恋に落ちる音はどんな音

(リヴァイ先輩が全力で青春してるだけ)




どうにも先日から、リヴァイの頭の隅をチラチラと掠めて離れないものがある。
『3年大将のハチマキ、頂きます…っ!』
体育大会でリヴァイに立ち向かってきた1年生大将のひとり、エレンのことだ。
そのときはもちろん瞬殺してやったが、以来、リヴァイの頭を悩ませるようになった。
彼は調査団の後輩でもあるので、それなりに関わりがある。
関わりはあるし掃除の指導なんて何度もしているが、こんなにも脳内にチラつくのは初めてのことだった。
(なんだってんだ、クソッ)
チラつくのは決まってひとつ。
エレンがただでさえ大きな目をギラギラとかっぴろげて、こちらを睨みつける顔だ。
直後にハンジがやらかしたせいでその日は曖昧になってしまったが、とうにリヴァイの悩みは始まっていた。
浮かぶ残像を振り払うように首を振る。
そこでふと聴こえた声に顔を上げた。
今は昼休み、開け放った窓のおかげで校庭の声が聴こえてくる。

「エレン! ミカサとアルミンも聞いて下さい! ついに…ついにメロンパンを手に入れましたよーっ!!」
「マジか! すっげえな?!」
「それはすごいね、サシャ!」
「おめでとう」
「はい! 今までの私の努力がこれでひとつ報われ…っむぐむぐ」
「食うのはえぇよ…」
「サシャ、もう少し味わってもバチは当たらないよ…?」

言うまでもなく、エレンと彼の友人たちの声だ。
窓から校庭を見下ろしてみれば、グラウンド傍の芝生で弁当を広げているエレンたちの姿がある。
しばらく彼らを…正確にはエレンを…眺めて、リヴァイは打ちのめされた。
(なんでアイツを気にしてんだ、俺は…!)
ただの後輩だ。
調査団へ乗り込んできた猪突猛進で、ときどき生意気な口を利く後輩。
(…あのとき、巨人をぶっ殺したいと言った顔も悪くなかった)
と思ってから、リヴァイはまたも打ちのめされる。
(だから…!)
エレンの、友人たちと弁当を食べる顔。
調査団で活動するときの顔。
それから。

巨人に対するときの顔。

チーハンチーハンと騒いでいるだけの、煩い子どもだと思っていたのに。
(そうだ。あれはただの後輩だ)
強く頭(かぶり)を振って、リヴァイは窓の外から無理やり視線を引き剥がした。



調査団の活動は、秘密裏の部活ゆえに正規の部活動が終わった後に始まる。
「お疲れ様です!」
「あ、エレン。アルミンたちもいらっしゃい」
今日も彼らは調査団の部室へ来たようだ。
生物部に寄ってからやって来たリヴァイは、廊下を歩いているだけで分かる部室の騒がしさに眉を寄せた。
仮にも闇に紛れた部活、もう少し密やかに出来ないものか。
(そういえば…)
エレン・イェーガーという後輩が1人でいるのを、リヴァイは見たことがない。
まあリヴァイ自身もなぜかハンジとミケがよく寄ってくるし、ペトラたちもいつも4人でいるし、常につるんでいるのも珍しくはない。
「おい。もう少し静かに出来ねえのか、てめぇら」
「あっ、リヴァイさん!」
「リヴァイ先輩、おつかれさまです!」
しかし人数が多いというのは、掃除にはありがたい。
学校の窓は壁美化部の範疇だが、旧校舎の大部分は調査団が使用している。
「てめぇら、今日は倉庫の掃除だ」
「えぇーっ?!」
「また掃除ですかぁ?!」
(こいつら、掃除に対する意識がなってねぇな…)
躾直しか、とハリセンを取り出そうとしたところへ、後ろから走ってきたハンジが取りなした。
「まあまあ、1年生諸君の気持ちはよーく分かるよ。でもね、今年の調査団の活動方針は、顧問の先生がいないと決定も履行も出来ないんだ」
「…アルミン、りこうって何だ?」
「実行するってことだよ」
「へえ」
「そういえば、調査団の顧問って誰なんですか?」
「エルヴィンだよ」
「エルヴィン先生?」
3年生の学年主任をしている教師は、エレンたちも知っている。
彼の授業は週に1度しかないが、とても分かりやすいしキースと違って話しやすい。
「秘密裏の部活だからさ、顧問として活動するのは私たちよりもっと大変ってことだよ」
「へえ…」
そうなんだ、と1年生たちの顔が納得に変わったところで、リヴァイが舌打ちをした。
「チッ、喋ってねえでさっさとやるぞ。時間は有限なんだ」
どうせ今日も、エルヴィンは来ないだろう。
その意見にはハンジたちも同意であったので、文句は言わない。
「エルドたちは部室と隣の空き部屋だ。ハンジとミケはガキ共を倉庫に連れてけ。…エレン、お前はこっちだ」
「えっ?」
ハンジの後を追おうとしていたエレンは、なぜか呼び止められて目を丸くした。
「俺…ですか?」
「そうだ、お前だ。俺の掃除を手伝え」
首を傾げながらもリヴァイに着いていこうとしたエレンの腕を、ミカサが掴む。
「待って、1人ではきけ…危ない。私も行こう」
「…ミカサ。危険も危ないも同じ意味だよな?」
言い換えれてないぞ、というエレンにしてはずれていないツッコミを、彼女はスルーした。
「リヴァイ先輩。エレン1人では大変なので、私も手伝います」
「いいや。お前は倉庫だ」
「! なぜですか?!」
人数が多い方がと食い下がるミカサに、リヴァイは犬を追い払うように手を振る。
「俺もやるんだ。それに狭い部屋に人数はいらねえ」
ミカサはぐっ、と唇を噛んだ。
深刻そうな空気だが、中身は掃除の組分けの話である。
埒が明かない、とエレンはミカサの両肩を掴んだ。
「ミカサ。お前にはお前の役目がある。子供みたいな駄々こねてんじゃねえ!」
君たちも子どもだよ、というツッコミを飲み込んだハンジは偉かった。
エレンに真正面から諭され、彼女はようやく頷く。
「…分かった。終わったらすぐに行く」
「おう」
「おい、話が終わったならさっさと行くぞ」
「はい!」
先に歩き始めたリヴァイを追い掛けるエレンを、ミカサはいつまでも見送っていた。
「……これ、掃除の話だよな?」
ジャンの呟きは誰にも拾われなかった。



