『マヒロの愛情表現は、分かり難いんです』
不破愛花は己の兄を掴まえて、そう言った。
なぜそんな話になったのか、切欠はどこにも無かったのだけれど。
滝川吉野はその突拍子もない話に、少しだけ悩んでみる。
結論は、悩むまでもなく出た。
(まあ、その通りなんだよね)
キィ、と腰掛けたブランコを少しだけ揺らす。
ふわりとどこからか風が吹き、煽られた愛花の長い髪が視界に入り込んだ。
『そう、分かり難いんです。マヒロのあらゆる行動は、マヒロがしたいように行動した結果なんです。
だから遠まわしに思い遣っているわけでも、深く考えた行動でもない。
本人に改めて聞いてみたところで、分かり難いことを本人が分かっていないので無意味です』
彼女の兄である不破真広は、吉野にとっては幼馴染というカテゴリに分類される。
もっとも人聞きの良いカテゴリがそれなのであって、関係性を表す言葉は他にもあった。
悪友、腐れ縁、昔馴染み…等々。
白い指先ではためく髪を押さえ、愛花はちらりと吉野へ視線を向ける。
『吉野さんは意外とストレートですが、それが原因の1つかもしれませんね』
『え?』
『貴方とマヒロは幼い頃からの付き合いで、おそらくお互いの本質を一番よく知っています。
大抵一緒にいますから、関わった相手は吉野さんとマヒロの2人を相手取ることになる』
『…話の内容がちょっと不穏なんだけど』
相手取る、なんて言葉は、良い話には出てこない。
告げれば彼女はいつものように、言葉の綾です、と澄ましてしまう。
『マヒロは適当なことしか相手に返さないでしょう。
例えそこに…万が一にも、思い遣りが混ざっていたとしても』
『そうだろうね』
『でも、マヒロが適当な受け答えをしたって問題にはなりません。
だって吉野さんが居るんですから』
『えっ、と…?』
なぜそこに己の名前が出るのか戸惑った吉野に、察しが悪いですねと愛花は笑った。
『吉野さんが、代わりに全部言ってくれるからですよ。
マヒロが行動した理由と結果を貴方が語るので、マヒロは何も言わなくて良い』
『あー…なるほど…』
心当たりが、有り過ぎた。
* * *
ーーーなんて。
どうしてこんな話を思い出したのだろうか。
あまりに非現実的な出来事が立て続けに起こって、脳がヤケを起こしたのだろうか。
前を歩く真広に着いて歩きながら、吉野は考える。
実に、1ヶ月ぶりの幼馴染の姿だ。
さすがの吉野も、まさか超常現象と共に再会するとは思ってもみなかった。
見慣れているはずの金髪に覚えた懐かしさ、懐古の念が彼女の思い出を浮かべたのかと思い至る。
「で?」
「え?」
足を止めた真広が、吉野を振り返った。
「お前、何であんなとこに居たんだよ?」
うちの墓の前なんて。
吐きそうになった溜め息を殺したことは、褒められて然るべきだろう。
「定期的に行ってるんだよ。お前まで居なくなって、誰も訪れる人が居ないから」
訪れる者のない墓は、瞬く間に荒れてしまう。
吉野の返答にふぅんと納得したのか微妙な声を寄越し、真広が何かに気づく。
不意に手が伸びてきたので、吉野は反射的に身を反らせた。
「…これ、」
親指の腹でくい、と口元を拭われ、非現実ショーで忘れていたことが現実に戻ってくる。
「あの女にやられたのか?」
殴られて切れた唇はしばらく染みるだろうな、と思考の隅でげんなりした。
吉野はもう一度、袖口で口元を拭った。
「違うよ。これはその前に…」
拭った血はほとんど乾いている。
真広は自分の親指に移ったそれを舌で舐め取って、錆び付いた味に眉を寄せた。
「あの女の前? 誰に?」
「えっと、3年の…」
口元が歪んでしまうのは、仕方のないことだろう。
ついでに乾いた笑いが口から零れ落ちる。
「はっ、アイツら懲りねーなあ」
以前からやたらと絡んできていた、5人ほどの上級生グループだ。
だが、目を付けられていたのは真広だけであったはずで。
「んじゃ、墓参りもしたことだし、ちょっと行くか」
「行くってどこに…?」
海沿いを行く予定であったろう真広が進路を幹線道路へと変え、吉野は首を傾げる。
「あの3年連中、いつも駅前の公園にたむろってたろ? お礼参りさ」
