おはよう、おかえり

2.スプルース



*     *     *



本当に、偶然だったのだ。

欲しかった洋書が今日入荷だったはずだと、学校帰りにいつものように3人で駅ナカ本屋へやって来た。
「うぅ〜見つからねえ…」
エレンはシックな色合いの多い洋書コーナーで、並ぶ背表紙をじっと睨み付けている。
「エレン、店員さんに聞いてみようよ」
「今そこに…あっ、向こう行っちまった」
きょろりと店内を見回したユミルが店員を見つけたのだが、別の客に呼ばれたのか居なくなってしまう。
「良いって。ここになかったら通販にするから」
本のタイトルを探しながら、エレンはそんなことを言う。
個人での輸入となると時間が掛かるので、気持ちは分からないでもない。
「ん?」
これか? と思うタイトルを見つけ、手を伸ばす。
すると別の手が反対側から伸びていたようで、指先が微かにぶつかった。
「あっ…」
同じものを探す人が居たのかと、エレンは物珍しくもうひとつの指先の主を見る。
見て、大きく目を見開いた。

「へい、ちょ…?」

『あの頃』とは違って、ほんの僅かだけ下にある目線。
切れ長の銀灰色の眼も、エレンと同じように大きく見開かれていた。

「エレン…か?」

どうやら、彼も覚えているらしい。
「それにそっちは…」
驚いたままの眼差しが、エレンの向こうに居るヒストリアとユミルへ向かう。
「リヴァイ、兵士長」
呟いたのはヒストリアだろうか。
宙で止まっていたエレンの指先が、彼女の声に即されたように目的の本の背表紙を引っ掛ける。
「あっ、やっぱりこれだ!」
エレンの上げた喜色の声に、これまたハッとしたのは男も同様だ。
「てめぇ、それ寄越せ」
「嫌ですよ。すげぇ楽しみにしてたんですから!」
「俺もだ。楽しみとは違うがな」
論文で使う資料だ。
するとエレンは、本をキープする格好を崩さず器用に首を傾げてみせた。
「…へいちょ、もしかしてだいぶ若いです?」
「……そのあざとい仕草をやめろ。俺は今年で22だ」
エレンが両手で掴む本を、リヴァイががしりと片手で掴む。
「名前はリヴァイ兵長のままですか?」
「兵長は余計だ」
世間話をしながら無言で本を取り合う男の姿は、若いとはいえシュールだ。
溜め息を吐いたのはユミルだった。
「ほら、あんたらちょっと本貸せ」
問答無用で件の洋書を取り上げると、彼女は本棚をひとつ曲がる。
「すみませーん。この本、2冊あります?」
在庫整理をしていた店員を掴まえれば、有り難いことに複数冊入っているようだ。
「サンキュー、ユミル」
「すまん」
「どういたしまして」
ユミルはヒストリアを連れ、先に店を出る。
「リヴァイ兵長って、あんな人だったのか?」
「…さあ。私もあまりよく知らないし」
ヒストリアは眼差しを伏せる。
(あの頃に判ったのは、)
悪人みたいな顔と物言いの割りに、情に厚かったことくらいだ。

