ぷっつん、と。
見えも聞こえもしないはずのものが愛染国俊には見えたし、聞こえてしまった。

堪忍袋の尾が、ぷっつんと切れる様が。

「……国俊」
「おう」
「審神者のとこに行くよ」
「よっしゃ!」

ぴょいと身軽に身を起こし、愛染は前を行く兄弟刀の後を追う。
愛染と変わらぬ背格好なれど、彼は大太刀。
(オレ、知らねっと)
不穏な気配を纏う蛍丸を諌めるどころか、愛染は内心でざまぁみろと舌を出す。
(遅すぎんだよ、バカ国行!)

スパァンッ! と開かれた障子に、審神者は思い切り身体を震わせ息が止まった。
つい先日、同じ方法で鶴丸国永に驚かされたばかりだ。
同じ手口を使うなどらしくないと思いつつ振り返れば、まだバクバク言っている心臓が今度は縮み上がった。
「ヒィッ?!」
言葉が半角になるほど縮み上がった。

「あのね、ちょっと出陣したいんだけど」

心臓を縮み上げた原因である蛍丸が、小首を傾げた。
その姿はとても可愛らしい。
可愛らしいのだが如何せん、目が笑っていない上になんかもう、負のオーラがビシバシ来る。
つまりめっちゃ怖い。
「え、えっと…どちらへ……」
「明石国行が目撃されてるとこ」
普段穏やかな人物は、一線を越えるともの凄く怖い。
今の蛍丸はまさにそれに当て嵌まった。
「し、承知しました…。あの、」
「面子はこっちで選ぶね。練度差そんなに出ないようにするから」
「わか、りました…」
「うん。じゃあ準備出来たらまた来るね」
「は、い」
ふぅ…っと。
蛍丸が去るなり、審神者は口から出てはいけない何かを出して倒れた。
本日の近侍である鳴狐は仰天し、お供の狐が薬研藤四郎を呼びに飛び出す。
本体は審神者から出た何かを、審神者の口へ戻そうと必死に押し留めていた。



「俺と、国俊と、あと4人。2人…いや、3人はもう決まってるから、後は脇差が1人欲しいな」
蛍丸の足は大広間の前で止まった。
「いたいた。ずお君、ばみ君、ちょっと良い?」
彼が声を掛けたのは粟田口藤四郎の脇差、鯰尾藤四郎と骨喰藤四郎だ。
「蛍君、どうしたんですか?」
「なんだ?」
障子の仕切りまでやって来た2人へ、蛍丸は尋ねる。
「ちょっと出陣するんだけど、暇だったらどっちか一緒に来てほしいんだ」
鯰尾と骨喰は顔を見合わせ、目で会話を為したようだった。
骨喰が蛍丸を見る。
「俺が行こう」
「ありがと! じゃあ残りの3人迎えに行こっか」

蛍丸の行き先は愛染も知らないので、彼と骨喰はただ蛍丸の後を着いて行く。
「…三条の離れか」
自然と同じ刀派や顔見知りで固まる部屋割りの中で、ひと際異彩を放つのが通称『三条の離れ』。
その名の通り三条派に連なる刀が集まっており、本当に離れの造りになっているわけでもないのに空間ひとつ違う扱いになっている。
普段そのように感じないのは、間で上手いこと繋げてくれる鶴丸国永のおかげだろう。
ちなみに蛍丸は、その鶴丸を捜しに来た。
「さて、鶴兄(つるにい)はどこかなー?」
彼さえ見つかれば、他の目当ても見つかると踏んでいる。

