不破家の墓の前で、思いを告げる。
…幽霊など居ない。
…天使など居ない。
思いを、決意を告げたところで、死者には何も出来ない。
すべては『生きている者の為』にあるのだから。

義理の妹であった少女が、好きだった。
自分で気づきもしなかった感情をぶつけるのは、どう考えても間違っている。
それでも感情は理屈ではないのだと、こんなところまで来てようやく認められた。
「ほら」
差し伸べる手を右手に替え、掴んだ腕を引っ張り上げる。
全力で殴った気がするのだが、どうやら酷い怪我にはなっていない。
妹の彼氏であった親友を殴った感触を思い出し、真広は気づく。
「殴った殴られたって、これが初めてか」
頬が腫れていないことを確かめた吉野が、きょとんと真広を見返した。
「何が?」
もう一度考えた真広は、やはりもう一度頷く。
「いや、お前とは長い付き合いだが、殴ったのは初めてだと思ってさ」
吉野が首を傾げ、次いで苦笑した。
「…あー、そうかもね。掴み掛かられたことは何度もあったけど」
「そうか?」
「あと、巻き込まれて真広以外に殴られたことなら、何度も」
「…そうだな」

ーー必ず、味方になってくれるでしょうから。

いつだったか、愛花は吉野をそのように評した。
(お前も、俺も、求めたものは同じだったんだ。愛花)
いつも味方であると思わせてくれる?
(違ぇよ。いつも味方なんだ)
それは非常に心地良い?
(そうだな。手放すことが出来ないくらいに)
血の繋がりは無いというのに、やはり愛花は正真正銘、妹だった。
「…真広?」
未だ手を離さない真広に、吉野が痺れを切らし名を呼ぶ。
真広は繋いだままの手を見下ろした。
この手は、

(…この手は、此処に在って欲しい)

衝動が真広を動かした。
掴んだ手を引き寄せ、突然のことに驚く吉野へ口付ける。
顔を合わせるのは少し気恥ずかしかったので、さらに引き寄せ抱き締めた。
「ま、真広?!」
さすがに混乱した吉野がもがくが、離してやる気はまったく無い。
ほんの数秒も経てば、慣れたもので彼は大人しくなった。
「もう…何なんだよ」
殴ったりキスしたり、忙しないヤツだなあ。
拒絶ではなく、限りなく諦めに近い呆れの苦笑。
(たぶん、それは)
今まで長く共に在り過ぎて、拒絶という選択肢が潰えてしまっているのだろう。
ましてや、何度も命の危機に晒された中では。
「男にキスしても、気持ち良くはないだろ?」
成る程、そう返すか。
吉野の身体を離し、真広は彼の頬を両手で包み込む。
「お前なら別だ」
「……えっと」
視線が真広から逸れ、泳いだ。
もっとも、今の体勢では逃げ場がその程度しかない。
「吉野」
呼べば即座に合わされる目は、どれだけのものを救ってきただろうか。
「今俺たちがここに居るのは、生きているのは、たぶん愛花のおかげだ」
捩れた過去と現在の狭間で、彼女は吉野と真広の未来を望んだ。
望むが故に己の命を対価にして、彼女は世を去った。
「愛花が間違ったのは、『自分も生きている未来』を思い描かなかったことだ。
だからあいつには、もう何も出来やしねーんだよ」
この世に残るすべては、『生きている者の為』にある。
墓も、想いも、何もかもが。

「…何も出来ねーんだ。お前を守ることも、お前を想うことも」

ふい、と吉野の視線が明確に外された。
そう簡単に割り切れるものではない、真広とてそれは同じだ。
けれどこの"関節の外れてしまった世界"で、以前と変わらず在るのが吉野だった。
正確には、吉野しか残らなかったと言うべきか。

得体の知れぬ樹によって外された世の関節。
それが元通りになった今、改めて思う事柄がある。

「俺がお前を守ってやるよ、吉野」

愛花が守ろうとした、未来の分まで。
呆気に取られた吉野は、ただ真広を見つめていた。
「…、」
その口から発されようとした言葉を、遠くからの呼び声が留める。
互いに連なる階段の下方を見降ろして、ようやく2人の距離が離れた。
「葉風さん?」
出迎えに降りようかと足を踏み出した吉野は、何を思ったか次の一歩を止める。
「真広」
振り返った彼の眼差しは、確かに真広を捉えて。

