ハロー、xxx

(これは夢、されど現実)




普段は閉め切る自室の扉は、今日はずっと開けっ放しだ。
「そっちどうだ? エネ」
『んー、エレンさん、また寝ちゃいましたねえ』
兵長さんは本棚の本、読んでましたよ。
「…そういや、日本語読めるんだな」
そう呟けば、今気づいたとエネも首を捻った。

「たっだいまー!」

階下からモモの声が飛んできた。
「もうそんな時間か…」
シンタローは廊下から下を覗き、こちらを見上げてきたモモへ人差し指を口許に当てる。
意図だけは通じたようで、彼女は慌てて自分の口を片手で塞いだ。
「えっ、五月蝿くしない方が良いの?」
モモは下りてきたシンタローへ小声で尋ねる。
「1人が今寝てるらしくてな」
「あー、そっかぁ…」
さっきので起きちゃわなかったかな、大丈夫かな…?
悩むモモの手から、スーパーの袋を引き取る。
やけに重いと思ったら、彼女の好物"おしるこコーラ"がケースで入っていた。
「おい…」
「い、良いでしょ別に! 今日の買い物はお兄ちゃんに請求しないから!」
「まあ良いけど…」
冷蔵庫へ向かい、袋の中身を仕舞う。
「ねえ、お兄ちゃん」
その間に手洗いうがいを済ませたモモが、また声を潜ませた。
「玄関にお客さんの靴なかったけど、どういうこと?」
さて、どう説明したものやら。
「んー…。まず、例え話をするぞ」
「? うん」
「エネが画面の中にいる。これは普通だ」
「うん。エネちゃんって電子の集合体みたいなもんなんでしょう?」
意味がちゃんと分かって言っているのか気になるところだが、シンタローは追及しない。
「そのエネが、画面から出てきた」
「プロジェクターに映ってるんじゃなくて?」
「違う。実際に質量を持って、そこに存在している」
これは例え話だ、"出てきた"のはエネじゃない。

「俺とエネの読んでた漫画のキャラが、出てきた」

何をバカな、と開きかけた口を、シンタローがテーブルに置いたスマホの声が押し留める。
『事実なんですよ、妹さん』
さすがのご主人も、妄想と現実の境目は知ってますからね。
酷い言われようだが、シンタローは黙っていた。
モモは兄とAIを交互に見比べ、ごくりと唾を飲む。
「そ、それで? 誰が出てきたの…?」
グロテスクなキャラクターは嫌だ、出来れば可愛い方が良い。
ただし、モモの"可愛い"基準は、シンタローでも否定したくなるものであるが。
「人間のキャラクターだ」
『戦闘力の凄まじい男性と、』
「普通にしてればその辺の中学生っぽい少年、」
『作品名は、』
「さ、作品名は…?」
勿体ぶられた先を、モモは待つ。
シンタローは殊更ゆっくりと、それを告げた。

「進撃の巨人」



何だかすごい声がしたので、目が覚めた。
「?!」
慌てて起き上がったエレンの頭を、リヴァイはやや乱雑に撫でる。
「女のガキの声だな。さっき言ってた、あいつの妹だろ」
扉を開けるリヴァイを追い掛け、エレンも部屋を出た。

「おい、何の騒ぎだ?」

階上の廊下から落ちてきた声の主を見上げて、モモは冗談でなく悲鳴を上げる。
「ヒッ?! ちょっ、お兄ちゃん!」
あの人ヤバイんじゃないの?! どう見てもヤクザじゃん!!
「『ぶっwww』」
しまった、思わず草を生やしてしまった。
『や、ヤクザ…確かに…ぷぷっ』
「え、エネ…やめろ…」
腹筋を攻撃するな…!
必死に笑いを堪えながら、シンタローは思った。
(ヤクザにするには、優しいというか真面目過ぎんじゃないか…?)
モモは"進撃の巨人"の単行本をシンタローから借り、あまりの内容に1巻の途中で読むのを止めてしまった過去がある。
ゆえに彼女は、キャラクター人気を二分するもう1人を知らなかった。

エネは画面の中で思う存分草を生やし、ようやく立ち直ったところだ。
アワアワしているモモが見上げる先で、エレンがリヴァイの後ろから顔を覗かせた。
「あの、どうかしましたか?」
「&#$%@%?!!!」
今度は言葉にならない叫びを発したモモに、シンタローは仕方がないと息を吐く。
…リヴァイのことは知らなくても、1巻の1話さえ覚えているならエレンは分かるのだ。
シンタローは冷蔵庫に仕舞われていた単品のおしるこコーラを1つ、それを彼女の首筋へ前触れもなく当ててやった。
「うひゃあっ?! いきなり何すんのお兄ちゃん!!」
「良いからお前は落ち着け」
真面目に妹の目を見据えれば、モモは訝しげな表情に変わる。
「お兄ちゃん…?」
シンタローはふぅ、とまた息を吐いた。

