刀剣本丸
(3.本丸)
ひと組の布団で寄り添っていたはずが、目が覚めると朝。
「こりゃ驚いた…腹が減って目が覚めるとは」
昨日、出された茶菓子を食したためだろう。
付喪神の身での食事は、本来ならば有って無いようなもの。
大神の氣に護られた場で大神の氣を含むものを食べて、身体がそれを欲するようになってしまったか。
きゅるぅ…と切ない音を出す腹を目を丸くして押さえた鶴丸は存外あどけなく、三日月は思わず抱き締めてしまう。
「ん? どうした?」
「なに、そなたが余りに可愛らしくてな」
「そうかい。よく分からんが」
彼らの気配を読んでいたのか、ゆら、と障子に狐の影が2つ写った。
「三日月様、鶴丸様、おはようございまする」
「朝餉の支度が出来ております」
鶴丸は三日月と顔を見合わせ、温もった布団から立ち上がった。
「おはよう」
「あい分かった。すぐに行こう」
白いご飯、菜と豆腐の味噌汁、大豆とひじきの煮物、それに鯖の塩焼き。
「…ここには海があるのかい?」
「海や工場はございませぬが、正式な手順を踏んで献上されたものにございますれば」
「ははぁ、なるほど」
感心する鶴丸の向かいで、三日月も同じ膳を前にしている。
「今は俺と鶴だけだから良いが、刀が増えるとそうもいかぬのではないか?」
白い狐が三日月へ答えた。
「刀剣が増えましたなら、畑や川も有用に使えましょう。此処は刻の流れが違いまする」
「…刀が畑仕事をするのかい」
そりゃ驚きだ、と鶴丸は現在進行形で驚いている。
2匹の狐は揃って頭を下げた。
「では、御二人のお食事が済みました頃に参ります」
「御二人はまだ、物を食すことに不慣れでございます。食べ過ぎにはご注意を」
そんなことを残していった狐に、鶴丸が笑う。
「食べ過ぎるな、か。朝から驚くことばかりだぜ」
三日月と揃って手を合わせ、いただきますと朝餉を頂く。
もくもくと無言で食べ進める鶴丸を、三日月は微笑ましく眺めた。
「そなたは美味そうに食べるなあ」
箸休めに味噌汁を飲んだ鶴丸は、よく言う、と返してやった。
「きみも人のことは言えないぜ。まあ実際に美味いんだが」
「うむ、美味いな」
食事をする習慣など持ち得なかった付喪神の身であれど、人の子が料理に精を出す理由が分かった。
ごちそうさま、と箸を置く。
すると開けたままの障子の奥に影が移り、昨日茶を淹れてくれた付喪神の気配が。
「茶を淹れてくれるのかい?」
鶴丸が影へ問えば、こくりと頷きが返った。
三日月を見れば彼も頷くので、それじゃあ頼むと告げれば、す、と影が立ち上がる。
その脇からもうひとり、昨日菓子と枡を運んでいた付喪神が入ってきた。
膳を下げるもうひとりに、鶴丸は気づく。
(簪、か)
美しく結い上げた黒髪を留める、組だと分かる2本の漆塗りの簪。
それが彼女の本体なのだろう。
一方の三日月は、急須から丁寧に茶を淹れる付喪神が茶道具であると気づいた。
ここで使われている陶器のものではなく、茶を点てる方の。
彼女らが言葉を発することはないが、言いたいことは不思議と分かる。
「ん、ありがとな」
「すまんな」
2人が礼を述べれば、彼女らも一礼を寄越して退室する。
茶が良い香りだ。
「…鶯が喜びそうだなあ」
「以前に言っておった、古備前の刀か」
他愛ない話をしつつ茶を楽しむところへ、2匹の狐が戻ってきた。
黒い狐は何か巻物らしきものをくわえている。
「では、昨日のお話の続きを」
鶴丸が僅かだけ眉を寄せたが、仕方ないと割り切ったのだろう。
軽く息をついて肩を竦め、狐を即した。
「…分かった。他の刀剣を、俺と三日月の神気で呼び起こすという話だったな」
「左様でございます」
黒い狐が巻物らしきものを置き、広げる。
そこには幾つかの道具の名前が書いてあり、これが世話役の付喪神ということだろう。
「この建物…我らは本丸と呼んでおりますが、ここの日常的な維持は複数の付喪神で行っておりまする」