「はあ?」
首を傾げるだけでは済まなかった。
「ちょっ、おい真広!」
決めたら即行、周りの意見など柳に風。
1ヶ月やそこらでこの幼馴染が変わるわけもなかった。
ファンタジーと現実の間で惑ったままの吉野は、答えを持つ真広を無視するわけにも行かず後を追う。
行っても行っても、人の気配は消えていた。
人が突然に生を終えてしまい、乱れた生活空間だけが目の前にある。
金属のように硬くなった『人であったモノ』ばかりが、映る。
ふわふわ漂う雪に、ひらひら迷い出た揚羽蝶。
蝶たちは餌の花々にもありつけず、ただ羽を休めて凍え死ぬのを待つのみだ。
目的の公園に足を踏み入れた真広が、また口元を歪めた。
「おーおー、見事に金属になってやがる」
彼の視線の先では、みっともなくカツアゲなんぞしてくれた上級生たちが生を辞めていた。
金属の死体となった男たちに、真広は何の遠慮もなく近づく。
「吉野。お前、財布にいくら入れてたんだ?」
「え? 確か3千円くらいじゃないかな」
1人目のコートのポケットを探り、本人のものらしい財布を1つ。
「カードとかは?」
2人目のズボンのポケットを探り、これまた本人のものらしい財布を1つ。
「口座のカードなんて持ち歩かないよ」
ポイントカードくらいかな、と続けた吉野に、そうかと真広は返す。
3人目、4人目と財布を取り出し、5人目でようやく目的にぶつかった。
「吉野」
名を呼ばれ目を瞬くと、何かが放られ条件反射で手に掴んだ。
「あ、僕の財布…」
どこかに捨てられたと思っていたが、まだ持っていたらしい。
中身は例によってすっからかんだ。
「ほれ」
続いて突き出されたのは、野口英世の紙幣が3枚。
「お前の金だろ? 相手が死人だろうが、盗られたままは不合理だ」
「はあ」
溜め息と一緒になった声は、どうやら肯定と受け取られたらしかった。
吉野が3枚の紙幣を自分の財布に仕舞ったのを見届けた真広は、回収した他の財布をぽいと放る。
「…俺が居ないからって、数にかまけて吉野に手ぇ出してんじゃねーよ」
ムカツク、と呟かれた言葉は、吉野には届かなかった。
点滅を繰り返す街灯に、揚羽蝶が集まっている。
「用は済んだし、行くか」
「今度はどこへ?」
「俺の家だ。説明も必要だろ?」
「ああ、うん。そうしてくれると助かる」
現実と非現実の狭間で、戻ってきた幼馴染は現実で。
とりあえずはその事実に少しだけ安堵して、吉野は愛花の思い出を完全には思い出し損ねた。
* * *
強めに地面を蹴って、ブランコを揺らす。
ぶわりと風に髪が舞って、風の軌跡が目に写った。
『マヒロの愛情表現は分かり難い。でも、その筋は分かり易いものです』
『どういうこと?』
意味が掴めず問い返した吉野へ、愛花は目を細めた。
『だって、マヒロが愛情を表現する相手は極々僅かです。それが分かれば簡単ですよ』
『うん…?』
解ったようなそうでないような相槌を打つ吉野から視線を外し、橙に変わる空を仰いだ。
(マヒロが心を砕く相手は、貴方か私しか居ないのだから)
学校が違うため、愛花は真広ほど吉野の隣には居られない。
その上性別が違うので、男の思考回路は少々難解なジグソーパズルだ。
(どんな喧嘩を吹っ掛けられても、理由は必ずある。始めはなくても、途中で生まれる)
向こうが吹っ掛けてきたんだ、で終わってしまう、真広の言い訳。
それに種類があること、隣で頭を悩ませている彼は知っているだろうか。
『マヒロはね、嫌いなんですよ』
『えーっと、何が?』
あいつが選り好み激しいのは今更だけど、と返ったので、ああよく解っていると感心した。
『自分の大事なものに、適当な判断を下されることが』
私も嫌いですけどね、と音に変えると同時に、ブランコから勢い良く飛び降りる。
『愛花ちゃん、何か言った?』
最後はやはり聴こえなかったらしい。
問うてきた吉野へ、愛花はそっと微笑む。
『独り言ですよ』
片羽の蝶 ---end.
2012.10.8
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