これは、なんだ?

「父さん、」
黒い鳥の渦が、昇る白い鳥に負けた。
「母さん、」
いつもの青空と白い雲は気味の悪い明るさを霧散させ、ただ、晴れ渡っていた。
「兄さん、」
白い鳥がひたすらに天翔ける、真っ白な虹を除いては。
「どうして」
目の前の、いつかに死んでしまった肉親を除いては。

キラキラと煌く白い鳥が、形を変えた。
ほんの少し前から、幽霊だか亡霊だか解らぬ人々が降りてきていたのは見ていたが。
まさか眼前に、己の肉親が現れるだなんて誰が想像しよう?
どうして、なんて言葉は、口元を覆う布の向こう側にさえ届かなかった。

『大丈夫さ。ちゃんと、お前を見守っているから』
父が言う。
大きく無骨な手が、頭を撫でたような感触があった。
重くはない、温かみもない。
けれど、確かに。
『置いて逝ってしまって、ごめんね。でもどうか、あなたは生きて幸せに』
母が言う。
ふわりと抱き締められ、なぜか微かな温もりを感じた気がした。
『必ず、顔も眼も隠さずにいられる日が、来るから』
兄が言う。
母の横から左手を包むように両手で握られ、確かに温度を感じた。
『大丈夫。オレたちが付いてる!』
半透明の温もりが、離れていく。
『あ、そうそう』
空へと昇る兄が振り返った。
『お前の友人(ダチ)はすげーな!』

愛しい人々は皆、無数の白い鳥となり空の向こうへ消えた。



*     *     *



山積みとなったやるべきことは、上から1つ1つ取り除くしか無い。
王宮と城下町はともかく、下民層やスラムで組織立っているのは"霧の団"のみ。
程近い商人街も合わせ、"霧の団"のアジトには多くの人と情報が集まり始めた。
やることだってどんどん積まれる。
それはあの"白い鳥"が消えてから、数時間もしない内に始まっていた。
「相談役ー! 西地区の代表と海側の商人グループが来てますぜー!」
ああもう、頭が痛い。
「だ・か・ら! オレはんな肩書きになった覚えねえよ!」
確かに、この辺りには"霧の団"しか組織として動ける存在は無い。
加えて、頭(かしら)であったアリババもカシムも居ない。
となると彼らに近かった自分に、やや大きめの話が持ち込まれるであろうとは思っていた。
(実際、アリババが王子であることを公にしてからはそうなっていたことだし)
けれど、これは何か違う気がする。
「何でオレがここの纏め役みたいになってんだよ!」
「いや、アンタは元々そんな立場だったろ?」
ちょうど戻ってきていたザイナブが(カシムに付いていった"霧の団"女幹部だ)、余計なことを言ってくれる。
「違えーよ…」
アリババが頭になってから、彼から幾度となく相談されたことはあった。
彼自身が国を出てから以降のバルバッドの状況や、カシムのことを。
もちろんカシムとの付き合いは数年になるので、彼から相談を受けることだってあった。
が、それとこれとはまた別だ。
(…アリババ)
彼はどうしているのだろう。
一度気になると思考から離れず、アジトの外で遊んでいた数人の子どもたちを呼び寄せた。
「なぁにー? 青い目のにーちゃん」
「ほんとだ! おめめがきれいなあおだ!」
こちらの見目で分かるのが右眼のみであることも含め、年端の行かぬ子どもには大抵そう呼ばれる。
自分の蒼い眼とアリババの金髪は、この国では非常に珍しい。
苦笑して、子どもたちに頼む。
「アリババ王子がどうしてるか、ちょっと見てきてくれないか?」
"霧の団"にとってのアリババは頭であり仲間だが、他の人間にとって彼は紛れもなく"王子"だ。
「いいよ!」
だからこそ子どもたちは、笑顔を輝かせて駆け出していった。



人を不安にさせる要素なんて、本当に些細なことが多い。
とりあえずはそれが、眼前にあるわけで。
海に煌帝国の艦隊が現れたという話から始まり、次には王宮まで行ってきてくれた子どもたちが血相を変えて帰ってきた。
「大変だよ! アリババ様が連れて行かれちゃう!!」
彼らがそう叫んだのが、アジトの内部であったので事無きを得たと言える。
(そんな言葉、スラムの連中が聞いたらまた荒れちまう…!)
周囲に素早く目線を走らせれば、"霧の団"の面々は心得たとばかりに頷く。
それに少しだけ、己の心が落ち着いた。
子どもたちの目の高さに合わせてしゃがみ、視線を合わせる。
「落ち着け。何を見たんだ?」
「前にここにいた赤い髪のお姉ちゃんと、青い髪の男の子」
モルジアナとアラジンか。
「あと、白いターバン巻いた紫の髪のおじさんと、赤い髪のでっかい人と、白いお帽子被ったお兄さん」
シンドリア王と八人将の2人。
「あかいかみのおおきな人が、アリババさまをだっこしてた」
アリババ様、眠ってるみたいだった。
「…何を話してたか、聞いたか?」
「赤い髪のお姉ちゃんに、『アリババ様はこの国を出ないと行けない』って言ってた。
どうして? ってお姉ちゃんが聞いたら、『こうていこくにつけいるすきをあたえてしまう』って」
辿々しい言葉を、脳内で変換する。
(煌帝国に付け入る隙を与える? アリババが居たら?)
むしろ逆じゃないのか、と思った。
思いはしたが、それは子どもたちに聞かせるような話でもない。
「…ありがとな。アリババのこと教えてくれて」

