"神"であったものは、褒美を与えた。
『明日の約束』が来る、当たり前の明日(みらい)をーーー。



*     *     *



目の前に差し出された、1枚の紙切れ。
太線の黒枠で囲われた部分を見て、滝川吉野はおや? と目を瞬いた。
ーーー判定:B。
机1つ挟んだ向かい側に座るのは現在の担任教師で、こちらも驚いた後の顔をしている。
「前回の模試ではD判定だったが、相当に頑張っているな」
予備校にでも行っているのか? と問われ、違いますよと苦笑した。
「怖い家庭教師が付いたんです」
紙切れを手に取り、役立ちそうな項目に目を通す。
これは大学受験を控えた生徒が必ず受ける、全国模試の結果だ。
各教科の結果よりも先に、希望する進学先への合格確率がアルファベットで示される。
吉野が第1希望としている大学は、日本国外にもそこそこ知られた国立大学だ。
ゆえに倍率は結構…いや、かなり高い。
ゴールデンウィーク明けに受けた模試では、惨敗のD判定。
第2希望以降の大学はAかBの判定を貰っており、そのときは志望順位を替えるべきかと本気で悩んだ。
そこで額に青筋を立てたのは両親でも教師でもなく、幼馴染だった。

吉野と不破真広の進む方角は、未だに同じままで変わらない。

個人面談を終え、夕暮れの廊下を少し足早に進む。
まだ残っている生徒がいるようで、幾人かと擦れ違った。
そこに見知ったクラスメイトの顔が混じる。
「あっ、滝川くん。下駄箱のところで不破くんと妹さんが待ってたよ!」
親切にいつもと変わらぬ光景があることを教えてくれたので、礼と共に手を振る。
3年になって一番距離が短くなった階段を降り、自身の靴箱へ。
すると足音に気づいたのか、連なるロッカーの端からひょこりと不破愛花の顔が覗いた。
「思ったよりも早かったですね、吉野さん」
残り半年の付き合いとなる上履きを仕舞い、パタンと扉を閉じる。
「見切りを付けられたかその逆か、どっちかだろ」
やや辛辣な声だけが、愛花の隣付近から飛んできた。
「真広ほど早い人は居ないと思うけどね」
自分で返しておいてなんだが、また苦笑が漏れる。
何せ真広の場合、進路面談とはイコール結果表を渡すだけ、なのだ。
吉野が愛花の隣へと歩き出せば、別のロッカーに背を預けていた真広も身を起こした。
「で?」
「ん?」
たった1字で先を予測するのは、テレパスでもなければ難しい。
真っ先に歩き出し玄関口を出た真広の後を、愛花と共に歩き出した。
「結果、どうだったんだよ?」
さすがに不親切と思ったか真広が追加を寄越し、吉野はああ、と数分前に仕舞ったばかりの紙切れを取り出す。
手渡された全国統一模試結果を見下ろして、真広は軽く目を見開いた。
「お、これなら行けそうじゃねーか?」
足を早めた愛花が彼の隣へ並び、同じ紙切れを横から覗き込む。
「B判定…ということは、当日の試験次第で合格は可能ですか」
家庭教師の甲斐がありましたね。
義理の兄を見上げれば、当然だと唇の端が釣り上がる。
「じゃなきゃ俺がわざわざ教えてやるかよ」
不破兄妹の1歩後ろを歩きながら、吉野は乾いた笑いしか出てこない。
「相当なスパルタだけどね…」
「んなの、出来ないお前が悪い」
それがさも当たり前だと真広が言うから。
「出来るお前から見れば、そりゃそうだろ…」
予想以上の好成績でやや上がった気分は、早くも平常運転に戻ろうとしている。
そういえば、もっと早い時期に尋ねるべき言葉があった。
「愛花ちゃんは教えてもらわなかったの?」
吉野の問いにほんの一瞬足を止めた愛花は、その一瞬で隣に並んだ吉野と共に歩き始める。
「ありませんよ。というか、あり得ませんね。マヒロに勉強を教えてもらうだなんて」
あれ、あり得ないんだろうか?
不思議に思った吉野が前を歩く真広を見れば、それを肯定するように彼の片手がひらりと振られた。
「ねーよ」
やっぱり、あり得ないようだ。
(愛花ちゃんが同じ高校に行くって言い出して、教えたりしてるのかと思ったけど)
吉野と真広、愛花の通うこの高校は、周辺の市を含めて県下一…ではなく三のレベルを維持している。
ゆえに県下一や二の別高校を受ける者の滑り止めにも使用され、倍率も高い。
入るのにそれなりに苦労した吉野は、真広がトップ成績で合格したことを知っている。
彼にとってはそれが当たり前で、吉野のような苦労は非日常なのだ。

愛花より1つ年上である2人は、先に大学進学を控えている。
掛かる金額を考えると国立を選びたいものだが、如何せん頭の出来に多くを左右される。
真広は自分が受けてみたい講義や校風で選んだようだが、吉野は違った。
そんな話をしたのは、もう4ヶ月も前の話だ。
「で?」
「うん?」
たった数文字にすぎない、つい数分前と同じやり取りが交わされる。
「お前、今日はどーすんだ? 一昨日の分、大丈夫そうなのか?」
一昨日の分とは、真広の出した課題のことだ。
真広が他者の心配をするなんて、たとえ受験についてだとしても違和感が拭えない。
当人に告げたら、いい加減慣れろとでも言うだろうか。
「ああ…いや、大丈夫かって言われると違うかな…」
「はあ? 何だよそれ」
「相変わらず、はっきりしない人ですね」
前の真広には思い切り眉を寄せられ、隣の愛花には嘆息混じりに目を眇められた。
幾らか予想していた吉野は苦笑する。

吉野が言葉を曖昧にするのは、今に始まったことではない。
敵を増やしがちな真広と比べると、彼のそれは美点とも言えた。
が、それはあくまで、真広と愛花以外を相手にしたときだ。
「なら吉野さん。夕ご飯も一緒にどうですか? 昨日からは真広が当番なんです」
愛花が口にしたのは、不破家の台所(これは読んだままの意の)事情だった。
「ご両親が留守のときは、3日ずつご飯当番なんだっけ?」
実業家としてそれなりに名の知れている真広の父は、母(彼にとっては養母か)と共に週単位の出張に出ることが多い。
その間、料理以外はハウスキーパーが家を維持していると言っていた。
じっと愛花が真広を見つめれば、どうやら視線に込めた意図は伝わったようだ。
「昨日ロールキャベツの仕込みしたから、食うなら今日か明日だな。それ以外だと和食になる」
性格と態度と口の悪さにさえ目を瞑れば、真広は何でも出来るパーフェクトボーイである。
果たして、それを知る人間は何人だろうか。
食べ物に釣られる吉野ではないのだが、息の合わない兄妹の息が合っている場合、断ることがなかった。
少し考える素振りを見せ、彼は頷く。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな。荷物整理してから行くよ」
いつもの分かれ道で手を振り、2人と1人は背を向ける。
吉野の後ろ姿をしばし見送った真広と愛花は、こんなとき、血の繋がりもないのに似ているなあと感じて止まない。
「お前どっちが良い? ロールキャベツと魚」
脈絡もなく問われた料理の内容に、愛花はふむ、と少しだけ考えた。
「吉野さんが明日も来るとは限りませんから、ロールキャベツで良いのでは?」
「んじゃ、そうするか」
彼らは晩のメニューを決めてから、家路へ着いた。
それはかみさまの、ざんげ 1 ---end.


2012.10.26

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