ウロボロスの翼・双

(繰り返してきた世界に、希望を)




おかしいとは思っていた。
もう何度目か分からぬ、襲撃最中(さなか)のシガンシナ。
エレンの母を助け、ウォール・マリアへと飛んだ眼下。
エレンの叔父が両脇に子どもを抱え、走っている。
そのすぐ後ろを、別の子どもが必死に走っている。
今まで、この場に居合わせる子どもはエレンとミカサだけであったはずだ。
(アルミン・アルレルト、か?)
即座に思い出せる名前を当て嵌めてみる。
「…チッ」
舌打ちをかまし、リヴァイは右に担いだカルラの身体を肩まで抱え上げる。
同時に立体起動の高度を下げ、走る子どもを浚うように左腕に抱え飛び上がった。
「遅ぇんだよ、ガキ!」
抱えた後で、どうやらこれはミカサ・アッカーマンらしいと気が付いた。



*     *     *



立体起動訓練は、森の中で行われる。
アンカーを適切な位置に打ち込み、自身の身体を素早く移動させ、標的へ刃を振り下ろす。
簡略的に説明してしまえば安易に思えるが、これがひたすらに難しい。
訓練兵団の3年という期間は、主にこのためにあると言っても良かった。
何しろ、立体起動装置が扱えなければ兵士として役立たずだ。

見つけた標的の目標箇所へ深く刃を振り抜き、通ってきた箇所を迂回してスタート地点へ戻る。
やや遅れて、ミカサも戻ってきた。
エレンとミカサを前に教官が評価用紙に何事か書き留め、満足げに頷く。
「エレン・イェーガー、ミカサ・アッカーマン。両名とも、相変わらず見事だ」
甲乙付け難いとはこういうことだな。
呟いた教官は2人へ休憩を指示し、さらにこう付け加えた。
「今日は呼び出しがあるだろう。話は通っているから、呼び出しに応じるように」
「はい」
敬礼を返し、エレンはミカサと共に水場へ向かった。
「呼び出しって、また誰か見に来るってことかな」
「そうかもしれない。昨日はピクシス司令が来ていたから」

水場へ辿り着けば、この2年と少しの間で距離の近くなった面々が居た。
「兄さん! ミカサ!」
2人の姿を真っ先に見つけた[エレン]の声に、周りの彼らもこちらを見遣ってくる。
「あれ? お前らも休憩時間か?」
尋ねれば、口をもぐもぐさせるサシャが答えた。
「私たちの班はお2人が最後ですよ!」
相変わらず何を食べているのだろう、やはり芋だろうか?
若干の疑問が湧いたところへ、サシャ、お前何食ってんの? と隣から実際に声が上がった。
声の主は確認するまでもなく[エレン]だ。
(まただ…)
面白いものだと思う。
何度目かに始まった『この世界』で、物理的なイレギュラーとして初めて現れた『双子の弟』。
新緑に相応しい色の眼をした、エレンにとてもよく似た子ども。
双子はどこかシンクロしていると話には聴いたことがあるが、実体験するとはまさか思わない。

僅かな休憩時間を挟み、立体起動によるチーム演習が始まる。
チームワークを重視した立体起動訓練は、自分と仲間、そして標的の位置関係を如何に素早く捉えられるかに掛かってくる。
200名近くいる104期生の場合、誰にでも合わせることが出来るのがエレン、彼が居れば合わせられるのが[エレン]とミカサだった。
そして[エレン]とミカサだけの場合は、そこにアルミンが入れば大抵の局面に対応出来る万能班となる。
ジャンやライナーであれば『合わせる』ではなく『率いる』に近くなり、上位10名はそれぞれに同期の者たちの指針となっていた。

