歴史を改変出来る地点というものは、時空の理なのかある程度決まっていた。
この『地点』という言葉には、場所と時期の両方が含まれる。
他に扱える武器や道具にも制限があるのだが、その話は置いておく。

歴史を改変させたい者とそれを阻止したい者は先の理由により、何十、何百と同じ地で戦を行ってきた。
もちろん互いに編成は違えど、代わり映えしないと行ってしまえばそれまでのこと。
…刀が力の象徴であった時代。
そこへ進軍する歴史遡行軍に対して送り込まれたのは、歴々の刀とその付喪神。
倒した遡行軍の骸をじっと見下ろす、ひと振りの太刀からその一言は落とされた。

「………飽きた」

真白の衣のところどころを赤い返り血で染めた『彼』は、手にした刃をもう一度骸へ突き立てる。
どす、と鈍い音がして、肉らしいものを絶った感触があった。
「ああ、つまらん。寸分も代わり映えしない」
もう一度突き立てる。
ざくっざくっ、と不快な音が断続的に上がる。
音が上がる度に、薄い唇からは嘆く言葉が零れていく。
「つまらないつまらないつまらない変わらないつまらないつまらないつまらないつまらない退屈だ退屈だ退屈だ退屈だ退屈だ退屈だ退屈だ」
がしりと刀を突き立てる腕を捕らえられ、澱む黄金(こがね)がぼやりと『それ』を見た。
「国永」
呼ぶ名は多くの仲間の中でも、彼しか呼ばぬもの。
「……大倶利伽羅?」
とうに他の仲間たちは撤退を始めており、追い付いてこない彼を大倶利伽羅が連れに来たのだ。
茫洋と見つめてくる美しいはずの眼を、大倶利伽羅は舌打ちを堪えながら見返した。
「戻るぞ」
告げれば彼…鶴丸国永は刀を鞘へ仕舞う。
が、そこから動こうとはしなかった。
「おい」
再度声を掛けても彼は動かず、大倶利伽羅は白い腕を取り歩き出す。
大倶利伽羅、と声が呼んだ。
何だ、と返す。
「退屈なんだ」
変わらないんだ、ずっとずっと同じ繰り返しで、ちっとも面白くない。

「退屈だ」

白い腕を握る手に力を籠めても、抗議の声は上がらない。
(以前なら)
何を心配しているんだ、とかなんとか、朗らかに笑い返してきたろうに。
面白いことが落ちてやしないかと、周りを興味深げに見回していたろうに。
帰還のための門の前で、他のメンバーが待っていた。
「遅いよー大倶利伽羅、鶴丸さん」
加州が腰に手を当て、仕方がないなあと息を吐く。
鶴丸は加州を見ているようで見ていない。
いや、おそらくここにいる誰もを見てはいないだろう。
(前だったら)
すまんすまんと笑って、何度かに一度は加州の頭を撫でてくれた。
それを子供扱いしてと嫌がるふりをしながら、本当は楽しみにしていた。
あっという間に落ち込む心を少しでも持ち上げるために、加州はわざと大きな声を出す。
「よし、帰るよ! 今日のおやつは何かなー」
「枝豆がたくさん採れたと燭台切さんが仰ってましたから、ずんだ餅ではないでしょうか?」
前田の声には、少しだけ期待が混じっている。
(だって、それは)
鶴丸の大好物のひとつだ。

『退屈だ』

鶴丸が、ある日ぽつんと呟いた一言を最後にすべてから興味を失ったのは、6日前のこと。
いつも様々な笑顔を見せていた彼が一切の表情を浮かべなくなり、本丸を端から端まで飛び回っていたのが嘘のように部屋の外にすら出なくなった。
彼は一人部屋を宛がわれていたが、獣の勘か事態を皆の想像以上に重く見た大倶利伽羅が彼を自分の部屋へ連れていった。
そして鶴丸の部屋には、判っていたように大倶利伽羅と同室であった燭台切が移った。
それが最善策であったのだと、今なら誰もが首肯する。

本丸へ帰還すると、本日非番の者たちが出迎えてくれた。
全員が、というのはそうそう無いのだが、今回は事情が事情だ。
『こう』なってしまった鶴丸を、初めて戦場へ連れて行ったのだから。
「みんな、怪我はないかい?」
「だいじょーぶ。検非違使出なかったから」
歌仙の問いに加州がひらりと手を振って返す。
全員の目は加州の後ろへ向いていた。
大倶利伽羅に手を引かれた、鶴丸へ。
「倶利ちゃん、鶴さん、お疲れ様」
燭台切が手拭いを手渡しつつ声を掛け、ざっと鶴丸の状態を確認する。
見たところ、赤はすべて返り血のようだ。
大倶利伽羅を見れば、彼は小さく首を横に振った。
それだけで燭台切は悟る。
「…そう」
戦に出ても、彼の心は戻らなかった。
そういうことだ。