粟田口の大部屋や織田、伊達に縁のある者たちの部屋を通り過ぎ、話し声の聴こえる方へと足を進める。
「ーーーなぁ、三日月。これは?」
「ああ、これはな。ーーーとなるのだ」
「へえ…変わった文学もあるもんだなあ」
開け放された部屋の中を覗くと、大体思った通りの光景があった。
書院の窓から入る直射日光を避けつつ、床の間の柱に背を預けて座る天下五剣・三日月宗近。
夜の藍色を纏う彼の足の間には対照的とも言える、真っ白な装束を纏う鶴丸が座り込んで何かを読んでいた。
座る鶴丸を、三日月が後ろから抱き込んで座っているといえば良いか。
「お? 蛍じゃないか。どうした?」
気配に気づいた鶴丸が顔を上げ、釣られて三日月も蛍丸を見た。
「愛染と骨喰も一緒か。何やら出陣でもするようだなあ」
後ろの2人を見つけ、三日月は常からの鷹揚な笑みを向ける。
蛍丸は頷いた。
「そのとおりだよ。鶴兄とみか爺(じぃ)、来れる?」
鶴丸の表情がパッと輝く。
「良いねえ! もちろん行くぞ!」
「うむ。そろそろ身体が鈍りそうだと話しておったところだ」
彼らはいわゆる『カンスト組』いうもので、現在の練度限界へ達した初期第一部隊だ。
蛍丸と愛染、骨喰はそれに近い初期第二部隊である。
床の間の太刀を取り上げて、鶴丸が問うた。
「あと1人かい?」
「うん。こぎ兄(にい)知らない?」
「小狐か。暇だからと畑へ行ったな」
「よし。じゃあ畑にゴー!」

本日の畑当番は燭台切光忠と獅子王。
そこに暇だからと加わっているのが小狐丸だった。
ふと腰を上げた獅子王が、こちらへ向かってくる一団に気づく。
「蛍丸に愛染、骨喰に…月のじっちゃんと鶴のじっちゃん? すっげーメンツ!」
討ち入りでもすんのかー? と獅子王が大声で問い掛けると、手を振った蛍丸がまぁねー! と返してきた。
「あれ、どうしたの? 皆」
野菜を口説きながら収穫していた燭台切が問えば、蛍丸が小狐丸を見上げる。
「今から出陣するんだけど、こぎ兄行ける?」
小狐丸は笑みを浮かべて頷いた。
「無論。出陣は久しぶりじゃな」
これで部隊限界人数が揃った。
まずは審神者の部屋へ戻り、出陣ゲートを開いて貰わねば。

審神者へ出陣の知らせへ行った蛍丸と愛染を、他のメンバーは表門の傍で待つ。
本日の馬当番である大和守安定と物吉貞宗が馬を連れて来てくれた。
「何というか、敵無し! といった感じのメンバーですね」
馬を連れて来た礼の代わりか、鶴丸に頭を撫でられて物吉ははにかむ。
大和守も彼の感想には心の底から同意だ。
「ほんとだよね。一体何しに行くの?」
暇潰し? と尋ねたところへ、蛍丸と愛染が戻ってきた。
相変わらずの良い笑顔で、蛍丸は宣言する。

「国行をぶっ飛ばしに行くんだよ」

じゃーレッツゴー! と鼻歌の音符すら見えそうな彼に、未だ見ぬ明石国行へ合掌するしかない。
「…手入れ部屋、準備しといてもらおうか」
「ボクも思いました」
大和守と物吉は、ひとまず審神者の部屋へ向かった。



*     *     *



馬を並足で走らせながら、久々の戦場の空気に胸が踊る。
もっとも、どこで遡行軍が現れるか油断は禁物。
隊の両翼で骨喰と愛染が目を光らせ、殿(しんがり)では小狐丸が気配を探る。
「なあ蛍。ちょいと聞きたかったんだが」
「なぁに?」
常と変わらぬ軽やかな口調で鶴丸は続けた。
「明石国行を捜すのに、何でこの面子なんだい?」
蛍丸は事も無げに返す。
「一番国行が釣れそうだからだよ」
「…奴は魚かい?」
「んー、現世の明石って街は、魚市場あって魚が美味しいらしいよ」
「へえ」
随分とご機嫌斜めなようだ。
茶化すことを諦めて、鶴丸は問い直す。
「釣る、か。となると来派の君たちは釣り針か?」
「釣り針と漁師かな。餌は鶴兄」
「は?」
すっとんきょうな声は3つ重なっていた。
後の2つは三日月と小狐丸だ。
「餌が俺かい?」
明石国行は来派の保護者のようなもの、という話を鶯丸から聞いている。
ならば餌も蛍丸と愛染ではないのか?
馬上で蛍丸が鶴丸を見返った。

