この本丸で鶴丸が顕現したのは、所謂『レア』の中では比較的早い方で二番目か三番目だった。
一番目は宝物庫で共に有る一期一振、そして鶴丸の前だか後に次郎太刀が来た。
他は短刀と打刀、脇差の本数が多く、鶴丸は気づけば初期刀の陸奥守吉行と共に総隊長のような役割である。

今日も今日とて、阿津賀志山へやって来ている。

「今のところ姿は見えません。ここって結構険しいですから、敵もキツイんじゃないですかね?」
索敵から戻ってきた鯰尾藤四郎から敵陣の様子を聞くと、そんな意見も合わせてきた。
「ここんとこ、墨俣と阿津賀志山ばっかり回ってるよねえ」
アタシそろそろ飽きてきたー! と次郎太刀が悪態をつく。
「そういえば、さっき見つけた刀はなんて名前だったんだろう?」
大和守安定が思い出したように口にすると、本丸と連絡を取るための通信機を持つ陸奥守が答えた。
「主は『石切丸』じゃあ言うてたが」
それに鶴丸が目を見開いたことに、誰も気付かず。
「新たな仲間を迎えるためにも、ここは各個撃破でさっさと抜けてしまいましょう」
「そうだな」
一期一振の提案に乗り、皆は馬を嗾けた。





鶴丸国永という刀は、この本丸に顕現している者の中ではもっとも永く生きている刀剣のひと振りだ。
刀が生まれ、その粋を極めたと云われる平安時代を宿す太刀は、実戦刀でありながら宝刀でもある。
「あれ、鶴さんは?」
燭台切光忠が戻ってきた第一部隊に冷たい麦茶を差し出していると、ひと振り足りない。
「えっ、そこに……って、居ないや」
問われた大和守が振り返った先に、白の姿はなかった。
手拭いの差し入れにやって来た加州清光が本丸の奥を指差す。
「秋田と乱が呼んでたみたいだから、庭じゃない?」
「帰ってきたばっかりだっていうのに、もう…」
燭台切は加州から手拭いを一枚受け取り、鶴丸を捜しに出掛けることにした。

審神者の生きる現代から数えて千の齢を超えるというのに、鶴丸は中々にアクティブである。
年若い人の子に近い短刀たちと鬼ごとに興じたり、彼曰くの『驚き』を誰かに供したり。
かと思えば、手合わせで同田貫正国や大倶利伽羅を圧倒し、和泉守兼定や鯰尾に指導を入れてみたりする。
一期一振と年若い者たちの面倒を見ているかと思えば、短刀たちと調子に乗って一期一振に叱られてもいる。
鶴丸は時には審神者をも叱り、個性の強い刀たちが不穏なときは仲裁に入り両成敗だってした。
「うーん…」
そこまで思い返して、燭台切は思わず唸る。
「なんだ、鬱陶しい」
存外近くから旧知の声がして、驚いた。
「えっ、ごめん。加羅ちゃん居たんだね」
考え事が過ぎて、他の気配に気が付かなかったようだ。
「加羅ちゃん、鶴さん見なかった?」
「…裏庭に出ていったと思うが」
「え、裏?」
なんてことだ、こちら側ではないではないか。
「さっき庭に行ったって聞いたんだけどなあ」
「秋田と乱か? 途中で今剣に呼ばれていたようだが」
あっ、と思いついたこと。
「ねえ加羅ちゃん。今剣くんと一緒にいる鶴さんって、何か違う感じしない?」
「何がだ?」
「他の誰かや主くんと居るときと、今剣くんと居るとき。鶴さんの雰囲気が違う気がするんだ」
「……」
大倶利伽羅は答えず無言のまま、燭台切の手にある冷えた茶のセットと手拭いを奪った。
「…あいつを捜しているなら、俺が持っていく。あんた、今日のお八つ当番だろう」
「そうだった! ごめん、お願いするね!」
お八つ当番は結構な重大任務で、毎食以上に皆が楽しみにしている時間でもある。
慌てて厨の方向へ戻っていた燭台切を見送り、大倶利伽羅は裏庭へと足を向けた。

