More than Words

(この忠誠は、言葉では足りない)




ふわ、と意識が浮上する。
埃っぽい空気と湿っぽい感触、それから薄暗い視界。
じくじくと熱さを訴える下肢の感覚に、エレンは意識を飛ばす前のことを思い出した。

ここは放棄されて長い、ウォール・マリアだ。
マリアの地の、何処とも知らない教会の寄宿舎。

あふ、と小さな欠伸を溢し、エレンは重たい身体を持ち上げる。
服はきっちりと着せられていて、不快な感じもまったくない。
(律儀というか、マメというか)
ぼんやりとベッドの端に座り込んでいると、元からあった明かりの中に人影と気配が入り込んだ。
「目が覚めたか」
こんな、綺麗だなんてとても言えない場所で身体を重ねるなんて、本来ならどうしたってあり得ない。
それでも、想いが先行した。
もたげる不安に押し潰されないように。
エレンが無意識の内に伸ばした手を取り、リヴァイはその指先に軽く口付ける。
「あと15分もすりゃ、迎えが来る」
「迎え?」
「ああ。だから寝ていて良い」
ベッドに片足を乗せたリヴァイが、上から見下ろす形となったエレンの額へ音を立てて口づける。
額の次は瞼の上に。
…リヴァイはキスが好きだな、とエレンは思う。
まるで安心させるよう、起きているときはこんな風に。
事に及んだ後なら、エレンの意識が朦朧としているときに。
(あれ?)
気のせいではないよな、とエレンは目の前にある銀灰の眼を見上げた。
「リヴァイってよく俺にキスするけど、足にキスする回数の方が多いよな」
今回のように意識を飛ばしてしまった場合は判らないが、夜なんて特にそうだ。
身体を重ねようがなかろうが、素足を恭しく持ち上げられて口づけられる。
それはリヴァイのおかげで美しく整えられていた爪先に、足の甲に、脛に。
純粋に疑問として尋ねたエレンに、リヴァイは驚くと同時に呆れるという器用な様を見せた。
「なんだ、てめぇは知らねえのか」
「何が?」
「キスはする場所で意味が違うんだよ」
例えば、とまた額にキスが落とされる。
「額にキスなら友愛」
米神に添えられていたリヴァイの掌が、する、とエレンの頬をなぞる。
「頬なら親愛、耳なら誘惑」
硬い指先が耳の形を確かめるように触れて、エレンは悪寒以外の感覚に身体を震わせた。
その姿に気を良くしたか、リヴァイの表情が僅かに緩む。
彼はそのまま、親指でエレンの唇に触れた。
「唇なら愛情」
ふにふにと柔らかさを堪能するかのように触れられて、エレンはちろりと舌を出すと触れる指先を舐めた。
途端、リヴァイの眉間が苦々しく寄る。
「…煽るんじゃねえ」
今の何処に煽る要素があったのか、エレンには分からない。
首を傾げたエレンに溜め息のようなものを吐いて、リヴァイは顔に触れていた手を離した。
「で、てめぇの言った足だが」
「っ?!」
腿とその内側を撫で上げられ、今度こそエレンの身体が強張った。
(絶対さっきの仕返しだ…!)
証拠に、含み笑いが微かに聴こえた。
むくれるエレンを宥めるように、唇が合わさる。
「腿なら支配。まあ、ここはてめぇを抱いてるときくらいだがな」
素面の状態で正面切って言われると、はっきり言って恥ずかしい。
返す言葉もなく、エレンは自身の手の甲で口許を隠した。
(顔が熱い…)
リヴァイの手は腿から膝へ滑り、上げろと即しているようなのでエレンは求められるままベッドに片膝を立てた。
下げられていた銀灰がついと細められ、エレンを捉える。

「脛なら服従」

ぱち、と金色が瞬かれる。
驚きを映した目を視界に入れて、リヴァイの口元が笑みを刻んだ。
(良い顔をする)
彼の指先はエレンの脛を下り、つつ、と足の甲を撫でた。

「足の甲なら隷属」

ぞわ、と背筋が粟立ち、エレンは膝を掴む手に力を込めた。
同時にざわり、と周囲の空気が封じられたように動きを止める。
(この『目』だ)
エレンに触れる指の先から、歓喜に近い何かが這い上がってくる。
リヴァイは努めて冷静に、最後の口づけ場所を音に紡いだ。