「『場』は大神の神氣にて維持されておりますが、鶴丸様と三日月様の神気も『場』の維持に使用されております」
「俺たちの神気もか?」
鶴丸が問い返せば、こくりと頭が上下した。
「はい。何故かと申しますと、傷付いた付喪神の治癒に必要となるのです」
思わず自分の手を見下ろし、握ってみた。
この身体が傷付くというのか。
「皆様には戦場に出ていただくことになりまする。戦に使われるのは刀本体の写し見ですので、折れても問題ございませぬが」
「ここで刀を振るう身は、付喪神としての『実体』にございます。実体が無ければ、人の身たる実体を持つ分霊の方々には触れられませぬ」
「あー…人の子の身体ではないが、斬られれば怪我をするということかい?」
「その通りにございます」
意外と面倒だ。
「仮に、この身が致命傷を負えばどうなる?」
「霊(たましい)が、一度彼岸(かのきし)を見ることとなります」
「おい」
なんとまあ、物騒なことを言い出す。
「彼岸と言いましても、身は此岸(このきし)にございます。傷を癒せば、自然と霊は身体に引き戻されまする」
「引き戻されなければ…?」
「連れ戻しにゆくか、自ら戻ってくるのを待つしかありませぬ」
三日月はちらりと鶴丸を見遣った。
(黄泉へ喚ばれやすいのは…)
ふるりと頭(かぶり)を振り、その思考を追い払う。
「あい分かった。傷は負わぬに越したことはないと、そういうことだな?」
「その通りにございます」
広げられた巻物の始めが巻き取られ、項目が変わる。
「これは…?」
先頭に『三日月宗近』、隣に『鶴丸国永』。
そこから1行分の空白を置いて、刀の銘であろう名が連なっていた。
しばらく行くとまた1行分の空白があり、再び銘が連なる。
「御二人を含め、政府に協力している刀剣の皆様の銘にございます」
「まずは壱の一群より、それぞれひと振りずつ顕現していただくことになりまする」
鶴丸が訝しげに狐を見返した。
「この次の空白までの銘から選べということか? 以降の銘と何が違う?」
黒い狐が、2つ目の空白へ右の前足を置いた。
「此処までの銘の皆様は、現存しております」
そして、と続ける。
「此の先の皆様は、人の強き思い入れのみで姿を保っておられます」
息を呑んだ。
「本来なら存在しない、ということか…?」
「はい」
「弐の一群は多くの媒体で繰り返し人々の目に触れたものや、所謂レプリカが造られたもの。
あるいは御二人とは違い、初めから量産された刀といったものが多うございます」
それきり黙ってしまった鶴丸の手を、三日月は黙って包み込む。
(俺たちは、運が良かった)
刀身が損なわれることなく、燃えることもなく。
そして埋葬されたという鶴丸が朽ちることなくここに在るのは、奇跡だ。
白い狐が巻物から顔を上げた。
「ひと振り目は、御二方それぞれ縁の近い方が望ましゅうございます」
「また、御二人のように上位の神々にも近しければ、尚良いことでしょう」
いわく。
それぞれが顕現するひと振り目は、鶴丸が顕現させれば鶴丸の霊力を、三日月が顕現させれば三日月の霊力を5割がた宿すことになるという。
他の者は多くて3割。
それは鶴丸と三日月に何かあったとしても、『場』を維持するための布石だそうだ。
口許を隠す袂の下で、三日月が唸った。
「…そのようなことを言われては、俺が選べるのはこやつだけだぞ」
優美な指先が指したのは、鶴丸も知るひと振り。
「『小狐丸』か。懐かしいな」
『三日月宗近』の弟刀にあたり、その本体は九条邸を経たのち稲荷の総本山へ納められたと聞く。
「俺も、選べるのはこの子だけだなあ」
そういう刀とはあまり縁がない、と溢した鶴丸が指差した銘は『大倶利伽羅』。
「ほう…龍を宿すか」
「ああ。雄々しい黒龍を背負ってるぞ。磨り上げられて、龍の彫り物は途中で切れてしまっているそうだが」
元の姿を見てみたかったなあ、と鶴丸は懐かしそうに目を細めた。