今剣は短刀だが、彼は鶴丸よりも早くに生み出された刀剣であるという。
もっとも、彼曰く『本体はすでに無い』とのことなので、まさに人の思いの具現化が為した技だろう。
大倶利伽羅が裏庭を望める場所へ来ると、縁側に並ぶ今剣と鶴丸の姿が見えた。
鶴丸を呼ぼうとした声を、大倶利伽羅は既の所で呑み込む。

「ーー。もう、いつになったらあの人たちは来るんだ…」
膝を抱えてその間に顔を埋めるように丸くなった白が、恨みがましい声で呟いた。
戦場に出て少し埃っぽい白銀の頭を、今剣はよしよしと撫でる。
「そうですねえ。ぼくとつるまるがここへきてから、そろそろきせつがふたつすぎてしまいます」
「ええ…そんな驚きは要らなかったぜ……」

見えた鶴丸の様子は、大倶利伽羅には奇異に映った。
(あいつは、伊達でも他の『物』より永く生きていた)
なぜなら彼の知る『鶴丸国永』は、誰よりも年寄りで神格が高く、余計なこともしでかすが頼りになる漢だったのだ。
面と向かっては絶対に言ってやらないが、少なくとも彼と長いこと共に在った大倶利伽羅の認識はそうなる。
(伊達であいつと同じ歳なのは、桜の精くらいで)
だから、明らかに本音と分かる弱音を聴いたことがなければ、弱ったような姿も見たことがない。
もっとも大倶利伽羅にとって鶴丸は剣の師でもあったので、弟子の前でそのような姿は見せなかっただけかもしれないが。
だが今、見えている光景の中の鶴丸は、まるで。

「大倶利伽羅、こんなとこでどうしたの?」
「…っ、蛍丸か」
背後から声を掛けられ、大倶利伽羅は不覚を取った。
鶴丸と今剣に気を取られ、他の気配に疎くなっていたらしい。
手拭いを首に掛けている蛍丸は、どうやら道場での手合わせで一息付いていたようだ。
今のやり取りで鶴丸と今剣もこちらに気づいたか、視線を向けられたことが分かる。
「…光忠が国永を捜していたから、代わりに捜していただけだ」
彼の言葉が過去形であったことに疑問を覚えた蛍丸は、大倶利伽羅が見ていた方向を見てパッと顔を輝かせた。
「鶴兄(にぃ)! 帰ってたんだ!」
「おう、ただいま。蛍は手合わせだったな?」
「うん。御手杵とね」
鶴丸の処へ駆けて行ってしまった蛍丸に何かを諦め、大倶利伽羅もそちらへ足を踏み出す。
程近い縁側に茶を置き、広げた手拭いをばさりと鶴丸の上に落とした。
「うおっ、何だ?!」
「『出陣から帰ってきたらちゃんと休め』と、散々言われているだろう」
今度こそ呆れと一緒に言ってやれば、鶴丸の黄金色(こがねいろ)の目は丸からゆるりと弓形に変わった。
「ははっ! わざわざありがとな、加羅坊」
「…別に、光忠の代わりだ」
手拭いで汗を拭いた鶴丸に茶のグラスを差し出してやると、ちょうど彼の向こう側に居る今剣と目が合う。
彼は紅の眼を柔く細めて大倶利伽羅を見た。
「きをつかわせましたね、りゅうのこ」
『龍の仔』、今剣は稀にそう呼んでくる。
そういうときに限って大倶利伽羅の中には思うところがあるのだが、元より口が上手くない大倶利伽羅は何を言うこともない。
短刀であっても平安の刀、腹に一物も二物もあるだろう。

ぱたぱた、と別の足音が近づいてきた。
「居た居た! みなさん、新しい刀が顕現したみたいですよ!」
秋田藤四郎がそう呼ばうのに、今剣がぴょんと立ち上がる。
「それはたのしみですね! いきましょう!」
鶴丸は少し考えてから立ち上がった。
「俺は着替えてから行くとしよう。どうせ広間に集まるんだろう?」
秋田が頷く。
「ちょうどお八つの時間ですから」
「鶴兄のお八つは俺が取っておくね!」
「おお、助かる」
手を上げた蛍丸の頭をひと撫でし、鶴丸は自室のある奥へと歩いていった。
「ねえ、新しい刀は何だったの?」
「はい。主様が『石切丸』だと仰っていました」
「いしきりまる! ぼくのきょうだいとうですね!」
「えっ、ホントですか!」



