"情け"とは、他人をいたわる思い遣りの意。
ならばこれも、立派に"情け"の内に入るのだろう。
『おい、どうした?』
アルミを置く乾いた音が聴こえたか、電波ならぬ魔法向こうの主が問うてくる。
別に、と返して、真広はもう1度だけ振り返った。

人智を超えた出来事に怯え抱き合う、2人の子供。
彼らのために差し掛けられた、傘。

目に見えて解る"思い遣り"に自ら付け加えた、水という供え。

「…吉野の性格が悪いのは今更だが、」
『うん?』
「誰かに対する当たり前っつーもんは、普通に持ってるよ。俺なんかより余程な」
ほんの半日前の出来事だけで、十分に足りる。
目に見える範囲を、己の手が届く範囲を、吉野は守ろうとした。
人はそれを健気だと言い、ときに自己満足だと嘲笑するのだろう。
(それで良いじゃねえか)
これはカルネアデスの板ではない、自分は確実に助かるのだ。
ならば余力を周囲へ回すことに、非難の云われなど無いだろう。

数分前に降りてきた階段を見上げて吐いた息は、山間ゆえか白く冷たい。
「吉野に聞いただろうから省くが、俺たちは幼馴染って括りに入れられなくもない付き合いだ。
お互い望んで始まった付き合いじゃねーから、付かず離れずってのが一番近いが」
『…それは仲が良いと言うのではないのか?』
葉風の言い分はまあ尤(もっと)もだが、それは一般論を準えばの話だ。
「悪友って言や良いか?」
言い換えれば、ふむ、と返ってくる。
『良い意味も悪い意味も含めて、か?』
「そ」
生まれ持った才能や家柄が"普通"である同年代の、"普通"を知った。
世間一般、大人の常識内からはみ出した、"奇異"に通ずる同年代を知った。
(あれだって、才能だろ。あいつが見せようとしていなかっただけで)
たかだか小3の子供が。
あんなに大量の情報を探し出しまとめ、1つの仮説を作り上げるなんて。
(それでもあいつは普通だった。俺が絡まなきゃ、尚更)
ああ、そうか。

(俺にとっての吉野は、)

内に抱えたものは見えない、それはそうだ。
(変わってない。とは、思ってない)
それでも、愛花が死んでも、彼は表向き変わらなかった。
「…なあ、葉風」
『なんだ?』
しばらく佇んでいたおかげで、身体が冷えた。
ようやく階段へ足を踏み出して、真広はもう一度、遠くへ来たなと呟く。
「蝶があの街に向かって飛ばなきゃ、俺は二度と吉野に会う機会は無かったと思う」
葉風は眉を寄せたか、小さく唸った。
『なぜだ? 元々、犯人追跡のために家に戻る必要はあっただろう』
「そうだな。けど、家に戻ることと吉野に会うことはイコールじゃない」
吉野のことを思い出すことはしただろう。
だが、会いに行こうなどと思わなかったことは断言できる。

「俺にとって、吉野は『日常』の象徴みたいなもんだったんだよ」

あの日から、居るのが当たり前だった。
たとえ大人の汚い事情が挟まっていても、それでも吉野は真広の隣に居た。
(周りの連中もそれが当たり前だから、結局俺たちは2人で居たんだ)
愛花は彼よりも後に真広の世界へやって来た。
だからより濃い日常は"吉野"であり、"愛花"の喪失により失われたのは、彼女が加えていった色彩で。

当たり前の、当たり前にあった1日。
当たり前の、当たり前のように隣にいる1人。

ハッ、と嘲りに似た吐息が口から漏れた。
「やっぱ、不合理だな」
吉野に再会するまで、非日常は真広だけだった。
なのに今、隣に吉野がいるのに、ここは日常じゃない。
(絶対に戻れない場所にまでかけ離れた、不合理を形にした世界だ)
不合理の辻褄を合わせるために、"魔法"なんてものを受け入れたのに。
(…ああ、)
けれど。
「不合理なのは変わんねーけど、」
『……? 何か言ったか?』
あまりに小さな独白は、木彫りの人形には届かなかった。


ーーーあいつが隣に居れば、これも日常になるかな。
日常は此処に非ずと ---end.


2012.10.29

ー 閉じる ー