「…しかし。俺たちを含めて4振りでは、この屋敷を回すには足りんだろう」
仕えの者が居るとはいえ、と呟く鶴丸に、白い狐が再び告げる。
「出陣可能な最大人数は6振りと各々の軍馬ですので、7振り目の顕現までは深く考えずともよろしいかと」
そうか、その話はまだ聞いていなかった。
鶴丸と目を合わせた三日月が問う。
「出陣か。歴史遡行軍の討伐、および我らの分霊との接触のことだな。なぜ6振りなのだ?」
白い狐は空になった湯呑みを目線で示した。
「そちらの湯呑みに入る茶の量と、考え方は同じにございます」
時空間を移動し、目的の時間、場所に降り立つ。
言葉よりも遥かに難しいそれは針の穴を通すような綿密さであり、複雑な技術の組み合わせで行われている。
針の穴を通るのが歴史遡行軍であり刀剣男士であり、それらの持つ武器であり、足だ。
「過去とはすでに『完成された歴史』でありますれば、例えば皆様が眠りに就かれる個々の神域のようなもの」
これは解りやすい。
なるほどなぁ、とどちらともなく呟く。
「時空間に開けた穴は通れる大きさも数も限られ、現時点では一度に6振りが限界ということか」
「持ち込める武器が限られるというのも興味深いな」
分霊を安定的に供給するという黒い箱も精密機械らしいので、一言で言えば面白い。
そうも言っていられぬ状況ではあるが。
「大神より還された記憶では遡行軍も刀らしいが、ありゃあ付喪神のなりそこないか?」
堕ちた神とはまた違う、何とも言い難い禍々しさ。
鶴丸の問いに、狐は揃って首を横に振った。
「いいえ。あれらは人工的に造られた、『付喪神のようなもの』でございます」
永い時間を、人々に大切に扱われることで顕現する付喪神。
量産された武器で、年月を経ることなく、我欲により扱われるそれらに宿ることがあろうか?
「…無いな」
「振るわれる武器である、というのは俺たちと変わらんが」
まあ、実際に相対して分かることも多々あろう。
あれこれ推測していても仕方がない。
「ただ、」
真っ黒な目が2人を見返す。
「遡行軍の上位の存在として、様々な理由から堕ちた分霊の方々がおりまする」
驚くべきことでは、なかった。
(そりゃあ、なあ)
還された魂の中にも、そういう分霊がいたかもしれない。
あの感情の波を思えば、『鬼』に堕ちても仕方がない。
巻物はすべて開かれずして巻き戻された。
「本日の午後には、御二人の選んだひと振り目が此処へ運ばれまする」
黒い狐が言えば、白い狐も口を開く。
「それまではご自由にお過ごしください。呼べば、わたくしどもか仕えの者が参りますゆえ」
分かったと返せば、一度大神の元へ戻るという狐たちは部屋を出ていった。
ほう、と息をつく。
「やれやれ…。驚きがげしゅたると崩壊、というやつだな」
「ふむ。元の形が解らぬようになる、というやつだな?」
その返しに、鶴丸が愉快げに肩を揺らす。
「お? きみもハイカラな言葉を使うなあ」
三日月も笑むと眼差しを細めた。
「以前に展示されたときにな、若人が多かったのだ。中々に愉快であったぞ」
「羨ましいぜ。俺はせいぜい、御苑の端で人の子の流れを見つめるくらいが限界だ」
手を伸ばし、鶴丸は三日月の手に触れる。
「きみが隣に居ればと、いつも思っていた」
触れた手を見下ろしやや伏せられた眼(まなこ)は、何を見つめているのだろうか。
(触れるのは…)
触れるのは、確かめたいからだ。
本当に在るのか、夢ではないと感じていたいからだ。
三日月は触れる手を自ら握り直し、さらりと流れる白銀の髪に口づける。
「そうだなあ。あの別離は…堪えた」
風の噂に、鶴丸が献上されたことを知った。
同じ博物館に所蔵されている太刀『獅子王』のように、御所より再び下賜される可能性もないでは無い。
だがそれも、万に一つあるかどうか。
かつて交わした神気に縋るような時の中で、思わぬ再会を果たした200年前は。
(俺は意識しておらなんだが)
