ーーー世界が"はじまりの樹"に縋るというなら、僕は。 +++どうか良き終幕(フィナーレ)を+++ 世界が"はじまりの樹"の保護を決定した。 国として認められたすべての国、国ではないが自治を認められた自治区。 そのすべてが、"はじまりの樹"を『平和に不可欠な存在』として保護するというのだ。 「結局のところ、人類は得体のしれねえ樹の支配下に入るってか」 この世の関節は、本当に外れちまったんだな。 不合理を許せない幼馴染の呟きに、吉野は心の内で返す。 (同感だよ、真広) かつて彼は言った。 『魔法』という不合理を、『妹を殺した世界』の不合理とぶつければ辻褄が合うと。 でも、それなら。 (世界そのものが不合理なら、どうする?) 日も落ちて、忘れたように雪が降り始めた。 「こんなところに居たんですか」 誰も居ないはずの公園で声を掛けられ、羽村はぎょっと肩を竦めた。 「びっくりしたぁ、吉野くんか」 どうしたの? と問えば、やや大人びた顔に苦笑が浮かんだ。 「羽村さんが、『ちょっと頭を冷やしてくる』って言ってずっと戻って来ないからですよ」 公園入口の時計を見上げれば、確かに20分は経過していた。 「あはは…ごめんね、わざわざ」 「…いえ」 一番複雑な立場なのは、羽村さんですから。 落ち着いた声音で当たり前のように言われ、それがすとんと胸に落ちてくる。 「そうなんだよねえ…」 せっかく立ち上がったのに、またブランコに腰を下ろしてしまった。 「やっと魔法の使い方が身に付いてきて、"はじまりの樹"がとんでもないモノだって分かってきて。 これからだ! って覚悟を決めようとしてたんだけどさ…」 まさか、一夜にして全世界指名手配犯になるとは。 夜の暗さだというのに羽村の頭上に暗雲が見えて、吉野は吹き出した。 「ちょっ、笑い事じゃないよ…」 「すみません。つい」 だが、笑うと彼も歳相応だった。 (いや、普段から冷静すぎるんだって) 羽村は常々思っているが、吉野も真広も、己より年下で高校生だなんて思えない。 それは葉風にも当て嵌まるのだが、彼女は"姫"であるので除外する。 柵の向こう側に居た吉野が、羽村に歩み寄った。 彼は隣のブランコに腰掛け、人の重みで錆のある鎖がキィと軋む。 「…絶園の力は、もう必要ないですか?」 吉野の声は、静かに降り続く雪のようだ。 街灯に遮られ瞬きの少ない星空を見上げてから、羽村は己の掌を見つめた。 ほんの少し意識すれば、宙に光球が現れる。 「うーん…早計は出来ないんだ。必要になるときは、たぶん来ると思う。でも、」 やっぱりそのときも、僕の手にあるのかな。 (何で、僕なんだろ…) 力に目覚めてからいつでも絡みついていた疑問は、途切れることなど無く。 無ければ何か変わっただろうか? (…フラれるかどうかは、たぶん関係なくて) 例えば今隣りにいる吉野や真広、葉風たちとの関わりなど皆目存在しなかったことだけは確かで。 彼らには本当に感謝している。 ただ、 「僕の手には、大き過ぎるよね」 幸か不幸か、ではなくて、ただそう思う。 クスリと笑みが聴こえた気がして、羽村は顔を上げた。 「吉野くん…?」 いつの間にか立ち上がっていた吉野が、こちらを見下ろしていた。 「貴方がそう言うなら、仕方ないですね」 「え?」 街灯が逆光となり、表情が窺えない。 「羽村さん、」 雪が、止んだ。 「その力、僕が引き取ります」 記憶が途切れたような、気がした。 「…え?」 突然視界が真っ白になったが、何だったのだろう? 「羽村さん?」 きょとんとこちらを見下ろす吉野に、あれ? 気のせいか? と混乱する。 「大丈夫ですか? 