をころして、もう1人をわたしがころしたの」
あんなケダモノ、生きている価値もない。
ぱっと見では表情の変化の窺えない少女は、その口で物騒な言葉を吐いた。
…エレンに似てるなあ。
「ミカサはどんなところに住んでいたの? ボク、家のある近所と丘の上以外に行ったことがないんだ」
「アルミンとこのおじさんとおばさん、いろんなとこに連れてってくれるんだぜ!」
なのにアルミンは、いっつも行かないって言う!
ぷくりと頬を膨らませるエレンとは対照的に、ミカサは小さく首を傾げて尋ねてきた。
「人にはとくい、ふとくいがある…から。アルミンは、走るよりも考える方がとくい?」
「うん。運動はからっきしなんだ」
ミカサは喜怒哀楽の乏しい子だったけれど、ただひとつ、エレンに関することだけは違う。
彼女が来てから、エレンの怪我は格段に減った。
エレンは曲がったことが大嫌いで、父親が医者ということもあり間違ったことを捨て置くことの出来ない性分だ。
一方の僕は口は達者だけれど、運動が苦手で力も弱い。
いじめの対象とされるのは、もっぱら僕の方だ。
よく同年代の子どもからよってたかって殴られて、そんな僕を見つけるたびにエレンは僕を助けに入った。
…エレンも喧嘩は強くない。
けれどエレンの目はいつだってギラギラとして、殴られても蹴られてもそれは揺らがず、自分が間違っていると断じたものに屈することはない。
『窮鼠猫を噛む』とはよく言ったもので、諦めることを知らないエレンの一撃は、大の大人すら遁走させた。
けれど、喧嘩が強くないエレンには生傷が耐えず、ミカサはそれを良しとしない。
「わたしはエレンより強い。ので、エレンはたたかわなくてもいい」
何を言っているんだ、というエレンの反論に、ミカサは物理的な回答を差し出した。
同じ身丈のエレンを片手で引っ掴んで投げ飛ばすという、この上なく分かりやすい方法で。
そんなこんなで僕とエレン、それにミカサはいつも一緒にいた。
僕たちが夢中になっていた禁書の内容に彼女は興味がなさそうだったけど、『エレンとアルミンが行くならわたしも行こう』と、赤いマフラーを撫でながら言った。
「じゃあ、オレとアルミンとミカサ、3人で『壁』の外へぼうけんに行こうぜ!」
それは子どもゆえの無邪気な夢で、だからこそ絶対的なものだった。
壁の外へ出られるのは、調査兵団だけ。
巨人を倒せるのは兵士だけ。
つまり僕とエレンが訓練兵団を、ひいては調査兵団を目指すことになるのは、必然。
兵士に志願することはともかく、調査兵団を目指すなんて知れたら、両親から猛反対を受けることは解りきったこと。
僕の両親は苦い顔をするだけだったけれど…体力のない僕が兵士になれるとは思っていなかった可能性も高い…、エレンはおばさんと大喧嘩になった。
「兵士になるのは良いわ。でも、調査兵団だけは絶対に駄目!」
それはそうだ。
当時、調査兵団の損害率は七割に届こうとしていて、今思うとまだ『リヴァイ兵士長』という存在もなかったように思う。
そんな中でエルヴィン団長やミケ分隊長は生き残っていて、本当に凄いことだ。
おばさんとの喧嘩の話をひと通り僕に話して、エレンはぶすくれた。
「なんでだよ。壁の中でたたかわずに生きるなんて、そんなのただのかちくと同じじゃないか!」
「…おばさんは、エレンを死なせたくないだけ。わたしもエレンを死なせたくない」
だから反対した、と告げたミカサを、エレンはギロリと睨みつけた。
「ミカサは言ってることがむじゅんしてる」
「なぜ?」
「いっしょにぼうけんに行くって言ったのに、調査兵団に入るなって言う」
おかしくない、とミカサは首を横に振った。
「エレンが調査兵団に入らなくても、調査兵団はそんざいしている」
