本日の出陣は、遠征部隊も含めて滞りなく完了した。
内番で収穫した野菜を厨房へ届けた自室への帰り道、鳴狐は縁側に佇む真白の姿を見つける。
「これは鶴丸様、どうなされました?」
お供の狐が鳴狐の肩から声を掛ければ、振り返った面(おもて)はキラキラと輝いていた。
「おっ、鳴狐か。ついさっき気づいたんだが、ちょっと聞いてくれ!」
論より証拠だ! と手招きされ、鳴狐は素直に従う。
「ここに立って、この方向を見るんだ」
白い指先に従い、視線を庭先へ向ける。
…と。
「!」
鳴狐はお供共々、目を見開く。

遮られることなく真っ直ぐにこちらを照らす、真っ赤な夕陽。
庭先の樹々も遠くに見える丘陵もその端を明らかに、茜は本丸の西を鮮やかに塗り替えていた。

「どうだ、驚いたか?」
俺も驚いたところだけどなぁ、と軽やかな笑い声が響く。
白装束を茜に染める彼は、それこそ吉兆を喚ぶ鶴のよう。
「……驚いた」
思わず鳴狐自身が溢せば、鶴丸は益々破顔した。
「君もお供くんもあまり驚いた顔をしてくれんから、こりゃ良いものを見たな!」
「…わたくしめは結構な頻度で驚かされておりますが」
「おや、そうかい?」
両手を頭の後ろに回した鶴丸の羽織がぱさりと跳ねて、伸びた影が翼のように動く。
鳴狐はつと夕陽に照らされる自分たちを見、その背後を見た。

コン

短刀たちと遊ぶときのように、指先で狐の形を作る。
影が同じくコン、と首を傾げて、黒い狐の出来上がり。
「おっ、影絵か!」
みんなでやっても楽しそうだな! と鶴丸が鳥の形を作った。
「鳩と白鳥は作れるんだがなあ…」
「鶴はさすがに難しゅうございますなあ」
皆まで聞かずとも先が分かり、お供の狐が先手を打つ。
鳴狐と同じように狐の形を作った鶴丸は、壁に映った影を見つめて吹き出した。
「ははっ、こりゃ驚きだ。狐が6匹もいるぞ!」
鳴狐とお供が顔を見合わせる。
そうして鶴丸と同じく影を見て、ああ、と納得した。

鶴丸の指で2匹。
鳴狐の指で2匹。
お供の影で1匹。
鳴狐の影で1匹。

「ここは狐の仲間には困らんなあ」
こんのすけも狐だしな、と鶴丸は指で作った狐の耳を揺らす。
鳴狐の脳裏に浮かんだのは自身と同様、狐の名を冠するもうひとり。
「小狐丸様を含めると、鳴狐にお供のわたくし、こんのすけと4匹になりますねえ」
こちらの指の狐にちょっかいを掛けてくる鶴丸の狐をあしらいながら、鳴狐が自ら口を開いた。
「…あの人の」
「うん?」
「小狐丸の、頭のアレは本物…?」
しかも長く喋ったもので、お供の狐が驚きに尻尾の毛を膨らませている。
鶴丸もまた良い驚きをもらって、上機嫌に答えてやった。
「アレかい? 残念ながら、あれは髪の毛さ」
「なんと」
驚きの声はお供が口にした。
しかし鶴丸は快活な笑みを収め、にやりと口の端を吊り上げる。
「ここでは、な」
1人と1匹の狐が同時にきょとんとするのは、なかなかに可愛らしい。
「"ここでは"…?」
鶴丸は自らの手が映す狐の影絵を見遣った。

「俺たちのこの姿は、本霊のものとそう変わりない。少なくとも、太刀本体が現存する俺はそうだ」
だが分霊として呼ばれたここでは、同じ姿であっても『元』が違う。
「これは肉の器だ。刀を振るえるのは付喪神の姿でも変わらんが、少なくともこれは人間の身体だ」
食べなければ飢えるし、寝なければ鈍る。
「俺たちに用意されていたのは、本体に限りなく近い刀と、人間のカタチをした器。
審神者が付き合い易いように人と同じものにしたんだろう、と俺は踏んでいるが」
人が用意した、人の器。
ゆえに本来のものとは差異が生じる。
「つまり…?」
焦れた鳴狐本体が再び問えば、鶴丸は自分の狐でお供の額をちょんと弾いた。

