灯、あるいは
(光とて永久(とわ)ではない)
もう夜も深い。
自室である地下室へ向かっていたエレンは、ふと外の明るさに目を眇めた。
(今日、確か月は出てなかったはず…)
持っていたランタンを片付けるのを止め、外へ出る。
手にしたランタンを掲げても、この古城の周辺は夜が濃い。
ほんの数mも照らせない中で空を見上げれば、無数に集まった星々が白い輝きの川を象っていた。
「う、わぁ…」
ずっと幼いころに、見たことがあるかもしれない。
庭ではなく屋上に出れば良かった、と少しだけ後悔する。
「…?」
こつん、と微かな音を聴いたような気がして、エレンは空を見上げる視線を手元へ戻す。
ランタンの光源を覆う硝子に、またこつんとぶつかる音。
(蛾か…)
ふわふわと舞う白い蛾が、ランタンに近づいてはぶつかり、またぶつかり、を繰り返していた。
ランタンを持つ手を左右に動かせば、蛾も灯りに沿って飛んでくる。
もし、これがランタンではなく火であったら。
あっという間に、この小さな生き物は燃えるのだろう。
ランタンの光源を覆う硝子がなければ、火傷をしながらやはり燃え尽きるのだろう。
(それって、)
なんだか、自分のことみたいだ。
外からの明かりが動いたような気がして、リヴァイは自室を出ようと踏み出した足を止めた。
僅かに開いていたカーテンを捲り、外を見る。
(…エレン?)
はたして眼下に見つけたのは不審人物ではなく、この時間は地下室に居るはずの部下の姿。
空を見上げていたと思ったら、その視線が掲げるランタンへ落とされる。
エレンの表情は窺えない。
ぼんやりとした明かりに照らされるエレンの姿は、どこか夜闇に溶けても違和感なく見失う気がした。
リヴァイは窓辺に置いていたランタンを手に、外へ出る。
いつの間にか、ランタンの周りを舞う蛾は2匹に増えた。
このままここに立っていれば、また増えるのだろう。
ランタンの明かりにふわふわと映る影は、揺らめく炎を見ているかのよう。
エレンはただじっと、ランタンと周りを飛ぶ蛾を見つめていた。
何をやっているのか。
就寝時の薄着のまま庭に突っ立っているエレンに、眉を寄せる。
しかし声を投げようとしたリヴァイは、喉まで出ていた言葉を飲み込んだ。
エレンが手にしたランタンの周囲には、ひらひらと3匹の蛾が飛び交っている。
蛾の影で揺らぐ明かりが金色であるはずの瞳に映り込み、大きな眼に影を入れ込み揺らめかせる。
じ、っとランタンを見つめるエレンからは昼間の喧騒が消え去り、そこには静だけが共に在る。
無意識に彼へ伸ばそうとしていた自身の手を見つけて、リヴァイは吐息だけで嘲笑った。
(まるで、俺が蛾みてぇだな)
引かれる。
惹かれる。
意思を灼かれる。
誰の意思にも屈服しない、意志の化け物に。
「…何が見える?」
エレンは弾かれたように顔を上げた。
声の上がった方を見遣れば、同じようにランタンを手にしたリヴァイが居る。
「お前が見ていたその明かりには、何が見える?」
問われ、エレンは手元へ視線を戻した。
(何が見える…?)
あるのはランタンの明かりと、そこに寄る蛾。
「…特に、何も」
ただ、俺みたいだなあ、と。
エレンはそれきり黙ってしまい、静寂が戻る。
手にしたランタンを何に例えたのか、答える気は無いようだった。
リヴァイは自身が手にするランタンの明かりを落とす。
ふっ、と視野から消えた光源に、エレンが顔を向けた。
「兵長?」
唯一の明かりに照らし出された幼い表情は、化け物の欠片も見せはしない。
「…お前みてぇだな」
「え?」
足音もなくエレンへ近づいたリヴァイが、片手を伸ばしてくる。
その手が害するためではないと知っているエレンは、黙ってそれを受け入れた。
エレンの頬に触れたものとは逆の手が、ランタンを持つ手に滑りくる。
「この明かりが」
暗闇の中に生まれた、ひとつの光。
我武者羅に闇の中を駆け抜けてきた者たちが、初めて見つけた道標。
「…それは、」
リヴァイのことではないのか、と。
疑問を映す金色は、言葉がなくとも雄弁に語る。
リヴァイは今度こそ自嘲した。
「違う。否定はしねえが、俺の場合は『今まで』積んできたもんがある。
何もねえ新兵のお前とは違う」
例え巨人となる力が無かったとしても、エレンはこのランタンと同じだ。
…トロスト区襲撃の前、卒団式でエレンの言葉を聴いた者たちが。
少なくはない数の者たちが調査兵団を視野に入れていたと聞いて、確信を持った。
(こいつは人を引く。良くも悪くも)
強い意志に輝く大きな眼の苛烈さも相まって、印象に残る。
唐突にカチ、とランタンの絞りが回され、明かりが消えた。
「あの、へいちょ…っ」
暗闇に乗じて、リヴァイは戸惑うエレンへ口づける。
不意打ちに反射で逃げようとした彼の後頭部へ手を回し、逃げられぬよう固定してしまう。
薄く開いていた柔い唇に、舌を捩じ込んだ。
「んっ…、ふ…ぁ」
今度は星明かりを取り込んだらしい金色が、闇に浮かぶ。
だが見失うことなど無いと、根拠のない安心感を醸し出すものほど呆気無く消えてしまう。
人の命など、蝋燭の火のように。
「…は、ぁ…んん…」
金の眼がゆら、と情欲の色を灯した。
ついでに恨めしげな眼差しに変わったそれを一瞥し、リヴァイは唇を解放する。
「エレンよ。今日は俺の部屋で寝ろ」
あまりにあからさまな誘い文句だが、エレンが否やと返すことはない。
リヴァイはエレンの手を引き歩き出し、対するエレンも大人しく着いて行く。
すでに目は闇に慣れ、ランタンはお役御免らしい。
「…ーーー」
古城の扉に手を掛けたリヴァイが、何かを言ったような気がした。
エレンは彼の背に問い掛ける。
「兵長、何か言いました?」
「…いや」
それきりリヴァイは何も言わず、エレンも再度問おうなどとは思わなかった。
ただ、手を掴んでくる指先に力が篭ったような、そんな気がしただけで。
(お前は、消えてくれるな)
夜の帳は、未だ上がらず。
--- 灯、あるいは end.
2013.11.1
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