鶴丸国永というひと
(5.鶴丸国永というひと)
刀としての生い立ちは、付喪神の性格を形作る。
鶴丸国永が驚きと称して心動かされるものを常に探す様は、それこそ酔狂だ。
相手が例え神であろうと物怖じせず、軽妙で、年若い者に対するときはその滲み出る神格の波動すら押さえ込む。
ゆえに和泉守兼定曰くの"やり難い"三日月宗近や髭切に比べ、彼の隣には常に誰かの気配が在った。
「鶴丸」
大倶利伽羅と差し向かいで飲んでいた鶴丸に掛けられた声の主は、例に漏れず久々に見る顔だ。
「薬研じゃないか! 久しぶりだなあ」
粟田口吉光の手による短刀、薬研藤四郎。
彼は鶴丸が長期任務合間の待機中に、教育係として様々なイロハを教えた刀だった。
薬研の差し出した酒は、数の少ない貴重なもの。
「師匠が来るってんで、宗三からかっぱらってきた」
悪戯っ子のような表情で、薬研は鶴丸に酒を注ぐ。
薬研にとって鶴丸は、肉の身体の扱い方から任務の遂行、さらには裏に隠された思惑まで教わったまさに師匠。
最後の試験(と称した任務)こそ違う相手と組んだが、粟田口の長兄とは別枠で多大な信頼を寄せる相手が鶴丸だった。
「どうだい、他の連中と上手くやってるかい?」
「ははっ、まあぼちぼちってとこだな」
二人一組で任務に当たる上で、もっとも重要になるのが組んだ相手との相性だ。
刀種の相性は当然のこと、付喪神の性格の相性は重要になる。
薬研はどうにも、無意識の内に相手を選んでしまうようだった。
「今は兄弟と組ませてもらってるんだ。だから心配には及ばねえさ」
「きみは兄弟が多いからなあ。誰だい?」
「噂をすれば、だ。ちょっと待ってくれ」
ちょうど広間へ入ってきた刀を見て、薬研は立ち上がる。
程なくして鶴丸の前へやって来たのは、おそらくは脇差の少年。
「鶴丸。俺っちが今組んでる骨喰兄(にい)だ」
「脇差、骨喰藤四郎だ。よろしく頼む」
骨喰に酒を注いでやり、鶴丸は笑みを返した。
「きみが骨喰か。いつだったか、三日月が朋輩が来たと喜んでいたなあ」
すると骨喰は困ったような気配を醸した。
どうやら表情があまり変わらぬ性質らしい。
「…俺は、燃える前の記憶がない。だから三日月宗近のことも思い出せない」
何を言いたいのか分かった。
大方、御所でも付き合いのある一期一振と同様の境遇なのだろう。
鶴丸は軽く肩を竦めてみせる。
「気にするなって。三日月もそう言ったはずだ。あれは"在り続ける"代名詞みたいなもんだからな」
確かに三日月はそう言った、『ならばまた仲良くしてくれ』と。
「…三日月のこと、よく知っているんだな」
「前はあいつと組んでいたからな。他のやつよりは知ってるさ」
薬研の教育係に就く前、鶴丸は三日月と長いこと任務を共にしていた。
かくいう薬研の最後の試験(と称した任務)相手は三日月だ。
「鶴丸は今は誰と組んでるんだ?」
そういえば、薬研に会うのは教育係以来だったか。
「髭切だよ。ほら、あそこの」
鶴丸が指し示した方向に、反応を返したのは骨喰だった。
「源氏の重宝か。弟の方とは話したことがある」
「へえ、兄弟刀なのか。弟ってのはどっちだ?」
「薄緑の髪の方だ」
「じゃあ白い方が髭切か」
鶴丸も白いから目立ちそうだなあ、なんて言葉を残して、薬研と骨喰は他の顔見知りの席へ移動していった。
自分の姿を見下ろして、鶴丸は首を傾げる。
「術式があるから、そう目立つことはないと思うんだが」
「…分かるやつには分かるだろう。江戸以前なら、視えるやつも多いはずだ」
呆れたように大倶利伽羅が呟く。
「そんなもんかねえ」
ふわ、と揚げたての香ばしい匂いが鼻腔を擽った。
