アラジンの容態が安定した。
体温も戻り、しているのか定かではない程の細さであった呼吸も目に見えて戻っている。
ジャーファルはホッと息を吐き、彼を看病していた女性へ向き直った。
「後はお願いします。我々は王宮へ行かなくては」

様子がおかしい。
遠く、王宮方面から流れ込む空気が。

マスルールと共に、足早に"霧の団"アジトを進む。
「血の匂いが濃くなりました」
小さく囁かれた言葉は、ファナリスであるからこそ嗅ぎ取ることの出来る現状。
脳内で弾き出していたパターンは、最悪のものが導き出される。
「酷い状況になっていなければ良いのですが…」
微かな喧噪しかジャーファルには聴こえない。
それ程に周辺は静まり返っており、それだけの住人が王宮へ押しかけているのだろう。

2人がアジトの正面に出ると、見覚えのある姿が立ち尽くしていた。
王宮をじっと睨み据えるその眼差しは、まるで何かを視界に捉えているようだ。
「…何か分かりますか?」
問い掛けたことでこちらの存在に気付いたか、振り向いた少年(少女かもしれないが)の目が驚きを示すように瞬かれる。
(そういえば、この子の眼は蒼いな…)
砂漠地方では黒髪、黒眼が主流なのだが。
眼帯に隠された左眼は怪我だろうか、病気だろうか。
「…八人将の」
「ジャーファルです。こっちはマスルール」
名乗りが返る前に、また相手の視線は王宮へ向いた。
「お二人には、アレが見えますか?」
沈黙で先を即せば、彼は続ける。
「王宮の上が、真っ黒なんだ。真っ黒い鳥で埋め尽くされてて」
少し前までは、真っ白に輝く鳥でいっぱいだった。
「ああ、これはアリババなんだろーなと思った。そしたらどこからか、黒い鳥の大群が飛んできた」
今も黒い鳥の群れは、黒い帯となって王宮の上空を覆い尽くそうとしている。
(鳥…?)
ジャーファルには王宮の上空に限らず、青い空と白い雲のみが見える。
隣のマスルールへ視線を向ければ、彼もゆるりと首を横へ振った。
「…やっぱり見えませんか」
彼はさも、それが当たり前であるように呟いた。
「あのアリババの友達(ダチ)は、話し掛けてるように見えたんだけどな…」
何なのか聞いてみたかったのに、いろいろ在り過ぎて機会を逃し今に至る。

足を止めさせてしまってすみません、と軽く辞儀を寄越した少年に、ジャーファルはようやく思い当たった。
(アリババ君の友人…、アラジン!)
マスルールを先に行かせ、もう一度少年を振り返る。
「もしや君は、"ルフ"が見えるのではありませんか?」
「るふ?」
首を傾げた彼に、説明する暇(いとま)は残念ながら無い。
(いや、知らなくても当然か)
こんなにも荒廃してしまった国に、教えるだけの力を持つ魔法使いはもう居まい。
(…本当に"ルフ"が見えるなら、死なせるのは惜しい)
シンドバッドが、アリババに対しそう思っているように。
「この騒乱が収まったら、説明することも出来るでしょう。
それはきっと、アリババ君にも必要な知識です」
「……」
相手の表情を判別する唯一、蒼い眼が僅かに細められた。
(伊達に、"霧の団"No.3ではないってか)
反射で言葉を返さぬその態度に、ジャーファルは感心を覚える。
頭であったアリババも、彼の右腕であったカシムも居ない今、"霧の団"はトップが居ない状態だ。
アジトの中で一際声を掛けられる目の前の彼は、その空白を埋めていると言っても良い。

逡巡を挟み、ジャーファルへと言葉が返った。
「…あなた方の役目は、シンドバッド王の剣となり盾となること」
それが八人将、シンドリア王国の翼。
けれど、そこでアリババの名を出すというなら。

「その片手間で良い。アリババを守ってください」

昨日の時点では、彼は"お願いします"とだけ言った。
だが今回、彼は"守ってくれ"と明確に告げた。
(言葉の秤を、巧く扱える子だ)
ジャーファルは表情を変えることなく、胸の内だけで感ずる。
そうして、結果として頷いた。
「君も、自分の身とアジトの仲間をちゃんと守ってくださいね」

少年の蒼はバルバッドの空よりも、シンドリアの海を思い起こさせた。
『鳥』の眼差し ---end.


2013.1.27

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