「白ってさ、目を惹くよね」

戦場で白など、普通は見掛けない。
蛍丸の戦装束は黒だし、他の面子で白の装束は物吉くらいだ。
「髪も、服も真っ白で、今にも消えそうな儚い麗人が立っていたら。百人が百人、声を掛けるよね」
「…化生の類いと疑い通り過ぎても、後で声を掛けなんだことを悔いるだろうなあ」
俺ならば声を掛けるぞ、と三日月が鶴丸を見つめながら言う。
「なんだい、俺に遊郭の華になれってことかい?」
「林の中でね。ほんとにやってなんて、みか爺が怖いから絶対言わないよ」
「はっはっは」
肩を竦めた蛍丸に、三日月はいつものように笑うのみ。
「兄様(あにさま)、目が笑っておりませぬ」
小狐丸が溜め息を吐いた。
「けどさあ、」
と、愛染が鶴丸を振り返りながら爆弾を落とした。

「国行の好みって、たぶん鶴兄ドンピシャだよな」

白い美少女が来た?! と鍛刀時に宣うてくれた審神者を思い出し、鶴丸は苦い顔をした。
「今更過ぎて怒る気にもならんが、男に乞われても嬉しかねえなあ」
余談だが、美という意味では鶴丸以上と言える三日月を、審神者はきっちり『美青年』と認識していた。
解せぬ。
「乞われるなら女姓が良いし、俺はそもそも色恋沙汰は御免被る」
蛍丸が噴き出した。
「あははっ! 鶴兄ほんと良いよね!」
「うん? 何がだい?」
「何でも!」
背後に気配が無いことを確認してから、小狐丸はやれやれと声を投げた。
「兄様、何をしょげておられるのです?」
じとり、と恨めしげな藍の眼が小狐丸へ据えられる。
「…おぬしは狸よのう」
「狐ですが」
「冗談の通じぬ男だ」
「はて、なんのことやら」
冷え冷えとした会話を聞き流しながら周囲を警戒していた骨喰は、目の端に映った違和に声を上げた。
「刀装兵!」
呼び声に応じた盾兵たちが、飛来する矢を部隊の手前で防ぐ。
「おっと、お出ましか」
好戦的な鶴丸の声を合図に、皆が刀を抜いた。
「ばみ君、隊列!」
「鶴翼陣だ」
「じゃあ魚鱗陣で行くよ! 討ち漏らしは俺に任せて」

遠くで刃を交わす部隊を、小高い丘の林から見下ろす。
「なんやろ、あの白いお人。戦場で白なんてけったいな…」
刀を振るっているのだから、男なのであろうが。
(ちょっと興味湧きましたわ)
背後から刃を振り翳した者を振り向きざまに両断して、明石国行は踵を返した。
彼はまだ遡行軍という存在を知らないが、悪意しか向けぬ者を憐れむ博愛は持っていない。



戦場となった草原から然程遠くない場所に、街道が通っていた。
足早に歩いていく人々は、蛍丸たちを気にすることなく過ぎていく。
「相変わらず、便利なもんだ」
鶴丸がしみじみと吐いたのには理由がある。
彼らの装束はそれだけで術式を展開しており、その時代の人々にはその時代に合った武士、あるいは武人と認識されるのだ。
彼ら本来の姿が視えるのは、同じ刀剣男士か遡行軍となる。
「街まで行ってみるか?」
蛍丸は愛染に頷いた。
「せっかくだし」
ちらりと後ろを振り返れば、骨喰と太刀3人が居る。
そういえばと愛染は首を傾げた。
「ばみ兄は偵察要員で、鶴兄は餌役。じゃあみか爺とこぎ兄は?」
「え? 分からない?」
馬の首を撫で付けながら、蛍丸は答えを口にする。
「みか爺は鶴兄の護法で、こぎ兄は神頼み的な感じ」
うわえげつな…、と反射で口にした愛染は悪くない。
鶴丸が逆鱗である天下五剣が怒ればもう滅茶苦茶怖いし、神頼みということは明石が出てこないと決めつけているようなものだ。
そんな蛍丸の状態は、まさしく『これアカンやつや…』というやつである。
彼の怒りゲージは満タンどころか、ブースト状態のようだった。
街へ入ると、いつものように真っ先に鶴丸が店の冷やかしを始める。