雪は止みましたけど、だいぶ冷えてきましたし」 早く戻りましょう。 「…そうだね、戻るよ」 ブランコから立ち上がり、羽村は片手を額に当てる。 (なん、だったんだ…?) *     *     * 吉野が、消えた。 マンションでの部屋割りは、吉野と真広、葉風とフロイライン、羽村と潤一郎となっている。 ゆえに初めに気づいたのは真広であるが、それがまた妙であった。 …ややスペースを空けて配置されている向こう側のベッド。 それぞれのベッドの周囲には、互いに身の回りのものが置いてある。 けれど吉野が使っていたベッドの周りには、何もなかった。 それどころか、ベッドも未使用そのもので。 「え…?」 真広は思わず目を擦った。 それから、どうしただろう? とにかく手分けして、吉野がどこへ行ったのか、いつ出て行ったのかを調べたのだ。 結果を言うなら、 『何も解らず、何も無い』 堪らず、真広は壁を殴りつけた。 「っ、意味分かんねーぞ…!」 鈍い音に、拳が痺れる。 解っているのに、感情が追いつかない。 彼の目の前では、己の魔法の結果に葉風が愕然と項垂れている。 「なぜだ…なぜ判らんのだ…っ!」 鎖部の魔法には、失せ物や失せ人を探す探知魔法がある。 けれど魔法は、"滝川吉野"を探知できなかった。 "はじまりの樹"の姫宮である葉風が、ここ半年を色濃く過ごしてきた相手を、探知できなかった。 「どういうことだ? なぜ探知できない?」 左門が腕を組みながら唸り、その隣で潤一郎が葉風を見つめる。 「葉風ちゃんの力で出来ないなら、誰もそれ以上の結果を望めない」 だが葉風は、肩で大きく息をしてゆるりと首を振った。 「…いや、まだだ。まだ、手がある」 彼女の視線は、フロイラインと共に状況を見守っていた羽村へ注がれた。 「羽村。お前の力で探知することは出来ないか?」 「えっ?」 絶園の力で人探し? 「で、出来るの…?」 葉風は少々言葉に迷ってから、続けた。 「鎖部の魔法は、"はじまりの樹"の力を借り受けて行うものだ。理に適うものを、理に適った方法で。 だが私は、…吉野を探知できなかった。過程は理に適っているのに、結果が理に適わん」 しかし"絶園の樹"の力なら。 「"絶園の樹"ならば、理に適わぬものを手に出来る」 真広の視線も羽村へ移った。 「…確かに、理屈には合ってるな」 すでに手は尽くした。 ならば。 「や、やってみるよ」 羽村は目を閉じ、意識を集中する。 (たぶん、いつも樹を倒すのに使ってるのとイメージは同じ…で、?) ハッと目を見開いた。 「羽村…?」 葉風の呼びかけにも気付かず、彼は自分の掌を見下ろし呆然としている。 「おい、羽村?」 「羽村くん?」 幾人もに呼び掛けられ、羽村はようやく声を絞り出す。 「…無い」 昨夜までは、確かに己の内に在ったのに。 「"絶園の力"が、消えてるんだ…」 一体、何の冗談だ。 誰かが発しようとした言葉は、嫌になるくらいの沈黙に吸い込まれた。 *     *     * つい先日まで満開であったはずの桜が、もうほとんど散ってしまった。 肉親が眠る墓の前。 どうしたって時間の経過を感じずにはいられず、黄昏を背に立ち尽くした。 「ほんと…性格の悪いヤツ」 何で理屈に合ってんだよ、と少年が1人、諦観と共に笑う。 「…良いぜ。今度はオレが、お前に付き合ってやるよ」 手にされた紙片はその手により散り散りに破かれ、ちょうど来た海風に攫われた。 この景色も、見納めかもしれない。 「I'll bring you to your ship, and so to Naples,…」 彼はひとつ呟いて、墓地を後にした。 