だから、調査兵団が外の安全を確かめるまで待てばいい。
(そのとおりなんだけど…)
彼女の言っていることは、正論だ。
けれどエレンを納得させることは出来ない。
案の定、エレンの金色の眼が怒りでギラついた。
「もういい。『外』の話はミカサとはしねえ!」
エレンは怒って、先に行ってしまった。
ミカサは何も言わなかったけれど、悲しそうな顔をしている。
僕はというと、エレンの気持ちもミカサの気持ちも判ってしまって何も言えない。
「あっ! ちょっとエレン、待ってよ!」
先に行ってしまったエレンを追い掛けながら、僕はこんな日々が続いていくのだと思っていた。
それは当たり前のことで、わざわざ考えることさえなくて。
エレンが『消えた』のは、それから季節がひと巡りした、冬の一歩手前のことだった。
その日、僕はすでに帰路についていた。
突出地区であるシガンシナは壁がすぐそこに迫っているようなもので、日の入りはとても早い。
冬が近ければ尚のこと。
だから僕は、ミカサが血相を変えて訪ねて来るまで何も知らなかった。
ミカサの話では、ちょうど薬湯に使っていた茶葉のストックが切れたのだという。
「困ったわ。明日の朝、摘みに行かないと」
おばさんの言葉にミカサが時計を見上げると、短針は『5』を指していた。
「今からオレ、採ってくるよ。まだ5時だし」
言い出したエレンに、ミカサは眉を寄せた。
「でも、エレン。外はもう暗い」
「だいじょうぶだって。すぐそこだろ?」
脱ごうとしていた上着を着直して、エレンは小さな籠を手にする。
「じゃあ母さん、行ってくる」
「待ちなさい。暗いんだからこれも持つのよ」
籠と逆の手に持たされたのはランタンで、おばさんはマッチで火を付けた。
「危ないから、すぐに帰ってくるのよ」
「分かってるよ」
いってきます! と家を出て行ったエレンが、ミカサが最後に見た姿だった。
エレンがいない! 声を少しでも聴かなかった?!
僕の家へ来たミカサは真っ青な顔をして、僕の肩を強く掴んだ。
その力はあまりに強くて、けれど本当にエレンが帰ってきていないのだと僕に知らしめた。
「ど、どういう、こと?」
薬草の群生地は、子どもの足でも15分ほどで辿り着ける場所だ。
町の外れ、丘の麓で森がすぐにある。
30分を過ぎ40分を過ぎ、帰宅したおじさんがエレンの向かったはずの場所に迎えに行った。
でも、エレンは居なかった。
摘みかけの薬草と、転がった籠、それとランタンだけを残して。
おばさんはエレンの伯父さんである駐屯兵、ハンネスさんのところへことの次第を報せに行った。
けれどハンネスさんもエレンらしき子どもを目撃していなかった。
昼間から酒を飲むような堕落したシガンシナ駐屯兵だけど、その日はみんな真面目だったらしい。
夕方五時からエレンが居ないと捜しに出た六時半までに、ハンネスさんのいるウォール・ローゼへ繋がる門を潜ったのは、馬車がそれぞれに3台。
入ってきたのは、ローゼ南端発の最終船便を降りた人々のみ。
巨人の脅威がもっとも強いシガンシナの出入口は、南北の2箇所だけ。
…シガンシナに限った話ではないが、突出地区へこっそり出入りするのは難しい方だ。
シガンシナ担当の憲兵にも急いで報せたが、日が沈み気温が急激に下がってきたところで捜索は一時中断となった。
僕は、漠然と予感する。
(エレンは見つからない)
もし町の誰かの元に居るなら、何かしらの応えがある。
こんな閉鎖された町、小さな噂でも即座に広まるのに。
…明日の朝から、エレンを捜そう。
ミカサに頼まれるまでもなく、僕の家では両親と祖父、それに僕の全員がそう決めていた。
祖父は家の周辺を重点的に、僕は両親と一緒に森の中を。
