俺の(私の)可愛い弟
(4.可愛い弟の話)
スマホの画面をスライドしながら、無意識の内に頬が緩む。
その理由を悟ったユミルは、今日も親友は通常運転、と心のメモに書き留めた。
「まーた顔緩んでんぞ? 今度はどんな可愛い発見したんだ?」
弟くんの、とはわざわざ付けない。
彼女がこんな顔をするのは、彼女の弟絡みでしかないからだ。
案の定、ヒストリアはユミルへスマホの画面を見せてきた。
画面にはカウンターキッチン越しに弟へ何かを食べさせるヒストリアが写っている。
つまみ食いの場面だろうか。
「昨日は私のリクエスト作ってもらったから、朝にエレンの好きなチーハンをお弁当用に作ったの。
絶対『今食べたい!』って言うと思って、つまみ食いの分も一緒に」
つまり、これはまさしくつまみ食いの場面なわけだ。
「昔からだけど、エレンってこうやって食べさせてあげると凄く可愛いの。パコッて口開けて、雛鳥みたいに。
時々『自分で食うから』って嫌がるんだけど、嫌がり方も可愛くて」
アングルから考えて、撮影者は彼女の義理の兄弟であるリヴァイか。
「今回はチーズinじゃなくてチーズonを作ったけど、ほんとは隣駅のハンバーグ専門店のメニューと同じ、チーズinを作ってみたいんだ」
いつもリヴァイに先越されちゃう、とヒストリアは悔しげだ。
まあ、彼女よりもリヴァイの方が料理が得意だそうなので、仕方ないといえば仕方ない。
とはいえエレンが離乳食期を過ぎてからヒストリアの料理スキルは上がりっぱなしらしく、愛は偉大である。
「美味しい! って言われると全部どうでも良くなっちゃうから、エレンは凄い」
ユミルも料理をするので、その気持ちは分からないでもない。
ないが。
「…ヒストリアの作った料理を不味いって言うことあるのか?」
「あるよ? エレンもリヴァイも」
マジかよスゲェな…というユミルの感想は、口にはなされない。
ヒストリアの手作り料理なんて出ようものなら、自分はともかく他の連中は不味くても美味いと言って完食するに違いない。
ふと、機嫌良く話していたヒストリアの言葉が途切れた。
「…次の土曜日、エレンがミカサとアルミンの3人だけで水族館に行くって言ってるの」
心配だなあ着いていこうかなあと憂い顔の美少女に、ユミルは両手に乗った選択肢を片方、ぽいっと捨てた。
「行かせてやれよ。もう中学生なんだし、ミカサとアルミンが一緒なら問題ないだろ?」
「でも、まだ中学生なのに」
絡まれたりしないかなあ3人揃ってると目立つし、と続いた言葉をユミルは否定しない。
しないが、それはヒストリアともう1人がエレンと居ても当て嵌まると認識してほしい。
何だか面倒になってきて、ユミルは親友の過保護を諌めることを止める。
(…同じセリフがあっちでも交わされてんじゃねーか?)
ユミルの言う『あっち』は、この学内のどこかにいる彼女の義兄弟のことだ。
「おっ、エレンとヒストリアの写真じゃん! これ、朝撮ったのか?」
「ああ」
もっと見せて! とせがんでくるイザベルに、リヴァイはアルバムを開いた状態でスマホを渡してやる。
「ヒストリアのエプロン姿とか、貴重過ぎてこぇえ」
それを横から覗き込んだファーランは苦笑するが、リヴァイは首を傾げた。
「雛鳥みてぇなエレンの方が可愛いだろうが」
デスヨネー、とは口にしない。
判っていたことだからだ。
「お前ほんとさぁ…」
「何だ?」
「…いや、良い。何でもない」
歯切れ悪く黙ったファーランにリヴァイは疑問を浮かべるが、大したことはなさそうなので放っておく。
リヴァイにもヒストリアが美少女であるという認識はあるようだが、如何せん、彼の中では『弟の方が可愛い』のだ。
おまけにヒストリアも他の誰より『弟の方が可愛い』ので、もはや目も当てられない。
「エレンが土曜日に水族館に行くって言ってやがるんだ。アルミンとミカサの3人だけって危なくねぇか?」
「いや、普通じゃね? もう中学生なんだからさ」
「後ろからこっそり尾行するか」
「話聞けよ」
過去の事件のこともあり、何かあってからでは遅いと行動するのは理解出来る。
出来るが、将来も考えて頻度は抑えるべきだ。
「例え兄弟でも、一定の線引きはすべきだろ。自分の身の守り方は自分で学ばねえと」
「俺とヒストリアだけじゃ足りないのか?」
「そりゃそうだろ。四六時中いつでも一緒なわけじゃねーんだから」
そうだぞ兄貴! と珍しくイザベルが同調してきた。
「そんなに心配なら一緒に行けばいいじゃん!」
違った、余計な一言でしかなかった。
リヴァイは珍しく口籠る。
「出来れば苦労しねえよ」
エレンが嫌がるんだ…、と深刻な顔で告げてきた親友に、ファーランはリアルにこんな顔になった。
「(^v^)」
これはエレンの方が常識的なのかもしれない。
イザベルはふんふん、と意味深に頷いてみせる。