「皆に土産を買って帰りたいんだが、何が良いかねえ」
「おや、綺麗なお武家様だね! 良い娘(こ)に贈り物かい?」
「いや。1つの良いものよりも、皆に配れるものが良い。寺子屋みたいなものをしていてな」
「おやまあ、それじゃあうちはお役御免だわね。通り2つ先の唐菓子屋がお薦めだよ」
「そうかい! すまんな、お嬢さん」
「やだねえ、お嬢さんなんて歳じゃないよ」
店の女将は試作の砂糖菓子を鶴丸へ渡し、機嫌よく送り出した。
「…さすがは伊達男」
「すっげえなあ…」
それこそ鳥のように軽やかに、鶴丸は次の店へと足を向ける。
決して引き留められることなく、けれど相手に不快を与えることなく。
これと同じ芸当が出来るのは軽快さが似通っている鯰尾や浦島虎鉄、別の意味で断ることの上手い江雪左文字だろう。

チリ、と『何か』が蛍丸と愛染の肌を焼く。
無論本当に焼くのではなく、感覚の意味でだ。
(居る…)
明確に、刀剣男士に対して敵意を向ける者が。
ちらりと背後を見れば、三日月が微かに頷く。
それに眼差しで返してから、蛍丸は何食わぬ顔で店の冷やかしを続けた。
(鶴兄…?)
例の唐菓子屋で店員とやり取りしている鶴丸が、店先の商品棚に右手をさりげなく触れさせる。
棚板の裏、だ。
彼は店員へ軽く手を振り、店の一間程先にある路地へ入っていった。
「ちょっ、鶴兄!」
振りでなく素で声を上げて駆け、蛍丸は鶴丸と話していた店員を掴まえる。
「ねえ、さっきの人俺の先生なんだけど、何話してたの?」
一緒にお土産買おうって言ったのに、と頬を膨らませてみせれば、店員はあっさりと騙されてくれた。
「ははっ、あのお武家さんかい? 後で取りに来るから、前金で唐菓子60個取り置いてくれって話でしたよ」
ちゃんと取り置いてますから、とにこやかな店員の目を盗み、蛍丸は棚板の裏へ指を滑らせる。
カサ、と何かが触れた。
「分かった。ありがと!」
通りの反対側で待っていた三日月と小狐丸の影に隠れ、蛍丸は棚板の裏から剥がしてきたものを開く。
白い、短冊サイズの半紙には走り書きでこうあった。

ーーー
鳥+赤
白→外
青→先
ーーー

まるで謎解きのようだが、即座に解した。
「国俊、急いで!」
「おう!」
愛染は返事をするが早いか、鶴丸が曲がっていったはずの路地へ駆け込む。
「俺は街の外側から回り込むよ。さすがに街中でこれは振り回せない」
これ、というのは大太刀のことだ。
小狐丸が周囲を素早く観察した。
「私も蛍丸と街の外へ」
三日月は何気ない風を装い、これまでと同じ方角へと道を歩き出す。
「あい、わかった。俺は反対側の街道口へ行こう」
ひとつだけ、彼らは鶴丸の指示を無視した。
「俺は愛染を追いかける」
骨喰は蛍丸たちとは別に、路地へ。

(さてさて、ここに居られると不味いのか。それとも近くに転換点があるのか)
左手に下げた太刀は抜かぬまま、鶴丸は人が通りすがれる程度の路地を進む。
路地の突き当あたりは左右に分かれ、左は街中へ、右は街の外へ繋がっていると考えられた。
(仕掛けてくるとすれば)
ニィと口の端を上げ、鶴丸は下げた太刀を抜かぬまま鞘ごと上へ振り被る。
ガキン! と甲高い音が響いた。
振り被った勢いを殺さず掛かった重みを投げれば、相手は身軽に着地した。
(短刀か)
その距離、およそ2間。

初期第1部隊の隊長、副隊長を勤めながら最高練度に達した鶴丸は、現在判明している戦場すべてに経験がある。
無論、見通しの効かない夜戦も、太刀を思うように振るえない京都市中、そして屋内もだ。
ゆえに太刀を振り回せない状態での戦い方は心得ている。
背後の殺気に反応し、上体を捻る。
抜けた得物は前方の敵の物より長い、脇差か。
一瞬空いた敵脇差の背を、見逃す鶴丸ではない。
「がら空きだぜ!」
頸椎目掛けて、鞘のままの太刀で突きを繰り出す。
鈍い音と声を上げて脇差が崩れ落ち、周囲の気配が動揺で揺れた。
「ははっ、予想外だったか?」
脇差の身体を飛び越え短刀へ肉薄すれば、相手は壁へ跳躍しあっという間に鶴丸の頭上へ迫る。
「おっと」
上からの攻撃をひらりと避けて、走り出す。
鶴丸の装束に遊びが多いのは、何も見目を重視しているからではない。
布の遊びが相手に死角を生ませ、また自身の身体の線を隠し怪我を減少させるのだ。
狭い街中では弓矢も石礫も使えないが、唯一、有効となるもっとも脅威となる遠戦武器がある。

ダァンッ!