悪くないなと微笑んで。 *     *     * "はじまりの樹"がどこにあるのか、それは鎖部一族の記録には無い。 人々が目にしているのは基本的に『根』であり、幹ではないのだ。 他方、"絶園の樹"は分かりやすい。 鎖部一族の里、"はじまりの樹"を祀る祠の奥に、成長しない『芽』として鎮座していた樹。 果実を吸収し成長した樹は今、誰もが目視可能だ。 世界各国からの研究、調査要請は引きも切らないが、日本の研究者も含め、誰も目的を果たせない。 鎖部の結界により、樹とその周囲1kmは鎖部一族か魔具を持った者しか近づけないのだ。 「左門、どうだ?」 葉風の問いに、左門はスマートフォンで地図を示した。 「哲馬の報告によると、ちょうどここから真南に結界を破られた跡がありました。 結界を修復した後に周囲を調査しましたが、足跡ひとつなかったようです」 報告に葉風が手を握り締める様を見、フロイラインは空を仰ぐ。 「やっぱり、吉野くん?」 「…そうとしか思えん。念のため一族すべてに探査魔法を使ったが、他に魔具を渡した者は居らん」 葉風の与り知らぬところで、『魔法』が行き来していることは無い。 『絶園の力』以外は。 「先ほど、樹の周りの結界を三重に増やした。時間稼ぎにはなろう」 私たちの前方に張ったと続けた彼女は、後ろを振り返る。 「どうだ? 羽村。何か変化は?」 自分の手を見つめていた羽村は、やはり首を振った。 「何も無いよ…」 吉野が消える前、彼と最後に接触したのは羽村だ。 今思えば、あの"記憶が途切れたような気がした"そのときが、鍵だったのだろう。 (やっぱり、あのときに吉野くんは…) 彼が何と言ったのか、どうしても思い出せない。 「!」 それは鎖部一族にのみ聴こえた、結界の砕ける音。 一族ではない羽村やフロイラインには、葉風たちが一斉に何かに気を取られたように見えた。 葉風や左門の目には、自分たちの前方に三重に張った結界の内、外側の2つが粉々に砕けた様が映る。 「そんな…馬鹿な!」 軍用ミサイルを礎に葉風の張った結界が、こうも容易く。 葉風は"絶園の樹"に向かって駆け出した。 「左門、哲馬たちに結界の張り直しを指示しろ! 夏村は私と来い!」 走り出した葉風を追い、羽村たちも駆け出す。 そう遠くない距離だ。 最後の結界に近づくにつれ、不自然な人影が見えてくる。 あと100m、50m。 息を切らせ立ち止まり、葉風は絶望に泣きたくなった。 「よ、しの…」 滝川吉野が、そこに立っていた。 服装が違うのは、魔法探知に利用される為か。 けれど向けられた笑みは、なんら変わりなく。 「なぜだ…なぜ、なぜお前がここに居る? なぜ居られるのだ?!」 泣くまいと堪えた叫びに、吉野は困ったように微笑する。 パーカーのフードを被り翳った表情でも、それは容易に判別できた。 「葉風さんたちの推測の通りだと思いますけど」 泣かないでくださいと諭され、葉風は思い切り頭(かぶり)を振る。 「泣いてなどおらん!」 フロイラインが葉風の前へ出た。 「…吉野くん。つまり君は、自分が"絶園の魔法使い"だと言うのね?」 相対し、思う。 (同じだわ、あのときと) 彼の"彼女"が誰なのか、他の誰も知らなかったとき。 フロイラインと2人きりになったときにだけ、吉野はあんな表情を見せた。 まるで、他に何も心動かすものが無いと言うように。 「皆さん、そう言ってませんでしたっけ?」 問い返され、また頷く。 「そうね。あんまりにも羽村くんのメンタルが弱いから、能力と心が別々に宿ったんじゃないかって」 すると次は意味深な笑みが返った。 「その疑いって、どうなったんでしたっけ?」 