唐突に変わる季節なんて嫌だ! と刀剣たちよりごねた主が、苦心して緩やかに変わる季節を創り上げた本丸。
日が落ちるのは早く、気温は随分と低くなった。
ふわりと落ちてきた白いものに、鶴丸は目を留める。
「あっ…」
雪だ。
ふわふわ、ふわふわと降ってくる。
「うわっ、鶴さんストップ!」
高揚した気分のまま庭へ降りようとした鶴丸の服の裾を、夕餉の下拵えのために厨へ向かう途中の燭台切が掴んだ。
「おっと! こりゃ驚いた」
「それはこっちの台詞だよ! もう、下駄も無しに降りたら足袋が盛大に汚れてしまうよ」
はた、と鶴丸は足元を見下ろす。
確かに、この縁側には履き物の類いが見当たらない。
もう飛び降りることはないだろうと判断した燭台切も、ふわふわ落ちてくる雪に片方だけの目を細めた。
「そうか、雪かぁ…。懐かしいなあ」
「だろう? まあ、奥州ほど積もるとは思わんが」
「あはは、それはさすがに困るだろうねえ」
今日は燭台切以外に、鶴丸も夕餉の当番だ。
そのまま2人、連れ立って厨へ赴く。
「もう日も沈むし、夜にでも薄ら積もるかもね」
「だと良いんだがなあ」

厨へ顔を出せば、すでに同じく当番である大倶利伽羅と鳴狐が待っていた。
「おや、おふたりから冷たい空気が」
毛が飛んでしまうので入り口脇で大人しく座っている鳴狐のお供の狐が、すんと鼻を鳴らした。
「そうさ、雪が降っているんだ!」
鶴丸が言えば、大倶利伽羅と鳴狐は同じように雪、と呟いた。
それに燭台切が小さく吹き出す。
「倶利ちゃんと鳴狐くんって、似てるよね」
言われた両名は揃ってどこがと顔に出し、それが鶴丸の笑いをも誘った。
そういうところがさ、とだけ告げ、鶴丸は袴の袖を襷掛けにする。
「さて、光忠。何を作るんだい?」
「うん。始めようか」



雪は日が落ちてからしんしんと降り積もり、音を静かに吸い込んでいく。
その様を雪見格子から眺めつつ、鶴丸は杯を傾けた。
皆ではしゃぐことが好きな鶴丸とて、風流を解さぬ訳ではない。
むしろ生み出された時代ゆえに、雅に煩い歌仙兼定よりも詳しいかもしれない。
行灯の灯りは程よく雪を照らし出し、鶴丸の横顔を仄かに染める。
す、と部屋の入り口が開いた。

「よ。お疲れさん」

遅くに遠征から戻ってきた同室者は、風呂上がりのようでほかほかと湯気を纏っていた。
「おや、雪見酒ですか」
「ああ。きみもどうだい?」
杯を差し上げられ、小狐丸は頷いた。
「いただきましょう」
時折止んではたまに強い風に煽られる雪は、まるで生き物のよう。
じっと雪景色を見つめる鶴丸に、杯を空にした小狐丸が問うた。
「雪が好きですか?」
「ああ。吹雪はちょいと困るが、雪が降っているのを眺めるのはな」
雪が積もって、晴れた日も良い。
特に朝の、一切の足跡のないまっさらな雪原は。
小狐丸はつい忍び笑いを漏らす。
「おやおや。それを昼間にも見せておれば、歌仙がああも嘆くことはないでしょうに」
雅な事、物を愛するあの刀は、平安生まれという事実と鶴丸の容姿に、三日月宗近と同じような感覚を抱いていたらしい。
言うなれば、物腰が常に風流を共にしていると思っていたのである。
ゆえに鶴丸が他者へ驚きを供したり短刀たちと一緒に遊んでいるのを見て、残念そうな顔で言ったのだ。
『雅じゃない!』と。
鶴丸からしてみれば「ほっとけ」というところだし、そもそも性(しょう)に合わない。
転々と千年を生きる間にこうなってしまったのだから、仕方ないのだ。
カタリと空になった杯を置き、鶴丸はクスリと笑む。
「まあ、でも…」
ぐい、と小狐丸へ身体を寄せれば、紅い眼の中に鶴丸の姿が映る。

