愛しき駒よ

(2.その男は、国の中枢に居る)




あの金色に、自分の姿を映してやりたい。
そう願った15歳のリヴァイに、結果が訪れたのは5年後のこと。

「おい、チビ」
「ぁあ?」
明らかな蔑称にリヴァイが振り返れば、エレン・イェーガー直属部隊の先鋒、ミカサが階段を下りてきた。
「…この根暗女。何だ?」
彼女はリヴァイから見て正しく上官であり先輩であるが、これまた明らかな不敬罪は咎められない。
ミカサはじっとリヴァイを見つめ、ようやく口を開いた。
「私は急遽、ヒストリアの警護へ向かわなくてはならない。ので、エレンの警護についてほしい」
リヴァイは片眉を上げた。
「…てめえが俺に頼みごととは、明日は槍が降るか?」
ミカサはリヴァイを嫌っている。
同じく、リヴァイもミカサが嫌いだ。
案の定、ミカサは嫌そうな表情を隠しもしなかった。
「時間がない。ので、最初に会ったヤツが相応の実力者であれば頼もうと思っていた」
そうでなければ、チビには頼まない。
悪びれもなく言ってのける彼女に眉間の皺が深く刻まれるが、せっかくのご指名だ。
「他には誰がいる?」
「ジャン。彼は執務室には入らない」
それだけを告げ、ミカサはその場を去った。
リヴァイは舌打ちをひとつ残してから、ミカサの下りてきた階段を上がる。

リヴァイがエレンの直属部隊へ配属されるまでの間に、彼は軍部最高司令にまで伸し上がった。
どうやら直系のヒストリアよりも彼を次期王へ推す派閥が強いようで、この国の政治面への影響はすでに出ている。
当人はヒストリアを女王へ据える気満々のようだし、ことを荒立てエレンの低い沸点に油を注ぐ度胸はどちらも持っていない。
(それに、もう)
どちらが王座に継いたって、大した問題ではなくなった。

エレン・イェーガーの執務室のある階は、基本的に彼の補佐と護衛や関係者で占められる。
執務室の前にはエレンと同い年であり悪友であるジャンがおり、彼はリヴァイを見るなり鬼でも見たような顔をした。
「おいおいミカサ…リヴァイに頼んだのかよ?」
そりゃあ、信じられるものではないだろう。
リヴァイがエレンの目に留まることとなった一件を知る者からすれば。
「思い切り顔をしかめられたがな」
事実を言ってやると、ジャンは苦いものを飲んだような顔になった。
「…まあいいか。俺はここに居るから、お前は中を頼む」
「ああ」
ジャンはエレンと気心の知れた仲と言えるが、如何せん彼らは些細な点からの言い争いが絶えない。
まさしく売り言葉に買い言葉で、しかもお互い条件反射らしく手に負えない。
ゆえに彼は、エレンの執務室には入らないようにしている。
有事の際の連携は見事の一言だが。

エレンの護衛は外で1人、中で1人が担う。
リヴァイはノックの後の小さな返事を聞き取り、部屋へ入る。
侵入者を判別するための衝立を回り込めば、シンプルな調度のみが存在する飾り気のない部屋があった。

兵士であるリヴァイにとってもっとも上位であり身近である存在が、静かにペンを走らせている。
「ミカサがリヴァイ呼ぶなんて珍しいな」
相手はちらとも顔を上げていないが、この部屋の扉付近は入ってきた人間が衝立に隠れた鏡に映る仕組みだ。
そのため、リヴァイであることは彼も承知済み。
けれどリヴァイは、その目がこちらを見ないことに眉根を寄せた。
護衛に与えられている立ち位置から、足を忍ばせ部屋の奥へ。
「エレン」
「何だ?」
ペンが紙を滑る音は止まない。
また一歩、近づく。
「エレン」
「だから何だ?」
最後の署名を書き終えたのか、ペンの音が止まり紙を捲る音がした。
それでもまだ、彼の目はこちらを向かない。

たった今処理を終えた書類を処理済み用の書類箱へ入れ、エレンは次の書類を取ろうと未処理の箱へ手を伸ばす。
「エレン」
その手を、存外近くまで来ていたらしい部下が無遠慮に掴んだ。
「…リヴァイ」
金色がようやくリヴァイの姿を映し、不愉快そうに細められた。
「職務が止まる」
そんなことは百も承知だ。
「本当に駄目なら、俺をここまで近づかせたりしねぇだろうが」
リヴァイは強い。
おそらく、大陸最強と謳われるミカサと並ぶくらいには。
…その彼女やリヴァイを、力ではなく存在で御すことの出来る者。
それがこの男だった。
リヴァイが掴む腕は、彼に比べれば白く細い。
けれど剣を持つ武人の指をしており、その対比に否応なく視線が惹かれる。
逆の手に握られていた羽ペンがインク壺に差し込まれるのを見計らい、リヴァイは掴んだ指先へ唇を寄せた。

「なあ、エレンよ。俺は今日、誕生日だ」

訝しげな眼差しがつい先ほど処理した書類へ向けられ、日付が確かに12月25日であることを認める。
「そうだな」
人の前に出ることを仕事とするためか美しく整えられた爪先を、触れた唇の先で撫でた。
「俺にプレゼントはねぇのか?」
指先から唇を離さぬまま、リヴァイは問う。
ここで初めて、エレンの口角が上がった。
「上官に強請(ねだ)るもんじゃねーだろ」
されるがままであった指先が、つぷりとリヴァイの唇を割って差し込まれる。
「んっ…」
粘膜に比べれば断然冷たい指先を、丹念に舐めた。
ピチャリ、と場にそぐわぬ水音が響く。
「まあ、でも」
エレンが隣の指も同じように差し込んでやれば、喉の奥がくぅと鳴った。
「俺が応えることはあり得ないと知っていてなお、口説いてくるのは称賛の域だ」
2本の指でぬるりと動く舌を愛撫してやると、人を射抜く銀灰の目が心地良さげに眇められる。
まるで、撫でられて喜ぶ犬のようだ。

