鶴凍つる杜

(6.縁の先で)




真新しい板張りの廊下を、小さな狐の後を着いて歩く。
その広さに目を瞬いていると、狐がこちらを振り仰いだ。
「今は広く感じられましょうが、すぐにも10振りを超える刀が集まりましょう」
狐は政府の付けた式神、名をこんのすけと云う。
「政府よりの支給資材で鍛刀が出来ますゆえ、まずは蜂須賀殿と共に行ってみましょう」
「分かりました」
政府が管理する軍の中に、審神者(さにわ)という種類の兵が居る。
自身で武器を手に戦える者よりもただの一般人と変わらぬ者が多いその兵種は、特異な敵を相手取る職業であった。

審神者となれるのは、霊力を一定以上に内包する者。
そして日ノ國古来よりの神々に対して、それなりの信仰心を持っている者。
戦いに赴くのは審神者ではなく、審神者が自身の霊力を対価に召喚した刀の付喪神。
陰陽師では無いが、神を式神の一種として喚び出し戦う、それが審神者だ。
敵は、同じく霊力を元に大量の兵士を過去へ送り込む、歴史修正主義者。

審神者とは、『歴史を守る』という大層な目的の元に生まれた兵士の総称だ。

今日、自身の"本丸"と呼ばれる屋敷を与えられた新人審神者の少女は、初期刀の蜂須賀虎徹と共に鍛刀部屋へ入った。
「炉に資材を」
「はい」
資材を炉に放り込むことで、依代となる刀を創る。
そして創った刀に対して、その刀の付喪神…正確にはその分霊…を喚び出す。
「僕の兄弟刀が来れば良いのだけど」
「残念ながら、蜂須賀殿以外の虎徹の皆様は、まだ政府の説得途中にございますれば」
「そうか」
炉の中で形を得た、それは短刀だった。
蜂須賀が刀を取り出し、刀掛けに掛ける。
その掛けられた短刀の前に立った審神者は、精神を統一してひとつ柏手を打った。

ぱんっ!
ぶわ、と桜の花びらが舞い散る。
「ぼくは今剣。よしつねこうのまもりがたななんですよ! どうだ、すごいでしょう!」
長い銀髪に、妖怪絵巻の烏天狗のような格好をした短刀は今剣。
彼は審神者を見て、おやと目を瞬いた。
「あなたがぼくのあるじさまですね。でも…」
なつかしいけはいがありますね、と彼は審神者の傍へ寄る。
「ふところになにをいれているんですか?」
赤い目がじっと審神者を見上げ、審神者は少々狼狽えた。
「懐…と言っても…」
入れているのは、常に肌身離さず持っている先祖代々の御守りくらいなもので。
審神者がその御守りを取り出すと、なぜか蜂須賀が驚いた。
「君、それを…どうしたんだい?」
なぜ彼は驚いているのだろうか。
不思議に思いながらも審神者は答えた。
「お祖父様のお祖父様の代から、ずっと受け継がれているものです。うちの家系では、今は私が」
「うちの家系…?」
不思議な言い回しになおも尋ねると、彼女は御守りをそっと撫でる。
「お祖父様のお祖父様には、親しいご友人が2人居られて。そのお2人も、同じ御守りをお持ちだったそうなんです」

その御守りは、元の色がまったく分からぬほど黒ずんだ茶色になってしまっていた。
封をする紐は半分ほど焦げの黒になっているし、表も裏も書かれた由緒書きも、模様すら判別出来ない。
(でも、これは…)
蜂須賀には一目で分かった。
(これは確かに、『神』が授けたもの)
強すぎず、弱すぎず、人の子に合わせて創られた護り袋。
この御守りを授けられた彼女の祖父の祖父は、その『神様』に気に入られていたのだろう。
そして彼の主たるこの審神者も含めて、御守りが大事にされていたこともよく分かる。