「意外と風流な俺を知っているのは、きみたちだけだ。中々乙なもんだろう?」

伊達で共に在った大倶利伽羅。
神社に居た頃に再会した三日月と、稲荷の分祀を飛べる小狐丸。
元から知っているのはこの3振りのみ。
酒のおかげかやや朱の差す頬と横髪をするりと撫で、小狐丸は鶴丸へ顔を寄せる。
「そうですね。私だけではない、というのが些か不満ではありますが」
鶴丸が笑みで身を震わせた。
「共寝をするのはきみだけだぜ?」
からかうような口調に、唇を重ねることで蓋をする。
「フフッ。そうでなければその羽、喰い千切っていますよ」
あちらこちらと跳ねる白い足、それこそ今の鶴丸にとっての翼に他ならない。
他に寄るなと言わんばかりの物言いに、鶴丸はうっそりと黄金(こがね)の目を細めた。
「おお、怖い怖い」
口先だけは怖がってみせ、宥める一言は効果覿面。
「鶴の番は生涯1羽だぜ」
存じていますよ、と返す言葉も慣れたものだ。
「狐の番も、生涯1匹だけですから」
カタリ、と小狐丸が杯を置く音を合図に、深く唇を重ねた。

やがて、雪見格子から漏れていた灯が消える。


*     *     *


キン、と冷えた朝だ。
褥の外の気温は昨日よりも更に低く感じる。
無意識に隣の存在へと腕を伸ばした小狐丸は、指先が何も捕らえなかったことで否応なしに目を開けた。
「…鶴?」
温もりはあるが、もはや残り香同然。
他者より良い耳を澄ませてみても、鳥の声だけが微かに有る程度。
掛け布団の中でまんじりともせず、小狐丸は起き上がった。
思い至るものは、ある。
(…手加減せずとも良かったか)
昼から遠征だと言うのでまぐわう手をほんの少し緩めたのだが、余計な世話であったか。
火鉢に炭が残っていることを確認して、手早く着替える。
普段より羽織を1枚増やして障子を開ければ、刺すように冷たい空気が肌を撫でた。

空は雲ひとつなく、葉を落とした木々の枝がよく見える。
後ろ手に障子を閉めた小狐丸は、さて、と縁側より先に広がる雪の庭に目を落とす。
思ったとおり、やや先の石段から伸びる足跡がひと組。
まっさらな雪に転々と続く足跡を見つめて、思案をひとつ。
小狐丸は一度部屋へ戻る。
目当てのものを手に再度部屋を出ると、本日の朝の風呂当番がぱたぱたと足音を立ててやって来た。
風呂はこの廊下の先、曲がった処にある。
「おはようございます、小狐丸さん」
「おはよう、旦那。今日はよく冷えるなあ」
物吉貞宗と薬研藤四郎だ。
2人とも普段より厚着になっている。
「おはよう。今日はそなたらが当番であったか」
「おう。後で今剣も来るぜ」
と薬研が言っている間に、軽い足音がもうひとつ近づいてくる。
「おいつきました! あれ、小狐丸。きょうははやいですね」
半纏を上に着た今剣が、意外そうに目を瞬かせた。
何しろ、本日の小狐丸は午後からの出陣だ。
午後から働く者は大抵が遅く起きてきて、朝と昼の食事を一緒にしてしまう。
この本丸の食事は朝夕を人数分作り、昼は各自というスタイルだ。
白い息を吐いて、小狐丸は途中木立の中へ消える足跡を見つめた。