子どもたちに口止めをしてから、考えた。
(まだ間に合うか?)
「…相談役。今の話は」
話を聞いていた団員たちが、恐る恐る問うてくる。
片手を上げ、その先を制した。
「ちょっと聞いてくる。オレが戻ってくるまで、他言無用だ」
港までの最短ルートを思い描きながら、アジトの先のスラム街へと駆け下りた。



シンドリア王国という国がどこにあるのか、海を渡らなければならないこと以外を知らない。
だが仮にも王の乗る船、港に出さえすれば判るという直感は間違いではなかった。
出港準備の整っていた船は、港内をざっと見ても中型帆船1隻だけ。
それが帆を張る様を遠目に認めて、慌てて走った。
運の良いことに、見知った姿が件の船の甲板にある。

「ジャーファル様!」

陸(おか)から名を呼ばれ、ジャーファルは目を瞬いた。
(あの子は確か…)
アリババの抜けた"霧の団"を纏めていた少年(さて、少女か?)だ。
出港までまだ間があると見て、ジャーファルは岸へ戻り駆けて来た少年と向き合った。
「"霧の団"の相談役、でしたよね。どうしました?」
"相談役"という単語に軽く眉を寄せた彼は、しかしそれは明後日に放り投げたらしい。
「アリババはどこですか?」
そう、直球で問うてきた。
(さて、どう答えたものか)
衣服の袖で口元を隠し、思索する。
するとこちらを見上げる蒼い眼が、つと細められた。
「…質問を変えます。『なぜアリババを連れて行くんですか?』」
アリババがこの船に乗っていることを知り、かつ、それが覆せないのだと気づいたか。
(賢い子だ)
アリババとはまた違うタイプだが、受けた印象がさらに上塗りされる。
「…この国の為に、とだけお答えしておきましょう」
アリババ・サルージャが命を賭して守り、建て直そうとしているこの国を。

無難過ぎる答えだ。
そして、これ以上の答えは得られまい。
「行くのはアリババだけですか?」
なおも問えば、ジャーファルはいいえと続けた。
「アラジンとモルジアナも一緒です」
言い換えれば、彼ら3人以外は行かないということだ。
(解、が…要る。アイツの支持層であるスラムの人間が、納得するものが)
「…シンドリア王国に行く…んですよね。客として、ですか?」
「ええ。王宮で、食客としてアリババ君たちを保護します」
船からジャーファルを呼ぶ声が聞こえる。
(時間がない)
「例えば、」
「え?」
「例えばオレがシンドリア王国を訪れたとして、アリババに会うことは出来ますか?」
どうだろうか、ジャーファルは再考した。
(会えないことはない、が…)
それには身分の証明…は無理でも、身元の証明が必要だ。
「君のように顔が分からない場合は、難しいですね」
青の眼はバルバッドでは珍しいが、移民の多いシンドリア王国では目立たない。
正直なところ、彼が信用できるのか以前に、顔も名前も分からないのだ。
「オレだと判れば会える、ということですね?」
「ええ、そうなります」
政務官であるジャーファルは、王宮での来賓や謁見の手配も行なっている。
信用のおける部下に伝えておけば、ジャーファル自身が直接相手を測ることも可能だ。
それを伝えれば、少年が笑った。
「それなら、オレの名前と"これ"を目印にしてください」
少年の指先が、左眼を隠す眼帯へ伸びた。
「!」
滅多に動じないと自負しているジャーファルが、息を呑む。

「オレの名前は『レイン』と言います。そしてこの"眼"は、」

もうアリババしか知っている人間はいません。
今教えたジャーファル様の他には、と悪戯が成功したように笑う彼の、左眼。
それはシンドリアの樹海の如く深い緑で、右眼は海のような蒼。
(異色の眼…!)
驚愕冷めやらぬジャーファルの前で、左眼が再び眼帯に隠される。
「アリババを、よろしくお願いします」
頭を下げ、レインは港からアジトへ戻るべくまた駆け出した。
『光』の行方 ---end.


2013.2.12

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