リヴァイが向かった先は、元は職員の宿直室らしかった。
簡単な調理場と調理器具や食器があり、来客用なのか仕切りのない隣には小さめの応接室。
「旧校舎にこんな部屋が…」
「俺たちしかいないからな。勝手に使わせてもらってる」
さて、とリヴァイは掃除専用スタイルへと切り替える。
要するに、埃避けのバンダナとマスク代わりの布を付け、ハタキを装備した状態のことだ。
「うぇっ、リヴァイさんいつの間に」
「おい。てめぇもさっさと着替えろ」
「いや、着替えるったって…」
それ大掃除の格好じゃ…と言い掛けたエレンを、まさかとリヴァイが睨み上げる。
「エレンよ…掃除を舐めんじゃねぇぞ」
ピシッとその両手に張られた白い布。
鋭すぎる眼光に、エレンは思わず悲鳴を上げた。
「躾直してやる」
「ヒッ?!」

掃除は上から。
面倒でも物を避けながら。
「うぅ…何なんです、これ」
「なんだも何も、掃除のための正式なスタイルだろうが」
「掃除に正式スタイルって何…」
どうにも心地の悪い頭の三角巾を直して、エレンはリヴァイを振り返る。
「ていうかここ、十分綺麗じゃないですか…」
「ぁあ? 何言ってやがる」
この埃が見えねえのかと凄もうとしたリヴァイは、エレンを見るなり固まった。
ちょうど口許の布を下ろしたところであったエレンは、目を見開いているらしいリヴァイに首を傾げる。
「リヴァイさん?」
「……………何でもねぇ」
たっぷり数秒を使って顔を背けたリヴァイは、さっさと続きをしろと言っただけだ。
(どうしたんだ?)
まあ、掃除が終わらなければ他のことはさせてくれないようなので、大人しく従う。
リヴァイはハタキに意識を戻したエレンを盗み見て、内心で頭を抱えた。
(どういうことだ…可愛いってなんだ可愛いって!!)
そう、リヴァイは口の当て布を下ろして振り返ってきた三角巾姿のエレンを、あろうことか『可愛い』と思ってしまったのである。
(待て…あいつは男だろうが! 確かに可愛い顔をしてるが!)
…と言い訳を脳内で叫んで、再び自分の思考に絶望した。
(おい…可愛いって顔ならやつの馴染みだというきのこ頭の方が…いや、あれも男だ。クリスタって女のことを言うんじゃないのか)
しかしクリスタの姿を思い返してみて。
(エレンの方が可愛いだろうが!)
と、セルフツッコミのち絶望というコンボを自ら喰らう。
器用な男だ。
「リヴァイさーん?」
悶々としているリヴァイをエレンが呼んだ。
「こっちの棚終わりましたけど…」
「…分かった。確認する」
(人には手ぇ止めるなって言っといて、リヴァイさんの手の方が止まってんじゃん)
ムッと頬を膨らませて、エレンはぼすりとソファへ座る。
他の誰かがやろうものなら「掃除中だ」とか「埃が立つ」とハリセンを飛ばすところだが、今回のリヴァイは違った。
(クッソあざとい!!!)
先ほどうっかりどきゅんとキたかもしれない、掃除スタイルのエレン。
そのエレンが同じ格好でソファに座り、膝に立てた両手に顎を乗せて膨れっ面をしているのである。
そのまま叫びそうな声を深い溜め息に変え、リヴァイは掃除の終了を告げた。
「まったくなってねぇが、今日はもういい。倉庫を手伝ってこい」
「? 分かりました」
釈然としないながらも、エレンは立ち上がる。
「その掃除スタイル用の三角巾はお前にやる。どうせ倉庫でも汚れるしな」
「はあ…ありがとうございます…?」
首を傾げるエレンに、なぜ首を傾げるのか尋ねたいのはリヴァイの方だ。
エレンが部屋を出ていけば、部屋の中は一気に静かになる。
(なんだってんだ畜生…)
ソファへどかりと腰掛け、2度目の深い溜め息を吐く。
そこがエレンの座っていた箇所だなんて自覚はリヴァイにはなく、彼は片手にハタキを握り締めたまま考える人になっていた。
シュールである。