「雪にはしゃいで飛んで行ってしまったからな。掴まえに行くところじゃ」

見つめる眼差しが酷く優しいことを、きっと当人だけが気づいていないのだろう。
今剣は薬研と物吉と顔を見合わせ、くすりと笑う。
「わかりました。こべつのふろばもいつものとおりあらいますから、ひえすぎているようならほうりこんでくださいね」
「伊達で長かった分、寒さにゃ強いみたいだが。それで冷えないわけじゃあないからな」
「小狐丸さんも、せっかくですから朝餉をご一緒しましょうね」
風呂場へ向かう3振りを見送り、小狐丸は庭へ降りた。



迷いなく続く雪上の足跡は、木立の中で不意に止まった。
不思議に思い周りを見回して、小狐丸は最後に上を見てみる。
(…ああ、なるほど)
各々の枝が偶然にも大きな丸い空間を作って、真ん丸の青い空が浮かんでいた。
地面に視線を戻すと、この先は歩幅が随分と広くなっている。
良いものを見た! と気分が上昇したに違いない。
ふっと笑みを溢し、小狐丸は足跡を追う。

広葉樹は枝だけを空に浮かべ、針葉樹は常と変わらぬ姿でそこにある。
常緑樹である椿の群生地を見つければ、足跡は驚くほどに乱れた。
「…確かに美しいな」
遥か昔から現代にかけて愛され続け品種改良を重ねられてきた椿は、数え切れないほどの種類があるという。
深紅の小振りな椿の前にあった足跡は、少し深かった。
(これが気に入ったか)
しかし、と小狐丸は片手に持っているものを見下ろし、椿の群生を検分する。
その手は白に紅の筋の入った大振りの椿の花へ伸びた。



ひらり、ひらりと白の景色に白が舞う。
足跡を付けるのが楽しいのか、跳び跳ねるように歩き回っている。
よくもまあ、足を取られないものだ。
朝陽で一等輝く金色(こんじき)の目が小狐丸を見つけ、鮮やかな笑みに変わる。
「小狐!」
大きく手を振った鶴丸の装束の袖は翼のようで、雪上においてまさしく『鶴』。
歩み寄れば早速腕を取られ、引っ張られる。

「ほら、見ろよ小狐!」

木立の先には、馬の遠乗りの際にしばしば使われる草原と、なだらかな丘。
見慣れたはずの景色は一面の銀世界、まるで違う。

目を見張る小狐丸に満足げな笑みになって、鶴丸はパッと両腕を広げた。
「ここが白に染まったら、さぞ見事だろうと思ってな。雪が降る日をずっと待っていたんだ」
待ち望んだ驚きは狂いなく鶴丸へ歓喜を呼び、どうしようもなく飛び回りたくなった。
そう、まるで子どものようなことを言う鶴丸が、小狐丸には愛らしく映ってしまって仕方がない。
「鶴」
呼んで振り向いた彼の涼しげな…ともすれば寒そうな…首元に、小狐丸は持ってきたものをふわりと巻き付ける。
「これ…」
現代で『まふらぁ』と呼ばれるという防寒具。
真っ赤な色に白が編み込まれたそれは、鶴丸の色によく映えた。
冷気が遮られ温もり始めた首元に、鶴丸がきょとりとして小狐丸を見上げる。
「おぬしに似合うだろうと、ぬしさまに頼んでおりました」
まふらぁの端は丸いぼんぼんになっていて、もふもふとした手触りも良い。
ーーじわり、と。
鶴丸の頬が、雪への高揚以外で温度を上げる。
「…ぷれぜんと、というやつかい?」
「そうですね。我らのよく知る言葉で云うなら、鶴への貢ぎ物です」
小狐丸を見上げていた鶴丸が、擽ったそうにまふらぁへ口元を埋めた。
「ふふっ」
嬉しい。
(…嬉しい)
温まり始めた首よりも、身体の芯からぽかぽかしてきて擽ったい。