「鶴さん、お待たせ!」
見上げれば、大倶利伽羅と同じく伊達に縁の深い燭台切光忠。
彼に天ぷらの盛り合わせを差し出され、鶴丸の顔が分かり易く輝いた。
「さすがは光坊! 美味そうだ」
嬉々として箸をつける鶴丸を、これまた嬉しそうに燭台切が見つめる。
「しかし、きみに会うのもほんと久しぶりだよなあ。きみのとこの任務はどうだい?」
「江戸の中期に行ってたよ。伽羅ちゃんも似たような時代だったっけ?」
「…そうだな」
「相変わらず主くんは人使いが荒いよね。一週間ごとに時空転移してた気がする」
「ははっ、こっちも似たようなもんだぜ」
三人で天ぷらを摘まみながら、久しく聞いていなかった互いの近況に花を咲かせる。
ややしてドスドス、と畳を踏む音が近づいてきた。
「おーい、呑んでる〜?」
陽気な声に顔だけ振り返れば、次郎太刀が自前の酒を掲げてくる。
ツマミを追加してくるという燭台切が腰を上げ、空いた席に次郎がどっかと座った。
「旨い酒と旨いツマミ! これこそ幸せだよねえ」
異論はない。
酒を注いで注がれて、お互いの近況に頷いたり笑ったり。
大倶利伽羅が新しい酒を開けたときには、鶴丸も次郎も違う席へ移動していた。
少し視線を動かせば、隅で静かに飲んでいた山姥切国広と大典太光世にちょっかいを出している。
「伽羅ちゃん、鶴さんは?」
燭台切が、新たなツマミの皿を手に大倶利伽羅へ尋ねた。
口にするでもなく目線で示してみせれば、こちらもすぐ納得したようだ。
「僕、大典太さんには初めて会ったよ。後でどんな人なのか鶴さんに聞いてみようかな」
「…お前もすぐそれだな」
主語はなかったが、燭台切は正確に切り返してきた。
「鶴さんに聞いてみるって?」
驚きを探し求める鶴丸は、言ってみれば新しいもの好きだ。
新しいもの…つまりは新たに顕現された刀剣男士についても、自身が任務で不在でない限り真っ先に構いに行く。
当人が家を渡り続けていたという話のとおり、鶴丸に知り合いが多いことも確かだ。
「もちろん、自分でも話すよ。でも鶴さんの意見は客観的で的確だから、聞いておきたいんだよね」
それに、と彼は良い笑顔を向けてくる。
「伽羅ちゃんの場合は、聞く前に鶴さんが話してくれるだけでしょ?」
言われずとも、大倶利伽羅だって自覚はしている。
誰に聞いたって、鶴丸の評判は同じだ。
話しやすく、取っ付き易い。
相談事は真面目に聞いてもらえるし、誰かのことを尋ねようとしたら彼に訊くのが一番良いと。
鶴丸が一人で歩いていれば、誰かが必ず呼び止めた。
それは伊達の頃から同様で、大倶利伽羅は一度だけ、鶴丸に訊いたことがある。
『誰かの相手ばかりで疲れないのか』と。
すると彼は。
「鶴丸」
「おっ、三日月! 待ってたぜ」
大倶利伽羅が露骨に眉を寄せたので、燭台切もそちらへ首を回す。
(ああ、三日月さん)
燭台切が顕現したときには、すでに鶴丸と三日月は共に任務に就いていた。
彼らは滅多に帰ってこないか、帰ってきてもすぐに次の任務へ向かっていた。
それは審神者の信厚く、それぞれが一騎当千の戦力である証。
鶴丸曰く、同じルーツを持ち、以前から知らぬ仲でもなく、互いに遠慮が要らないそうだ。
「…ねえ伽羅ちゃん。鶴さん、気づいてるのかなあ?」
何とも複雑な顔で問うてきた同郷の太刀に、大倶利伽羅は敢えて問い返す。
「"どれ"の話だ?」
「うーん。…三日月さんと髭切さんかな」
一番面倒なものを振ってくるのか、と内心で溜め息を吐く。
「気付いてないわけがないだろう」
国永だぞ、と言ってやれば、そうだよねえと相槌を打たれた。
なので次は遠慮なく溜め息を吐いてやる。