*     *     *


エレン・イェーガー、進撃中学校1-A。
所属部活動は壁美化部、および秘密裏に活動中の調査団。
リヴァイが彼について知っていることは、それほど多くない。
「いやぁ、今年は1年生いっぱい入ってきて良かったよね。目立つのは困るけど、志を受け継いでくれる後輩って大事だよ!」
うちの巨人ちゃんも…ぐへへへへ、と変質者の笑みを浮かべかけていたハンジを、リヴァイはハリセンで黙らせる。
「エルドたちも満更ではなさそうだしな」
スン、と鼻を鳴らしたミケに、即時復活を遂げたハンジが食いついた。
「そうそう! 特にペトラなんか女神って言われてるクリスタと張り合っちゃって、この間恋バナしてたよ!」
「恋バナ?」
「そ、恋愛話。まあリヴァイには縁がない…わけでもないか〜」
靴箱にラブレター入ってたりするもんねえ、とハンジは笑う。
「迷惑なだけだ」
「うわ、今の台詞で世の男子生徒を敵に回したよ?」
「知るか」
調査団の部室はそろそろだ。

「じゃあ、クリスタは彼氏欲しいな〜とか思わないの?」
「そんなもんいらねーよ! アタシがいるからな!」
「もう、ユミルったら」
ペトラが笑顔のままで固まった。
そのシュールさにクリスタとユミルは気づくことはなく、ペトラは自ら金縛りを解く。
「と、ところで。クリスタは『恋に落ちる音』ってどんな音だと思う?」
引き攣る口許を直したペトラが、改めて会話を再開させた。
クリスタは疑問を抱かず食いつく。
「素敵な言葉ですよね! 私の好きな曲にもその歌詞があるんです」
「確かに素敵よね。でもこれってどんな音なのか気にならない?」
気にならない、わけでもなかった。
「うーん、心臓が鳴る音だとしたら、ドキン?」
言ったクリスタを、ユミルが後ろからぎゅうぎゅうと抱き締める。
「うっわ可愛い! アタシはそんなクリスタにキュンってするな!」
ペトラは笑顔のまま固まりかけたのを阻止した。
「『ドキン』と『キュン』ね。あり得そうだわ…」
「何か可愛らしいものが落ちる音なら、『コトン』とかじゃないか?」
唐突なエルド参戦。
それをペトラとクリスタは許した。
「一理あるわね」
「あっ、一目惚れなら目が合った音とか!」
「それどんな音だ?」
「え、えっと…ばちん?」
まるで火花だ、頬を張られた音だと笑ったところへ、不機嫌な声が割り込む。
「おい、てめぇら。調査団の活動は静かにやれと言わなかったか?」
「リ、リヴァイ先輩!」
ガラリと調査団部室の扉を開けると、まさに噂をしていたペトラとクリスタ、ついでにユミルたちもいた。
不機嫌オーラ全開のリヴァイの後ろから、ハンジとミケも顔を出して部室を見回す。
何の話してたの? と続けるハンジに、ミケがスン、と鼻を鳴らした。
「甘い話だ」
「え、空気甘いの?」
ハンジも真似して嗅いでみるが、さっぱり判らない。
「甘い…ああ、かもしれないですねえ」
ユミルは相変わらずクリスタを抱き締めながら答えた。
「『恋に落ちる音はどんな音なのか』っていう話をしていたんです」
爽やかなクリスタのその笑顔こそが恋だと、ライナーなら言ってのけそうだ。
リヴァイは眉を寄せる。
「…『鯉が落ちる音』…?」
「ちょっ、リヴァイ。あなたそれ素なのww?」
ハンジがうっかり草を生やして吹き出した。
さすがにリヴァイ相手は不味いと思っているのか、ユミルは吹き出しそうな口を両手で押さえている。
グンタとエルドも顔を逸らし、オルオはさっさと舌を噛んだ。
クスリと笑ったペトラは、非常に堂々としている!