獅子王が言うには、展示期間が終わり鶴丸とまたも分かたれた後。
三日月は朔の日を除いて月の出た日に、いつも鶴丸の去った方角を見つめていたという。
「そなたが傍に居れば、どのような日であっても輝いていたろうなあ」
ぴくりと揺れた肩を寄せ、包み込むように腕を回す。
「もっと近づいておくれ、鶴や。俺も、そなたに触れていたい」
まだ、夢ではないかと怯えが残る。
その怯えはきっと、拭うことなど出来ないのだろう。
* * *
ただ黙って身を寄せ合って。
それから本丸の中を散策して。
霊山の奥へと向かえば、そこには厳かな空気を纏う舞台が据えられていた。
「なあ、三日月」
思わず尋ねた鶴丸の言葉の先は、三日月も察している。
「…蝕の日を訊いておくか」
「だよなあ…」
伊達に千年生きてはいない。
この舞台がこのような場所に据えられている理由を、使われる意味を、分からぬような刃生ではなかった。
仕えの者が呼びに来たので、そちらを一旦置いて2人は本丸へ戻る。
昼餉はたぬき蕎麦であった。
「早く食べねば伸びる、とな。伸びるとは…?」
蕎麦を啜りつつ、進言してくれた付喪神へ尋ねる。
どうやら『不味くなる』に似た意味のようだが、鶴丸が取り皿を頼む方が早かった。
「やってみれば良いじゃないか。ほれ」
少しの汁と一緒に、少量の麺を取り分け実験してみる。
「これは…」
「なるほどなあ」
確かに蕎麦が伸びた。
「しかし、なぜこれは狸なんだ? きつねうどんは揚げが乗っているから分かるんだが」
「はっはっは。人の子の食すものは興味深いな」
食事は奥が深い。
戻ってきた白黒の狐に連れられ、やって来たのは『鍛刀部屋』と札の掛かった部屋。
鍛治に関わる付喪神たちが、入ってきた鶴丸と三日月へ頭を下げる。
「本体の手入れは此方で行えまする」
「此処の付喪神に頼んでも良し、自ら行っても良し」
「…いや、待て。隣の部屋には『手入れ部屋』と書いてあったぞ?」
問うた鶴丸に、よく見ているなと思う。
三日月はそのまま通りすぎて、部屋があるという認識だけだった。
黒い狐が鶴丸を見上げる。
「手入れ部屋は、実体が傷付いた際に使用されまする」
「ともすれば黄泉路と繋がる部屋ゆえ、通常の手入れと分けております」
「ふむ…あいわかった」
鍛冶場と、座敷になっている部屋の2つが並ぶ造りの鍛刀部屋。
座敷にも別の付喪神が居り、鶴丸と三日月へ恭しく頭を下げた。
「鍛冶場では、刀ではない通常の刃物も打つことが可能でございます」
「しかしもっとも大きな役割は、現代ではすでに失われた刀剣の依代を鍛え上げることにございます」
「分霊はそのように鍛え直さずとも済んだ、ということかい?」
「あくまで分霊にございますれば」
分霊が宿る分には、政府が用意した本物と寸分変わらぬ量産品でも構わない。
だが今回喚ぶのは本霊であり、その刀剣が失われる寸前の時代から現代へ喚ぶことになる。
生半可なものに喚んでは、本霊がさ迷うことになり兼ねない。
白黒の狐が、揃って座敷の方へと首を巡らせる。
「それではこれより、お二方には先刻お選びになった刀剣を顕現して頂きます」
「本体はすでに此処に」
座敷に上がり、据えられた刀掛けを見る。
鶴丸には懐かしい、深い赤と黒の打刀。
そして三日月が数百年ぶりに目にした、拵えに欠けの1つも見当たらぬ兄弟刀。
2つの刀掛けの両脇に狛狐よろしく座った狐がこちらを見たので、鶴丸と三日月は顔を見合わせた。
「よし。じゃあ俺が先に」
鶴丸が打刀…大倶利伽羅…の前に座す。
「お手に持ち、鶴丸様の神気を流し込んでくださりませ」
「名を呼べば、応(いら)えが返りましょう」
そんなものか、と思いつつ、懐かしい刀を両手で捧げ持った。
刀剣本丸
(需要があれば、続きはまたいつか)
2016.6.25
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