「御守りを授けられた先祖も、私の祖父や母も、幼い頃は『視えて』いたそうで。
この御守りにいつも守ってもらっていたと言っていました」
無論私も、と呟いて、審神者は御守りを懐に仕舞い直す。
『童子と翁は神に通ず』の言葉通り、霊や妖かしの見える子どもは多い。
一連の様子をじっと見つめていた今剣は、審神者へにっこりと笑った。
「そうですか。そのおまもりは、だれからさずけられたのかしっていますか?」
「ええ……確か、『おつる様』と『おきつね様』からと」
(鶴と狐か…)
千年生きた動物神か、あるいはそれに由来のある別の神かと蜂須賀は考える。
審神者から1歩離れ、今剣が大人びた笑みで告げた。
「…まったく。すえのあのこは、ほんとうにひとのこにあまいですね」
まるで兄のような顔をして。
「君は、この御守りを授けた誰かを知っているのか?」
つい問うた蜂須賀に、今剣は意味深に微笑む。
「そうとおくないうちにわかりますよ」


*     *     *


歴史の改変を目論む者たちを倒すため、協力している刀の付喪神は50振り以上。
鍛刀以外で顕れる者は、求める誰かが喚んだときにさっさと戦場へ降り立ってしまった者が多い。
喚ばれて鍛刀で降りるか戦場へ降りるか、まさに審神者にとっては運となるが。
「なに、長く実体を保てぬだけで、遡行軍の一部隊程度なれば斬れるのでな」
とは、三日月宗近の談である。
本霊はともかく、分霊はあまり長く実体を保てない。
審神者の霊力を素地として初めて、本霊とはまた別となる人に近い実体を保てるようになるとか。

閑話休題。

墨俣の戦場で新たな刀を探す部隊の面々は、ささやかな休息を取っていた。
「いち兄は見つけたけど、いまつる君の兄弟だって刀がまったく見つかりませんねえ…」
「まー、難民ってやつ多いらしいし?」
鯰尾藤四郎の愚痴に、加州清光が答えた。
「残りはなんだっけ、ええと…。石切丸、岩融、小狐丸だっけ?」
蛍丸が指折り数え、同じく休息中の馬の首を撫でる。
「三日月のじっちゃん、この間やっっっっっと来たもんなあ」
資材どんだけ飛んだんだろうなあ、と遠い目をするのは、本霊が三日月と同じ博物館に所蔵されている獅子王だ。
彼がじとりと見た先では、その三日月宗近が鷹揚に笑っている。
「はっはっは。なに、自由に動き回るのが楽しゅうてなあ」
「俺たちがどんだけ探し回ったと思ってんだよ、もぉー」
ぶすくれる加州は、そこではたと思い出した。
「そういえばこの前の演練でさ、向こうにも三日月さん居たんだけど。真っ白い刀(ひと)と仲良さそうだったよ」
なんて名前だったっけ? と首を傾げた彼に、横合いから声が入る。
「鶴丸国永だ」
そう、それ! と教えてくれた人物を指差してから、加州は控えめに吹き出した。
「あんた、やっぱ人の話ちゃんと聞いてんじゃん。もっと素直になりなよ」
「煩い」
ふいとそっぽを向いた大倶利伽羅は、三日月の目が弓形になってこちらを見ていることに眉を寄せる。
「…なんだ、爺さん」
三日月は笑みのままだ。
「なに、おぬしのことは鶴から時折聴いていたのでなあ」
何を聞いていたというのか、大倶利伽羅は絶対に知りたくない。
「そういや、その鶴丸って刀もじっちゃんの身内なんだっけ?」
「そうだな。末の従兄弟のようなものか」
獅子王は一度会ったことがあるなと応えて、ぽんと膝に両手を置いた三日月が立ち上がる。
「さて、ではそろそろ先へ行くか」

斥候と思われる遡行軍の部隊を倒し、中盤の布陣を落とし、さらに奥へ。
各々がそれなりの返り血に塗れているが、大きな怪我を負った者はまだ居ない。
そんな道中、三日月は街道傍でこちらの預かり知らぬ血痕を見つけた。
「おや」
近くに居た鯰尾も寄ってくる。
「あれ、誰か先に戦ってたんですかね?」
血痕は点々と森の奥へ消えている。
行ってみるか、と三日月は離れた場所の加州へ声を投げた。
「加州、すまぬが此処を頼む」
「三日月さんと奥を見てきます!」
了解、と加州が手を振る。
「ずお君、お爺ちゃんから目ぇ離さないでねー」
後が面倒くさいから、と見送ってくれたのは蛍丸だ。