「どうって…」 羽村が現れ、パフォーマンスも兼ね葉風も加わっての魔法戦闘劇。 そして葉風は真相を求め、過去へ飛んだ。 「不破愛花が"絶園の魔法使い"だと判明して、」 彼女の真実に近い推測として、羽村がバックアップだと判って。 …それから? 「あれ? それっておかしいよね」 吉野くんへの疑いは、全然解決されてないよね? 潤一郎の声が、やけにはっきりと耳に届いた。 不破愛花が、"絶園の魔法使い"であった。 羽村めぐむは、急遽目覚めさせられた"絶園の魔法使い"である。 不破愛花は過去において、『絶園の魔法使いは自分一人だ』と言った。 ならば…今は? 顎に手を添え考えを巡らせ、フロイラインは恐る恐る口にする。 「過去に"絶園の魔法使い"が1人であっても、今がそうとは限らない…?」 吉野を見れば、彼はやはり微笑んで。 「"今までは"そうでした。でも"今は"、」 言葉を途切れさせ、彼は葉風たちに背を向け結界に向き合う。 触れることの可能な見えぬ壁、それに片手を合わせ。 「『樹の中の樹、大樹の中の大樹。終焉に在りしはじまりの樹。我が力において共鳴せよ』」 今、彼は何と。 (『終焉に在りし"はじまりの樹"』?!) 葉風が強力な魔法を使用する際に発する詠唱、似て非なる言葉が紡がれる。 混乱しかけた葉風の思考を、吉野の元へ瞬間的に集まった力の奔流が押し留めた。 「『砕け』」 ーーービキリ 彼の一言で巨大な亀裂が走り、網目状に広がったかと思うと結界は粉々に砕け散った。 魔法など、珍しくも何ともない。 だというのに、葉風ですら言葉を失くした。 (何だ…これは) 違い過ぎる。 「な、なんか…僕が使ってた魔法とだいぶ違うんだけど…」 特に威力とか。 羽村の声に、ここで素直に言える辺り大物だな、と葉風の胸に明後日な感想が湧いた。 「そうですね。鎖部の魔法よりこちらの方が断然、扱いが難しいみたいです」 僕も使って分かりましたけど。 吉野は彼らを振り返ること無く、奥へと足を踏み入れる。 「ま、待て! 吉野!」 向かう先は"絶園の樹"。 葉風たちは慌てて彼の後を追い掛け、追いついてきた左門と哲馬、そして早川が続く。 「どういうことだ?」 「何だこれは?!」 「それが…」 フロイラインが彼らに簡単な説明をする間に、葉風が吉野の腕を捕らえる。 「待て吉野! ちゃんと説明しろ!」 弾みでパーカーのフードが落ちる。 「説明しなくても分かるでしょう?」 今までにも幾度と無く見た、困ったように微笑む吉野だ。 足を止め、掴まれた腕もそのままに、彼は葉風をただ見つめ返す。 今までと変わらない。 (変わらないのに、なぜこんなにも泣きたくなるのだ…!) 次の言葉を探す葉風に、ぽつりと呟きが聴こえる。 「愛花ちゃんに言われませんでしたか? 因果関係が狂っているのは、時間を超えたからだって」 掴んでいた腕が、するりと指先を抜けた。 「それは…それは、私が過去へ渡ったから、未来である"今"が変わったということか?!」 取り乱す葉風を、吉野は取り成した。 「いいえ。変わったのは、ほんの些細な部分だけですよ」 足場がゴツゴツとした石塊から、ややふにゃりとしたものに変わる。 (これは、"絶園の樹"の根か) ざわり、と葉風の胸に嫌な感覚が走った。 途端にさわさわと周囲の梢が妙に音を立て、悪寒というのか、空気が肌にピリピリと刺さる。 「…姫様」 左門の声に小さく首肯し、拳を握る。 (これは、"敵意"だ) 誰のものでもない、この"敵意"を発するのは。 ("絶園の樹"!) ザッ…と、鋭い"何か"が葉風目掛けて放たれた。 葉風だけでなく、後ろを歩く左門と夏村、哲馬に対しても。 