はたして、お八つの席で紹介された新たな仲間は大太刀であった。
「石切丸という。戦よりも神事の方が得意かな」
経た歳月を感じさせる雰囲気と合わせ、口調も穏やかな刀だ。
「うおお、でっけえな…!」
蛍はちっちぇえもんなあ、とそのまま口に出してしまった愛染国俊は、当の蛍丸に頭を叩かれた。
「国俊は余計なこと言わない!」
わいわいとしている中、今剣はいそいそと石切丸の隣へやって来る。
「ひさしぶりですね、いしきりまる。ぼくのことはおぼえていますか?」
はたと目を瞬いた石切丸は、心得たとばかりに破顔した。
「もしや…今剣かい? 君は刀の本望を果たして折れたと訊いていたよ!」
まさかまた見(まみ)えるとは、と感慨深く眉尻を下げる彼に、今剣も微笑む。
「そうですね。でも、こまかいことをかんがえるのはやめました」
せっかくまたあえたのですから、と笑う彼は遥か遠くの記憶の彼とは違うが、そのようなこと、千年を生きてきた者には些事だった。
「ああ、そのとおりだね。懐かしい顔触れに見えることも、刀の本分を果たすことも、良き縁と考えることにしよう」
今剣はクスクスと笑みを漏らす。

「もうききましたか? むかしぼくたちがかわいがっていたあのこも、ぼくとおなじくらいはやくにここへきているんですよ!」

『あの子』という彼の言葉に手を止めたのは、広間に集まっていた全員だ。
今剣の言う『昔』と『あの子』は、おそらく平安の頃の話であろう。
「もしや…雛がここに来ているのかい?」
なんとも可愛らしい名前が石切丸から発せられた。
(雛…?)
(誰だ?)
そのような形容をされる刀が思い当たらず、今剣と石切丸以外が首を傾げる。
「そうです。もうそろそろきますよ!」
そろそろ来る、という言葉に引っ掛かる刀は、ひと振りだけだ。
石切丸が顔を上げたところに、噂の人影が廊下から顔を出した。
「おや」
目が合って大きな望月を見せる相手に、石切丸はつい腰を上げてしまった。

「あの頃の…国永の雛かい?」

見間違えはしない。
当時、まだ付喪神ではなく刀精として顕現していた三条が作の刀たちが、揃って可愛がっていた弟分だ。
号は無くも銘を国永と切られた太刀が、鳥の雛を思わせる見目をしていたために皆は『雛』と呼んでいた。
彼もまた様々な経験を積み付喪神となり、そうして永い年月を歩んできたのだろう。
可愛らしいのは元からだが、なんとも伸びやかに美しく成長していた。
「やあ、美しくなったねえ。まさか再び見える日が来るとは思わなかったよ」
他の面々が目を点に変える中、驚いて石切丸を見返すのみであった鶴丸がようやく口を開く。
「…いしきりの、あにさま」
その物言いに鶴丸を見上げた者たちは、次の瞬間にはぎょっと目を剥くこととなった。
ーー石切丸を間近に見上げていた黄金の目から、堰を切ったように涙が溢れる。
「雛?!」
同じくぎょっとした石切丸へと、鶴丸の手が伸びた。

「遅いっ!!」

ぶつかるように彼へ飛びついた鶴丸は、そのまま叫ぶ。
「ここならまた兄様たちに会えると思って、だから陰陽師共の願いに応えてやったのに!
なのにいまつるの兄様の他には誰も来ない!! 三日月の兄様も小狐の兄様も、岩融の兄様も! 石切の兄様も遅いっ!!」
それきり鶴丸は何も言わず、いつの間にか傍に来ていた今剣が仕方がなさそうに笑っていた。
「ぼくははじめからいましたが、このこがさみしがりなのはあなたもよくしっていたでしょう?」
ずぅっとがまんしていたんですよ? と言われてしまえば、石切丸にも目の前の状態が理解できた。
飛びついてきて顔を上げない白の背を宥めるように抱き締め、白銀の髪を撫でる。
「それは…遅くなってすまなかったね。三日月たちのことなら、それほど遅いなら怒ってしまって良いんじゃあないかな」
それよりも、とまだ涙が止まらぬらしい白に問い掛ける。
「君の名前を教えてくれないかい? もう雛ではないんだろう?」
ぐす、と涙を拭った白が、ようやく顔を上げた。
「…鶴丸国永だ。どうだ、驚いたか?」
涙ながらに笑った顔は、かつての面影を映し眩しく映った。