部屋の中で窓枠に腰掛け、鶴丸はいつも空を見上げていた。
ただ呼び掛けただけでは気づいてくれず、そっと白い手にこちらの手を重ねて、ようやくこちらを向いてくれる。
けれどこちらが誰かすら興味が失せているようで、稀に会話を為してくれる程度。
誰もが一度、今までどうやって鶴丸と接してきたのか思い出さなければならなかった。
呼んだときに反応があるのは、大抵が大倶利伽羅か三日月の場合だ。
けれど名前を呼ぶかあるいは「退屈だ」と零す程度で、他は何も変わらない。
三日月は切なげに鶴丸を見つめ、そしてゆぅるりと吐いた。
「心が、死んでしもうたか」
ここまで頑張ったなあ、自分も、皆も死なぬようにずっと頑張っておったなあ、と。
静かに鶴丸の頭を撫でた三日月へ、誰も掛ける言葉など持ち合わせず。



今の鶴丸はすべてへの興味が失せているので、食事も睡眠も摂ろうとしない。
「国永」
「……」
装束を着替えさせるのも、湯浴みをさせるのも決して楽ではない。
それでも着替えも湯浴みもさせた大倶利伽羅は、自室へ2人分の食事を運びさらに甲斐甲斐しく世話を焼く。
気紛れに口を開いたところへ箸で摘まんだものを放り込む、本当に鳥の餌付けのような、実のところは児戯に等しい食事だった。
ゆえに鶴丸は、量をほとんど摂らない。
この身は限りなく人に近いので、食事と睡眠は最低限でも維持してもらう必要があった。

ぱくり、と大豆とひじきの煮物をひと口。
鶴丸をこのままにしておく、という選択肢は審神者も含めて持ち合わせていない。
ゆえに燭台切が中心となり、食事を大きく鶴丸の好物に寄らせた。
肉よりも魚、強い味よりもあっさりとしたもの、彼が「美味いな!」と言ってくれたものを、ひとつひとつ思い出して。
誰もが日常のふとしたことで、鶴丸に世話になったことがある。
だから誰もが何か出来ないかと模索し、彼がこうなってしまう前にしていれば良かったと、後悔している。

出陣は、彼の体力がこれ以上削られる前にとの苦肉の策でもあった。
戦に出れば危なげなく戦うが、何の効果もなかったのが結論だ。
…もっとも、結果は行う前から予想はついていたが。
なにしろこの戦場は、もう何年も、何百回と戦いを繰り返してきた場所だ。
今回出た場所だけではない。
出陣可能な合戦場、遠征地は、政府がすべての審神者へ開示している情報のすべてであり、ここ数年更新されていない。
歴史を改変出来るポイント以外を死守する必要性は、ほとんどないのだ。
新しい改変ポイントも、今のところ見つかっていない。
ゆえに出陣はルーチンワークであり、代わり映えのない日常の一部と化していた。



鶴丸は眠らない。
大倶利伽羅が「寝ろ」と布団に入れて瞼を閉じるように手を触れてくるから、とりあえず目を閉じているだけだ。
ただただ時の過ぎる音を聴きながら、ずぅっと退屈に身を投じている。
鶴丸が睡眠と感じていないだけで脳は休まっているらしく、目元に隈が出来たことは今のところないらしい。

伊達にいた頃も、鶴丸は200年を同じ屋敷で過ごした。
他の付喪神たちがいたのも、人が暮らしていたことも、今のこの環境と何ら変わりない。
戦に連れられることもなく、同じ場所を巡るしかないことも同じ。
けれど不思議と、心が退屈に殺されることはなかった。
それはなぜだったのか、鶴丸がその相違を考察することはない。
心が死んでしまって、どこに考える余地が生まれるというのか。

はた、と目を開いた。

真っ暗な天井は、鶴丸には輪郭すら捉えられない。
隣から静かな寝息が聴こえ、大倶利伽羅が眠っていることが分かる。
彼は、鶴丸が本当に眠っているのか確かめない。
今の鶴丸は起きようが横になろうが、ほんの微かな吐息でしか呼吸をしないのだ。
2度、3度と瞬きをして、鶴丸は思いついた。

「そうだ。本霊に戻ろう」

日ノ国でもっとも尊い方の宝物庫。
外へ持ち出されることなど滅多にないが、あそこには数多の同胞がいる。
鶴丸が起きている間に眠っていた者が起きてきたかもしれないし、新しい者が増えたかもしれない。
尊い方の持つ土地であれば歩き回れるので、都の中央を飛ぶことだって出来る。
人の世は風のように過ぎてゆくので、新しいものに満ち溢れているかもしれない。
びぃどろの如く無機質であった黄金に、ひと筋の光が過った。