「爪先なら、崇拝」

金色の、ナイフの切っ先のように鋭く尖る瞳は、本人の意思に関わらず見定めてくる。
真意を、本性を。
エレンは"dimidium(ディーミディウム)"の中でも特異な者が集まる街において、特筆しているのは『魔物に好かれる』点だけである。
それはカリスマ性が備わっているわけでも、ヒーロー的要素が入るわけでも無い。
共通するのは『人を惹く』、それだけだ。
…だがリヴァイは知っている。
エレンの本質が、そんな生易しいものではないことを。
だからこそ、リヴァイはエレンを選んだのだ。

愛を紡ぐことと同じ温度で、絶対的忠誠を捧ぐ。
『Gryps(グリュプス)』歴代の王をも凌ぐ者の最上の敬仰、本来ならば誰も受けることの無い、それ。
それをエレンは笑って受け止めた。
喜色も、愉悦も、惑いも、怖れも。
何ひとつ見せずに、その敬仰が当然であるのだとエレンは微笑う。
…うっそりと、それは蜜のように甘やかに。

エレンはリヴァイの頬をゆるりと両手で包み込み、そぅ、と口づけた。
触れるだけ、けれど何よりも熱のある、誓約のようなそれ。
(ああ、)
あまりにも甘美な、そして抗えぬ程の魅力の凝固。
ーーーエレンが内側に棲まわせ他者へと掻き立てさせる、庇護欲という名の化け物。
守らなければと思わせる誘引とは即ち、従わなければと思わせるものと何が違うのか。
いっそ残酷なまでに凶悪な支配性、そう説明しても過言ではない。
(お前は、綺麗だな)
余すこと無く見せつけながら、こんなときのエレンは何も言いはしない。
リヴァイに与えられる口づけが、言葉の代わりにすべてを物語る。
「エレン」
名を呼べば、先を即すように金の眼差しが眇められる。
己の頬を包む手の片方を外させて、リヴァイはその手の甲へ、そして掌へと口づけた。
「俺の心臓はお前のもんだ。…二度と、こんな好き勝手はさせねえ」
穿たれた"Ars magna(アルス・マグナ)"のことを指すと気づいたエレンが、クスクスと軽やかに笑った。
「俺を捜すためだったんだろ? だから、別に良いよ」
『魔物』にとっての生命力たる魔力が、結晶となり血肉を支える心の臓。
エレンは"術師"ではない。
ゆえにリヴァイに掛けられた"Ars magna"を、エレンは解くことが出来ない。
…本来なら。
(リヴァイの心臓は、俺のものだ)
リヴァイがエレンに心臓を捧げることとなった、切っ掛けがある。
彼の心臓はそのとき、文字通りエレンに捧げられていた。

あの、鏡面のようにあらゆる光を反射する、美しい結晶は。



『Gryps』としての聴覚が、リヴァイの耳に迎えの到着を知らせる。
リヴァイはベッドに座るエレンの腰を引き寄せ、抱き上げた。
「迎え?」
「ああ」
埃の蒸す部屋から外へ連れ出されて、肌寒さにエレンはリヴァイの首元へしがみつく。
彼の耳もまた、遠くから響いてくる足音を捉えた。
(この、足音…)
顔を上げ、寄宿舎の庇屋根からリヴァイの見つめる方向へ目を凝らす。
ズン、ズン、と近づいてくる足音に、見えてくる巨大な影。
今のエレンになら、もう判る。
あの影が、影の操り主が、やって来る者たちが。