「そういえば、歌仙がぼやいちょった。主が『月と狐は都市伝説なんだ…』言うて後ろ向きゆう」
「まあ、こんだけ現れなければねえ…」
陸奥守と次郎太刀が見上げた先、翻った白が赤を散りばめ敵の大将の首を落としていた。
大和守がその後姿にあれ、と疑問符を上げる。
「今日の鶴丸さん、かなり機嫌悪い?」
そういえば今日は口数が少なかったな、と一期一振は思い返した。
その視界に残骸以外の何かが落ちていたので、拾いに行く。
「……もう良い」
ぽつんと落とされた言葉を、聞き取れたのは比較的傍に居た鯰尾だけだった。
「鶴丸さん?」
普段の二割増しに粗雑な仕草でもって血振りをくれ、鶴丸は砂塵となってゆく敵方の屍をドンッ、と踏みつけた。

「もう良い! これだけ呼んでも来てくれない三日月と小狐の兄様など、もう知らんっ!!」

状況さえ違えば、駄々っ子のようなそれ。
しかし第一部隊の面々は、苦笑しつつ同意するしかない。
審神者までもが諦めかけた中、こうして長いこと探しに出ているのだから褒めて欲しいくらいだ。
「…帰るぞ。今日も収穫なしだ」
馬を引いた鶴丸を振り返った部隊の面子が、何かを拾い戻ってきた一期一振に口を開けた。
「いち兄、それ…!」
弟に応えるよりも先に、一期一振は鶴丸へ駆け寄る。
「鶴丸殿、これを」
そこで、と続くはずの声は続かず、一方の鶴丸は両側から突然視界に現れた腕に瞠目した。

「そのように連れないことを云うでない、鶴や」

待たせたなあ、と囁く声は、二百年ほど前に聴いたもの。
ぎゅ、と後ろから自分を抱き締めてくる藍の狩衣の主は、探し求めていた……。
「…一期一振」
「はい」
名前一つ、一期一振は拾得物を本丸へ送る陣を発動し、鶴丸の背に在った気配はぱっと消えた。
なんと鮮やかな手並み!
「…いち兄、よく判りましたね」
普段は『一期』と呼ぶ鶴丸が銘を略さず呼ぶときは、真面目な場合か余程腹に据えかねることが在った場合だ。
そう弟へ伝えた一期一振は、良い笑顔だった。
「三日月宗近殿であれば、私もそれなりに付き合いが長かったので」
今回は本丸で世話になっている鶴丸殿の味方をしました、とそれはもう良い笑顔で言ってくれたので、鯰尾は口許が引き攣った。
「え、ええー…」
「わあ、一期さんも結構頭にきてたんだね」
あっけらかんと言ってのけた大和守の言葉が、鯰尾の心をまさしく代弁していた。



出陣部隊から拾得した刀が送られてきたのと同じ時分、審神者は鍛刀部屋で悲鳴を上げていた。
「き、き、き、…あああああ、かせ、歌仙これ…っ!」
「落ち着いてくれ、主。ああほら、阿津賀志山に出ていた部隊も刀を拾ったようだよ」
と転送陣を見返った歌仙は、固まった。
「………え、」
彼は出陣する陸奥守に代わって、近侍を勤めることが多い。
ゆえに、政府に協力する刀剣の一覧はこの本丸に有ろうが無かろうがすべて把握している。
「あ、ああああ主!」
「なに歌仙! って、え?!!」
鍛刀した刀と、歌仙が転送陣から取り上げた刀。
それは違うものであり、しかしすでに審神者が諦めかけていた、滅多に来ぬと話題の…。
審神者は鍛刀部屋から廊下へ飛び出し、大声で叫んだ。