「違いますよ、リヴァイさん。『恋に落ちる音』です」
「そんな音があるのか?」
「マジボケかよ!」
リヴァイが恋愛事に興味がないことがよく分かる。
一頻り笑ったハンジが話に加わった。
「あれだね、よく歌詞にあるやつだろう? その音がどんな音かって話かな」
「そうなんです。候補が幾つか出ていて」
クリスタが指折り数える。
「まずは『ドキン』で、似たような形で『ドキッ』もそうかなって」
「ふんふん、なるほど。漫画とかでもよくある表現だよね」
控えめな『トクン』とかもありかな! と思い付いたハンジに、ペトラがおおっ! と身を乗り出す。
「『トゥンク…』ってやつだな? 少女漫画定番の!」
ユミルがケラケラと笑い、謎の擬音祭りが始まった。
「さっき言ってたんですけど、よくあるのはやっぱり『きゅん!』ってやつですよね!」
「あー、あるある! 私は巨人ちゃん見てるときゅんきゅんするなあ!」
「「「いえ、それはないです」」」
一斉に否定されても、ハンジはえぇー、と唇を尖らせるだけで凹みはしない。
リヴァイは1人考えていた。

(…きゅん…だと?)
口の当て布を下ろして振り返ってきた、三角巾姿のエレン。
(ドキン……だと…)
膝に立てた両手に顎を乗せて、膨れっ面をしていたエレン。

「あ、ハンジさんは一目惚れの音ってどんなだと思います?」
「一目惚れかあ。目が合ったときだから、やっぱり『バチッ』じゃない?」

目が合ったあの体育大会の日、そんな音が…。
(聴こえてない、聴こえてない、そんな音は…)
「まあ、でもさあ」
ハンジがひらひらと片手を振る。

「『ドキドキ』も『キュンキュン』も、すでに恋してる音だよねえ」

てことは、私はいつでも巨人ちゃんに恋してるってことだね! 知ってた!
騒ぐハンジに、ユミルも改めてクリスタの頭を撫でる。
「アタシもいつだってクリスタに恋してるぜ!」
「もう、ユミルったら」
三様に花を飛ばす彼女らに、ペトラは今度こそ口許を引き攣らせた。
「わ、私だって…!」
私だって恋がしたいっ!
荒ぶり始めたペトラを宥めるエルドすら、気付かなかった。

沈痛な表情で考える人になってしまったリヴァイの姿に。

(いや、待て。あいつは男だぞ?!)
馬鹿なところも可愛いが、と思ってしまってから、またも無限ループに陥る。
リヴァイのオーラがピンク混じりの不味い色になっていることに気づいても、グンタは我関せずを貫いた。
相変わらずオルオは舌を噛んで悶絶していて、調査団の部室は騒がしい。

「…なあ、アルミン。鯉がどうかしたのか?」
エレンがミカサとアルミンと共に部室を覗いても、まだ誰も気づかない。
中を指差しながら尋ねたエレンに、アルミンは苦笑する。
「いや、エレン。魚の鯉じゃなく」
「裏庭の池に、巨大な鯉がいたらしい。そんな話をしている」
アルミンの言葉を遮り、ミカサが強引に続けた。
「へえ、すっげえな。釣れたらサシャが喜びそうだな!」
「ダメだよ。鯉は寄生虫がいっぱいいるんだから」
「えっ、そうなのか?」
「そう。エレンに近づけるわけにはいかない」
ミカサの強引な言葉の意味に気づいたアルミンは、いろいろと察して顔を青くした。
エレンはふぅん、と感心するばかり。


調査団の本日の活動ーーーなし。
解散!
--- 恋に落ちる音はどんな音 end.

2016.2.28

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