今、リヴァイの舌を撫でている指が、戦場で指揮を執る。
この指先が人という名の駒を動かし、敵を死に至らしめる。
(やべぇ、勃ちそうだ)
夢中で嘗めていた指先が舌を掴み、引き摺り出した。
金色が愉しげに弓なりを描く。
「職務中だ。こんなとこでおっ勃てんなよ?」
つ、と糸を引いて、指先がリヴァイから離れた。
その薬指に光る存在は、現国王でさえどうにもならない事実の証人。

ローゼ・マリア国第一王女ヒストリアと、軍部最高司令官エレン・イェーガー。
彼らは2年前に婚姻を果たした。
周囲が諸手を挙げて賛同していた婚約者、おまけにどちらが王座に着いても、軍部と政治家が対立することは無い。
唾液でぬめる指先が、リヴァイの唇を撫でた。

「俺が与えた誕生日だけでは、不満か?」

エレン・イェーガー襲撃事件。
数あるものの中でも、リヴァイが関わったものは極めて悪質で手の込んだものであった。
彼を救う立役者的位置となったリヴァイには、後にエレン本人から恩賞が与えられることになる。
そこで何が欲しい? と問われたリヴァイは、こう望んだ。

『誕生日が欲しい』と。

無法地帯で産まれ育ってきた身の上に、自身の年齢さえ知らぬ者は多い。
成り行きで軍に籍を置くことになったリヴァイもまた、例に漏れなかった。
そういう人間は大抵が1月に仮置きで誕生日を据え置かれ、後で自分で適当な日にちに変えるのが常。
ハンジなどはそれだと言っていたか。
だからあの日まで、リヴァイの誕生日は1月1日にあった。
『自分で決めていないのか?』
『あんたに決めてほしい』
『…不遜な物言いは許すけどな。理由は?』
問われて返したリヴァイの答えは、ひたすらに正直だった。

『あんたが欲しいから』

エレン第一主義の誉れ高いミカサの殺気が、危うく窓硝子を割りかけたのも懐かしい。
あれは城の中で騒動が起きると、必ずネタにされるくらいには浸透している。
…それまでの恩賞実績は、地位・転属・休暇・報奨金・貴金属。
稀に気に食わない誰かの転属を望む者も居たが、リヴァイのようなトチ狂った恩賞を望む者は初めてだった。
無防備に驚いたエレンは、相当に貴重なものだっただろう。
素で困ったような顔をして悩む姿は、リヴァイにかつてない優越を齎してくれた。
(あのとき、エレンの頭の中には俺しかなかった)
二度はやらねえ、と宣言した通り、エレンが後に誰かへ誕生日を与えたこともない。
リヴァイだけが持つ、唯一の。

指先をハンカチーフで拭ったエレンが、立ち上がる。
「職務には忠実、部下の育て方も悪くない。上官への物言いはなってないが、立場は弁えている」
仕方ねえなあ。
呟いたかの両手がリヴァイへ伸びてきて、らしくもなくリヴァイは硬直した。
両の頬が、駒を動かす指先に包まれる。

チュッ

微かなリップ音を伴い、額に柔らかな感触が触れた。
「せいぜい次の1年も、俺を守って生き抜けよ」
間近に覗き込まれた銀灰色が、金色に呑まれスパークする。
金縛りに遭ったように、リヴァイは動けない。
エレンはリヴァイから離れると伸びをして、肩をぐるりと回した。
「休憩だな。茶、入れてこいよ」
「………は?」
彼が誰かに給仕を頼んだことなど無い。
その意外さにリヴァイが我に返れば、金色の眼差しが振り返る。
「お前、茶、入れるの巧いんだろう? 大抵のもんは秘書官室にあるから、適当に使え」
金縛りにしたのがエレンなら、それを解いたのもエレンだった。
「わ、わかった」
何とか返事をして、リヴァイは彼らしからぬ慌ただしさで部屋を出て行く。
廊下で彼を見たジャンは、その機嫌の良さに目を剥いたらしい。



扉の閉まる音を聞いてから、エレンはくすりと笑みを敷いた。
「お前のガキは可愛いな、ケニー」
強く狡猾で、それでいていじらしく、純粋な獣。
「手放しはしねえよ。ミカサよりも余程、裏仕事に向いているお前は」
適度に飴を与えて、離れようという気さえ失せるように。
(あ、そうだ)
次の誕生日を迎えられたら、首輪でも与えてやろうか。
(いつもクラバットしてるから、見えねえしな)

己を指し手(プレイヤー)と称する男の隣には、国の暗部が広がっている。
それを金の目で見下ろし、彼は今日も一手を進める。
「俺はキングではないけれど、お前ならなれるだろう?」
表をエレンが、裏をケニーが平定してきたこの国で。
「この国には、そろそろチェックメイトが必要だ」
バラバラになった権威を一処に集め、もう一度。

「まあせいぜい、飼い馴らされてくれよ」

"ダブルチェック"のその日まで。
--- 愛しき駒よ end.

2014.12.30

エレンとケニーさんは幼馴染みたいなものです。
歳はエレン30、リヴァイ20、ケニー40を見込んでます。おっさんにでこちゅーされて動揺する二十歳…ウマァ。
さっぱり祝ってないけど、兵長、お誕生日おめでとうございました!(大遅刻)


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