血痕は時折血溜まりとなり、まだ奥へ。
「逸れ者ですかねえ」
「うむ、警戒は怠るな」
双方刀を抜き、足音を殺し木々の間を抜ける。
…と、白刃の反射が2人の視界を掠めた。
半瞬目を合わせ、即座にそちらへ足を進める。
拓けた森の中で見えたのは、ドシャリと崩れ落ちる骨だった。
「あれは…」
白い、と鯰尾は思った。
そして儚い、とも。
髪から装束から真っ白で、血振りをくれた刃も美しい白刃。
白の衣装をところどころ赤く染め、その御仁は三日月に似た優美な所作で刀を収めた。
黒くなったかと思えば粉々に崩れ落ちた骨から、金色(こんじき)の目がこちらへ移る。
「あっ…」
その目が丸くなったと思ったら、初めの儚さからは想像出来ない弾けるような笑みが浮かんだ。

「三日月の兄様(あにさま)!」

鯰尾がハッとしたときには三日月もすでに動いており、藍色の中に真白が飛び込んだ。
「ようやく見つけたぞ、鶴よ」
幾ら探しても見つからんでなあ、と苦笑した彼に、白い刀はからからと笑う。
「ははっ、すまんなあ。あの骨共を斬っていくのが思いの外楽しくてな!」
意外と好戦的なようだ。
白い刀の周りで、ひらひらと桜の花びらが舞う。
「お?」
「ふむ、時間切れのようだな。しばし眠っておれ、鶴や」
なればそうしようと白い刀が目を閉じれば、そこには拵えをほとんど持たぬ太刀がひと振り。
「三日月さん、それって…」
ようやく鯰尾が声を掛ければ、長かったなと三日月は頷いた。
「ああ、鶴丸国永だ」
「やったっ!」
ついガッツポーズをしてしまった鯰尾に罪はない。



蜂須賀と共に、審神者の少女は三日月の部隊が見つけてきた刀の前へ立つ。
鶴丸国永といえば、墓から掘り出され、神社から盗まれるほどに求められた刀だ。
本霊は尊き方の宝物庫にて、一期一振や鶯丸と共に在るという。
ぱんっ! と柏手を打てば、桜吹雪が舞った。

「よっ、鶴丸国永だ。突然俺みたいのが来て驚いたか?」

儚くも美しい見目に、軽快な口調。
審神者も蜂須賀もその差異に面食らった。
驚いてもらえたようだな、と上機嫌な鶴丸は、審神者を見ておやと目を瞬く。
同じ仕草を、今剣も三日月もしていた。
彼らと違ったのは、続く言葉だった。

「一期一会の出会いの折、同じではなくとも3度見(まみ)えることが出来るとはなあ」

懐かしそうに、慈しむように。
三日月や鶯丸に似た、人の子を愛おしむ顔で彼は審神者へ尋ねる。
「懐に入れているものを見せてくれないかい?」
そしてまた、今剣や三日月と同じことを言う。
戸惑うしか無い審神者があの古い御守りを取り出せば手を差し出され、やはり戸惑った後に審神者はそれを白い手へ渡す。
「…まさか、まだ残っているとは思わなかった」
懐古に目を細めながら、鶴丸は両手で御守りを包み込む。

ふわり、と。
白く温かな光がその手より発された。

開かれたその手の内の御守りを見た審神者と蜂須賀は、あっと声を上げる。
元の色がまったく分からぬほど黒ずんだ茶色は、純白に。
上質な絹糸で織られたと分かるそれは、生地の白とは違う滑らかな色違いの白糸で鶴丸紋が描かれていた。
「では、この御守りを主の先祖へ与えたのは…」
半ば呆然と問うしかなかった蜂須賀に、鶴丸は答える。
「昔の話さ。3人の童子を助け、助けられた。彼らに餞別代わりだと渡したんだが…」
ここまで大事に持って貰えるとは思わなかったぜ、と。
微笑む彼に、驚愕冷めやらぬ審神者が問い掛ける。

「では、では…あなたが『おつる様』ですか」
「ああ、そうさ。まさかその呼び名を再びされる日が来るとはなあ」

長い刃生、生きてみるものだ。
しみじみと呟いた鶴丸は、審神者の頭をぽんぽんと撫でた。
それは『あの日』、別れた"彼ら"にしたように。



鶴丸の進言で再び同じ戦場へ赴いた三日月の部隊が、鶴丸とは別の刀をひと振り持ち帰るのはほんの数日後の話。
そして審神者が『おきつね様』と見(まみ)えるのは、そのすぐ後のことである。

End.


2016.3.13
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