「ミカサ・アッカーマンはいるか?」

ひと通りの標的をクリアし森を出たエレンたちに、見えぬ重さのある声が投げかけられた。
エレンは目を見開く。
(リヴァイ兵長…!)
ざわり、と居合わせた訓練兵たちが動揺する。
…無理も無い。
リヴァイ兵士長といえば、人類最強と名高い調査兵団のエースだ。
加えてこの有無を言わさぬ威圧感であるから、大抵の訓練兵が足を竦ませた。
(普段からああだもんなあ)
約5年ぶりに見たリヴァイの姿に、エレンは内心で苦笑する。
彼の後ろからエルヴィンがやって来たので、先に教官が言っていた勧誘だろう。
不意に後ろからガシリと片腕を掴まれ、エレンは驚いた。
「すっげえ! 本物のリヴァイ兵士長だ…!」
しかもエルヴィン団長まで居る!
腕を掴んだ主である[エレン]が、翠の眼を輝かせて調査兵団のツートップを見つめていた。
ただし、半分程エレンに隠れて。
(兵長が怖いんだな)
察して笑ってしまったエレンに、[エレン]はバツが悪そうに目を逸らす。
「ミカサ・アッカーマンは私ですが」
指名されたミカサが、一歩前へ出て敬礼を返した。
リヴァイの前に出たエルヴィンが頷く。
「調査兵団団長のエルヴィンだ。隣は兵士長のリヴァイ。
少し話をさせて貰っても良いかな?」
「はい」
エルヴィンがミカサを伴い場を離れる。
リヴァイがこちらを見て不思議そうな眼差しをしたことに、エレンは気づいていた。



(驚いたな)
表情には出さないものの、リヴァイは彼にしては結構な振り幅で驚いていた。
さすがに、エレンが2人居るとは思いもしなかった。
だが、これで5年前に浮かんだ疑問が解消される。
…襲撃を受けたシガンシナで、エレンを含めた子どもが『3人』であった理由。
訓練兵団宿舎の傍まで来て、エルヴィンは足を止めミカサを振り返った。
「単刀直入に聞こう。アッカーマン訓練兵は、どの兵団に入る予定かな?」
「エレンの選ぶ兵団へ行きます」
間髪も入れぬ返答に珍しくエルヴィンが瞠目し、リヴァイは内心で嘲笑った。
(そりゃそうだろうな)
しかし何度ミカサに出会っても、彼女はブレない。
「エレン、とはエレン・イェーガー訓練兵のことかい?」
彼女の次に話そうとしている少年だ。
ミカサは肯定を示した後で、正確には、と付け加えた。
「エレンと[エレン]の行く兵団へ行きます」
私が兵士になるのは、あの2人を守るため。
暗にそう告げたミカサに、リヴァイは嘲笑混じりの息を吐いた。
「おいエルヴィン。こいつといくら話しても無意味だぞ」
ムッと眉を寄せたミカサが眦を釣り上げたが、リヴァイの目は先程まで彼女が居た場所へ向けられている。
エルヴィンは肩を竦めた。
「リヴァイ、そう急かすな。訓練を中断させてすまなかったな、アッカーマン訓練兵」
「…いえ」
彼女が何かを言おうとして口篭った様を見て、エルヴィンは続く言葉を抑えた。
ミカサは一度明後日の方へ視線を投げ、そしてリヴァイへ向き直る。
「…5年前、私とカルラさんを助けてくれたのはあなたですよね」
リヴァイ兵士長。
驚いたのはリヴァイよりもエルヴィンだ。
じっとリヴァイを見つめ、ミカサは続ける。
「あなたのおかげで私は生きていて、カルラさんも足は駄目だけれど生きています。
…あなたのおかげで、エレンが笑うようになった」
あんなに嬉しそうに笑うエレンは、初めて見たから。
「だから、ありがとうございました」
深く頭を下げた彼女に、リヴァイはそうか、と返すのみに留めた。
彼が無表情の下で少なかれ動揺していることを察し、エルヴィンは苦笑を押し殺す。
「ありがとう、アッカーマン訓練兵。
エレン・イェーガー訓練兵を呼んで貰えるかな?」
「はい」
敬礼の後、ミカサは訓練場所へ戻る。
その姿を見送りながら、エルヴィンは1人腑に落ちた。
(シガンシナで居なくなったのは、そういうことか)
襲撃直後のシガンシナで、リヴァイは単独行動を取った。
巨人に対する単独行動のデメリットの多さが、身に染み付いているにも関わらず。
だが、リヴァイはこれ以上を語らないだろう。