空気を切り裂く破裂音、途端にチリリと熱の走った頬。
次の角を曲がるも、まだ街の外には出ない。
銃弾が角の壁に当たり、鈍い音を返した。

銃声の響いた方向へ、足音を殺してひた走る。
途中で低い位置にあった窓枠を足場に並ぶ家々の屋根へ登れば、身を低く潜んでいる敵刀剣の姿が。
(よし)
愛染は忍ばせていた銃兵を展開させた。
胸の内でタイミングを計る。
「撃てぇっ!」

ダダ、ダァンッ!

頭上の、それも来た方向から響いてきた銃声は、鶴丸に笑みを浮かばせた。
(来たか、愛染)
なればもうひと踏ん張り。
屋根から飛び降りてくる敵刀剣を尻目に、鶴丸は再び駆け出した。



「さっさと退(ど)けよ! このっ!」
大太刀がぶぅんと唸り、刀を振り翳してきた敵刀剣が2体、真っ二つに斬られると同時にふっ飛ぶ。
(マズい…!)
時間が掛かりすぎた。
蛍丸と小狐丸が街を出て裏手から家々を外回りしているところへ、唐突に遡行軍の襲撃を受けた。
街の外であったことが幸いし、小狐丸と共に難なく撃退したが数が多い。
馬を連れていたことも大きいが。
「些か、数が多すぎるのう」
舌打ちをひとつ、鶴丸が向かうであろう地点までひた走る。
「どういうことかな…。この街を遡行軍が拠点にしてるとか?」
「可能性としてはありじゃな」
「早く鶴兄に合流しないと」
ピクリ、と小狐丸が何を嗅ぎ付けたか目線を上げた。
「なに?」
「銃声じゃな」
「あぁあ、もう! 弓兵欲しい!」
「骨喰は鶴を追いかけたからな」
2人は軽口を叩きながら目的地へ急ぐ。

「鶴兄伏せろ!」
飛んだ声に反射で身を屈めれば、再び空気を切り裂く銃声が響く。
「とりゃあっ!」
愛染の短刀が敵を貫き、ガシャリと人の形を失った骨の化け物が崩れ落ちた。
その脇腹を狙った脇差を紙一重で避け、愛染は返す刃を向ける。
だが彼の攻撃を飛び退くことで躱した敵脇差は、別の刃によって背後から貫かれた。
ガシャリ、とまた骨の化け物が崩れ落ちる。
「ばみ兄ナイス!」
笑った愛染に頷き、骨喰は鶴丸を見た。
「こちら側に、もう敵は居ないようだ」
「ははっ、骨喰も来るとは驚きだ。それじゃ、仕上げと行こうか!」



目前に迫った槍を刃の峰で往なし、三日月はハッと息を吐く。
「まさかなあ、町人に化けられるとは思わなんだ」
街の反対側の出口から鶴丸が向かったであろう側に向かおうとして、三日月は敵襲に遭った。
易いものなら粟田口の面々が偵察で装うこともあるので、可能性としては残っていたのだが。
キィン! と槍の穂先を強く弾く。
「まあ、時代を行き来するよりも効率は良かろうな」
家々の壁沿いに走りながら、三日月は槍の攻撃を往なし続けた。
互いの足がザザザッと砂利を蹴る。

不意にヒゥンッ! と矢の飛来する音。
三日月は太刀の一振りで直撃し兼ねない矢をすべて叩き落とし、頭(こうべ)を巡らせた。
(はて、)
今の矢はどこから?
(というよりも、どこを狙うておる?)
突いてきた槍が家の戸板を突き破った隙に、その首を刎ねる。
ドシャリと崩れた骨を一瞥し、皆が合流するであろう方角へ急いだ。