エレンがリヴァイと一緒に出てくる。
「エレンよ、この後時間はあるか?」
リヴァイに問われ、エレンは頷いた。
「1時間くらいなら」
「…そうか。なら少し付き合え」
行くぞ、と鞄へ本を仕舞ったエレンの腕を取り、彼は歩き出そうとする。
すると惰性でそちらへ踏み出したエレンの反対側の腕がぐいと引かれ、両手を反対に引かれるという間抜けな状態になった。
「うわっ?! 何だよヒストリア!」
「あ?」
リヴァイが足を止めれば、ヒストリアがエレンの反対側からこちらを見上げていた。
いや、睨んでいると言っても差し支えない。
彼女の手はしっかりとエレンの片腕を掴んでいる。
「今、エレンを借りると言っただろう。手を離せ、ヒストリア」
諭すようなリヴァイの声に、ヒストリアは眉を寄せた。
「…ちゃんと返してくれるの?」
「は?」
意味が分からず問い返したリヴァイの声には、エレンの声も重なっていた。
ヒストリアはエレンの腕を掴む指先に、きゅっと力を込める。
「エレンはすぐにどこかへ行くから。それに、『前』はいつも拐われた。だから、ちゃんと返して」
「返すも何も、俺は兵長のもんでもお前のもんでもねえよ!」
良いから離せ! と喚くエレンの頭を、リヴァイは唐突にぐしゃぐしゃと撫でた。
「喚くな馬鹿。お前ら、この駅は定期券内か?」
「そうだけど」
ユミルが答えれば、リヴァイは改札の方向を顎で示した。
「なら、ここを出るぞ。外にそれなりにでかい商業ビルがある」
腕を掴んだまま引き摺って行こうとするので、エレンは足が絡まりそうになる。
「逃げませんから、離してくださいよ!」
「…そうか」
訴えれば意外そうに、けれどあっさりと腕は開放された。
改札を出ると出口は左右に2つ、その内の右を指してリヴァイはヒストリアとユミルを振り返る。
「あそこは地下の食品フロア以外、女の比率がやたら高くてな。1時間くらい余裕で潰れるだろ」
それにお前ら、ちゃんと連絡取れるんだろうが。
「ここへ戻るときに、エレンからお前に連絡を入れさせる。それで良いだろう?」
話題の当人を余所に会話が頭上を通り越すので、エレンは釈然としない。
しかしヒストリアがリヴァイへ頷き、どうやら決着はついたようだ。
「よし、行くぞ」
「…もう、分かりましたよ。何かあるんですか?」
「それなりに落ち着ける公園がある」
「はあ」
そうですか、としか言えない。

人混みの向こうに2人の姿が消えるのを見届けて、ヒストリアとユミルは反対側へ歩き出した。
「この駅で降りたことなかったか。エレンが好きそうな店もあるかもな」
「…そうだね」
茶化すようなユミルの言葉に、ヒストリアはようやく気分を浮上させた。



公園の入り口手前に、ビジネスマン御用達のコーヒーショップ。
リヴァイはエレンを伴い、迷いなくそこへ入る。
「何が飲みたい?」
奢ってやる、と言われて、エレンは遠慮がちにメニューを指差した。
「えっと、じゃあこれ…」
「…甘党にでもなったか?」
「そんなつもりないんですけど、甘党なんですかね?」
エレンが示したのは、季節限定で発売されるフラペチーノ。
ご丁寧にチョコソース追加で、とカスタマイズまで指定してきた。
「だって、美味いじゃないですか」
否定はしないが。
そうして片やフラッペ、片やコーヒーを手に店を出る。
「んー、うまい」
早速クリームの山にスプーンを突き刺し、エレンは幸せそうに口に運んだ。
その様子をじっと見つめるリヴァイに気づき、少し考えてから彼はまたスプーンでクリームを掬う。
「食べます?」
差し出されたスプーンに、リヴァイは驚いたようだった。
何となく、目を見開いているように見える。
「…お前」
「はい?」
「よくやんのか、それ」
「それ?」
またも考えて、エレンはあっと声を上げた。
「すみません。兵長、潔癖症でしたね」
リヴァイは開いた口が塞がらず、出たのは盛大な溜め息だ。
「ちげぇよ…」
「???」
首を傾げるエレンは本当に分かっていないようで、リヴァイはそれ以上の指摘を諦めた。

