ここ最近、富みに思う。
(こいつらの顔が見たい)
木彫りの粗末な人形を眼前に掲げ、葉風は自作のそれをじっと見つめる。
そうしたところで、何かが変わるわけでもない。
いきなり魔法のように(これは絵本に出てくるような魔法、と注釈が付く)相手の映像が映るわけでもない。
だが、見たい。
不破真広と滝川吉野、2人の顔を。
(真広のあんな焦った声は、初めて聴いたぞ)
彼ら2人は、『絶園の樹』が在るであろう地点へ向かっていた。
その途中で何者かの襲撃に遭い、真広は気絶させられ、吉野だけが連れ去られた。
(なぜ吉野なんだ?)
話が通しやすいからだろうか。
(声しか知らん私でさえ、そう思うからな)
おそらくは見た目…というか目付きも、吉野の方が穏やかに見えるのだろう。
襲撃したのが鎖部の者であれば、それに見合う発言が2人からあったはずだ。
ということは鎖部一族以外の者であり、なおかつ、それなりの実力を持った者が襲撃してきた。
(何のために?)
何が起こったのか知るために真広と吉野の名前を呼び続け、ややして真広の声だけが返った。
『吉野っ!!』
こちらの声など、一切聞こえていなかったに違いない。
草木を踏みしめ駆ける音が遠ざかるのを、ただ見送った(いや、聞き送ったが正しいか?)。
おかげで葉風は虫の音の消えた、梢の擦れる音だけを聴いている。
今も。
当分は無音だろうと決めつけ、人形を置き身を横たえる。
見上げる満天の星空も、そろそろ見飽きてきた。
葉風は血相を変えて駆けて行ったのであろう真広を再度思い浮かべ、同時に疑問を覚えた。
(妹ばかりが彼奴の根本かと思っていたが、どうも違うようだな…?)
真広と吉野の関係は、友人も幼馴染も悪友も、すべて当て嵌まる。
そして真広は、吉野を『日常そのもの』だと言った。
(当たり前の日々に、当たり前のように一緒に居た友人…か)
葉風には、そのような友が居ない。
加えて兄妹もおらず、彼らの間柄の想像も難しい。
(吉野にとっては、どうなのだろう…)
声だけとはいえ、真広との付き合いはもうすぐ2ヶ月になる。
他方、彼の友人である吉野とは、まだ2週間程度だ。
通信用の人形も持つのは主に真広であり、葉風と吉野の間だけで行われる会話は少ない。
(真広は天涯孤独だったか)
近い縁者は1年前に皆、殺害されている。
(…となると、)
真広自身が思うよりも遥かに、吉野の存在は重いのかもしれない。
「…人は、独りでは生きられんからな」
己だって、こんな絶海の孤島で独りきり。
『はじまりの樹』に対する絶対の自信があろうとも、真の孤独には心を折られたかもしれないのだから。
* * *
頼んだ武器を受け取った後で良かったと、心底思う。
作戦もいちおうの概要を聞いた後だったので、結果オーライとでも言おうか。
吉野と真広は2人して拓けた草地に伸びて、梢の隙間に見え隠れする星を見つめる。
上がった息が、なかなか下がらない。
森の中の全力疾走は、寒さも相まってかなりの体力を消耗した。
(あー、もう)
言った傍から"何をしでかすか分からない"張本人の襲撃が来るなど、普通は思うまい。
ただ、エヴァンジェリンの言葉は真実だ。
『傍(はた)から見れば、私たちは貴方を"拉致"したのよ!』
そりゃ怒るだろう、真広も。
ちなみに吉野自身も、事が強引であっただけに(真広は怪我もしていそうだったので)怒りが沸いた。
けれど所詮は大人と子供、価値観もやり方も考え方もまったく違う。
(でも…)
腑に落ちない。
「なあ、真広」
ひとつ長い息を吐き、身を起こす。
隣の真広は寝転んだままだ。
「…なんで?」
なぜ、真広は追いかけてきたのだろう。
(魔具を3つもダメにするなんて)
彼が身に着けていたはずの腕輪と指輪が、合計3つ無くなっている。
以前に鎖部夏村と戦ったとき、彼は5つほどの魔具を消費していた。
命を懸けかねない戦闘をしていたのだから、当然だ。
(でも今回は)
銃弾の防御で1つ、周囲に居た兵士たちを倒すのに1つ。
(…ならもう1つは、僕を追い掛けるために消費したとしか)
幾分息を整えた真広が、吉野を見上げた。
「なんでって、何が?」
切り返され、言葉が詰まる。
