坂本龍馬を薩摩藩邸へ無事送り届け、徹夜となった身体を持て余しながら路地を歩く。
鶴丸国永は、堀川国広と陸奥守吉行の会話を注意深く聞いていた。
(強い思い入れのある主。付喪神(俺たち)には良いものではあるが…)
不穏な空気を読み取り、わざとこんのすけへ帰還の話を振る。
するとこれまた予想外の指令を受けた上、予想外の火事を目撃してしまった。
(歴史が歪んでゆく様を見るのは、これで何度目だったか)
歴史を変えようとする時間遡行軍、それを阻止しようとする政府軍。
双方が幾度となく時間軸へ干渉すること、即ち『異物』が入り込むことで、時間の主軸は歪んでいく。
幾度も同じ時間軸へ遡行軍が入り込んでくるのは、その誘発も目的かもしれない。
ひとまずは当面の宿を取ることになり、適当な旅籠を探すことになった。
一番後ろを歩く堀川をちらりと目線で見遣れば、やはりその顔は浮かない。
一方で、鶴丸の斜め前をこんのすけを肩に乗せて歩く陸奥守は、先程まで当事者であったにも関わらず明るい顔だ。
鶴丸は人差し指を顎に触れ、視線を下げる。
「……」
そんな鶴丸の様子を、薬研藤四郎は斜め後ろから静かに窺った。
彼の思案の先は自ずと知れて、こちらも堀川をそっと見遣る。
(成し遂げた者と、成し遂げられなかった者…か)
*
まだ、時空転移が二振りの刀のみに限られていた頃の話だ。
薬研が顕現された本丸では、新たに顕現した刀剣男士は1ヶ月以上の人間経験と任務経験を持つ刀剣男士が相方となり、教育する形を取っていた。
教育の中身は、肉の身体の扱い方や人としての暮らし方、そして歴史改変阻止の任務まで多岐に渡る。
顕現されたばかりの薬研に付けられた教育係は、本丸でも精鋭に数えられる鶴丸であった。
審神者曰く、働かせすぎてしまったからと。
「俺としては、畑仕事や馬の世話よりも任務の方が良いんだがなあ」
からりと笑った彼に見覚えはなかったが、初めて任務に出た際に既視感を覚えた。
表情を無とした、怜悧な横顔に。
「なあ、鶴丸。あんた、俺とどこかで会ったことないか…?」
本丸ではなく、『刀』として在った頃に。
「ふむ。きみはいつの時代の、誰の刀だい?」
鶴丸にとって、任務相手が誰の刀であろうと大したことではない。
おまけにとうに千年を過ぎた身だ、余程印象に残っていない限りは思い出せない。
薬研は答えた。
「室町、あるいは安土桃山。最後の主の名は、織田信長」
ああ、と鶴丸は腑に落ちた顔をした。
「へし切長谷部と宗三左文字は顔見知りかい?」
「そうなるな」
そうか、と相槌を打った鶴丸の視線は、眼下の通りへ戻る。
緩やかに人の流れがゆく、何の変哲もない過去の町だ。
「生憎と俺はきみを思い出せないが、織田ならば居たことがあるぞ」
ほんの数年で奴の部下に下げ渡され、織田を離れたが。
「…! そうか、あのときの」
薬研の脳裏に、彼を初めて見た光景が蘇る。
武将が刀を集めることは珍しいことではない。
珍しかったのは、『それ』が平安の時代から折れず存在し続けている刀であったことだ。
織田信長が見処のある部下に刀を下げ渡すことも珍しくなく、そのときに見たのだ。
付喪神としての形をまだ確立出来ていなかった長谷部や宗三と違い、はっきりとした形の真白の存在を。
『やれ、もう移動か。忙しないな』
未練なく、感慨もなく、ただ事実を呟いた白皙の美貌を。
クス、と漏れ聞こえた小さな笑い声に、薬研は我に返った。
「しかし織田かあ。きみ、この先は覚悟した方が良いぞ」
「覚悟?」
鶴丸は笑んだままだ。
「そうさ。人々が『歴史が変わった』と認識している箇所で、時間遡行軍は動く。
幕末も良い例だが、織田の時代も任務先としては鉄板ってやつだぜ」
彼の言ったとおり、その後薬研が彼と共に出た任務はほとんどが織豊の時代であった。
それこそ、意図的に宛てがわれていると分かる程に。
「…遡行軍が、この時代ばかり狙ってるってわけじゃねぇんだよな?」