「良いか、モモ。これは夢だ」

俺たちはそう思ってる、あの人たちもそう思ってる。
「夢だから、本来あり得ないことになってる。そして…」
夢だから、他のやつには理解出来ない。
「……」
深く考えることが得意でないモモだが、今の説明が一番分かり易くされたものなのだということは分かった。
「…言いふらしたらダメ、騒ぐのもダメ、ってこと?」
「ああ」
ぽんと頭をシンタローに撫でられ、モモはようやく落ち着きを取り戻した。
階上でこちらを見ている2人を見上げ、ぺこりと頭を下げる。

「あのっ、私モモって言います。騒がしくしちゃってごめんなさい!」

いや、と口を開いたのは、モモがヤクザと称した目付きの悪い男の方だった。
「ここはお前の家なんだろう? 邪魔してるのは俺たちの方だ」
だから気にするな、と言われて、モモは考えを改める。
(…もしかして、以外と怖くない…とか?)
「俺はリヴァイだ。こっちは…」
「エレンです。よろしくお願いしますね、モモさん!」
邪気のない笑みを向けられて、くらりとしたのはモモの方だった。
「…お兄ちゃん」
「なんだ?」
「…エレンくん、アイドルに向いてると思う」
「…俺もさっき思ったわ」

時刻は17時を過ぎた。
少し早いが、夕飯の準備をしてしまおうとシンタローは冷蔵庫から材料を取り出す。
おしるこコーラを空にしたモモが、あっと声を上げた。
「お兄ちゃん、私もやりたい!」
「…どういう風の吹き回しだよ?」
「い、良いじゃない偶には!」
モモに料理を任せると、それは高確率で食べられない芸術作品に変わる。
ゆえに任せることは本来ないのだが…。
(まあ、今日は人数多いからな)
「分かった。んじゃ手伝ってくれ」
「うん!」
「あ、あの!」
モモが頷いたところへ別の声が入り、シンタローはキッチンからリビングを振り返った。
パタパタと階段を下りてきたエレンが、あのキラキラとした目でこちらを見ている。
「料理してるとこ、見てても良いですか?」
邪魔はしないので! と問われて、断る理由も特にない。
「別に良いけど…」
するとやった! と彼は喜び、やはりモモより年下なんだなと複雑になる。
リヴァイは本の続きが気になるのか、また部屋に戻ったようだ。



18:30を過ぎ、リビングには良い匂いが広がっていた。
(肉だ…肉の塊…!)
サシャが居れば、もはや小躍りするレベルかもしれない。
エレンは出来上がった料理を食い入るように見つめた。

ただ焼いたものではなく、肉自体が細かく砕かれているようだ。
そこへみじん切りの玉ねぎや溶いた卵を混ぜて捏ね、丸く形を整えて。
焼けた肉の上には贅沢にもチーズが乗っていた。
じゅわわ、と油の良い音がしている。

カウンター越しにシンタローとモモの料理を見学していたエレンは、かつてアルミンと禁書を広げていた頃をなぜか思い出す。
あの、ワクワクとした堪らない感覚を。
「エレン。そこの棚にあるグラス、4人分並べてくれ」
「はい!」
「モモ、サラダ終わったか?」
「うん! みんなの皿に乗りきらなかったけど…」
「なら余ったやつ、別の皿に入れて出しとけよ。お前かエレンが食うだろ」
「なっ、私そんな大食漢じゃ…」
「サラダで太らねえっての」
「そ、そっか!」
じゃあ食べる! と宣ったモモに、いい加減だなとシンタローは苦笑した。
「よし。エネ、リヴァイ兵長呼んでくれ」
『了解でっす!(^o^ゞ』
エレンと同じく見学組であったエネは、即座にシンタローの電話…スマホと言っていたか…から消える。
(あ…)
グラスを出し終えたエレンは、棚の奥に見覚えのある形を見つけた。
「あ、あの、シンタローさん」
「ん?」
こちらを見た彼に、棚の奥を指差した。
「もしかして、あれってティーポットですか?」
エレンの傍まで寄って棚を覗き込んだシンタローは、久々に見たとばかりに頷く。
「おー、ほんとだ。ティーポットだな」
こんなとこにあったのか…。
手を伸ばし取り出すと、硝子がくすんではいるがヒビは入っていない。
「紅茶の葉っぱなんて、どこにあるんだ…?」
とりあえず、ティーポットを洗った。
「あっ、モモ。それはちょっと違う」
「えっ?」
率先して配膳していたモモは、シンタローに違うと言われて首を傾げた。
「ちゃんとお客さん用のお箸だよ?」
そう、それは合っているのだが。
シンタローは首を横に振る。
「あの世界に箸がない」
「あっ…そっかぁ」
理解したモモは、いそいそとフォークとナイフへ取り替える。
案の定、邪魔になるからと先に座っていたエレンがはてなマークを浮かべていた。
「その2本の棒で、どうやって食べるんですか…?」
見たら分かると伝えたところで、リヴァイが下りてきた。
彼もまたエレンと同じく、並ぶ料理に目を見張る。
「すげぇな…」
カウンター側から向かい合わせに、シンタローとリヴァイ。
シンタローの隣にはモモ、その向かいはエレンだ。
スマホは充電スタンドに嵌められ、モモのすぐ傍に置いてある。
モモがパン、と勢いよく手を合わせた。

