可愛らしいラッピングを解き、季節限定のパッケージを開く。
ちょこんと並ぶ小さなチョコレートたちは、たった1日のためだけに創られたもの。
それを一粒取り出し、ぱくりとひと口。
日本で初めにこの催しを始めたメーカーのロゴが、甘い香りと共に口内で溶けた。
「あら、今日はまた違うチョコレートですね」
声の主を見上げれば、彼女は悪戯っぽく眼差しを細めた。
「恋人の前で別の女性から貰ったチョコを食べるとは、良い度胸です」
吉野は苦笑を返す。
「捨てる度胸も無いからね。仕方ないよ」
「そうですね。本当に、仕方のない人です」
このやり取りももう4度目。
慣れたものだ、お互いに。
クスリと笑んだ愛花は、吉野の摘んだチョコレートを横からひょいと奪い去る。
「Mチョコレートですか。王道ですね」
今度は自分がぱくりと口にして、順当に美味しいと感想を述べた。
「まあ、バレンタインデーは数日過ぎていますから、及第点といったところでしょうか」
愛花が吉野に渡したチョコレートは、当日と翌日の2日間で消費されている。
チョコレートを複数貰う側も大変なのだと、愛花は吉野と付き合う中で学習した。
「あと何箱くらい残っているんです?」
「愛花ちゃん、見てなかったっけ。たぶんあと4つくらいだよ」
チョコレートは、一度に量を食べることが難しい。
となると、すべての消費にあと1週間だろうか。
そこでふっと、吉野がため息をついた。
「僕のは別に良いんだけどさ…」
もう一粒、今度は箱から攫ってきた愛花もまた、ああ、とため息に近い言葉を零した。
「去年にも増して酷かったですからね、真広の方は」
大学構内のカフェテリアで、ここには居ない義兄の先日の様子を思い出す。
元々、吉野よりも女性受けする真広だ。
彼は毎年のようにバレンタインデー攻勢を受けており、8割は突き返すが2割は受け取る羽目になっていた。
それだけなら恒例行事なので、構わない。
違ったのは、昨年の秋口から真広がモデルのアルバイトを始めたことだ。
王道漫画のように渋谷の交差点でスカウトを受けたのだが、これが予想よりも注目を浴びてしまった。
「真広の所属事務所が選別してくれるのは良いんだけど、それにしたって…」
思い出すだけでげんなりとする吉野に、愛花も同調するしかない。
「…そうですね。本人が持って帰ってきていた頃の方がマシでした」
モデルとは即ち、モデル本人が資本であり商品価値そのものである。
しかもメディア媒体に載るということは、数多の視線に晒されるということでもある。
人気が出て、売り上げが伸びるだけでは終わらないのだ。
羨望から始まり憎悪までもが、本人の上辺だけで理不尽に集まる可能性があった。
視線や噂といった形のないものから、ファンレターや贈り物といった物理的なものまで。
ゆえに、真広本人はチョコレートを含め、贈り物は一切受け取らない。
代わりに受け取り開封し安全性を確保するのが、彼の所属事務所だった。
安全であると判断されたものが真広に持たされるわけだが、それにしたって悩みの種には十分な量だ。
「…そろそろ帰ろうか。チョコレートが消えてくれるわけでもないし」
空になったパッケージを手に、吉野は立ち上がる。
合わせて立ち上がり、愛花は空を見上げた。
「今日は外で撮影だと言っていましたね。機嫌良くやっていれば良いですが」
苦笑すれば良いのか同意すれば良いのか、吉野は曖昧に誤魔化した。
* * *
吉野と真広が大学2年生となり愛花が同じ大学に入学して、3人は親元を離れて同居を始めた。
3人の関係性を鑑みると"同棲"という言葉の方が正しいのだろうが、気にしないことにしている。
吉野は着替えを終えてリビングへ向かい、冷蔵庫を開けてみた。
「……」
とりあえず、賞味期限の短い生チョコレートの箱だけをテーブルに出す。