「エレン!」

3階建ての寄宿舎よりも見上げる巨体、エレンが出現させた『TITAN』とは別の『TITAN』。
女の姿を取ったそれは、エレンの兄弟に等しい者が召喚する『魔物』。
女型の『TITAN』はエレンを抱えるリヴァイの目の前で立ち止まり、大きな手を自分の肩から彼らの目の前へと差し出した。
「エレン!!」
抱えるリヴァイごと抱き締めるように飛びついてきたのは、訓練兵団でも仲の良かった1人。
「アニ…!」
「エレン、ごめん、ごめん…隣に居たのに気づけなかった! 本当にごめん…っ!!」
叫ぶように謝罪を繰り返したのは、同じ104期生のアニ・レオンハート。
女型の『TITAN』はあと2人、彼女と同じように掌でエレンの前へと飛び移らせた。
「僕たちも、同じだ。ごめん、エレン」
気づけなかったばかりに、あんな目に遭わせてしまった。
切なげに眼差しを伏せたのは、ベルトルト・フーバー。
「すまん、エレン。おまけに、リヴァイさんの手まで煩わせてしまった」
「…構わん。初めに気づくべきだった俺が、この体たらくだ」
ざまあねえ、と自嘲したリヴァイに、ライナー・ブラウンは少しだけホッとしたように息を吐いた。
「けど、何でアニたちは気づけたんだ?」
俺はリヴァイに直接会うまで思い出せなかったのに。
エレンは首を傾げ、アニは彼を抱き締めていた身体を離す。
「『Grypsの咆哮』だよ。あれが聴こえて、全部思い出したんだ」
まるで鏡が割れるみたいにね。
自分を抱き上げているリヴァイを見下ろせば、見上げてきた銀灰が頷いた。
「このザマで言うのもなんだが、"護り"は『Gryps』の本分だ。
俺がお前を見つけられなかったことも含めて、"仕掛けられて"んじゃねえかと思ってな」
"護り"を妨げる呪言と障壁を、物理的に消滅させる。
あの咆哮は、審議所を破壊するためだけではなかったのか。
「じゃあ、ミカサとアルミンも…?」
「うん。僕らよりも大分遅れてしまうけど」
ベルトルトがウォール・ローゼの方角へ目を遣り、エレンを安心させるように答える。
何か考えていたらしいリヴァイが、エレンをそっと下へ降ろした。
「エレン、"ファクシィ"を喚べ」
「え?」
"ファクシィ"はエレンが召喚する魔物で、2頭の馬の総称である。
白い馬の魔物は"スキンファクシ"、黒い馬の魔物は"フリームファクシ"、どちらも空を翔ける魔物だ。
この2頭を喚べることも、『TITAN』と同じく兵団の情報としては登録されていない。
「俺が自分で翔ぶか喚ぶかすると、魔力の痕跡が残って面倒だからな」
お前らはそのまま、アニの『TITAN』で行け。
リヴァイの指示に彼らも否など無く、女型の『TITAN』は再び3人を肩に乗せる。
エレンはリヴァイが1歩離れたことを確認し、法陣を描いた。

召喚法陣は、扉の要領で空(くう)に出現する。
喚び出す『魔物』が巨大であるほど、また数が多いほど消費される魔力も増大し、召喚者の魔力量がモノを言った。
また法陣に描かれる紋様は、召喚する『魔物』の知能の高さに比例する。
『TITAN』を喚ぼうとするならば、『TITAN』の背丈以上の法陣を描く必要がある。
…自身の背丈よりも大きく複雑な法陣を、同時に2つ。
それはエレンが持つ魔力量と、召喚者としての技量の高さを暗に示すものだ。

金色に輝いた法陣から、白と黒が飛び出し勢いを殺さず宙を翔けた。
"それら"は建物の上空を1周し、エレンの前へ戻ると足を止める。
2頭の魔物に両側から頬ずりされて、エレンは擽ったいと笑った。
「ひっさしぶりだな、2人共。…ああ、判ってる。とりあえず、街まで頼むな」
何らかの会話を為して、白のスキンファクシはエレンの前に、黒のフリームファクシはリヴァイの隣へと移動する。
いつの間にか、"彼ら"の体躯には馬具が備え付けられていた。
「ああ、ちょっと待て」
フリームファクシに声を掛けたリヴァイが、『Gryps』の翼だけを顕現させた。
それだけで周囲に風が渦巻く。
リヴァイは翼から2枚の羽を抜き取ると翼を仕舞い、フリームファクシの背に跨った。
同様にスキンファクシへ騎乗したエレンの疑問の眼差しに、彼は手元の羽へ息を吹きかけることで答えてやる。
「アルミンが来るなら、"保険"の用意が出来る」
交差した2枚の羽が1羽の鳥を象り、ウォール・ローゼの方角へと飛び去って行った。

2頭の馬の嘶きが上がる。

リヴァイは再度走り出した女型の『TITAN』へ声を投げた。
「アニ、無理はするな。途中でライナーに替われ」
「はい」
女型の『TITAN』を追い越し、リヴァイとフリームファクシが空を翔ける。
そのやや後ろを、エレンとスキンファクシが追い掛けた。
(やっと、帰れる!)

あの街へ、自分たちの故郷へ!





--- end.

2013.11.4(歪んだ球体/言葉より)

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