「いただきます!」

シンタローはいつも通りおざなりに、エレンとリヴァイはそういうものかとモモの真似をして食事の挨拶。
チーズハンバーグをナイフで切り分け、エレンは怖々と口に運んだ。
「…!!」
黙々と咀嚼して、けれど目は驚きを彩って忙しない。
エレンはお手本のようによく噛んで、飲み込んで、シンタローへと口を開く。
「凄く美味いです…」
「ああ、これは美味い」
同じように、リヴァイもシンタローを見た。
「…なら良かったです」
さすがにこそばゆい。
照れるシンタローの隣で、モモがにこにことしている。
「あんまり作ってくれないけど、お兄ちゃんのハンバーグとオムライス、美味しいんだ〜」
これはチーズが乗ってるから、チーズハンバーグだね!
(お前が作るのよりはな…)
とは思ったが、シンタローは口には出さない。
エレンの視線がこちらの手元に向いているので、今度は何だろうかと首を傾げる。
「…お前ら、器用だな」
代弁したリヴァイにまた首を傾げ、シンタローとモモは顔を見合わせた。
「あ、」
向かいの2人との明確な違いを、今更ながらに認識する。
モモが手を少し上に、見せるように箸先をカチカチと鳴らした。
「もしかして、これですか?」
これは箸って言って、私たちには当たり前なんですよ〜。
「へえ…」
それで豆とか掴むんですか?
そうそう、すごいでしょ!
はい、すごいです!
『あっ、思い出しました!』
暇潰しに出掛けていたエネが、不意にスマホへ現れた。
『チーハン! チーハンですよ、ご主人!』
巨人中学校の!
「あー…」
それか、とシンタローもようやく附に落ちた。
…"進撃の巨人"とチーズハンバーグに、何か関連があった気がしていたのだ。
おかげでもやもやも晴れた。

食べ終わると、エレンとリヴァイが食器を持ち立ち上がった。
曰く、後片付けくらいやらせろ、ということらしい。
「あ、兵長。俺が洗うので、兵長は紅茶を入れてくれませんか?」
「紅茶のセットがあるのか?」
「はい。さっきティーポット見つけて。シンタローさんが茶葉も探してくれました」
缶が4種類出てきたので、説明はエネさんが。
『はい! お任せください!』
まさかの、まさかのリヴァイ兵士長直々の紅茶だというのか。
(なんつー体験だよ…)
ある意味でシンタローが戦々恐々としていると、横からモモがこそりと聞いてきた。
「ねえお兄ちゃん。"兵士長"ってエライの?」
「そうだな。調査兵団ってあったろ、エレンが憧れてた」
「うん」
「あの兵団のNo.2だ」
「えっ!」
うっそぉ、私ヤクザとか言っちゃったし!
兄に続いてモモが戦々恐々としていると、エレンがカップに注がれた紅茶を運んできた。
「お待たせしました」
レッドブラウンの紅茶からは、芳しい香りが立ち上っている。
「…紅茶って、こんな良い香りするんだ」
モモがしみじみと呟くのに、シンタローも同意した。
「俺たちは本当の紅茶を知らなかったんだな…」
『…ご主人、カッコイイこと言っても、ヒキニートじゃカッコつかないですよ』
「うるせえ」
シンタローはエネのツッコミにぐっと詰まった。

「ちょ、ちょっと兵長さん! それ火傷しちゃいますよ?!」
突然モモが声を上げ、何事かと正面を見る。
(うお、マジであの持ち方してるし!)
シンタローとモモの視線は、独特の持ち方でカップを手にしたリヴァイに向いている。
…カップの口を囲うように掴む持ち方は、それなりに指の力が必要だ。
リヴァイのそれを目の当たりにしたモモが慌てるのは道理で、カップの取っ手は熱を伝え易い磁器のあるべき形でもある。
「大丈夫ですよ、モモさん。兵長いつもこうやって持ってますし、兵長の分の紅茶は少し少なめに入れてあるんです」
でも、と言い募るモモを他所に、シンタローはエネと目が合う。

『(ご、ご主人…兵長さんのあの持ち方って確か、取っ手が)』
「(馬鹿! 言うんじゃねぇよ…!)」

シンタローは咄嗟に顔を背けて俯いた。
「お、お兄ちゃん? 大丈夫?」
「だ、大丈夫だ。ちょっと噎せた…だけ…」
その実、吹き出しそうになるのを堪えているだけだと、バレたら即行で削がれるに違いない。
じっとこちらに注がれるリヴァイの視線を、シンタローは必死で避ける努力をした。

まあ、避けられなかったが。
--- ハロー、xxx end.

2014.7.5

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