不可解な表情をしていそうだと自己分析した吉野を、身体を起こした真広は同じ高さで見返し、もう一度。
「俺がお前を助けるのに、理由がいるのか」
疑問ではない、確定の文言で返してきた。
(だって、)
何を考えているかなんて昔から分からない真広が、やっぱり今も解らない。
(だって真広の行動の根本は、)
真広が追いかけてくるかどうか、それが五分五分だと考えたのは本当。
同時に、放っておかれるかなと本気で思ったのも本当。
なぜなら彼は、"蝶"が居なければあの街に帰って来なかったのだから。
「吉野」
「えっ?」
呼ばれハッと我に返れば、真広の眼光に射抜かれる。
「お前、どこを見てる?」
「どこって…真広?」
「ちげーよ」
視線の鋭さが、和らがない。
彼の内にある不合理には、まったく触れてなどいないのに。
落ち着くと共に冷えたらしい少し温度の低い指先が、吉野の頬に触れた。
「お前の目に、"明日"は映ってんのか?」
問うたは良いものの、目の色も表情も困惑にしか彩られない。
吉野の口は、やはり否定を紡いだ。
「ごめん。意味が分からないんだけど…」
「…いや、良い」
膝に力を入れ、真広は立ち上がる。
未だ座り込んでいる吉野へ手を差し出せば、彼は特に戸惑うことなくその手を取った。
生きている人間は、触れると暖かい。
吉野を立ち上がらせ、枯葉を叩き落とす彼の耳元に唇を寄せる。
「ーーー」
吐息に近い囁きは、見たことのない真広の本心の一部だったのかもしれない。
「ま、ひろ…?」
当人はすでに吉野へ背を向けていた。
「理由、欲しかったんだろ?」
真広が理由を返さない疑問なんて、一度もなかったのだ。
ゆえに不思議に思っただけ、のはずが。
いつもの不遜な態度に戻った真広に、吉野は二の句を続けられない。
呆気に取られたままの吉野へ、彼はいつかの言葉のまま告げる。
「俺がお前を救ってやるよ、吉野」
ああ、駄目だ。
(僕には分からないよ、真広…)
そんな理由、どう理解すればいいのか手に負えない。
* * *
咲き始めの水仙に朝露が輝き、自分たちの異質さが目に染みる。
『おい、真広。吉野はどうした?』
「あ? ここに居るけど。変わるか?」
前を歩く真広に木彫りの人形を投げ渡され、吉野は首を傾げた。
「どうかしましたか? 葉風さん」
『ん? ああ、特にこれといったこともないのだがな。
あんまりにもお前たちが静かだから、何かあったのかと思ってな』
確かに、潤一郎から受け取った魔具を回収に戻ってから、終始無言だった気がする。
「ちょっと、考え事をしていて」
話していると歩むスピードが落ちたか、さらに真広と距離が開いてしまっていた。
『考え事? 富士山麓で新しい展開でもあったか?』
「いえ、真広に言われた言葉の意味を考えていたんです」
大抵のことは淀みなく答える吉野の、この歯切れの悪さ。
葉風は果実をひと口飲み込み、片眉を上げた。
『お前が真広のことで、そこまで悩む人間だったとは思わなかったぞ』
「いや、その通りですけどね」
今回は勝手が違って。
『…まあ、彼奴の言うこと為すことには、深い意味がある場合とまったく何もない場合があるからな』
「よく分かってますね」
『お前ほどではないがな』
吉野は前を歩く真広の背を、何ともなしに見つめた。
(すべてのことには理由(わけ)がある、か)
ならばあのとき告げられた言葉にも、別に意味があるのか。
『彼奴に何を言われたか知らんが…』
黙していた葉風が口を開く。
『深みに嵌ると碌なことにならんのではないか?』
真広は"感情"が酷く不合理な作りであることを、認めたくないのだろうか。
(あいつの優先順位は、どうしたって愛花ちゃんなのに)
なのに理由の第一に"吉野"が来るなんて、その理由の理由が知りたい。
ーーーお前を救うことで、俺が救われる。
そんな、誰よりも合理的な幼馴染の、何よりも不合理な理由を。
芯から理解するにはまだ、彼ら以外の時間と状況が許してはくれなかった。
片翼の道理 ---end.
2012.11.11
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