「本霊のアレは、ホンモノさ」
どうだ、驚いたか?
おお、と声を上げたのはお供であった。
「それはぜひとも見てみたいものですねえ」
「…そうだね」
おやおや、今日の彼らは本当によく喋る。
影で遊ぶ鶴丸の機嫌は上向く一方だ。
そうだ、と思い出し、1人と1匹の注意をこちらへ引いた。
「今の話、知っているのは俺と他の三条だけなんだ。あまり広めてくれるなよ?」
「畏まりましてございます」
大仰に承ってみせたお供の狐が、ふんふんと鶴丸の指先で遊びながらふと気づく。

「しかし、野生の世では狩り逃げる間柄である鶴と狐。鶴丸様と小狐丸様には、そのようなことはまったくないのですねえ」

餌が激減する冬場、鶴は狐にとってご馳走に等しい。
飛ぶ相手を狩るのは酷く難しいのだろうが。
お供の言葉にきょとりとした鶴丸が、次には肩を震わせ忍び笑った。

「鶴が狐のご馳走ね…。俺はただじゃあ喰わせてやらないが」
なんせ、鶴は一途な生き物なのだ。

鳴狐とお供がおや? と思う間もなく、人の気配に会話が途切れる。
「鶴、かようなところで何をしているのです?」
噂をすればなんとやら、向こうの角から小狐丸が顔を出した。
彼は鶴丸の向かいに鳴狐の姿を認めると、物珍しげに紅の眼を細める。
「これは珍しい。別の狐と戯れておったか」
「そうさ。ほら、見てくれ!」
夕陽は随分と茜を濃くして、影は黒く伸びきった。
先程よりも大きくなった狐の影が、壁に映されコンと鳴く。
言うまでもなく、小狐丸自身の影も狐によく似ていた。
「俺としては鶴を作りたいんだが、お供くんにも難しいと言われてしまってなあ」
ふむ、と得心したらしい小狐丸が、鳴狐を通り越して鶴丸の隣へ移る。
「要らぬでしょう。鶴の影絵など」
「うん?」
「私の影が狐であるなら、鶴丸の影もまた鶴なのですから」
これはしたり。
巧い言い回しだと褒めようとしたお供の口を、鳴狐が摘まんで塞いだ。
「むぐ」
鶴丸がくつくつと笑い出した。
「なぁるほど、そりゃそうだ!」
君が狐で俺が鶴、影なら紅白揃う必要もなし。
ばさばさと両腕を振れば、長い袖の影は翼のように揺れる。
小狐丸が影絵に夢中の鶴丸ばかり見ていることに、鳴狐が気づかぬはずもない。
「むぐぐ」
まだその手はお供の口を塞いでいる。

ひとしきり遊んで落ち着いた鶴丸は、唐突な質問を小狐丸へ投げた。
「小狐丸、知っていたかい? 鶴は狐にとってご馳走だそうだぞ」
「…おや、それはそれは」
ちらりと流された小狐丸の視線に、鳴狐はひやりと見えぬ箇所へ冷や汗を掻いた。
これあれだ、あれ。
「ぷは! 今や昔、冬場の山に籠っていたことがございまして。その折に野生の狐の狩りを見た次第でございます」
お供が鳴狐の手を振り切って語るに、小狐丸の剣呑とした視線が愉快げな色に変わる。
彼の指先はするりと鶴丸の腕を取った。

