穹(そら)の旅路より愛を込めて
4.空と自由と(サンダルフォン+エレン)
「いいなあ」
心底羨ましそうに呟かれた声が、サンダルフォンの耳に届いた。
『役目』のために広げていた白い6枚羽を折り畳み、背後を見下ろす。
朝はまだ早く、黎明の時刻。
サンダルフォンが立っているのは、グランサイファーの舳先だ。
風を切るこの場所を、サンダルフォンは意外と気に入っている。
「…誰だ?」
見下ろしたそこに居たのは子どもだった。
特に際立って目立つような容姿ではなく、緑のマントを羽織っている。
幼気な様を際立たせる、碧玉の大きな目が印象的だ。
「あの、俺はエレンと言います。エレン・イェーガー。あなたは…?」
見下ろし続けるのもどうかと思い、甲板へふわりと降り立つ。
「サンダルフォンだ」
サンダルフォンさん、と確認するように鸚鵡返しする様子は、どことなく蒼の少女に似ていた。
「この羽が羨ましいのか?」
白い6枚羽の代わりに、自身の鳶色の一対を顕現させる。
鷲みたいだ、と呟いてから、エレンは頷いた。
「だって、自分で飛べるなら、どこへだって行けるんでしょう?」
空を飛びたいと言っているのだろうか。
それにしては、どうも違うニュアンスに聴こえる。
「君は空が飛びたいのか? それとも、行きたい場所があるのか?」
問い返されるとは思っていなかったのか、エレンはぱちりと目を瞬いた。
そのままこちらを凝視して惚けているので、何なんだと僅かに眉を寄せる。
「おい?」
声を掛ければ、彼はハッと我に返った。
「す、すみません。俺、どっちだろうって思って」
「は?」
「空を飛びたいのか、行きたい場所があるのか」
サンダルフォンの問いのことだ。
エレンは視線を足元へ落とす。
「俺の国は、巨大な壁に囲まれているんです。人間を喰う巨人…人型の巨大な魔物が、あちこちうろついてるから」
壁の高さは50mだという。
高さというものに拘りの生まれ難い天司であるがゆえに、サンダルフォンにはイメージが掴みづらい。
(遠くへ行こうとすると、すべて壁に遮られるわけか)
閉ざされたパンデモニウムに似ている。
「巨人は、倒せないわけじゃない。でも壁の外に出られるのは一部の兵士だけで」
そして、みなは彼らを。
「進撃を諦めないその人たちを、ほとんどの人が馬鹿にする。死に急ぎだとか、税金の無駄遣いだとか。
壁の中の安寧に安心するなんて、そんなの家畜と一緒じゃないか」
壁の向こうへ行きたかった。
壁の向こうに何があるのか、自分の目で確かめたかった。
「だから俺、壁の向こうへ飛んでいける鳥が羨ましかったんです」
再びこちらを見た彼の目には、かつてサンダルフォンが放棄したものが煌めいていた。
(ああ…)
サンダルフォンに、『役割』という名の『自由』はなかった。
生まれたそのときに不要とされた自分自身を、どうして愛せるというのだろう。
今のサンダルフォンは、託された願いのために存在している。
(それでも、)
後悔はしていなかった。
星晶獣たちの叛乱に加わったことも、空の島々を落とす災厄を引き起こしたことも。
だって、それらがなければ。
(あなたの願いを知ることなんて、なかった)
存在の消滅が代償であったとは、皮肉にも程があるけれど。
「…今は?」
「え?」
身の内に湧いたざわめきを飲み込み、サンダルフォンは再度エレンへ問い掛ける。
「今はどうだ? 君自身の力ではないが、君は騎空艇に乗って空を飛んでいる最中(さなか)だ。
目的地は君にはすべて、未知のものだろう。まだ、鳥が羨ましいか?」
翼があっても、目的がなければ翔ぶことすら虚しい。
目的があっても、止まり木がなければ墜ちるだろう。
(止まり木など…)
サンダルフォンは、止まり木など要らなかった。
天司は鳥ではないし、機構としての『天司』に止まり木は不要だからだ。
(ハッ。止まり木に在る状態で言うのはナンセンスか)
不完全な天司長であるサンダルフォンは、力の回復という無様な醜態を晒す羽目になってしまったが。
(ルシフェル様が、そのようなことをされるはずもない)
あの中庭での邂逅がルシフェルにとっての止まり木であったと、サンダルフォンが思い至ることはない。
それがルシフェルにとっての真であったと、サンダルフォンが信じる為の術が無い。
エレンがサンダルフォンの問いに緩く頷いた。
「好きなように飛べるのは羨ましいです。でも俺は今、『壁』の向こう側に居る。
壁の向こうに何があるのか、自分の目で確かめるのが俺の夢でした」
だから、とエレンは力強く返す。
「次は自分の力で、飛んでみせます」
騎空艇が空を飛ぶ手段であるなら、その技術を、手段を持ち帰り、次は自分たちの手で。
好奇心と希望に満ちた碧玉の眼はキラキラと輝き、まるで星のようだ。
(…眩しいな)
希望とは、何だったか。
(ああ、そうか)
『進化』とは、『希望』と共に在るものなのだろう。
(希望、ね…)
胸の内で、その言葉を転がしてみる。
サンダルフォンを動かしているのはきっと、『希望』ではなく。
(これは『義務』だ)
『希望』なんて、美しい言葉は相応しくない。
End.
2018.6.20
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