視認出来ぬ速さの"それ"に、鎖部の魔法使いたちは反射的に防御シールドを展開しようとした。 「止めろ」 ひとつ、静止の声により停止した"それ"。 1mの間もない先、シールドを張っても間に合ったかどうか。 鋭い切っ先を向けてくるのは葉か、それとも根か。 頬に沿って冷や汗が滑り落ちた。 「すみません。"絶園の樹"って、"はじまりの樹"ほど寛容じゃないみたいで」 ビタリと周囲でそのまま止まった植物に、喉が干上がる。 吉野の謝罪の言葉だけが、ただ異質に浮いていた。 *     *     * 幾度目だろう、出発案内のアナウンスが流れている。 持ってきていた小さめのボストンバックを枕に、どうやら眠ってしまっていたようだ。 (なんか食うかな…) 着いたのは昼過ぎ。 広い窓から見えるのは、昨日よりも色濃い紅の黄昏。 ここは国際便ゲートが目前にある、国内で最高の離着陸数を誇る空港の待合室。 眩しさに目を細めた先で、影がひとつ立ち止まった。 「よお。思ったより早かったな」 身を起こし、挨拶代わりに片手を上げる。 「…本当に居るとは思わなかったよ」 被っているパーカーのフードと逆光が、その顔と表情を隠す。 しばらく佇みこちらへ足を向けた相手は、真広の隣へと腰を下ろした。 ごく至近距離に相手を認めて初めて、真広は彼が顔を隠している理由を目に留めた。 「吉野」 呼び掛けにこちらを向いた彼に、そっと手を伸ばす。 指先は相手の右の頬に触れ、なだらかな曲線に沿って首筋へと降りる。 「こいつは…」 フードのお陰であまり目立たないが、今真広がなぞったその通りに、今までに無いものが在った。 黒く、繊細に描かれた植物の紋様。 服に隠され途切れているが、おそらくこれは首下にも続いている。 真広の目には蔦のように思えるが、刺青だろうか。 親指の腹で頬の紋様をもう一度撫でてみるが、実際に描かれているような感じはしない。 …となると。 「こいつは、アレか?」 斜め後方の天井、設置されているテレビを顎で示す。 もう何度聴いたか、流れてくる音声はずっと同じことの繰り返しだ。 ようやく吉野が表情を変えた。 「よく分かったな」 見慣れた苦笑が、普段以上に翳って見える。 「おい、大丈夫か?」 顔を覗き込めば隠せないと踏んだか、吉野は苦しげに笑った。 「なんか、疲労感と眠気が半端じゃなくて」 よくここまで来れたな、とは言わなかった。 吉野の持ってきた荷物を自分の荷物の隣に移して、真広は腰を上げる。 「荷物番ついでに寝とけ。チケット買っといてやるから」 「ありがと…頼む……」 倒れ伏すというのか、荷物を枕にした吉野はあっという間に眠ってしまった。 (どんだけ無茶しやがった、こいつ) 舌打ちを飲み込み、テレビ画面を見上げる。 時間の経過くらいしか代わり映えのない、ニュース報道だ。 『ーーーー本日×時、富士山麓に確認されていた巨大な樹が、突然に消失しました。 政府により"絶園の樹"と呼ばれていたこの樹は、世界各国に出現した"はじまりの樹"との関連性が指摘されておりーー』 *     *     * 滝川吉野は、"絶園の魔法使い"である。 始め左門やフロイラインたちが疑っていたように、『絶園の心を持った』魔法使いだ。 彼らの推測は極めて正しく、吉野が最初に羽村と接触したのは"絶園の樹"に仕組まれた必然であった。 必然の予測は出来なかったが、自覚ならば随分前からあった。 愛花が死に、初七日の夜半。 どうにも寝付けず目は冴えて、暗がりの天井を見上げていた。 …そのとき。 頭を鈍器で殴られたに等しい、酷い頭痛が吉野を襲った。 