「だ、誰かーっ! 鶴丸呼んできて鶴丸!!!」

騒がしいですね、と応えた宗三左文字が、たった今帰還の鐘を鳴らした正門へと向かう。
すでに小夜左文字と五虎退が彼らを迎えており、宗三は茶の準備でもしておけば良かったかと珍しく思った。
「鶴丸」
「ん? 宗三じゃないか。出迎えなんて珍しいな」
「ええ。主が貴方をお呼びですよ」
心当たりがあった鶴丸は、むすりと押し黙る。
「それって、拾った刀のこと?」
大和守が代理で問えば、彼はおそらくと続け、さらに。
「鍛刀でも大騒ぎしていましたから、他にもあるのでは?」
他? と皆は顔を見合わせ、ひとまず鶴丸を先頭に皆で鍛刀部屋へ向かった。

「三日月宗近だ。天下五剣のひと振りにして、一番美しいとも云うな」
「狐が相打ちを打ったゆえ、小狐丸と申します」

月狂い、狐憑きとも言われるほどに顕現しない、二振りの太刀。
それがいっぺんに現れ、審神者は腰を抜かした。
「うわあ、マジで三条太刀来た………」
やばい運が全部尽きた…、と審神者が目を回す。
その様子を愉快げに見つめていた三日月の目が、鍛刀部屋の入り口で彼らを凝視する白を見つけた。
途端、ぱぁっと三日月の表情が華やぐ。

「おお、鶴! やはり其方であったな。逢えて嬉しいぞ」

鶴丸が口を開く前に、三日月の隣の小狐丸が口を開いた。
「おお。もしや、国永の処の雛ですか?」
見違えました、と褒め言葉を向けてくる彼と、三日月。
鶴丸は務めて冷静に返した。
「…お察しのとおりだ。三日月の兄様、小狐の兄様。五条国永が逸物、鶴丸国永だ」
が、その眼差しはキッと鋭く尖る。

「来るのが遅すぎるっ!!!」

バサリと白の羽織を翻して、鶴丸は鍛刀部屋を出ていってしまった。
「つ、鶴丸様…!」
一期一振に即された五虎退が、彼を追い掛けて同じく鍛刀部屋を後にする。
「なんかすっごい声聞こえたけどー」
畑当番であった加州が、呆れた顔で覗きに来た。
彼は鍛刀部屋を覗き呆気に取られたままの二振りを見、わあ、と演練で見た顔と照らし合わせる。
「ははあ、三条の月と狐って刀だね」
ちょっと待ってて、と彼は畑へ駆け戻った。
当番の相方が今剣だからだ。
「今剣ー! あんたの兄弟刀来たみたいだよ!」
「おおっ。ほんとですか?!」
ぱたぱたと駆けてきた今剣に、ようやく三日月が我に返った。
「おお、今剣の兄様ではないか」
「お久しゅうございます」
おや? と首を捻ったのは一期一振だ。
「もしや、今剣殿が一番早くに打ち上がった刀なのですか?」
「一期一振か。其方も久しいなあ」
三日月が鷹揚と笑み、一期一振も笑みでもって返す。
そうですよ、と今剣が笑う。
「ぼくといわとおしは、そのときにはすでにめがさめていましたからね」
「僕たちはそういうのよく分からないから、不思議だよね」
大和守が感心するのに、ようやく審神者が意識を取り戻した。
「ひ、ひとまず広間へ行きましょう! 皆さんに紹介するにもここは狭いので!」
それもそうだ、と皆でぞろぞろと鍛刀部屋を出る。
「第一部隊の者たちは、一度着替えてくると良い」
「他の刀は僕たちで呼びに行きましょう」

自室へと足早に向かう鶴丸を、五虎退は必死に追い掛ける。
「つ、鶴丸様!」
何度目かの呼び掛けで、彼がピタリと足を止めた。
何かと思うと彼は大きな息を吐いてその場へしゃがみこんでしまい、具合が悪いのかと慌ててしまう。
「鶴丸様! 大丈夫ですか?!」
「…あ? ああ、五虎退か…。すまんな、追い掛けてくれたのか」
「いえ、僕は別に。あの、お加減が…?」
「いや…違うんだ。何というか、嬉しいのと腹が立つのとで頭が一杯でな」
白い腕の間からちらりと見えた鶴丸の目許は、泣きそうだからか嬉しいからか、朱が走っていた。
それを美しいとも可憐とも思うのは、きっと五虎退だけではないだろう。
少し思案した五虎退は、鶴丸の隣に同じようにしゃがむ。
「あ、あの…腹が立つ、は僕には分かりませんが、でも、嬉しくてよく分からなくなるのは、僕もそうでした。
いち兄や他の兄弟に初めて会ったとき、とても嬉しくて…。あ、僕の話はどうでも良くて、えっと…」
言葉を探して慰めてくれようとしている目の前の短刀に、鶴丸はくすりと笑みを誘われた。
衝動に逆らわず、そのふわふわの頭を撫でる。
「ありがとよ、五虎退」
そうして笑みを見せた鶴丸は、五虎退のよく知る、頼りになる鶴丸国永その刀(ひと)であった。
「ひとまず、皆の顔見せには参加せにゃならんな。広間に集まるだろうから、一旦着替えるか」
「あ、お手伝い、します!」
「そうかい。助かるぜ」