「…その言葉を向ける相手は、本当に僕で良いのか?」

海風に桜が散り、花吹雪が2人の間を遮る。
そういえば、『魔法』と関わりを持った真広と吉野の起点は、分岐点は、すべてこの場所だった。
真広が吉野に再会したのも(吉野が巻き込まれたのも)、
愛花への想いを自覚したのも(吉野に彼女の彼氏だと告げられたのも)、
そして新たな始まりを迎えようとしている、今も。
不破家の墓を一瞥し、真広は花弁向こうの吉野の手を掬う。
「例えお前や俺に恋人が出来ても、家族が出来ても、何があっても。
俺が最初に守ろうとするのは、お前しか居ねえよ」
共に戦ってきた指先に、キスを落とした。

「だから、代わりに傍に居ろ」

反射的に引かれようとした手を掴み、逃がさない。
吉野を見つめていればその頬が徐々に朱に染まり、中々に良い気分だ。
「ま、ひろ…」
それって、と続こうとした吉野の言葉は、ヒュッと横で吹いた風に遮られる。
同時に真広がパッと奥へ飛び退き、吉野は目を丸くした。
「あっぶねーな、葉風」
彼の視線の先、もとい吉野の前には、いつの間にやら葉風が仁王立ちしている。

「真広っ! 貴様、私の吉野に何をする!!」
「お前のじゃねーだろ」
「言葉の綾だ!」

どこかで聞いた遣り取りが再度交わされ、呆気に取られるしか無い。
おそらくだが、葉風が真広へ飛び蹴りを食らわせようとしたのだろう。
いつもの不遜な笑みを湛える真広に対し、葉風はふるふると肩を震わせた。
「下から見たぞ! 貴様、吉野とキ、キ…キスしただろう!!」
私だってしたいのに! と続けられ、真広は吹き出す。
「お前、ツッコミどころはそこかよ?」
うるさい! と葉風は顔を赤くする。
羞恥か怒りか、真広が推測するに50%ずつだ。
「んじゃ、葉風も来たことだし。こいつはお前に預けとくぜ、吉野」
キラリと光るものが投げ渡され、吉野は反射でそれを掴み取った。
「鍵? どこの?」
見れば、まったく同じ2つの鍵がホルダーに嵌められている。
山本に貰った、と真広は階段を下りながら答えた。
「早川の餞別だとさ。前のマンションには及ばねえが、3人程度なら楽に住めるってよ」
住所はメールしといたと彼は続け、そういえば着信があったなと吉野は思い出す。
「…出世払い?」
「だろーな」
抜け目ねえヤツだよと苦く笑う真広の言うとおり、本人がこの場にいればそう言うに違いない。
ここは素直に世話になっておこう。
「それで、真広は?」
鍵を渡してきた理由を端的に問えば、真広は足を止めた。
「愛花のイメージがダブって助けちまったヤツが居たって話、したか?」
「ああ、山本さんから聞いたけど」
「あの時、流れで連絡先渡しちまってさ。これから会う約束なんだよ」
「そう」
はて、どう取れば良いのやら。
先ほど大真面目に告げられた事柄と比較した吉野を、真広がやや離れた位置から見上げた。

「吉野。俺はさっき言ったこと、何があっても撤回しねーからな」

ちゃんと返事寄越せよ。
言い置いて、彼は今度こそ墓地を後にする。
「返事、って…」
おかげで、吉野の頬には引いた熱が戻ってきてしまった。
額に片手を当て、息を吐く。
(タチの悪いやつだなあ…ほんと)
それを突っ撥ねられない自分が一番、性質が悪いのだろうが。
下の海岸線を見つめたままの吉野を覗き込み、葉風は慌てた。
「おい吉野、どうした? 顔が赤いぞ! 熱でもあるのか?!」
掴み掛かる勢いの彼女に、吉野は何とも言えず笑うしかない。
「いや、大丈夫ですよ葉風さん。落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるか! おのれ真広…っ!!」


零れ落ちる薄紅の花弁は、ただただ、静かに舞い続ける。
此処からの話をしよう ---end.


2013.4.5

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