「ありがとう。こぎつね」

そんな心地で出た鶴丸の言葉は、ふわふわとして温かく。
雪に覆われ冷え切った朝の中だというのに、なぜだか寒さは感じず小狐丸の内側を暖めた。
思わず伸びた手は無意識で、鶴丸の身体を引き寄せる。
「小狐…?」
どうした、と問い掛けようとした彼の唇を己のそれで塞げば、ほんの少し冷えた柔い感触。
温度を与えるように舌で舐めてやれば、ピクリと肩を震わせた後に腕がこちらへ伸びた。
耳を掠め髪を戯れに梳いた白い手は、小狐丸の頬を包む。
唇を離し、鶴丸は眼前の紅へ金色の眼を細めた。

「好きだよ、こぎつね」

彼は『愛』という言葉を囁かない。
愛しいと言葉にせずに鳴き、愛しているとは言わない。
伝えたいことと何か違うのだと、悩んでいた姿は随分と昔のこと。

小狐丸は、手折った椿を彼の耳元へ飾ってやった。
「…? 椿?」
友や仲間に告げるものと温度を異なる鶴丸の『好き』は、特別だ。
だから、それで良い。

「ずっと傍に居ますよ。私の愛しき番」

代わりに小狐丸が愛を囁く。
存外寂しがりやなうつくしい番が、億にひとつも疑わないように。
「万が一、あなたがどこかで折れたとしても。あなたの霊(たましい)が黄泉へ引かれる前に、私が引き受けますから」
ぎゅっと肩口に顔を埋められ、鶴丸のささやかな笑い声がくぐもる。
「愛されているなあ、俺は」
ふとした瞬間に、こうして甘やかされていることに気づく。
随分と長い付き合いのはずだが、いつだってそれがこそばゆい。
赤みの乗る白い頬を同じように自身の両手で包み込み、小狐丸は笑む。
「言葉でも、行動でも。足りないと云うのなら、幾らでも差し上げますよ」
少しくらい重くなっても良い。
そうでもしなければ、この愛しき鳥は飛んでいってしまうのだから。

小狐丸の言葉に照れながらも喜色を隠さぬ鶴丸は、番の贔屓目を抜いたとしても可愛らしいものだ。
常の軽快で、剛胆な姿しか見ていないのであればなおのこと。
その愛らしさを引き出せるのが己のみであることは、酷く優越感を満たした。
口づけをもうひとつ落として、小狐丸は鶴丸の腕を引く。
「そろそろ戻りましょう。起きているなら朝餉を共に、と本日の風呂当番に誘われておりますゆえ」
「お、会ったのかい?」
「鶴を捜しに出る際に」
鶴丸の手は、小狐丸の温度を移して温かくなった。
風呂ほどは要らないにしても、と彼はその足元を見下ろす。
元が高下駄の先に爪皮を引っ掛けていて、ほとんど濡れてはいないようだが。
「朝餉の前に、足湯を頂きましょうか」
「いや、そこまで濡れていないぞ?」
小狐丸に手を引かれ歩く鶴丸は慣れた様子で、ついでに寒さに強いことも相俟ってきょとんとしている。
それに苦言を催してやった。
「我らが思っている以上に人の身体は変化に弱い、とぬしさまが口を酸っぱくして言っていたでしょう」
「う…」
夏の暑さにやられ、1度倒れている鶴丸だ。
それを引き合いに出されると弱い。
彼はじゃあ、と口ごもった言葉をまふらぁの下で濁した。

「それなら、きみも一緒に浸かろう」

目許にも朱が走って、鶴のよう。
(ああ、本当に)
まぐわいまでしている仲だというのに、こうして甘えを見せるときは恥じらいをも見せる。
いじらしいなどと、千の齢を過ぎた者に思うことでもなかろうに。
小狐丸は手にある白い指先を持ち上げ、唇で触れた。

「ええ。鶴が寂しがってはいけませんから」

そんなことはない、と鶴丸の口から出ることはない。
ただ黙って、彼に身を寄せるだけ。
(寂しいのと、退屈は似ている)
数十年と離れていた頃もあった。
鶴丸にはもう、その頃どうやって過ごしていたかが分からない。
赤いまふらぁに顔を埋(うず)めて、くぐもった息に言葉を溶かす。
(どうかこのまま)

寂しさも、溶けたままで。


鶴の雪化粧


16.1.31

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