散歩やランニングの人と時々擦れ違う程度で、公園はいい感じに人がまばらだ。
空いているベンチを見つけ、2人並んで腰掛ける。
「お前、今でもあいつらと同年代か?」
「あぁ、はい。同じクラスです」
「他には居ないっつったか」
「そうですねぇ。へい…リヴァイさんは?」
「俺か。俺は…」
そこでリヴァイは言葉を切る。
コーヒーを飲み、何やら決意を固めるような間があった。
「エレンよ」
「はい」
「俺の名前はリヴァイ・イェーガーだ」
口に運ぼうとしたスプーンが、止まる。
「……え?」
大きく見開かれた目は翠色で、『あの頃』との明白な違いをリヴァイへ教える。
それでもリヴァイは、ここで言葉を止めるわけにはいかなかった。
「母親のカルラの方は、お前のことを夢で見て、俺にそういう子どもを知らないか聞いてきた。
どっちかと言うと、夢があまりにリアルでこちらに同じ子どもが居んじゃねぇかと気になったってところか」
「……」
「グリシャの方だが、こっちは確実に覚えてるな。
俺のことは知らねぇようだが、1人になったときにお前の名前を呼んで懺悔みてえなことをしてた」
エレンは溶け始めたクリームをスプーンで潰し、ぐるぐると無造作にカップの中身を掻き混ぜる。
しばらくは、エレンがラテもどきを作る音だけが聞こえていた。
「…ざっくりで良いんですけど」
掛けられた声に、リヴァイは顔を上げる。
「リヴァイさんの家って、ここから遠いですか?」
「そうだな。ここの駅から30分ってところか」
クリームとコーヒーを混ぜる音が、止まった。
「俺、思い出して『前の記憶』に折り合いつけてから、決めてることがあるんです」
翠の目が細められ、リヴァイを映す。

「『前の誰か』とは、絶対に自分からは関わらないって」

まあでも、と彼は苦笑した。
「偶然会うってことはあると思うんで、そんときは前の親父、思いっきりぶっ飛ばします」
俺が補導されたらちゃんと助けて下さいよ、と笑う。
リヴァイも口の端を上げた。
「ああ。ちゃんと証言してやる」
あの男に非があるってことを。
エレンはリヴァイの返答に満足したのか、クリームラテと化したフラッペを飲む。
「リヴァイさん」
「なんだ?」
ストローから口を離したエレンの視線はリヴァイではなく、公園のどこかへ宛もなく投げられていた。

「俺と会ったこと、言いふらさないでくださいね」

さっきも言いましたけど、と続ける横顔は、かつての世界で歳を重ねた彼に重なる。
「ヒストリアとユミルみたいなのは仕方ないです。偶然は仕方ない。
リヴァイさんも偶然でした。だから仕方ない」
でも、と翠色が伏せられた。

「偶然じゃないなら、会いたくない。それが誰であろうと」

リヴァイは喉奥から込み上げた言葉を飲み込んだ。
ぐっと息を詰まらせ、それを悟らせないよう問い掛ける。
「…なぜだ?」
エレンはカップを持つ手に力を込めた。
ペコッと凹む音がする。
「……嫌なんです。だって、会うたび会うたび、折り合いつけたはずのことを考えないといけないんだ。
せっかく落ち着いたのに、せっかく楽しく過ごせるようになったのに、何でまた悩まないといけないんだよ!」
もう嫌だ、と目元を歪ませるエレンに掛ける言葉を、リヴァイは持ち合わせていなかった。
このように弱音を吐く姿は、以前にはほとんど見られなかった。
…いや、そうじゃない。
(『あの頃』が、異常だった)
リヴァイは手の内のコーヒーをベンチの空いたスペースへ置いた。
「エレン」
ほんの少し強めに呼べば、翠がのろのろとこちらを見上げる。
大丈夫だ、とリヴァイは告げた。

「分かった。お前のことは、誰にも言わない」

その物言いからは、エレンの知る誰かが彼の傍に居るであろうことが窺えた。
「本当?」
頷いてやれば、ようやく強張った顔に笑みが浮かぶ。
ホッとしたリヴァイは、つと彼へ向けて上げかけた腕に気づきハッとした。
(今、俺は…)
「リヴァイさん?」
心配そうにこちらを覗き込むエレンに、何でもないと言うには…少し。
(いや…少しではないな)
リヴァイは己の両手を見下ろすと、軽く握り込む。
「エレンよ」
「はい?」
「触れても良いか?」
今さら何を言うのかと、エレンの顔に書いてあった。
(腕掴んできたし、髪の毛ぐしゃぐしゃに掻き混ぜられたし)
エレンは訝しげながらも頷く。
「えっと、どうぞ?」
改めて言われるとどこか緊張するもので、自分よりも大人の手が動くのじっと見ていた。
どうせまたリヴァイよりも年下なのだ。
だがてっきり頭へ伸びるのかと思っていた指先は、エレンの目の前に近づく。
「…え?」