痛みを堪えられたのはほんの数秒のことで、程なくして吉野は意識を飛ばした。 「翌朝目覚めたときの衝撃と言ったら、もう二度と体験したくないですね」 遥か高い樹を見上げ、霧で半分以上隠れている幹に片手を触れる。 ざわざわと梢が鳴り、一陣の風が吹いた。 葉風には、樹の幹に触れている吉野へ向けて、"絶園の樹"全体から"力"が流れ込んでいる様が確認できる。 「…その頭痛は、"はじまりの樹"と"絶園の樹"の真実を持ち込んだのか」 吉野は苦笑した。 「そうです。…ああ、でも一応断っておきますけど」 幹に手を触れたまま、吉野は葉風らを振り返る。 「人の心は、魔法でどうにか出来るものではありません。 それは"はじまりの樹"であろうが"絶園の樹"であろうが、同じことです」 だからこそ葉風は思い悩み、潤一郎は危惧し、左門たちは慄いた。 フロイラインが口を開く。 「絶園の魔法使いとしての自覚を持っていた、と言ったけど…。 君は『こうなるため』に動いていたわけではないのよね?」 "はじまりの樹"がそうであったように、理を動かし捻っていたのではなく。 吉野は目線を伏せた。 「…僕はあくまで、愛花ちゃんの死が悲劇とならないように動いたまでです」 でも、このままでは『悲劇』になってしまう。 「なんだと…?」 目を見開いた葉風へ、吉野は淡々と告げる。 「分かりませんか? "はじまりの樹"を保護するなら、"はじまりの樹"と戦ったこの"絶園の樹"は敵だ。 いずれ詳細は漏れる。となると、"絶園の樹"に対する物理的な攻撃が行われます」 「そんなことは…」 「無い、と言い切れないでしょう? それに、鎖部のシールドも無限ではありません」 ぐぅの音も出ない。 押し黙った面々に、吉野はさらに語った。 「"はじまりの樹"は人間を金属化し、吸収する形で消滅させてしまう。それが兵器でも同じです。 他方、"絶園の樹"も自身を守るために対象を破壊することが出来る。でも…」 "絶園の樹"は対象を破壊しても、吸収などしない。 撃ち落とされたミサイルも貫かれた戦車も、併せて殺された人の遺体もそのまま残る。 吉野はどこか切なささえ滲ませ、微笑んだ。 「目に見える死と、消え失せた死。一体どちらが、感情に訴えるでしょうね」 ざわざわと、葉風の胸の内で感情が荒れた。 (…だめだ、何も…何も、返してやれる言葉がない) ただ静かな声が、響く。 「…愛花ちゃんが望んだのは、僕と真広の未来だ。彼女はその為に命を賭けた」 吉野へと流れこむ力の波動がより強くなり、魔法使いではないフロイラインにも光に似た流れが視認できた。 「ちょ、ちょっと…吉野くん、あなた何をする気?」 樹へと向き直り、吉野は目を細める。 「"絶園の樹"を、此処に置いておくわけにはいきませんから」 未だ姿を現さない、"はじまりの樹"の本体。 本体以外を破壊しても意味がなく、となれば"絶園の樹"自体も力を振るう意味が無い。 だが相手が人間であれ、攻撃されれば反撃するだろう。 すると世論はさらに"はじまりの樹"へ傾き、鎖部一族でさえも動き難くなる。 「この巨大な樹を、どこかへ移すと言うのか?!」 驚愕に樹を見上げた左門に、微苦笑する。 「移す、という点は合っていますが…。世界のどこに移しても、結果は同じですよ」 駄目だ、吉野の言っている意味が解らない。 「待て吉野! お前は何を言っているんだ?!」 力の奔流は輝きを増し、幹に触れる吉野の周囲は光に覆われる。 「『樹の中の樹、大樹の中の大樹。終焉に在りしはじまりの樹。我が力において共鳴せよ』」 光が一点に集中する。 幹に触れた掌に、力を込めた。 「『その身を我が身へ移し、宿れ』」 *     *     * (どうして私は何も出来ん? 