「骨喰! 愛染! そっちは任せたぜ!」

よく見知った声がなぜか上方から聴こえて、三日月は視線を上げた。
やや遠目の屋根から家に遮られて見えない向こう側へ、ひらりと白が落ちる。
「っ、鶴!」
奇しくもまったく同じ台詞を、小狐丸が口走った。
屋根の上で愛染らと共に敵刀剣の相手をしていた鶴丸が、何を思ったかひらりと屋根から飛び降りたのだ。
距離の遠いことがもどかしい。
同じく眉を寄せて馬をけしかけた蛍丸が、鶴丸以外の人影を見つける。
「あれ…?」
その影は、敵刀剣と戦っているように思えた。

「後ろだぜっ!」
飛び降りた直後に踏み込んだ鶴丸は、反応の遅れた敵太刀を一刀の元に斬り伏せる。
ついでに飛来した矢を叩き落とし、大太刀を相手にしている人影へと駆けた。

「ちょいと肩借りるぜ!」

ずし、と突然の重みが左肩に入り、大太刀の刃と競り合っていた明石国行は競り負けるところだった。
街へ辿り着いたと思ったら着けられていたようで、面倒なことになっていたのだ。
「あんさん何を…っ?!」
ひらり。
文句を言おうとした口は、真上にはためく翼のような白に止まってしまった。
太陽の中に入った煌きが眩い横一文字を描けば、大きな体躯がどぅ、と仰向けに倒れる。
(なんつぅ豪快さや…)
ピィーッ!
これまた唐突な指笛が2方向から響き渡り、明石は目を丸くして両方向を見遣った。
向かってきたのはひと目で良い馬と分かる青毛、それから栗毛の馬が街のあちら側へ走っていく。
「三日月! この坊のことは頼むぜ!」
衣服と髪を鮮血で赤に染めた白い御仁は、高揚を隠さず誰かへ叫んだ。
腹を一蹴り、青毛は前方へと一目散に駆ける。
明石の辿って来た方角へと。
「…ていうか、坊て」

鶴丸の後ろから、援護の矢が前方へ飛来する。
矢は敵の投石兵を射ち、前線が乱れた。
「隙だらけだぜ!」
およそ千年前に打たれた太刀である鶴丸が、もっとも得意とするのは騎馬戦だ。
太刀と大太刀は騎馬で戦うことを前提として打たれており、その特性が付喪神に顕れるのも道理と云えた。
振るう一の太刀が敵の刀装兵を打ち払い、残っていた幾振りかの太刀の間を二の太刀で突破する。
…白い人影が黒い馬に乗っていれば、嫌でも目を惹く。
想定通り敵の目が中央を突破した鶴丸に引き摺られ、生じた隙に背後から刃を大きく振り被るのは蛍丸。
「とうっ!」
風圧さえ生む剣戟の唸りの前に、敵刀剣は為す術もなく一撃の元に破壊された。
ガシャガシャ、と敵刀剣は崩折れ、残った刀装兵たちは散り散りに逃げ去る。
鶴丸が蛍丸を振り返ったときには、もはや夢の跡。
彼の栗鹿毛へ馬を寄せ、鶴丸は蛍丸とこつりと馬上で拳をぶつけた。
「お疲れさん」
「鶴兄もね」

街へと馬を返し、索敵に徹していた骨喰と小狐丸に合流する。
「…また、盛大に紅く染めましたね」
「ハハッ! 鶴らしくなっただろう?」
血の匂いに眉を顰めた小狐丸を気にせず、鶴丸は上機嫌だ。
街に潜んでいた遡行軍と、おそらくは三日月に頼んでおいた青年を脅威とみなし追ってきた遡行軍。
どちらも倒したのだから、上々の戦果であろう。



こちらへ帰ってくる、4頭の馬と4名の武人。
「はあ…なんというか、見事なもんですなあ」
「なに、肩慣らしさな」
鷹揚に笑う藍色の美丈夫を、明石は胡乱げに見返した。
「えぇと、兄さんはどなたさん?」
「うむ。人に名を訊くならば、己が名乗るが先であろう?」
にこにことした笑みは、どうにも喰えない。
がりがりと後ろ頭を掻いた明石が口を開こうとしたそのとき、ストン、という軽い音と共に大きな声が。