戻っていったミカサと入れ替わるように、少年がこちらへ駆けてくる。
猫のように丸い目が、溌剌とした印象を与える少年だ。
「エレン・イェーガー訓練兵、参りました」
金色をした眼は珍しい。
エルヴィンはミカサに対したときと変わらぬ態度で切り出す。
「訓練中に済まないね。私は調査兵団団長のエルヴィンだ。
リヴァイのことは…知っていそうだね」
「えっ…と、はい。ミカサが何か?」
頭の回転も悪くないようだ。
エレンはちらりとリヴァイを見てから、エルヴィンへ視線を戻す。
「シガンシナでの話を少し…ね。話してくれたよ」
「そうですか」
金の眼差しが伏せられ、影が表情を隠す。
あまり思い出したい記憶ではないだろう、エルヴィンは早々に話題を本題へ戻した。
「イェーガー訓練兵は、どの兵団に入る予定かな?」
エレンはきょとりと目を瞬き、次いで微笑んだ。
「調査兵団へ」
勧誘に来ておいてなんだが、またも驚いた。
ここまで迷いなく調査兵団への入団を希望する者には、出会ったことがないかもしれない。
「それは我々には喜ばしいことだ。…しかし、珍しいね」
理由を尋ねても?
重ねれば彼は困惑の様子を見せ、開きかけた口を閉じた。
「…あの、あまり大きな声では言えないんですけど」
「もちろん、他言はしないさ」
エルヴィンとリヴァイが何も言わないことを確認して、エレンはそっと言葉を継いだ。

「壁の『外』に、行きたいんです」

氷の大地、炎の水、砂の雪原、そして"海"。
「俺とアルミンとミカサと[エレン]で。4人で世界を冒険するんだって約束してるんです」
未知の世界への憧れを内包した金色は、ステンドグラスのようにキラキラと輝いている。
その輝きを失わずにいて欲しいと、エルヴィンは偽りなく思った。
「良い夢だ。これは早くに巨人を殲滅しなくてはね」
何度巡っても、エルヴィンはエレンの夢を否定しない。
「…ありがとうございます」
それは救いでもあった。
「エルヴィン」
2人の会話をじっと聴いていたリヴァイが、ようやく口を開く。
「5分で良い。こいつと2人で話させろ」
先程のミカサとのやり取りを隣で見ていたエルヴィンは、特に疑問もなく頷いた。
「ああ、構わない。私は先に戻ろう」
君が調査兵団を志願してくれる日が楽しみだ。
そう残して背を向けたエルヴィンを、エレンは敬礼で見送る。

リヴァイの視線がエレンから移り、その視線を追った。
「双子だったのか」
訓練を続ける訓練兵の中に、[エレン]の姿がある。
エレンは首肯した。
「はい。弟です。俺が気づいたときには、もう隣に居ました」
言葉がそこで途切れる。
「ねえ、兵長」
耳に馴染んだ呼び声に、リヴァイは傍らを見遣る。
エレンの眼差しは訓練風景に向いたままだ。
「…俺、今回が限界だと思うんです」
幾度も繰り返した『生』に、心が軋んで悲鳴を上げる。
だからこそ、初めの何も知らなかった頃の己によく似た[エレン]が、眩しくてならない。
「あいつを守れなかったら、きっと俺は壊れます」
緩く笑みを浮かべたエレンを抱き締めたい衝動に駆られ、押さえ込むようにリヴァイは拳を握った。
「…あの能力は、アイツにはあるのか?」
エレンは首を振る。
「ありません。でも、そうである確証もありません」
そこで思い付いたか、エレンはようやくリヴァイと視線を合わせた。
「兵長。公的書類って書き換えられるものですか?」
リヴァイはふ、と息を吐く。
「てめぇの卒団までには何とかしといてやるよ」
お前だけ"外せば"良いんだな?
言外に問われた事柄を履き違えず捉え、エレンはリヴァイへ頭を下げた。
「…お願いします」
そんなことをせずに済む世界なら、良かった。

