朔を照らし、望月を隠す

(書き下ろしサンプル)




 月が満ちるまでの十五日、月が隠れるまでの十五日。
 待ち続けても、夜明けがすべてを連れ去ってしまう。
「…嫌だ。嫌だ、竜胆」
 行かないでくれ、と咽び泣く片割れを抱き締める腕は、徐々に輪郭を失っていく。
「鶴丸」
 慈しむ声が震えていることなど、とうに知っていて。

「また、次の朔に」

 精一杯の強がりで向けられる笑顔を、受け止めぬ選択肢など無く。
 黒を纏う半身の笑みに、鶴丸は喉を飛び出さんとした言葉を呑み込んだ。
 障子を抜ける朝陽の中に、片割れの姿が溶けて消える。
「竜胆丸…」
 つい先刻まで触れていた手には何の感触も残らず、重ねて燃えるように熱かった身体も今は冷えて。
 敷布に付いた両手を強く握り締め、鶴丸は堪えることなく涙を零す。
「りんどう」
 もう、たくさんだ。
 こんな想いは、待ち続けるのは、もう。
 嗚咽の中に混じった、小さな小さな本音は。
「……俺も、連れていってくれ」
 誰に聞かれることなく消えていった。

* * *

 爽やかな陽気だ。そろそろ秋も終わる頃だが、今日は夏が我に返ったかのように暖かい。
 三日月は自室の前の縁側で、本丸の周囲を囲う木々を眺めていた。
(…ここも随分と美しくなった)
『あの頃』は誰もが己と仲間以外に気がつけず、庭どころか使わぬ場所は草が生えるに任せ、見れたものではなかった。
 竜胆丸が顕現し本丸の北側一帯を燃やし尽くして初めて、ここはこんなにも広かったのかと思い至った。
「…穏やかだなあ」
 鶴丸を審神者の手より取り戻し、ようやく皆も周りが見えるようになり。
 本丸の周りに数多くの実りがあることや、川魚や野性動物が捕れることも分かった。
(しかし…)
 最近、とみに三日月の心へ暗雲を齎すものがある。
 隣を見遣れば、そこは鶴丸の部屋。三日月は朝から縁側に出ていたが、彼の部屋は一度も開かれていない。
 ――昨夜は朔の日であった。
 朔の日の翌日、鶴丸は非番と決まっている。
 その理由を知るのは今や三日月、大倶利伽羅、小狐丸のみであり、また鶴丸が非番の日は先の三名の内の誰かが非番であることも決まっている。
(…鶴が、笑わなくなってしまった)
 初めに気づいたのは、大倶利伽羅であった。
 竜胆丸が生死の摂理の元に黄泉へと還ってから、鶴丸は塞ぎ込む回数が増えている。
 それを見越して、彼は小狐丸を鍛刀していったのだが。
 嫌な予感を覚えた大倶利伽羅がそれとなく鶴丸の様子に気を配っていれば、案の定、平野と物吉も困ったような顔を見せることが増えた。
(あの二振りは、鶴丸の傍に居すぎたなあ)
 鶴丸が浮かない顔をしていると、彼の世話役である彼らの顔も浮かなくなる。
 そして彼らの憂いが、この本丸全体に広がっていく。今も、ほら。
「三日月さん」
 厨のある方向の廊下から、足音を忍ばせ燭台切がやって来た。
 手にした盆には湯呑みと茶請けの団子が乗っている。
「鶴さん、まだ起きて来ない…?」
 三日月の隣へ盆を置き、彼は閉じられた隣の部屋の障子を見遣った。
 すでに想像が付いていたであろうことは、燭台切の持ってきた盆で分かる。
 鶴丸が起きていると思ったなら、気の利くこの太刀は彼の遅い昼食を持ってきていたはずだ。
「うむ。見ての通りだ」
 三日月が鶴丸のためにずっとここに座していることも、彼はちゃんと知っている。
 厨は決して生活と切り離せるものではなく、料理が好きで厨によく籠る燭台切は、出陣を管理する長谷部たちと同じくらいに本丸の面子を観察する機会に恵まれていた。
「あまり…良い傾向ではないよね。鶴さんの元気が無いからって、皆の士気が左右されてしまうのは」
「そうだなあ」
 三日月は心底、困っている。
(これでは竜胆丸に怒られようなあ)
 鶴丸を枢に据えるなと、幾度か釘を刺された。しかしそれは無理な話でもあったのだ。
(鶴を助け出せたことは、我らにとって大きな転機であった。無論、それを為したのは竜胆丸だが)
 その身を以って守られてきた他の刀たちは、鶴丸に対して感謝しても足りない恩がある。
 誰もがそうなのだから、自然と皆の目は鶴丸に集まってしまう。
「ねえ、三日月さん」
 静かな声で呼ばれ、三日月は思考から燭台切へ意識を戻した。
 鶴丸に似た黄金色の目は、刃のそれだ。
「貴方と伽羅ちゃんは、何を知っていて隠してる?」
 彼の目線は隣の部屋から外されない。
「僕らが初めてあの人に会って話したとき、鶴さんは明るく笑っていたんだ。
 今みたいな、困ったような…寂しそうな笑顔じゃなかった」
 そうだろう。
(その頃は、竜胆丸が居た)
 潮時だろうか。彼らに話したとて何ら解決に繋がるとも考え難いが、黙りを決め込む期間も過ぎたろう。
「おぬしの言うことは正しいぞ、燭台切。…鶴丸はな、待っておるのだ」
 霊(たましい)の片割れを。
「霊の片割れ…?」
 分霊という意味ではなさそうだ。
 三日月は藍色の眼を細めた。
「うむ、分霊ではない。本霊が『そう』であるから、分霊もそうであるだけのこと」
「『鶴丸国永』という刀のことを言っているんだね?」
 頷いた三日月の視線が、燭台切から逸れる。
「おお、小狐丸。大事なかったか?」
 戦装束で廊下を渡ってきたのは小狐丸だった。
 彼は今日が初陣で、比較的敵方の疎らな戦場へ第二部隊として出向いていた。
「ええ。刀装ひとつ欠けておりませぬ」
 戦へ出たことは無いに等しいという話だったが、切れる刀は戦でも斬れる。
 人の世でほぼ美術刀扱いである三日月とてそうだ。
 小狐丸がどんな戦いぶりだったのかは、後でじっくり聞くとして。
「小狐丸さんが鶴さんと同室っていうのも、何か意味があるんだよね」
 もはや断定した燭台切に、三日月はうっすらと微笑む。
「そうだなあ。あまりそなたらを気に病ませるのも、鶴丸の望むところではないだろうて」
「…話すにしても、ちと数が多すぎましょう」
 会話の筋を察した小狐丸が口を挟めば、三日月は素直に頷いた。
「うむ。刀派から一人二人と、刀派の無い者を見繕うのが良かろうな」
 ちらりと視線を流され、燭台切は立ち上がる。
「了解したよ。夕餉の後で良いかな?」
「それが良かろう」
 よっこらせ、と実に爺臭い台詞を吐きながら、三日月も空になった団子の皿と湯呑みを手に立ち上がる。
 藍色の眼が小狐丸を見返った。
「鶴丸がずっと起きてこないのだ。食事は用意されておるゆえ、世話を頼む」
「承知いたしました」
 それでは失礼、と小狐丸は閉じられたままであった部屋へ消える。
 彼も三日月も、それに鶴丸もそうだが、所作がいちいち美しく無駄がない。
「平安生まれだと皆そうなるのかな?」
 いや、獅子王は雅という方向性ではなかった気がする、と呟く燭台切と共に、三日月は鶴丸の部屋を離れた。
(どうするのが良いのか)
 覚えている三日月も、覚えていない燭台切も、考えることは同じなのだ。
「…鶴には、笑っていて欲しいのだがなあ」
 思わず口にすれば、やっぱり同じこと考えてるねと燭台切が苦笑した。