昨日の内に面倒がる真広を手伝わせ、分けておいたのだ。
「食べて消費するには、ちょっとなあ…」
奥の洋室の扉が開き、愛花も着替えを終えリビングへやって来た。
「これは?」
「生チョコレートだよ。今日が期限のも混ざってたと思うんだけど…」
はて、何箱あるやら。
これでも事務所の人間に大層な量を譲ってきたのだと、真広がため息混じりに呟いていた。
愛花は箱を裏返し、本日期限の箱だけを選り分ける。
「ひと箱ごとの量はあまりありませんし、少し乱暴な手段を取りましょうか」
「えっ、何するの?」
彼女は選り分けたパッケージを手に、キッチンへ向かった。
「簡単なことですよ」
立春を過ぎたとはいえ、2月の空気は冷え込みが厳しい。
コートから滑り落ちたマフラーを巻き直し、真広はマンションのオートロックを解除した。
(この寒空で、なんで薄い服で撮影すんだよ)
今日の撮影は撮影所ではなく外で、しかもコーディネートは春物。
頭では解っているのだが、寒さに反応してしまうのは本能なのだから如何ともし難い。
それでも予定通りに撮影をこなしたのだ、新米株としては上々だろう。
自宅の扉前に辿り着き、鍵を開ける。
「…ただいま」
大して大きくもない声の挨拶であったが、ほんの数m先のリビングの扉は半開きになっている。
いつものとおり、吉野の顔が向こうから覗いた。
「あ、おかえり。真広」
こうして当たり前に吉野が真広の生活空間に居ることも、もう慣れた。
初めの内は珍しいやら照れくさいやら、お互いにぎこちなかったものだ。
(ま、愛花も似たようなもんだったけど)
それよりも、随分と甘い匂いが漂っている。
「いったい何やってんだ? やたら甘い匂いがすんだけど」
言いながらリビングへ入れば、キッチンで愛花が振り返った。
「おかえりなさい、真広。ナイスタイミングですね」
「何がだ?」
尋ねれば彼女は火に掛けていた鍋を外し、こちらへ傾けて見せた。
「ホットチョコレートです。真広は寒空の下の仕事帰り、ちょうど良いのでは?」
確かに、疲れには甘いもの、寒さには温かい飲み物だ。
着替えて戻れば吉野が箱と包み紙をまとめており、何となくことの想像がついた。
「…まさかとは思うが、味が違うの混ぜてねーよな?」
「当たり前だろ…。全部生チョコレートだよ」
生クリームとチョコレートの成分量に違いはあるだろうけど。
吉野の呆れ混じりの返答に、内心でホッとした。
「ことの発端は真広のチョコレート群ですから、代償としてそれもありでしたね」
人の悪い笑みを浮かべた愛花に、眉を寄せた。
「お前マジでやりそうだから止めろ…」
とろけたチョコレートが、湯気を上げて3つのマグカップに注がれる。
柄違いで揃うカップは、同居を決め引っ越しを行ったその日に買ったものだ。
愛花が好む絵本作家の、絵本のキャラクターがそれぞれに描かれている。
出来立てのホットチョコレートを、火傷に注意を払ってひと口。
「…さすがに甘いな」
同じく自分のマグカップに口をつけた吉野と愛花も、ゆっくりと頷いた。
「ビターテイストのチョコレートが多ければ良かったんだけどね」
基本的に、チョコレートは甘いものだ。
「ミルクを出しましょうか? ココアでもいけそうですが」
愛花はこのままで良いと判断したらしく、真広に小首を傾げて問い掛けた。
ほんの僅かだけ考え、真広は軽く首を振った。
「いや、別に良い」
たまにはこういうのも良いだろ。
再度ホットチョコレートに口をつけ正面の吉野を見れば、彼も笑う。
「そうだね。たまには」
3人でこうしているのも、悪くないよね。
それはかみさまの、ざんげ 2 ---end.
2013.2.17
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