するりと伸びた指先はエレンの頬に触れ、次いで掌が柔肌を撫ぜる。
確かめるように、慈しむように、何度も。

「…っ」
その触れ方は、同性にするものではない。
親が子にするものでも、兄が弟にするものでも、ない。
目を見開いたエレンの反応さえ愛しむように、リヴァイは薄く微笑った。

「エレン。俺はお前が好きだ」

はく、と吸い損ねた空気が喉で変な音を立てた。
「『前』は、気づいたところでどうにも首の回らねえ状況だったからな。言葉にすることはなかったが」
「……」
思い返せる範囲で良いなら。
今思い返したからこそ、エレンには心当たりがそこここにある。
何となく、気のせいだろうと済ませてきたもの、が。
「へい、ちょ」
真ん丸の翠色に映る自分の姿を見て、リヴァイは吐息で笑んだ。
「お前の目は正直だったからな。おそらくは、俺と同じ方向で好意を持たれてるとは思ってた」
ああ、その通りだ。
今の世界から見れば異常だった『あの頃』、確かにエレンは。

震える唇を、開いた。
「リヴァイ、さん。兵長」
エレンが呼び掛ける合間にも、彼の手はエレンの頬を緩やかに撫で続ける。
「なんだ?」
気まぐれに目元を掠め、唇の形をなぞって。
「それ、は。『前の俺』に対してですよね…?」
だって、そうでなければ。
そうでなければ、これは。
リヴァイの眉が、ほんの僅かだけ下がった。

「悪ぃな、エレン」

出会ったばかりでも、リヴァイは同じことを思った。
『前』に引き摺られていることを承知の上で。
「出会っちまった。俺にとって、それは後悔にはならねえ」
ほんの数十分前に出会ったばかりだが、この世界で生きるその様が見たい。
(出来ることなら、すぐ傍で)

エレンが息を呑む。
色は違えど以前と変わらず大きな目が、戸惑い、逸れ、そして苦しげに歪む。
言葉を吐くために開かれた唇が、開いては閉じを繰り返した。
(俺、は)
エレンはひたすらに、戸惑っていた。
(だって、)
違うのだ、彼とは。
「リヴァイ、兵長」
「ああ」
「俺…は。たぶん、あなたのことが、好きでした」
それはきっと、彼と同じ意味だった。
「けど、『俺』は…。今の、俺は」
これは違う。
(『前』とは、違う)
なぜか酷く哀しく感じる心を、エレンは無理矢理に捩じ伏せた。

「ごめ、なさい。今、あなたと話していても、…同じ気持ちに、ならない」

何も、感じない。
あるのはただ懐かしさ。
(出会わなかったら)
そうだ、今日出会うことがなければ。
(俺は思い出すことだって、ほとんど)
泣きそうに揺れる翠の目を覗き込み、リヴァイは目元を和らげた。
「…謝るな、エレン」
両手でまろい頭を引き寄せ、こつりと額を合わせる。
「お前はそれで良い。誰かの感情のために自分の感情捻じ曲げるなんざ、クソでしかねえ」
本当は、本屋で出会って話したときには分かっていた。
(こいつの目が、懐古しか映さなかったこと)
無理だろうと分かっていながら、わざわざ問い掛けた。
好いた相手に、酷い拒絶や嫌悪の目を向けられるリスクを負いながら。
(それでも良かった。区切りを、つけたかった)
感情の幅が変わらずとも、今は『あの頃』ではないのだと。
不安そうにこちらを上目遣いにする間近の翠に、リヴァイは思わず笑った。
「そんな顔をするな」
「…でも」
ああ、そうだ。
言葉にしなければ、何も伝わらない。
「そうだな…。罪悪感があるなら、ちょっとそのままじっとしとけ」
「え? ちょっ、」
さらに戸惑うエレンの両眼を、右手の平で覆い隠す。
周囲を見回してみれば、人影は見当たらない。
「リヴァ…」
「黙っとけ」
むぐ、と噤まれた唇に、そっと。