不安で押し潰される、という言葉を身をもって体感しながら僕はベッドに入ったけれど、まったく眠った気がしなかった。
翌日の午前中には、もう町中にエレンが居なくなったことが広まっていた。
シガンシナで数少ない医者であるイェーガー先生を知らない人は誰もいなくて、時々診療を手伝うエレンのことも、知らない人はほとんどいない。
だから、町中が捜索隊みたいなことになっていた。
でも、子どもの中にはそうじゃない輩も居て。
「ははっ! あんなやつ、いなくなって当然だ!」
彼を捜す僕とミカサにそう言い放った年上の子どもを、ミカサは容赦なく締め上げ、投げ飛ばした。
エレンは、自分の中にある正義に忠実だ。
そうでなくとも医者の息子で、強者が弱者を虐げるようなパターンは絶対に見過ごしたりしない。
ゆえに、エレンは子どもたちの中ではヒーローであり、邪魔者でもあった。
「人ひとり助けたことのないキサマがじゃまものだ。次にエレンをぶじょくしたら、わたしがキサマを殺す!」
エレンとミカサは、正当防衛で人を殺したことがある。
いったいどんな気分だったのだろうと僕が気にするのは、残念なことに何年も後になってからだった。
ーーーエレンは、見つからなかった。
ハンネスさんが憲兵から聞いた話では、ウォール・ローゼで横行している人買いの組織が、ウォール・マリアにまで手を広げ始めたのではないか、ということ。
「エレンはきれい、だから。それでねらわれたんだ」
エレン、どこへ行ったの。ねえ、エレン。
ずっとエレンの名を呼んでいるミカサの『きれい』という言葉は、僕の中にすとんと落ちてきた。
(エレンは、眩しかった)
楽に生きていくには、妥協と我慢が必要だ。でもエレンは、それで理不尽を飲み込んだりしなかった。
(…そうだ。エレンは『きれい』だった)
後ろ暗いことが在ると、人の目は濁る。
何より、相手と目を合わせることが出来ない。
でも、エレンはそうじゃない。
彼はいつだって、自分が間違っていないと思うことを譲らなかった。
相手が大人であろうと真っ直ぐに見返して、屈しなかった。
「エレン、エレンがいない。わたしはここにいるのに、どうしてエレンがいないの」
エレンがくれたというマフラーをぎゅっと握って、ミカサは強く手を握っていた。
もう白くなっている。
2人でシガンシナの北門へ向かうと、ハンネスさんが僕たちを待っていた。
「よう、ミカサ。アルミン」
ハンネスさんもだいぶやつれている。
兵士の方が捜せる範囲は広いし、ハンネスさんは生意気盛りのエレンを可愛がっていた。
エレンに『壁工事団』なんて言われても、いつも笑って。
そんなエレンが居なくなって、不安に喰われそうなのは同じなんだ。
「エレンは見つかった?」
開口一番問うたミカサに、ハンネスさんは後味悪く首を振る。
「…駄目だ。ローゼ側の憲兵にも問い合わせたんだが、何の情報も出てこねえ」
兵士であるハンネスさんを前にして言うものでもないけど、憲兵も駐屯兵もはっきり言って役に立たない。
ちゃんと働いている人と同じくらいの数、遊んでいる人が居る。
だから、本当に情報が無いのかなんて解らない。
(遊んでいて、気付かなかっただけじゃないのか?)
僕とミカサの中には、そんな思いが深く根付いていた。
ハンネスさんも、それに気づいている。
「ミカサ、アルミン。捜しに行くのは良いが、絶対に1人になるんじゃねえぞ」
だからそう注意するだけで、エレンを捜しに行く僕たちを一度だって止めることはなかった。
--- アルミンダイジェスト end.
(本文抜粋)
2015.2.11
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