イージーライフモード!
4.それはいつかの
驚いた。
ジークフリートとパーシヴァルは顔を見合わせ、そして弟へ視線を戻す。
歳の離れた小さな弟は、自分の手を見つめたままだ。
たった今彼が口にした名前は、まだ包みを剥がされていない本に書かれている。
空想世界の壮大なファンタジー、その登場人物として。
けれど、彼はまだその本を開いていない。
対象年齢にはやや早いから、スクールの学友に聞いたということでもないだろう。
何より。
「サンディ、おいサンダルフォン。大丈夫か?」
パーシヴァルは顔を上げようとしない弟の前にしゃがみ、顔を上げさせた。
夕焼け色の目には薄っすらと涙の膜が張っている。
「う…ぇ、あたまぐるぐる」
混乱の極みから降りて来られないようだ。
彼を抱きかかえたパーシヴァルは、ベッドへと小さな身体を横たえさせた。
「目を瞑れ。起きたらまた話を聞くから」
強い口調とは裏腹に、声音は優しい。
ゆったりと頭を撫でていると、ややしてすぅ、と可愛らしい寝息が聞こえ始めた。
それにホッと息を吐き、無言を貫いていた兄を見遣った。
「…どう思う?」
ジークフリートは机に備え付きの椅子に座ると、ゆるりと首を傾げる。
「本物、だろうな」
「そうか…」
2人の目は、意図せず同じ方向へ向く。
本棚に並んだやや薄めの装丁本が、1巻から順に7冊。
「『天司長』と言ったろう。その本には、まだ『天司』は出てきていない」
「…そうだな」
思わず深い溜め息が出た。
「何だ、何が切っ掛けだったんだ? 俺たちとは違うだろうに」
ジークフリートは窓の外に広がる青空を見上げた。
「切っ掛けなど、ないのかもしれんな…」
母を亡くした日の夜に、ジークフリートは夢を見た。
あまりに鮮烈な夢は、何でもないと繕うにはあまりに色濃く。
唐突に、『あれは自分なのだ』と腑に落ちた。
ジークフリートの『今』とは随分と違う世界の自分との折り合いは、箱に仕舞うような気分であっさりと着いた。
それが出来たのは、刊行7冊目のファンタジー小説のおかげでもある。
「…教えるのか?」
「いや、もっと先で良いだろう。それは『サンダルフォン』が自分で決めるべきだ」
そうだろう、と眼差しで問われ、パーシヴァルは頷いた。
しかし、とジークフリートの声は続く。
「残念だな…。サンディもパーシィのように、兄とは呼んでくれなくなるのか」
「なっ…!」
パーシヴァルの頬に、瞬間的に熱が籠もった。
「なぜその話を蒸し返す?!」
「だってそうだろう。『まさか兄に対して反抗期なんて』と父上にまで笑われたんだぞ?」
「…っ!!」
パーシヴァルも、母を亡くした日に夢を見た。
『自分』の折り合いは早々に着いたのだが、現実世界での折り合いの着け方に苦労した。
何せあの空の世界で、信頼から嫉妬に絶望まで絡まりすぎた感情の向き先が。
元上司であり、己の知る限りで最強の騎士であった男が、自分の実の兄だとは。
「俺を羞恥で殺す気か…!」
「はははっ!」
ジークフリートとて揶揄っているだけなので、それ以上は追い詰めない。
やっても良いのだが、この元部下だった可愛い弟は、機嫌を損ねるとちょっと面倒くさいのだ。
*
目が覚めると、まず燃えるような赤い髪が見えた。
「パーシィ、あにうえ」
「! サンダルフォン、起きたのか」
上手く開かない目を擦ると、やんわりと止められる。
サンダルフォンはぼんやりとしたまま口を開いた。
「つみきを、」
「うん?」
「つみきを、はこにつめてきました。いっぱい、いっぱいあって、どれがどれだかわからなかったけど」
夢に見たのだろう。
パーシヴァルは黙って耳を傾ける。
「はこも、いっぱいあったから、つみきはぜんぶかたづけました。おれにははねはないけど、それでいい」
積み木は記憶の隠喩だろう。
たくさん、というのは、少なくとも彼は2000年以上の時を生きていたのだから、多くなって当然だ。
サンダルフォンを挟んで、パーシヴァルの反対側にジークフリートが座る。
彼の手が、サンダルフォンの頭をゆったりと撫でた。
「ああ、君に羽はない。俺たちと同じ人間で、俺とパーシィの大事な弟だ」
そうだ。
ここには空の世界は無い。
(もう翔べないけど、それでいい)
ふふっ、と小さな笑い声が漏れた。
この手に撫でてもらうのが、昔から大好きだ。
「はい。ジークあにうえとパーシィあにうえは、おれのだいすきな、じまんのあにうえです!」
臆面もなく笑顔で告げられ、人生2度目の兄たちもさすがに照れた。
「…サンディは可愛いなあ、パーシィ」
「っ、当たり前だ!」
パーシヴァルが照れ隠しにサンダルフォンの頭をわしゃわしゃと撫で回したので、小さな彼からはきゃらきゃらと幸せな声が上がった。
End.
(次のページは入り切らなかった設定)
>>
2018.5.26
ー 閉じる ー