目元を覆われ、視界は暗い。
何事かと困惑するエレンの唇に、柔らかく、少し温かな感触があった。
そのほんの1秒程度の感触は、エレンの上唇をぬるりと舐めて、離れる。
(…っ?!)
今のは、と混乱するエレンの目元を解放し、リヴァイは何事もなかったかのように置きっぱなしのコーヒーを手にした。
「そろそろ戻るか」
「っ、は…い…?」
何をされたのか考えてぐるぐるしているエレンの頭を、リヴァイは立ち上がるついでにぽふんと撫でる。
「リ、ヴァ、」
こちらの行動に動揺する姿は見ていて飽きないが、ここらがリミットだろう。
「ほら、あいつらに連絡してやれ」
促してやれば、困惑しながらもエレンはスマホを取り出し電話を掛ける。
その姿を見ながら、リヴァイは思う。
(出来ることなら、)
何度でも会いたかった。
たとえそこに、見返りとしての恋愛感情が含まれていなくても。
リヴァイは眼差しを伏せる。
「もしもし、ヒストリア? ああ、今から駅に戻るから」
彼女たちのように、否が応にも会ってしまう間柄になりたかった。
(言ったところで、詮ないことだ)
だから、連絡先を聞くことは…出来ない。

行きにも増して口数少なく、エレンとリヴァイは駅へと戻る。
ヒストリアとユミルはすでに待っていた。
「エレン、何かされたりしなかった?」
開口一番エレンへ問うたヒストリアに、リヴァイは内心で「お前はミカサか」とツッコミを入れた。
微妙な顔をしているユミルも同様だろう。
そしてエレンは、ヒストリアの問いに対してこれまた微妙な顔をした。
「されてない。…たぶん」
嘘をつくのが下手なところも、変わっていないらしい。
ギッと向けられた彼女の視線に、リヴァイはそ知らぬ顔をしてやった。

せっかくこの駅で降りたのだから、他の書店を回る。
そう告げたリヴァイに、3人は特に疑問も抱かなかった。
「それじゃあ、リヴァイさん。フラッペごちそうさまでした」
手を振ったエレンの両隣で、ヒストリアとユミルがぺこりと頭を下げる。
自分も手を上げ返し、リヴァイは駅へ背を向け周囲の駅ビルに足を向けた。
(学生なら、毎日この駅を使ってるんだろう)
意図的に今日と似たような時間帯にここへ来れば、彼らに出会うことは容易いはずだ。
けれど。
(それをやると、他のやつに感付かれる可能性が高くなる)
自ら関わる気はない、とエレンは言った。
ならば。
(お前が選んだなら、俺もそれに従おう)
生きていることが分かった。
日常を、『普通』に生きていることが分かった。
幸せそうに笑っていることが、分かった。
(それ以上を望むのは、贅沢だ)

ホームへ繋がる階段を上り切ったところで、ユミルが上ってきた階段を振り返る。
(なんだかなあ…)
「ユミル?」
「いや、何でもねーよ」
エレンとヒストリアの不思議そうな顔に、彼女は未練なくまた足を返した。
小さな企みごとをしながら。