エレンに背を向け歩き出したリヴァイが、足を止めて振り返る。
「エレンよ」
「はい」
「お前が壊れて狂ったら、暴れ出す前に俺が殺してやる」
はた、と金の眼が見開かれ、リヴァイは面(おもて)には出さず自嘲した。
「だが俺も、お前の居ない世界にはもう興味がねえ」
そろそろ良いだろう、足掻くことを辞めても。

「お前が死ぬというなら、俺も一緒に逝ってやる」

だから精々生き延びろ。
そんな言葉を置いていかれて、エレンが返せる言葉など1つだけだ。
「ありがとう…ございます、リヴァイ兵長…」
浮かんだ笑みは安堵と歓喜。
依存に相違ない戒めであろうと、もはや断ち切ることの出来ない鎖と楔。
(そうだ。これがたぶん『最期』になる)
少しずつ、少しずつ積もり重なってきた"イレギュラー"。
その集大成が、きっと[エレン]なのだ。

過去の自分を投影しているだけかもしれない。
自己投影で自身を騙し、満足しているだけなのかもしれない。
ーーーそれでも。
「[エレン]…お前は、絶対に夢を叶えるんだ」
出来ることなら、己も共に行けたら。
(リヴァイ兵長と一緒に、外の世界を旅出来れば)
去るリヴァイの背へもう一度敬礼を送り、エレンもその場を後にする。

幾度も自身を、リヴァイを失い繰り返してきたエレンにとって、『共に』こそが実現不可能な未来に思えた。



アルミンは訓練を中断しエレンを見つめる[エレン]に、首を傾げる。
「[エレン]?」
彼は振り返らない。
[エレン]の眼差しは、リヴァイに敬礼を送ったエレンから動かなかった。
「…なあ、アルミン」
遠近にある双子の幼馴染を見つめてから、アルミンは[エレン]を見上げる。
「オレさ、時々…兄さんがすっげぇ遠くに見えるんだ」
隣にいるのに、まるで蜃気楼のようにそこに居ないのでは思ってしまう。
そんなときのエレンは、決まってここではないどこかを見ていて。
離れた場所でリヴァイと話していたエレンは、そのときの彼とそっくりだった。
ただ、違ったのは。
(あんなに安心したみたいに笑ってるの、初めて見た)
エレンを見つめる[エレン]の表情が悔しげに歪んでいることを、当人は知らないのだろう。
アルミンは[エレン]を見上げたまま、そっと胸中で呟く。
(うん。知ってるよ、[エレン]。君も僕もミカサも、いつだってエレンに守られていたけれど)
声がするのだ。
『エレンを守れ』と、『今度こそ守れ』と、頭の中、胸の奥、心の奥底で、魂が叫ぶ。
それが何かは分からない。
けれどその"声"は、アルミンとミカサが、幼い頃からずっと聴いている自分自身の声だった。
(自分の知らない自分の声が、『エレンを守れ』って言ってるんだ)
何からどう守れば良いのか、それすらも分からない。
でもやっぱり守りたいことに変わりはなくて、ミカサと[エレン]と3人でよく話していたことがある。
「[エレン]」
アルミンは[エレン]を呼び、ようやく彼の視線がこちらを向いた。
言葉にならない渦巻く思いを飲み込む翡翠に、アルミンは微笑む。

「大丈夫さ。僕とミカサと[エレン]が居れば、何だって出来る」

親友の力強い声に、[エレン]は根拠もなく自信が湧いた。
「ああ。そうだな」
守られてばかりだけれど、守ることだって出来るはず。
だって、
(オレだけじゃない。ミカサとアルミンも居るんだから)
この両手に出来ることならば、何だってやってやる。
(兄さんを、守るためなら)



*     *     *



円環に芽生えた『翼』を、拾いに行こう。

みんな一緒なのだから、きっと…きっと届くはず。
--- ウロボロスの翼・双 end.

2013.7.14

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