みえる、みえない

(社会科見学で上野に来たらしいよ)




ほんの少しだけ、喧騒が遠くなった。

「すっげえ人だったな〜駅んとこ」
「ああ。何か、駅から出るだけで疲れた」
背後の西郷隆盛像を見上げながら、ジャンとコニーはそんな会話をしていた。
「おい、ミカサとサシャとヒストリアが居ねーぞ?」
班行動を指定された中、そのメンバーが足りない。
周りを見回すジャンへ、エレンはここまで上ってきた階段をドリンクを持つ手の指先で示した。
「さっきコンビニ入ってったぞ」
中学生活最後の社会科見学、行き先は都内でも有数の美術館を抱える上野である。
エレンはもう片方の手でスマホを弄り、溜め息を烏龍茶と一緒に飲み込んだ。
「俺、美術館より動物園行きたい」
「テメーは女子か?!」
「仕方ねぇだろ、好きなんだから!」
「お前ら、オレを挟むなよ!」
例によって言い合いに発展したエレンとジャンに挟まれ、コニーがうんざりと肩を落とす。

「あ、戻ってきたぜ」
コニーの声に、エレンへ掴み掛かろうとしていたジャンの腕が止まった。
その伸び掛けた腕を見て、ミカサの視線がきゅっと細められる。
「ジャン、何をしようとしたの…?」
「い、いや、何でもねえ…」
無言の圧力がジャンの首を締める!
ミカサはふい、と視線をエレンへ移した。
「エレン」
そうして彼女はこれ、と両手に持ったドリンクの片方を押し付けた。
「お前…俺が買ったの見てただろーが」
「見てた。足りないだろうと思って」
「お前なぁ…」
俺はお前の弟でも恋人でもねぇんだよ!
またいつもの口喧嘩(未遂)の横で、フライドポテトを頬張るサシャは幸せそうだ。
「ヒストリア、どうしたんですか?」
さっきから溜め息ばっかりですよ?
首を傾げたサシャに顔を覗き込まれ、ヒストリアは彼女をちらりと見返した。
「ほっといて」
ちなみにサシャは訊いた次の瞬間から、また思考がフライドポテトでいっぱいになっている。
どうせ聞いていない。
(言われなくても、知ってる)

物憂げな学校一の美少女を、クラスメイトや同級生たちが見ている。
とうに慣れているヒストリアは、わざわざそれを確認するようなことはしない。
それに、視線は自分だけに注がれているわけではないのだから。

「おい、ヒストリア。体調悪いのか?」

存外すぐ傍で声がして、ヒストリアは内心で驚いた。
顔を上げると、ミカサに押し切られたらしいドリンクと自分のドリンクを両手に持つエレンが居る。
ヒストリアは眼差しを伏せ、首を横に振った。
「…別に。そんなに楽しくないだけ」
「あ、そ。お前、ユミルが留学してから溜め息ばっか吐いてるもんな」
溜め息聞いたらこっちも疲れるから止めろってのに。
エレンはまだ残っている自分のドリンクをざかざかと振り、残り具合を確かめた。
「……」
この時点でもう、そこまでこちらに興味があるわけではなさそうだ。
こっそりとエレンへ視線を戻し、ヒストリアはその横顔を盗み見る。
(エレンは、変わってる)
ヒストリア…ヒストリア・レイス。
2年生のときに転校してきて、皆が連綿と続いてきた『レイス』という一族の名前に萎縮した。
そして己が、誰もがよく知る童話の姫の名前で呼ばれていることを知っている。
(実際の私は、清楚でも優しくもない)
けれど、エレンだけは初めから違った。

『つまんねー顔してんな、お前』

隣の席になったヒストリアを見て、彼は眇めた目をしてそう言った。
そして興味を失い、こちらから視線を外した。
その後も、次の日もずっと、気にする素振りさえなく。
逆にヒストリアがエレンを気にする羽目になって、立ち上った下世話な噂は今でも続いている。

「おい、お前ら。集合の合図が聞こえなかったのか?」

一段と低い声に、周りの空気がピッと尖った。
「リヴァイ先生?!」
ミカサ以外が背筋を伸ばした相手は、背は低くとも威圧感で腰を折らせる。
学校に唯一の『特進クラス』、エレンたちが属するその担任だ。
言われてようやく目的地を思い出した彼らに、リヴァイは呆れを共に言葉を零す。
「他のクラスはもう行ったぞ。…ったく、」
今年の特進は、我が強すぎて手に負えねえ。
先に歩き出したジャンたちの後を追おうとして、エレンはこてんと首を傾げた。
「? 先生って、いつも特進の担任じゃなかったですっけ」
ハンジ先生が、特進は毎年変人が集まって面白いって言ってましたけど。
「まあ、間違っちゃいねえがな。お前らは変人っつーより、灰汁が強すぎんだよ」
ふぅん? と傾げた首を戻し、エレンは思い出したように片方のドリンクをリヴァイへ差し出した。
「リヴァイ先生、これ飲みません?」
自分で買ったやつ、まだ半分くらい残ってて。
「ミカサがおせっかいで買ってきたやつ飲まなきゃダメなんで」
ああ、とヒストリアは思う。
(デリカシー無いのに、こういうところは気が利くんだもの)
やっぱり、エレンは変わっている。
ヒストリアは改めて確信しながら、リヴァイの反応を窺った。
同じ班であるジャンたちも足を止めこちらを見ているが、胸の内はヒストリアと同じだろう。
(リヴァイ先生は、潔癖症だから)
人が一度口をつけたものを、受け取るわけがない。
しかし自明の理であるはずのそれは、リヴァイ自身が覆した。
「炭酸飲料じゃねえだろうな?」
「ただの烏龍茶ですよ」
「…なら良い」
エレンが初めから手にしていたドリンクを受け取り、彼は口をつけた。
「……」
あ、ジャンとコニーがこの世の終わりのような顔をしている。
「おら、さっさと歩け。レポートの提出はお前らの義務だからな」
急かされ、ようやく足が踏み出された。

エレンの学ランの裾を、くい、と何かが引っ張る。
「ヒストリア? 何だよ?」
エレンの関心を確実に引いたことで、ヒストリアにはミカサから鋭い視線が飛んできた。
が、知ったことじゃない。
「手」
「え?」
「手、繋いで」
何も、これが初めてではない。
だからこそ、学内で下世話な噂が消えないのだ。
今度はエレンが溜め息を吐く。
「お前もさぁ…なんつーか、甘えたがりだよな」
まるで妹に対するように仕方なく差し出された手を、当然のように握り返した。
「エレンが悪い」
「何で」
「何でも」
楽しくなければ、笑わなくて良い。
暴言を吐きたいのなら、それでも良い。
自分自身のことは、ユミルが認めてくれた。
(エレンは、)
装うことも取り繕うこともない自分を、ただ見てくれるから。

「…何だ。お前ら付き合ってたのか」
「付き合ってないよ。先生が一番良く知ってるじゃないですか」
最後尾のエレンとヒストリアの脇を、ここでは保護者代わりのリヴァイが歩く。
この教師が2年生の3学期から煙草を辞めている理由を、ヒストリアは人知れず理解していた。
(警察に捕まればいいのに)

でもきっと。
そうしないのは、惹かれるモノが同じだから。
--- みえる、みえない end.

2014.11.23

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