「ただいま」
リヴァイが在籍している大学が斡旋している学生向けマンションは、実質寮扱いのため基本が2人でひと部屋だ。
ゆえにリヴァイも、ルームメイトがいる。
彼はすでに帰っているようだった。
「おかえりなさい。目当ての本は手に入りました?」
金髪に青い眼をして、柔和な面差し。
『以前』はその容姿ゆえに、ヒストリアの身代わりにもなった。
「ああ。何とか1冊だけあった」
「駅ナカ?」
「いや、外の方だ」
嘘ではない。
実際、エレンたちと別れた後に寄った本屋にもあったのだから。
「…他にも何かありました? リヴァイさん」
しかし彼は目敏く、何かに気づいた。
リヴァイは軽く舌打つ。
「てめぇは目敏すぎんだよ、アルミン」
「はは、褒め言葉として受け取っておきます」
かつてエレンの幼馴染みであった彼は、今はリヴァイの同級生だった。

大学の構内でばったり出会ったときの、彼の驚いた顔は未だによく覚えている。
アルミンは兵長という役職のままリヴァイの名を呆然と呼び、対してリヴァイは眉を寄せた。
その表情を見て、彼はリヴァイが何も覚えていないのだと早合点したらしい。
(あれだけ頭の回るヤツが、珍しいことだ)
エレンならば気づいただろう。
いくらリヴァイが表情の変化に乏しくとも、驚愕していたことに。
「…お前、夢の話してたろ」
「えっ、はい…?」
あのとき彼はすぐにリヴァイへ詫び、こう言った。
酷い世界の、永い夢を見たと。
それからはかつての名残のまま、彼はリヴァイに対して敬語を使う。

「お前が夢の話で言ってた、『金髪碧眼の美少女』ってのに似たヤツを見掛けた」
肌が浅黒くてそばかすの女も居たと言えば、アルミンは目を丸くする。
「それは…本人な感じがしますね。いえ、似たような人はたくさん居るんでしょうけど」
紛うことなく本人であると、リヴァイは伝えなかった。
なぜならリヴァイは、結局自分に記憶があると話しも素振りもしていない。
「会いたいのか?」
夢での仲間に。
アルミンはリヴァイの問いに、曖昧に笑んだ。
「…会いたいのは、1人だけですから」

彼がエレンに会いたがっていることを、リヴァイは随分前から知っている。


*     *     *


それから幾月経ったか、ある日のこと。
リヴァイはエレンに出会った駅ナカの本屋へ、再びやって来た。
例によって洋書探しの梯子である。

「おっ、へいちょー発見」

間の抜けた声を見返れば、そこには店舗名の描かれたエプロンを付けたユミルの姿。
「…アルバイトか?」
彼女はにかりと笑う。
「ええ。ほんの数日前から」
この時期は、書店が短期アルバイトを募集するのだと彼女は言う。
「腕力には自信があるし、ガラの悪い客のあしらいも慣れてるんで」
なるほど、とリヴァイは納得した。
「で、何かお探しで?」
問われ、本ではなくエレンは居ないのかと尋ねそうになった自分を、リヴァイは殴りたくなった。
(…未練ありまくりじゃねえか)
そうだ、リヴァイはエレンに未練がある。
明確な拒絶ではなかったことが糧となり、また逢いたい、まだ話したいと欲が出て。