(中略)


 検非違使との連戦に辛くも勝利した第一部隊が、二振りの刀を手に入れてきたらしい。
 出迎えの今剣と岩融が、その内のひと振りを見てあっと声を上げる。
「そのかたな!」
「まさか膝丸か?!」
 聞けば、源氏で共に在った太刀だという。
 ひとまず第一部隊から刀を受け取り、彼らを早々に手入れ部屋へと追い立てる。
 重傷者は岩融が抱えて行った。
「さて、」
 同じく出迎えに出ていた歌仙は、自分と今剣の持つ太刀を見下ろし、根本的な問題にぶち当たる。
「この本丸で、刀が顕現出来るのだろうか」
「…それは、そうですね。でもぼくらのていれはできますし、こぎつねまるはたんとうされてけんげんしましたよ」
「そういえばそうだね。小狐丸が顕現出来た理由は、立ち会った三日月に訊くとして…」
「呼んだか?」
「!」
 背後から当人の声がして、歌仙と今剣は驚いた。
 手入れ部屋に向かう第一部隊とすれ違ってやって来たようだ。
「みかづき、おどろかさないでください!」
「はは、すまぬな。して、小狐丸が顕現出来た理由か?」
 この本丸の審神者は、北の不浄処で柘榴の生きた肥やしとなっている。小狐丸はその後に来た刀だ。
「…ふむ。手伝い札を使わず、鍛刀部屋で本丸に満ちる霊気を吸い上げたからではないか?」
 彼の推測に、なるほどと思わず声が出た。
「なら、この二振りも鍛刀部屋に置いてみようか」
「そうしましょう! たんとうべやはいつもあいていますし!」
 揃って鍛刀部屋へ赴くと、二つの刀掛けにそれぞれを掛けた。後は時間が答えを出すだろう。
「小狐丸は四時間だったね。その頃にまた来よう」
 こんのすけはどこかな? と誰ともなく呟くと、今度は足元から声が返った。
「お呼びでございましょうか?」
「わっ?!」
「君まで驚かさないでくれよ…」
 黒いこんのすけは、息を吐いた歌仙へぺこりとお辞儀をした。
「失礼いたしました。ちょうど手入れ部屋へ参っていたものですから」
 資材置き場の関係上、手入れ部屋や鍛刀部屋は同じ棟に連なっている。
 廊下を見遣ると、鶴丸の姿があった。彼に着いて来たのだろう。
「鶴、鶴丸や」
 三日月が呼べば、こちらに気づいた彼が寄ってくる。
「皆の様子はどうだ?」
 尋ねると、鶴丸は手入れ部屋を振り返った。
「…ああ。一番酷かった太郎と陸奥は手伝い札だ。隣の仮眠室に移ってもらった」
 ということは、部隊の全員が手入れに入ったということか。
 今日の第一部隊は陸奥守を隊長に、山伏国広、太郎太刀、骨喰、獅子王、同田貫という構成だった。
「きみたちは?」
「彼らの持ち帰った太刀が顕現するのか、実験に入ったところだよ」
 歌仙の言葉で鍛刀部屋を覗き込んだ鶴丸は、その内の片方を見てハッと目を見開く。
「あの太刀…」
 彼は、今剣の知る方ではない刀を見ていた。
 覚えている、あの太刀は。
「髭切…?」
 他に同格の付喪神が居なかったので、彼とはよく話をした。
 のんびりしているかと思えば鬼神の如きものを見せるので、飽きない男だった。
 ーー鶴丸が、『失った後』に。

(本文抜粋)


2016.8.7
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