守るべきは私で、姫宮としての責務で、) 守られてばかりではないか。 過去も、未来も、現在も。 「葉風さん、お茶が入ったわよ」 フロイラインの声に、瞼を上げた。 「ああ、今行く」 ふらりと立ち上がりリビングへ出向けば、いつもの面々が顔を揃えている。 …吉野と真広の姿はない。 車座の空いた位置に座り、用意された茶菓子に葉風は目元を緩ませた。 「しかし…羽村が未だここに居るとは、人とは変わるものだな」 煎餅を手に取った羽村は、向かいからの言葉に眦を下げた。 「酷いなあ、葉風さん。そりゃあ、頼りないことは自覚してるよ。前々から」 吉野が絶園の力を引き受けたことで、羽村は只人(ただびと)へ戻った。 しかし丸3日を掛けて彼が出した答えは、このまま葉風らと共に奔走することだった。 「途中までとはいえ当事者だったし、ここまで知ってるのに逃げるのは何か違うと思うし。 それに…僕より年下の高校生に、全部任せるわけにはいかないよ」 彼の横でどら焼きをパクつき、潤一郎が笑った。 「いやあ、言うようになったねえ羽村くん。実質的に、一番成長したのは君なんじゃないかなあ」 葉風ちゃんはまだまだ子どもだし。 「潤兄さん!」 むくれた葉風に、座が和んだ。 湯のみを手にして、フロイラインはほぅと息を吐いた。 「5年…か。長いようで短いわね」 主語のない言葉であるが、このメンバーには得てして通じる。 「長くて5年。それが"はじまりの樹"が何もしない最後の期間だと、滝川くんは言ったな」 早川の返しに、左門は腕を組む。 「ああ。それが終われば"はじまりの樹"は本体を出現させ、文明破壊の準備に入る」 「本体を破壊すればこちらの勝ち、破壊できなければ…」 "はじまりの樹"を破壊できなければ、人類の文明がリセットされる。 夏村は言葉を濁した。 羊羹を飲み込み、葉風は茶のお代りを入れる。 「…とりあえず、私は魔具の作成と共に、富士山麓と鎖部の里の結界を強化しようと思う」 眼差しを寄越された左門は頷き、饅頭を手に取る。 「異論はありません。特に姫様の魔具は、幾らでも必要となるでしょう」 うんうんと同意を示した潤一郎が、ぽんと手を叩いた。 「よし、じゃあ羽村くん! フロイラインさんの手伝いに入れるように、もっぺん特訓しようか!」 「ええっ?!」 潤一郎さんに勝ってたじゃないですか! と嘆く羽村に、彼はチッチと指を振ってみせる。 「あれは"絶園の樹の力"じゃない、と言い切れるかい?」 「うっ…」 項垂れた羽村の肩をポンと叩いたフロイラインが、何かに気づきポケットを探った。 取り出されたのは彼女のスマートフォン。 着信内容を見たフロイラインは、にこりと葉風へ笑い掛けた。 「真広くんからよ。吉野くんと2人、今は香港に居るって」 力無く、けれど葉風はようやく明るい顔を見せた。 「そう…か。元気でやっているなら、もはや何も望むまい」 富士山麓で交わした言葉は、未来への礎だ。 他に何を望む? *     *     * 「5年後の今日、僕はまたここへ来ます。"絶園の樹"を戻しに」 植物の紋様へ形を変えた"絶園の樹"。 それを己の半身に負った吉野は、何も無くなった荒地でそう告げた。 麓へと歩き出した彼を止める術は、誰一人として持たず。 姿が霧に隠れる直前、吉野は葉風たちを振り返り、笑みと共に紡いだ。 「『"近いうちに、差し向かいでご不審を解いて差し上げよう"。 "そうすれば、ここでの出来事はすべてなるほどと納得なさるはずだ"』」 ーーー"それまでは心楽しく、何事も良い方へ解釈なさい"。 2013.3.13 氷海樹雪