ユミルは本棚の下にある商品補充用の引き出しを開け、仕舞われていた洋書を数冊外へ出す。
そこにはリヴァイの探すものがあった。
「それだ」
「これですか?」
「その下」
「ああ、これですね。ちょっと待ってください」
ユミルはエプロンのポケットからメモ帳を取り出し、ボールペンで何かを書き留める。
それはどこからどう見ても店員の応対で、近くにいた別の店員は気に止めることなく別の箇所へ去った。
「どうぞ」
本の上で折り畳まれているメモを開けば、そこには予想に反して電話番号が書いてあった。
思わずユミルを見遣れば、彼女は人が悪そうに笑っている。
「兵長、恋愛感情でエレンを見てるだろ」
図星だ。
しかし表情は変わることなく、リヴァイはユミルの言葉の続きを待つ。
彼女は出した本を棚に仕舞いながら、何気なく告げた。
「あいつら、この間やっと付き合い始めたんですよ」
「は?」
「ヒストリアとエレンです」
「………は?」
リヴァイの思考は完全に固まっていた。
が、ユミルはお構いなしだ。
「なんつーか、もうもどかし過ぎてこっちが苛々してきてたとこでしたよ」
今までと変わってないかと思いきや、変なところで2人とも照れる。
それが可愛くてからかいたくなるのだと続ける彼女を、リヴァイは何とか遮った。
「おい、ユミルよ」
「はい?」
「お前は恋に敗れた男の心を粉砕したいのか?」
噴き出しそうになったユミルは、すんでのところで己の口を塞ぐことに成功した。
「へ、へいちょう…あんたそんなしおらしいタイプだったのか!」
「あ?」
「好きな相手に恋人が出来ちゃって諦めるタイプ」
このノリには覚えがある。
(…ハンジか)
リヴァイは仕方なく乗ってやった。
「いや。虎視眈々と奪い取る隙を狙うタイプだ」
「ぶはっwww」
さすがに堪えられなかった。
本をすべて収納し、ユミルはひぃひぃと腹を抱える。
「あんた、結構喋るんだなー」
「馬鹿言え。俺は元々結構喋る」
「それ、エレンにも言いました?」
「『昔』な」
まだ漏れる笑いを隠すこともせず、ユミルは立ち上がるとエプロンの皺を伸ばす。
「正直、男1人と女2人って、ちょーっとやりづらいところあったんですよ」
しかもその中で、カップルひと組が出来上がっているのならなおさら。
「それに、ほら。あんたはエレンにしか興味ないだろ?」
間違っても、ヒストリアに手を出される心配はない。
「まあ、エレンに手を出すのは良いのかって言ったら、全然良くないですけど」
そこはヒストリアの腕の見せどころだし?
「あんたが頼るに値する人間だって、エレンは知ってるし」
ユミルとしても、あの2人の間を邪魔させない誰かが欲しいのだ。
ついでに、この可愛がりたくて堪らない気持ちを共有出来る誰かが。
「ハッ、頼られてんだか貶されてんだか分かんねぇな」
皮肉に口許を歪めながらも、リヴァイは穏やかに笑っていた。

彼が会計を済ませ、店の外へと消えてしばらく。
奥の倉庫で新しく搬入された本を整理していたユミルのスマホに、着信があった。
アルバイト中のためバイブ設定のそれは、電話ではなくメッセージの振動。
『こっちも周りに2人ほどいるが、お前らのことは教えてない』
ふぅん、としばし考える。
(誰だろうな…? ミカサとかだと厄介だ)
リヴァイがエレンのことを言っていないのは、必要ないと判断したか、あるいは。
(エレンがそう望んだか、だな)
さくっと返信のメッセージを認(したた)める。
(『バレたら覚えてない、ってことで突き通しますよ』…っと)
嘘をつくのは苦手でも、エレンとヒストリアは隠し事が得意だ。
いざとなれば2人して、対外用のキャラクターで通すだろう。
「楽しみだな」
ユミルは密やかに笑う。

『当時』、ユミルは自分の望みの為に必死に生きるヒストリアを見られなかった。
やっと自分本位の生き方があることに気づいて、前を向いたところまでで。
(外に出ない分は、エレンが無理やり引き摺り出すだろ)
彼はおそらく、金さえ貯まればこの国を飛び出していく。
家族だろうが恋人だろうが、それを止めることは不可能だろう。
そんなエレンを追い掛けるという意味では、年上のリヴァイにアドバンテージがある。
ユミルは無意識にニヤつく唇を引き結んだ。
(やべえ、マジで楽しみだ)
命の危険が無いわけではない。
それでも、謳歌するには素晴らしい世界だ。
(アタシも好きに生きるかね)
なのでこれは、その第1歩ということでひとつ。
(ま、許せよ)
また人の悪い笑みを零して、ユミルは新たな本を積み上げ店内へと戻った。
End.

2015.2.22
(BGM/nyanyannya氏 feat.鏡音リン・レン「ハジマリノイロリターナー」)

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