「俺は馬鹿だな。もっと早くに気づけば良かった!」



大倶利伽羅が目覚めたのは、だいたいいつもと変わらぬ時間だった。
障子から透けた光が射し込んでいる。
いつものように朝日に目を慣らしてから隣の布団へ目をやった彼は、次の瞬間がばりと飛び起きた。

鶴丸国永が、いない。

布団は捲られ、とうに冷えきってもぬけの殻。
一体いつ抜け出したのか。
本体の太刀は大倶利伽羅の打刀と同様、床の間の刀立てに掛かったままだ。
「鶴さんがいない?!」
朝餉の準備の前に必ず様子を見にやって来る燭台切や平野たちの口から、鶴丸の不在は瞬く間に本丸中へ広がった。
「合戦場への門は、審神者の言霊なしには開かぬ」
「なれば、ほんまるのどこかにいるはずですね」
三日月と今剣の言葉が合図となった。
偵察力の高いものとそうでないものが2人一組、本丸の大捜索が始まる。
建物の中は小さな戸棚ひとつに至るまで開かれ…明らかに隠れられる場所でなくとも…、外では小さな茂みひとつさえ逃さず揺らされた。
「…はて」
鶴丸は寝巻きのままなのだろうか、それとも白の羽織を纏っているのだろうか。
三日月はふとそんな疑問を差し挟んだ。

大捜索は朝餉を挟み、外と内の捜索隊を入れ替えて再度行われた。
それでも鶴丸は見つからない。
審神者が念のためすべての合戦場の開戦状態を見張っていたが、今日は未だどこの合戦場にも遡行軍は現れていない。



2度目の捜索の最中、大倶利伽羅はひとり部屋へ戻ってきていた。
すでに布団は片し、畳と少ない調度だけの部屋。
いつも鶴丸が腰掛けていた窓際すら、もう何の気配もない。
「龍の子よ、ここにおったか」
呼び掛けに入り口を振り返れば、三日月が立っていた。
この男が鶴丸に対して恋情を向けていたことを、大倶利伽羅は知っている。
そして大倶利伽羅もまた鶴丸へ恋情を抱いていたことを、三日月は知っていた。

どちらもそれを鶴丸へ伝え、鶴丸はどちらの手も取らなかった。
ただそれだけのこと。

鶴丸は愛されることを好みはしたが、欲に晒されることを厭うた。
多くに欲され血潮を合図に家から家へと流れた鶴丸は、人の欲に際限が無いことをよぅく知っていたのだ。

大倶利伽羅の目が、床の間に掛かる太刀へ向く。
正面に座し青銀と白の鞘に納められた太刀を両手に捧げれば、判っているように三日月は大倶利伽羅の斜め向かいへ座した。
鞘と柄へ手を掛け、大倶利伽羅は息を詰める。

すらり
と払われるはずであった真白の刃は、

バラバラ、バラリ

と畳の上へ散り落ちた。
「あゝ…」
根元から、ばらばらに砕けた真白の刀身。
砕けた白銀のひとつひとつすら美しく、日射しを鏡のように跳ね返す。

鶴丸国永は、もう居ない。



*     *     *



【報告書】
本丸No,111-xxx
鶴丸国永(練度99/在歴5年)が自然刀壊。
その数日前に「退屈だ」と言い放った後、人形のように変質。
戦には何ら支障はないが、人の身体の維持に必要なすべてを放棄。
他の付喪神により肉体の維持は為されていたが、前触れ無く刀壊した。

備考:鶴丸国永が練度限界に到達した際は注意を払うよう、政府より通達。



*     *     *



住人を失った部屋に、ぽとりと落とされる白。
「…随分と、増えたね」
自分も同じ白を落としながら、燭台切が苦笑する。
窓辺から零れ落ち書院を埋めた『それ』は、白の折り鶴。
そろそろ畳にも広がってきた。

始まりは、誰かが鶴丸の部屋の窓辺に置いた1羽だった。
誰が置いたのかここまで不明であるが、唐突に降って湧いた空白を埋める手段に誰もが飛びついた。
最初に気づいて白い折り鶴を折った燭台切、それを見た五虎退や薬研が折り、短刀たちから本丸全体へ。
ふと侘びしくなったときの手慰みとして増えていく折り鶴に、あるとき大倶利伽羅が黒を加えた。
「あいつは丹頂鶴だろう」
黒い龍を背負う彼が黒で折るのもどおりに思えて、黒い折り鶴は彼だけが折る。
「ほれ、この色も足りぬだろう?」
そこへ鷹揚に笑みながら、三日月が朱の折り鶴を加えた。
気づいていたが折っても良いものかと、その色は誰もが迷っていた。
そんな朱を敢えて折ってしまう辺りがさすが、とは誰の言葉であったか。