毎回自分たちに付き従うようになったこんのすけへ確認を取れば、是が返る。
【はい。数多く狙われる時代、特異点は他にもあります】
何度も何度も、元の主が生きている時代を駆け回った。
堪えるものも多かった。
織田信長や彼の息子たちを生かそうとする遡行軍の妨害には、歯を食い縛ったこともある。
任務で幾度時空を越えたか、数えることすら止めた頃。
鶴丸が薬研のパートナーから外れた。
次に飛んだ時代はやはり安土桃山、薬研と共に任務にあたったのは三日月宗近であった。
*
運良く部屋数のある宿を取ることが出来た。
まずは休憩ついでに腹ごしらえだと、押さえた三部屋へそれぞれが一度引く。
こんのすけは周囲をひと周りしてから戻るそうだ。
同室となったひと振りの後に部屋に入った薬研は、早々に障子を閉めた。
「どうした? 薬研」
雨戸の開け放たれている窓へ腰掛けた鶴丸が問う。
薬研が、部屋割りをさりげなく誘導していたことには気づいていた。
部屋の隅に積まれた座布団を二つ引っ張ってきて、薬研は用意されていた茶器を覗き込む。
「現時点での、あんたの見解を聞いておこうと思って」
「へぇ」
白銀に縁取られた黄金色が細められる。
藤色の眼がそれを見返した。
「時は幕末。陸奥守吉行、和泉守兼定、堀川国広の三振りにとって、もっとも思い入れの強い主が生きている時間軸だ」
おまけに遡行軍の襲撃で、陸奥守は坂本龍馬と出会うどころか道中を共にした。
「遡行軍の動きが派手になったことで、『かつての主と会わないように』って暗黙の了解も無駄になりつつある」
もう一度坂本龍馬を狙うだろう、という予想には薬研も否はない。
ゆえに気になった。
なぜなら薬研と鶴丸は、助っ人というだけで第二部隊へ合流したわけではない。
あの、怜悧な眼差しが微かに笑む。
「俺の見解の前に、きみの意見を聞こうか」
頷いた薬研はほんの一瞬、部屋の外の気配を探った。
近くには誰も…部隊の面々も…居ないようだ。
座布団に腰を下ろし、鶴丸に辛うじて聴こえる程度まで声量を抑える。
「陸奥守は、おそらく大丈夫だと思う。あそこまで深入りしちまって、それでも何も言わなかった」
彼が江戸に、自身の主が生きる時代に飛んだのは初めてではないはずだ。
「和泉守については、正直俺には分からん」
この町は新撰組の縄張りでもある。
うっかり元の主…土方歳三にばったり会ってしまう、なんてこともこの先あり得るだろう。
今は何ともないようだが、この先何も起きないとは限らない。
薬研はそこで言葉を切った。
「…問題は堀川だなぁ」
鶴丸が口を開く。
「まだ任務に就いて日が浅いとはいえ、和泉守とは違う方向で振れ幅がでかい」
部隊の人選も人選なんだが、と彼は膝の上で頬杖を付いた。
「幕末で狙われる箇所は大体同じだ。だから新撰組の連中と陸奥守は、どうしても誰かしら一緒になっちまう」
二振りでの任務ならともかく、六振りでは尚のこと。
当時の記憶と土地勘は、遡行軍に先攻するための数少ない切り札でもある。
「薬研。先の坂本龍馬襲撃、違和感を覚えなかったか?」
「違和感?」
相手方の数と歴史の歪みゆえの遭遇、それ以外の違和感とは。
「今回、俺たちは陸奥守の記憶を頼りに、坂本龍馬の寺田屋からの逃走ルートを割り出して待ち伏せた」
それは良い。
違和の正体は、『同じ道順を違わず遡行軍が待ち伏せ、あるいは使った』ことだ。
薬研が目を見開く。
「『元は陸奥守吉行であったモノ』が、遡行軍に居るってのか?!」
「なに、可能性の話だ」
先行した遡行軍が、何もせず『歴史として在った事実』を見聞きして情報を集めていてもおかしくはない。
「薬研」
声量は無くも強い声が、薬研の意識を固定させた。
「言ったはずだ。感情の波に囚われるな」
それは第二部隊の一員としてではない、薬研を戦力として育ててきた指南役の声だ。
「俺たちは歴史を守るために喚起された。志が同じ以上、他の刀剣も仲間であることは間違いない」