「あー、そうかぁ。中学生っていったらシシュンキってやつだもんな。いっつも兄貴と姉貴にべったり、っていうのが恥ずかしいのかもな!」
「…イザベルにしてはまともな意見だな」
「あぁ? バカにしてんのか?!」
うっかり零したファーランにイザベルが掴み掛かる。
その間もリヴァイは深刻げな顔をしたままスマホを睨みつけていた。
*
「エレン、土曜日の話なんだけど」
「おう、どうした? もしかしてなんか入ったか?」
眉を下げたエレンに、アルミンは慌てて首を横に振る。
「ううん、予定は大丈夫。そうじゃなくて…」
アルミンが言い淀んだ先を、横からミカサが引き継いだ。
「水族館、ヒストリアとチビも来るの?」
直球過ぎて取り繕う間もない。
エレンは小首を傾げた。
「いや、特に聞いてないけど」
「えっ」
驚いた。
アルミンとミカサは目を見合わせる。
エレンに対して過保護な彼の兄と姉は、エレンが遊びに行く場所にも着いてくるのが通例だ。
エレンと行動を共にする回数がもっとも多いミカサたちも、それが当たり前の認識になってしまっている。
「僕らを信用してくれたのかな…」
「周りの誰かが言ったのかも…」
小声でこそこそと話す。
そこでアルミンのスマホに通知が入った。
「誰だろ?」
通知画面を確認すると、やや珍しい名前が表示されている。
「ファーランさんからだ」
彼はリヴァイの親友であり幼馴染であり、エレンと同じようにアルミンたちも可愛がってくれていた。
ファ:土曜日にエレンと水族館行くんだよな?
ファ:リヴァイは何とか引き止めとくから、3人で行って来いよ!
ピコン、と新たなメッセージが入った。
イザ:兄貴のブラコンっぷり、さすがにヤバそうだからさ〜
イザ:土曜日はエレンのこと頼むぜ!
(よろしく! と笑っているネズミの女の子のスタンプ)
「イザベルさんまで…」
どうやらミカサにもメッセージが入っていたようで、彼女も自分のスマホを覗き込んでいる。
「ミカサにも来てたの?」
ファーランさんから、と問えば、ミカサは首を横に振った。
「ユミルから来ている」
「ユミル?」
これまた珍しいことだ。
Ym:土曜日なんだが、ヒストリアはアタシらが拉致るからそのつもりでな。
(サムズ・アップしている亀のスタンプ)
分かり難い言い回しだが、どうやらヒストリアはユミルが遊びに誘ったらしい。
いつの間にかクラスメイトのサシャとコニーとじゃれ合っているエレンを、2人は揃って見遣る。
「3人だけで、出掛ける…」
「うん。初めてだね」
リヴァイとヒストリアが目に入れても痛くないくらいにエレンを可愛がっていることを、ミカサとアルミンはよぅく知っている。
だが一方で、エレンを独占したい気持ちもどこかに燻っていたのも事実だ。
思わず口角が上がってしまい、目敏く気づいたのはコニーだった。
「なんだぁ? ミカサもアルミンも、嬉しそうだな」
「あ、うん。今度水族館に行くから、楽しみだと思って」
サシャが口を挟む。
「水族館ってお魚を展示しているのに、併設レストランのお魚料理って少なくないですか?」
「なんだそりゃ」
明後日の方向に飛んだ話題に、エレンもコニーもサシャらしいと呆れた。
「エレン、なんか通知来たっぽいぞ」
「あ、ほんとだ」
コニーに言われて机に置きっぱなしだったスマホを見れば、通知ランプが点滅している。
H:土曜日、私はユミルとお買い物に行くから、気をつけて行ってきてね。
(目をうるうるさせたしなもんロールのスタンプ)
L:イザベルとファーランが煩えから、土曜はあいつらと出掛けてくる。
L:水族館、気ぃつけて行ってこいよ。
エレンは目をぱちりと瞬いた。
(ほんとに来ねえんだ…)
どこへ誰と出掛けるにしても、リヴァイとヒストリア、あるいはそのどちらかは必ず一緒だった。
珍しい、と思う心の片隅に、面白くないと感じるものがある。
いつだって2人の目は、エレンに向いていると思っていたから。
(…まあいっか)
兄と姉の最優先が自分であることは、きっと揺るぎないことなので。
E:はーい。てか、家帰ってから言えば良いのに。
(不貞腐れている猫のスタンプ)
「やだもう、エレンのスタンプが可愛い…」
「……ヒストリア。お前それ毎回言ってねえ?」
「くっそ、エレンのスタンプがあざとい…!」
「えー、もうそれいつものことじゃね? 兄貴毎回言ってるしさあ」
「無駄だイザベル…。こいつのブラコンはもう治らねえよ…」
「エレン。今のメッセージ、もしかして」
「ああ、リヴァ兄とヒス姉から。土曜日は2人とも予定があるんだってさ」
「!」
「それじゃ、ほんとに3人で出掛けることになるんだ」
初めてだね、と笑ったアルミンに、エレンも確かに、と言って笑った。
End.
2017.7.21
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