鶴丸の部屋であったそこに、増える折り鶴。
各々がそれを折る時間は、鶴丸があちこちを歩き回り誰かの耳にその声が届いていた時間。
1日で嵩を増す折り鶴の数だけ、かつて鶴丸が埋めていた時間が在った。



幾つもの骸が転がる合戦場。
敵陣の幟も随分と減ったが、久々に大きな布陣を敷いたようだ。
すでに何度目か解らぬ血振りをくれて、三日月は素早く他の面々を見遣った。

 加州清光:練度99/中傷(部隊長)
 堀川国広:練度91/中傷
   蛍丸:練度92/軽傷
大倶利伽羅:練度99/軽傷
 一期一振:練度92/中傷
三日月宗近:練度99/軽傷

刀装兵も多くを失い、これは引き時か。
腕の傷に引き千切った服の裾を強く巻きつけ、加州が声を張り上げる。
「撤退する! 馬を引け!」
その彼が、一里も無い先の敵陣に目を見開いた。
次いで色を無くした意味は、同じ光景を目にした者たち全員が即理解する。

「検非違使だ…っ!」

歴史遡行軍の陣営が、次々と蒼白い炎に飲まれて崩れゆく。
それは、歴史の改変ポイントへ顕れては遡行軍も政府軍も見境なく薙ぎ払う、第3の勢力。
あれらの強さはどれだけ練度が上がろうとも命取りで、いつだって辛うじての撤退で凌ぐしかなかった。
(マズい…っ!!)
検非違使の強さは、腕試しのようにこちらの行軍に合わせてくる。
となると。
ぞわりと加州の背筋が凍った。
(中傷者3、軽傷者3、でも練度は…っ)
帰りの門までの距離は遠く、道の途中で襲われるは必至。
…ザッと。
馬首を巡らせ撤退に馬を蹴る皆の両脇を、2頭の馬が逆走した。
「大倶利伽羅さん!!」
「三日月殿っ?!」
加州は己の馬の手綱を引き咄嗟の声を投げる。
「ちょっと2人ともっ?!」
たとえ練度が最高値だとしても、たった2人で太刀打ち出来るような相手ではない。
幾度も遭遇してきた彼らが、知らぬ訳がない。
「全滅だけは避けるべきだろう」
「なに、守り袋もある。ある程度凌いだら逃げるゆえ」
守り袋とは、一度だけ破壊を防いでくれる護符のことだ。
効力が発動すれば、それまで負っていた傷も全快するという優れもの。
加州の迷いは半瞬もなかった。
唇を噛み締め、馬の腹を蹴る。
「殿(しんがり)は任せた…っ!」
全滅を防ぐには、それしかない。



まだ、検非違使と相対しているらしい陣まで距離がある。
「…堂々と嘯くな、狸爺が」
駆ける隣から、珍しく声があったかと思えば。
何とも酷い言い草だと、三日月は大口を開けて嗤った。
「はっはっは! ほんにおぬしは、鶴と同じ口を利くから恨めしい」
三日月のことをある者は爺と呼び、ある者は喰わせ者だと云う。
狸爺などと呼ぶのは鶴丸と、彼が弟子のように可愛がっていた大倶利伽羅だけだ。
高揚に三日月の浮く藍色の双眼が、揶揄するように大倶利伽羅へ据えられる。
「しかし龍の子よ。其方も加州に酷い二択を迫ったではないか」
全滅だけは防がなければならない。
囮を使うか全滅するか、その二択を迷う暇なく与えれば、誰が部隊長でも頷くしかないのだ。
大倶利伽羅は隠すことなく舌を打つ。
「…だから、あんたと同じ部隊は嫌なんだ」
「おや。その言葉、そっくり返してやるぞ?」
まさか斯様なことになるとはなあ、と。
三日月はまるで場違いにおっとりと笑む。
2人同時に刀を抜けば、抜ける森の先に蒼を纏った武人の姿。

「俺も、おぬしも。鶴ほど器用な真似は出来なかったというわけだなあ」



*     *     *



【報告書】
本丸No,111-xxx
大倶利伽羅:練度99/破壊
三日月宗近:練度99/破壊
遡行軍との交戦中に検非違使の追撃を受け、殿を引き受ける。
守り袋・極を装備していたが、破壊を確認。

備考:すべての装備品について、全性能チェックを進言。



*     *     *
鶴丸の居室に積み上げられた折り鶴。
その白に埋もれるように、2つの守り袋が眠っている。


鶴の暇乞い


15.10.17

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