新たな仲間が顕現した際は一度皆で集まって顔合わせをして、その日の夜は宴会と相場が決まっている。
思えばそのときから、すでに始まっていたのだろう。
「なあ、石切の兄様(あにさま)」
「どうしたんだい? 三日月」
兄刀の酌を受けながら、三日月はそれと悟らせぬ程度に眉を寄せた。
「鶴がまったくこちらへ来てくれんのだが」
同じことを小狐丸からも訊かれている。
石切丸は宴会場と化した広間をぐるりと見回し、鶴丸の姿を捜した。
今は宗三と薬研、長谷部の輪に入っており、どうやら織田の面子といって良さそうだ。
「あの子は人気者だからねえ。腰を上げるとすぐに別の子に掴まるよ」
今日は少し違って、鶴丸は動いていない。
代わりに彼の周りが入れ替わり立ち替わりで、彼が動く隙を与えていないように思える。
「私も中々に苦労したからね。君も覚悟しておくと良いよ」
はて、覚悟とは。
注がれた酒を飲み干せば、石切丸は回顧と合わせて苦笑した。
「私も『来るのが遅い』と怒られたんだ。機嫌を直してもらうのが大変だったよ」
そろそろご機嫌取りに行こうかな、と彼は立ち上がる。

石切丸が居なくなった空間に、意味深な笑みで料理を持ってきたのはにっかり青江だった。
「訳が分からない、って顔してるねえ?」
「其方は…青江の脇差であったか」
「そう。覚えてもらえて光栄だよ」
彼が持ってきたのは山菜の天ぷらで、カラリと揚がったそれは美味そうだ。
「この天ぷらは歌仙の作だよ。感想を直接言ってあげるととても喜ぶ」
「そうか。ならば後で伝えよう」
で、と藍色の目が無言で青江を即す。
青江も焦らすようなことはしなかった。
「訊いたと思うけど、鶴丸は結構早い時期にこの本丸に顕現していたんだ。僕と一期一振より少し後かな?」
まだ部隊は二つしか作れなくて、資材も枯渇しがちだった頃のことだ。
「ここっていろんな刀が居るじゃない? 纏めるのって結構大変でさ」
見れば分かると思うけど、という彼の評に、三日月も否やはない。
「鶴丸は知り合いが多くて、いろんな家を渡ったっていうだけあって人付き合いが凄く上手かった。
だから新選組の刀でも程々に上手くやれる陸奥守と一緒に、この本丸の総隊長をしてる」
だからこそかな、と青江は大倶利伽羅に酌をしてやっている鶴丸を見た。
「弱ってるあの刀(ひと)って、誰も見たことなかったんだよねえ」
初めは今剣しか居なかったものだから、彼のことを鶴丸が『あにさま』と呼ぶことすら知らなかったのだ。
「石切丸が来たときに、今剣曰く『我慢してたものが溢れた』そうだけど。誰かに甘えるような鶴丸だって、誰も想像出来なかったよ」
大倶梨伽羅など鶴丸と共に在った時間が永かった為か、立ち直る…いや、開き直るまでに随分と時間が掛かった。
さて、と青江は腰を上げる。
「それじゃ、後は頑張ってね」
どう考えても話は半端で、三日月は戸惑った。
(…結局、どういうことなのか)
来ないのならばこちらから、と三日月が席を移そうとしても、その度に粟田口の短刀たちがあれやこれやと世話を焼きに来る。
世話をされるのは好きだが、今はちょっと方向性が違う。
「すまぬが、ええと…乱だったか。少し鶴丸と話したいのだが」
そう思って新たな冷酒を持ってきた乱藤四郎に尋ねると、彼はふふ、と意味ありげに微笑んだ。
「ボクね、兄弟ともどもすっごく鶴丸さんにお世話になってるんだ」
「うむ。一期一振も同じことを云うておったよ」
「うん。それに鶴丸さんはよく一緒に遊んでくれるから、ボク大好きだよ!」
「はっはっは。本人に伝えてやれば喜ぶぞ」
「えへ、そう? それでね、ボクや兄弟たちは鶴丸さんが大好きだから、鶴丸さんの味方なんだ!」
だから頑張ってね、と言うだけ言って、乱は席を外してしまった。
「……はて」
分からん。
思い悩むしかない三日月が、その日鶴丸と話す機会を得ることはついに無かった。