「馬に蹴られるのも、鬼に喰われるのも御免だ。俺は関わらないからな」
燭台切も判っていて聞いたのか、苦笑を浮かべた。
「まあ、そうなるよね」
二人して、鶴丸と三日月が愉しげに杯を交わす様を気づかれぬ程度に見遣る。
そして同様に、彼らに視線を向ける別の人物を視界の隅に映した。
三日月宗近は、鶴丸国永を気に入っている。
それは京の時代から、平成の時代に再会しても変わらなかった。
本丸で再会して変わったのは、刀剣男士として人の肉体を得たことだ。
(人とは難儀なものよな)
食欲、睡眠欲、そして性欲。
どれも過ぎれば肉の身体を蝕む毒となる。
旨いものを食べ、飲むのは好きだ。
夜の睡眠も、昼のごろ寝も心地良い。
しかし。
(性の衝動だけはいかんなあ)
認めてしまえば幾分楽になるが、どうにも御し難い。
しかもそれが、どうにも鶴丸に向かっているのはどうしたものか。
「鶴丸の休みはいつまでだ?」
「今日から三日だ。そっちは?」
「うむ。休みの日程は同じだな。ただ、しばらくは本丸待機だと言われたなあ」
「良いじゃないか。きみは畑と洗濯以外はそれなりに出来るから」
俺は任務の方が良いなあ、と鶴丸は杯を傾ける。
「そなたはじっとしておらぬからな」
鶴丸と三日月の周りには、不自然に間を空ける形で誰もいない。
彼らが話し始めると、大抵こうだ。
鶴丸はともかく、三日月がどうにもある段階まで人を寄せようとしない。
膝丸は態と銚子を目線の高さまで差し上げた。
「兄者、杯が空だぞ」
銚子で髭切の視界を遮り、剣呑とした視線の棘を止めてやる。
「え、…ああ、うん。ありがとう」
兄がいつもの笑みに戻り、ほっと息をつく。
(解っていて止めんのだからな、あいつは)
胸の内で吐いた溜め息の向き先は、鶴丸だ。
"そういうもの"なのだと膝丸とて理解はしているのだが、どうにもよろしくない。
鶴丸がその白い指先で三日月の唇を押さえ、顔を寄せて何事か囁く。
大倶利伽羅と燭台切は思わず額を抑えた。
「鶴さん…」
「あいつは…」
知っている、これが『鶴丸国永』だ。
数多の人々に欲され、数々の家を流れ、ついには尊き方の持ち物にまでなった。
ゆえに鶴丸国永を形作る一因は、『欲されることそのもの』にさえ在る。
人に、妖に、神に、種は問わない。
どのような形で発現するかはその時々だが、ここでは刀剣男士も人間も、どちらも守備範囲らしかった。
当人が本命以外を躱し上手く立ち回るために、何も起こってはいない。
いないのだが、見ている側には本当に心臓に悪い。
「止めれば良いのに、本人は罪悪感とか無いんだもんね…」
こと千歳を永らえた古刀ゆえに、どうにか出来る状況は何百年も前に過ぎている。
罪悪感どころか何が悪いのかすら理解できないのは、おそらく欲される渦中に在り続けてしまった為だろう。
『欲されること』は鶴丸にとって当たり前で、空気と同じようなものなのだ。
なぜなら伊達の頃、『誰かの相手ばかりで疲れないのか』と尋ねた大倶利伽羅に、鶴丸はこう言った。
『求められているのに、なぜ応えないんだ?』と。
ようやく鶴丸が三日月の傍から離れた。
遅れて広間に入ってきた小狐丸とすれ違い、言葉を交わす。
それにやっと肩の力を抜いたのは、とばっちりを喰らう確率の高い身内の者たちだった。
大きく息を吐き、燭台切は苦く笑う。
「僕、膝丸さんとは挨拶しかしてないんだけど。彼とは仲良くなれそうだよ…」
大倶利伽羅は否定しなかった。
End.
(このシリーズでの鶴丸国永。髭鶴←三日月)
2018.1.8
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