けれどそれは、『間違えない』という訳ではない。
「遡った時空の先で生きているのは、あくまで『元の』主。『今の』俺たちの主は審神者だ」
残念なことに、そこを間違えちまう刀は多い。
(そうだ。だから俺も、嫌になるくらい織田信長の時代で任務に就かされた)
薬研は数か月前までのことを思い出す。
ふっ、と物憂げな息が鶴丸の薄い唇から吐かれた。
「そうまで思える主が居ることは良いもんだが…」
歴史を守る、と言うことは易いが、個々の感情で左右されて良い目的ではない。
『すべてを呑み込み、尚進むことが出来るか。我らに求められているのは、それだけよ』
薬研の脳裏で、三日月に告げられた言葉が蘇る。
「…堀川は、まだ踏み留まれるか?」
薬研は呑み込んだのだ。
呑み込んだ上で、己の意思の元に選び取った。
「さてなぁ。和泉守も含め、判断を下すにはまだ早い」
鶴丸の指先が、するりと太刀の柄を撫でる。
「ま、踏み留まれないというなら、それまでだ」
*
合格だ、と三日月は言った。
業火に包まれる本能寺を眼下にしてのことだ。
「合格…?」
炎の熱気がこちらまで押し寄せ、汗が吹き出す。
薬研はそんなだというのに、三日月は常と変わらぬ涼しげな顔だ。
「なぜか、と疑問に思っていただろう? 元の主が生きる時代ばかり行き来して」
「…ああ」
「これまでにいろいろとあってな、審神者がそう決めたのだ。
『もっとも思い入れの強い主の時代で、何度でも元の主を見殺しに出来るか』見定めると」
やはりか。
薄々、勘付いてはいた。
「俺や鶴丸のような平安の刀は、どの主の元に飛ばせば良いのか悩んでおったがなあ」
はっはっは、と笑う藍色の眼差しは揺らがない。
鶴丸の黄金色も、揺らいだところを見たことがない。
「もし見殺しに出来なかった場合は、どうなったんだ?」
「その肉の器を斬り捨て、核たる刀を折るのみよ」
彼らはそうして、何振りもの踏み留まれなかった刀を折ってきたのか。
「やあ、しかし嬉しいな。鶴丸が育てた者はみな、芯が強い」
育て方が良いのだろうなあ、心強いぞ。
眼下の光景に似合わぬ台詞は、ほんの少しだけ感情が乗っていたような気がする。
「あんたは放任しそうだな」
「うん? そんなことはないぞ」
そろそろ帰還するか、と呟いた三日月の声が聴こえたか、どこぞへ避難していたこんのすけが戻ってきた。
【お二人とも、お疲れ様でした。薬研殿に主様より伝言です。
『薬研藤四郎さん、長らくの任務お疲れ様でした。明日より五日間の休暇となりますが、本丸で過ごすかこの時代で過ごすか選んでください』】
額に流れた汗を拭い、薬研はこんのすけへ問い返す。
「こんのすけ、鶴丸が本丸に居るかどうか分かるか?」
【はい、少々お待ちください。……鶴丸殿は現在任務中ですね。帰還予定日は三日後となります】
「そうか。それじゃ、本丸で休みを貰うぜ」
【了解しました。それでは三日月殿、薬研殿、揃って本丸へ帰還します】
三日月が面白そうに尋ねてくる。
「親鳥の羽が恋しくなったか?」
まあ、確かに鶴だが。
薬研はにやりと笑ってみせた。
「大御所の合格印もらったって、弟子の口から師匠に報告しねぇとな」
*
三日月も、鶴丸も、情が無い訳ではない。
他の…第一部隊に属している刀や、顕現して長い刀とてそうだ。
ーーこの身の主は審神者であり、守るべき優先順位は決まっている。
ただ、それだけのこと。
(…堀川も和泉守も、乗り越えてくれりゃ良いんだが)
例え一時でも、共に戦った仲間を斬り捨てたい等と誰が思うだろう。
「変わらぬ日常のために、どれだけ犠牲を払えば終わるやら」
ぽつりと零された鶴丸の言葉に、薬研は返せるものを持たない。
障子の向こうから、訪いの声が食事の用意を告げた。
活劇小話2
17.9.7
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