翌日になって、さらに数日が過ぎ。
三日月と小狐丸は、石切丸の言葉を痛感していた。
「なんとまあ、手強い…」
小狐丸は畑仕事の休憩に縁側で一服している。
そこへ手合わせの合間にやってきた三日月は、すっかりと弱った様子であった。
「小狐や。俺は鶴丸と話したい…」
よよよ、と泣き真似をするくらいにはまだ余裕があるらしい。
「私もですよ、三日月の兄様(あにさま)」
態となのかそうでないのか、鶴丸に話し掛けようとすると必ず誰かが横槍を入れてくるのだ。
その鶴丸は、今日も今日とて出陣中である。
「今剣の兄様の話では、我らは相当に鶴を待たせてしまったゆえ。一つ一つ障害を取り除く他は無いと思いまする」
「ううむ…。先が思いやられるなあ」
「しかしやらねば、この先も鶴にそっぽを向かれたままでしょう」
「それは困る!」
嘘のように俊敏に立ち上がった三日月は、次には顎に手を当て考え始めた。
「うむ、善は急げといきたいところだが。やはり一番の障害は、数ゆえの粟田口か…」
のんびりと立ち上がった小狐丸はうんと伸びをする。
「私は狐仲間から仕掛けましょう。…最大の難所は伊達の龍かと」
「あやつらか…」
伊達は鶴と共に興った家、そのためか伊達の龍を映す二振りの刀は、まるで鶴丸の守護者のように振る舞うときがある。
「…まあ、障害が多い方が燃えるとも云うしな。やるか」
珍しくやる気を出して道場へ戻っていった兄刀を見送り、小狐丸は首を傾げた。
(障害があって燃えるのは、色恋の話では…)



「ところで鶴丸。まだあの三条の太刀を許す予定はないのかい?」
本日の第一部隊は、最近メキメキと練度を上げてきた蛍丸が次郎太刀と入れ替わる形で入り、鯰尾と交代でにっかり青江が入っている。
青江の問い掛けに、鶴丸はきょとんとして振り返った。
「うん? 俺は許すも許さないもないぜ? まあ、ちょっと拗ねてはいるがな」
思い悩む兄様たちを見るのは良いもんだ、と鶴丸の思考はやや斜め上に行っている。
が、どうも青江が思っていたものとは違う。
(おや…?)
青江の見立てでは、鶴丸の意を汲んだ彼と懇意な刀による可愛らしい妨害が入っていると考えていた。
けれどたった今答えた鶴丸の様子を見ると、特に彼が何かをしているようには見受けられない。
(と、いうことは…?)
思い当たった相手をちらと見る。
すると青江の視線に気づいた相手がにこりと笑った。
「青江殿、どうかしましたかな?」
にっかり…いや、にっこりと笑う相手の目が笑っていないというのは、あまりよろしい話ではない。
と言っても戦闘に関する話ではないので、深刻でもないが。
「もしかして、君が兄弟たちと組んでいろいろ画策しているのかい?」
何せあの太閤の刀だ、策を巡らせることは得意だろう。
一期一振は大和守と鶴丸に先行を願ってから…こういうところが策士の所以だ…、改めて青江に口を開いた。
「まさか。本丸内に亀裂を入れるようなことはしませんよ。ただ弟たちはみな、鶴丸殿のことを慕っておりますから」
「つまり、君の弟刀たちが自主的に三日月と小狐丸へ意地悪をしている、と」
「ははっ、酷い言われようですなあ。三条の方々と仲良くなりたいというのですから、可愛いではありませんか」
物は言い様、という言葉がぴったりである。
鶴丸が大和守と共に戻ってきて、敵の布陣が未だ見えないことを伝えてきた。
もう少しのんびり出来るか。
殿を二振りで引き受け、鶴丸には聴こえないよう小声で話す。
「…まあ、正直なところを申しますと。鶴丸殿が涙する様など、宝物庫で共に在ってから一度も見たことがなかったので」
動揺しました、と一期一振は少し照れた様子を見せた。
「……なるほどねえ。それで、伊達の龍たちと歩調を合わせたってとこかな」
「そうなりますな」
燭台切もそうだが大倶利伽羅の動揺っぷりは相当なもので、彼の中の天秤は"鶴丸(伊達)"と"それ以外"に分かれるのだな、と誰もが悟ったレベルである。
とは言えここで古参である鶴丸に世話になっている自覚はどの刀にもあるので、新参の三日月たちに厳しくなるのは当然かもしれない。
「なになに、お爺ちゃんたちの話?」
話している彼らが気になったのか、蛍丸が馬を寄せてきた。
隠す話でもないので一期一振が素直に返す。
「ええ。三日月殿たちと鶴丸殿の話です」
「月のお爺ちゃんも狐の太刀も喰えないよね。目一杯邪魔してやるけど!」
おやおや、と一期一振は破顔した。
「ははは。蛍丸殿も鶴丸殿が大好きですな」
「当然でしょ!」