「ふむ。確かに鶴ならば好物じゃな」

ひくり、とお供が変に唾を飲み込む音がした。
意味だと?
(わからいでか…!)
だから黙っていろと言うに、と鳴狐は胸の内だけで呟き、暇を告げるタイミングを図る。
そう、これは。
「おいおい、鶴は飛べるんだぞ? そう何度も喰われて堪るかい」
「逃げる鶴を追い、捉えるのもまた一興」
鶴丸の腕を取った指先はすす、と白と黒の指先に絡んで手遊びを始め、鶴丸もまた満更でもなく応えてやる。
絡んでくる指をほんの少し引いてやれば、心得たもので小狐丸は鶴丸の口元へ頭(こうべ)を寄せた。
そこへ囁くように、けれど鳴狐にはっきりと聴こえる声量で鶴丸は。

「ただで喰われちゃやらないぜ? 鶴は一途な生き物だから、小骨のひとつも残されちゃ敵わん」

宣うた。
骨の髄まで愛せという、これを惚気と言わずになんと言うのか。
鳴狐は口許がむずむずして、マスクがあって良かったなと場違いにも思った。
お供の狐は考えることを放棄したらしく、鳴狐の指の狐で遊んでいる。
「夕餉の刻限までまだ間があります。鶴、羽織を置きに参りましょう」
「お、そうだな。こいつは戦装束だしな」
ひらりと振袖が翻る。
先に背を向けた小狐丸を追うように足を向けた鶴丸へ、鳴狐は声を上げた。
「鶴丸」
振り返った彼に、これだけはと。

「狐も一途な生き物だ」

鶴が生涯番う相手を変えないように、狐も番う相手を変えない。
見返った表情に意味深な笑みを浮かべ、鶴丸は挨拶がわりに指先でまた狐を1匹。

コン

「よぅく知ってるぜ」
伊達に千年、番っちゃいないさ。



今度こそ去っていった白練色の髪と白の装束を見送り、鳴狐とお供の狐は深々と溜め息を吐いた。
「意図せぬこととはいえ、余計なことを申してしまいましたなあ…」
「……そうだね」
まさか、それを出汁(だし)に惚気られるなど。
ゆるゆると首を振り、お供は今に沈まんとしている茜を見た。

「千年は、長うございますねえ…」

時代の効力もあるだろう。
しかし彼らは産まれて百年を経ずに人型を取り、互いを番う相手と決めたのか。
「不躾なことを申してしまいましたゆえ、何か詫びを入れましょうか。鳴狐」
「…酒の肴?」
「おお、それは良き考え!」
そうと決まればいざ厨(くりや)へ! とお供が急かすのに、鳴狐は鶴丸たちとは反対側へと引き返す。
(鶴丸の好物はなんだろう)
「鶴丸様のお好きなものの方が良いのでしょうなあ」
自分とこのお供も、語りを任せてしまうくらいには付き合いが長い。



*     *     *



「鶴」
小狐丸が眼前の相手を呼ぶも、鶴丸は顔を上げようとしない。
畳の上に胡座をかいた小狐丸の膝上に乗り上げている鶴丸は、彼の首を抱えるようにして肩を震わせている。
くっくと吐息と共に漏れるのは、紛うことなき笑い声。
「ふっ、ふふ。今日は良い日だなあ」
良い驚き顔が見れたし、良い驚きを齎してもらった。
「…鶴」
しかし名を呼ぶ小狐丸の声に僅かな染みのようなものを感じ、鶴丸は白練の髪を掻き上げその顔を覗き込む。
「おや、悋気かい? 君は時々可愛らしいな」
上機嫌に笑む鶴丸の口を黙らせるように、小狐丸の唇が合わさる。
「あちらこちらと欲され彷徨う其方が、どこにも行かぬ保証はありませぬゆえ」
「つくづく信用がないなあ、俺は」
むっと眉を寄せた鶴丸の唇を、ぺろりと赤い舌が舐めた。
「良いことを聞いたのも確かですが」
「うん?」
首を傾げた彼の痩躯を抱き締め、望月の如く黄金(こがね)の眼をじっと見つめる。
切れ長の紅い眼に映るのが愛おしさであると見出して、鶴丸はふわりと相好を崩した。

「伊達に千年、鶴と番っておりませぬ」


千年一途


15.9.19

閉じる