「ああっ! おま、国行じゃねーか?!!」

それもよく知る声だ。
声の主を見た明石は、途端に表情を変える。
「おおっ、愛染やん!」
ここで初めて、三日月はこの黒服に眼鏡の青年が明石国行であることに思い至った。
「久しぶりやなあ、元気にしとったか?」
「お、遅すぎんだよこのヤロウっ!!」
愛染の振り上げた拳がばちん! と明石の掌にぶつかり、中々に痛そうだ。
「おお、痛! なんや、元気そうで良かったわ」
へらりと相好を崩した明石に、愛染はうっかり毒気を抜かれて肩を落とす。
「はぁ〜…このバカ国行め」
オレ、知らねっと。
溜め息と共に吐かれた呟きは、三日月の首を傾げさせただけだ。
馬の駆ける音が近づく。

「三日月!」
「おお、鶴。大事ないか?」
「見ての通りさ」
鶴丸は身軽に馬から降りると、軽快な足取りで明石へ近づいた。
「で、この坊で合ってたかい?」
「うむ。どうやらそのようだ」
三日月へ尋ねた鶴丸に顔を覗き込まれ、明石は三日月の場合とは別の意味で身構える。
「ええっと…さっきから兄さん、自分のこと坊言うてますけど。自分、結構永いこと在りまっせ」
見目だけならほとんど変わらない。
すると白い御仁はからからと笑った。
「そんなことは知ってるさ。まあでも、俺から見りゃほとんどの刀が坊だからな」
ところで、と彼はにやりと悪い笑みを浮かべる。

「こっちの坊が、きみに大事な用があるそうだぜ?」

鶴丸が1歩引いたそこには、愛染と同じく明石にはとても馴染み深い刀が。
「蛍丸?! 自分、蛍丸か?!」
やあ相変わらず可愛らしいなあ、元気やったか? と愛染の3割増しくらいの笑顔で彼は語り掛ける。
顔をやや伏せていた蛍丸は、ちらりと上げた目線で明石の向こうにいる三日月へ合図を送った。
紛うこと無く悟った三日月は、これまた1歩横へ捌ける。
「…国行」
「うん、なんや?」
背の低い蛍丸へ屈んだ明石を、彼は良い笑顔で見上げた。
それはもう、にっこりと。

「歯ぁ食い縛れ?」

見事に顔面をぶっ飛ばされた明石は、骨喰曰く10m近く飛んだらしい。
合掌。



*     *     *



蛍丸の怒りオーラに当てられた審神者ももうすっかり元気で、明石の手入れは滞り無く行われた。
しかし数日経っても蛍丸の怒りは未だ収まっていないらしく、彼は最近鶴丸にべったりだ。
元々面倒見の良い鶴丸が、それを邪険にするはずもなく。

「鶴兄! 見て見て、ずお君が新しい金色精鋭兵作ってくれた!」
「おっ、良かったじゃないか。こりゃあ、次の演練は是が非でも出ないとなあ」

鶴丸にわしわしと頭を撫でられている蛍丸は可愛い。
ついでに鶴丸も美人だし、目の保養と云ったらこの上ない。
「良いんやけど…」
はあ、と明石からは大きな溜め息。
愛染はちょくちょく明石に構われているが、蛍丸に関しては手を貸す気がない。
「声掛けてくりゃ良いじゃん」
貸せる手はそれくらいで。
明石はそれが出来れば苦労せぇへん、と苦虫を噛み潰したような顔をした。
「無理や…天下五剣様がめっちゃ睨んできよる…」
そりゃご愁傷様、としか言えない。

庭を見渡せる縁側には三日月と鶯丸が並んで茶を嗜んでおり、彼らの視線の先には遊ぶ短刀たちと鶴丸に蛍丸。
短刀たちは良いのだが、明石が鶴丸に話し掛けようとすると途端に鋭い視線が飛んで来る。
気のせいか、鶯丸からも飛んでいるような。
「まあ、新しく来た刀はみんな似たような目に遭ってるしなー」
三日月と小狐丸が来るまでは、伊達と織田が怖かった。
しみじみと零した愛染の言葉はつまり、鶴丸と気軽に話せるようになるまで三条の他にも壁があるというわけで。
「勘弁してぇな…」
「まずは蛍を宥めろよー」
もっともなことを言いつつ、愛染は鶴丸が土産に買った唐菓子を齧りながらまた爆弾を投下する。

「明石のちょっと前に来た源氏の刀も、鶴兄と仲良かったな」
「堪忍やで…」


蛍丸くんの楽しい道中


16.1.17
(これ書いた9ヶ月後の戦力拡充でやっと明石さん来ました…)

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