三日月は腕の中の白をぎゅうっと抱いて、ご満悦の息を吐いた。
「…三日月の兄様。あまり強くされると苦しいんだが」
「はは、すまんな」
背から抱き締められている鶴丸も満更ではないので、平和なやり取りである。

結論から言うと、『来るのが遅い』と臍を曲げた鶴丸のご機嫌を当人に取れるようになるまで、三日月は36日、小狐丸は25日掛かった。
小狐丸の方が短いのは、まあ彼の方が要領が良かったという話だろう。
「鶴は愛いなあ」
「…この歳で可愛いと言われてもな」
「俺にとってはどのような鶴でも可愛いさ。拗ねた其方も可愛らしかった」
「喧嘩なら買うぜ?」
今は手合わせの気分ではないな、と躱した三日月は、鶴丸が熱心に目を落とす色鮮やかな本に目を向けた。
「先程から何を見ておるのだ?」
鶴丸は本を見せるように上へ上げる。
「これかい? 歌仙に『掛け軸を変えたいんだが良い趣向はないか』と訊かれてな。答える前にひと勉強というやつさ」
「其方は真面目だなあ」
「なに、答えは別に貰う予定だからな。こいつは俺の思案用だ」
鶴丸は三日月の腕の中で身を捩り、彼を見上げるとニッと笑った。
「俺は秋なら月に兎と思うんだが、兄様はどうだい?」
「答え合わせの先は俺か。…ふむ、紅葉に小禽はどうだ?」
ちょうど障子に映った影を見て、鶴丸はさらに声を上げる。
「小狐の兄様!」
「おや、鶴。こちらに来ておりましたか」
「小狐の兄様は、秋の掛け軸といえば何だい?」
唐突な問いであるが、小狐丸は明後日の方向を見遣りながら考えた。
「そうじゃな…。実りの木々、あるいは萩や芒はどうでしょう?」
ほう、と三日月が眼差しを細めた。
「うむ、趣があるなあ」
「木と植物に、紅葉と鳥か。俺と被るならそれにしようと思ったんだが」
これじゃ絞れないな、と鶴丸が悩んだ姿は一瞬だった。
「まあ良いか。ちょっと歌仙のとこまで行ってくるぜ」
止める間もなく部屋を出ていってしまい、目を瞬くのも初めてではない。
小狐丸が肩を竦めた。
「落ち着きがないのは変わらぬようですね」
「ああしてはしゃぐ鶴も可愛いなあ」
うんうん、とやはり三日月はご満悦である。



ところで。
三日月と小狐丸が四苦八苦していた約1ヶ月の様子を、審神者がこっそり<審神者ちゃんねる>なるクラウドサービスへ上げていることを、
この本丸の誰もがまだ気づいてはいない。


三条に可愛がられる鶴丸の話

(冬なら『朝陽に鶴』で満場一致の三条)



16.9.19

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