ここの審神者は、鍛刀運がない。
鍛刀で来た太刀は未だに鶴丸たったひと振り、大太刀も石切丸ひと振りのみだ。
少しでも『珍しい』と言われる打刀や短刀は顕現せず、戦場で拾い上げるものさえも稀である。

どのような刀が審神者の元に顕現するのか、それは運としか形容しようがない。
幸いにもここの審神者は来ないものは仕方がないと割り切ってしまうタイプで、俗にいう"ブラック"とは程遠い本丸である。
鶴丸のひと月後に山伏国広と獅子王が戦場で拾得されたのは、幸いであった。

めっきり戦場に出なくなってしまった鶴丸は、そんなことを思い返しながら庭に面した渡殿を歩く。

「鶴丸さーん!」
呼び声に足を止めれば、鯰尾が畑の方から駆けてきた。
「おう、どうした?」
縁側から見下ろすと、彼はニヒヒ、と悪戯っぽく笑う。
「見てください、これ!」
片手に掲げられたのは、立派な大根だ。
掘り出してきたばかりなのだろう、まだ土が付いている。
「ははっ! 凄いなそれ…!」
鶴丸はつい笑ってしまった。
その大根は二股で、しかも絶妙な凹みと根の生えている感じは。
「マンドラゴラですよね!」
「やめてくれ、叫び出したらどうする!」
審神者が持ち込んでいた現世の草紙を読んで、すっかり俗世の空想にも親しんでいる刀たちである。
「せっかくなんで、どっかの軒下に吊って干しておこうと思ってるんですよ」
宣った鯰尾に、今度こそ鶴丸は盛大に噴き出した。
「…っ! くくく…っ、や、やめとけ…見たやつが虎馬ってのになるぜ…!」
しかし止めないので、鯰尾は嬉々として厨の方へ駆けていった。
「初めに驚くのは歌仙かねえ」
鶴丸はくつくつ笑いながら、広間へと足を向けた。

ーーカーン! カーン!
部隊の帰還を知らせる鐘が鳴った。
遠征に出た第四部隊はまだ帰りまで掛かるはずで、第三部隊は昼を跨いで演練だ。
トタタタタ、と軽い足音が近づいてくる。

「わっ!」
「うわっ?!」

がばりと背後から抱きつかれる…ことは予想していたが、その重さは予想外だった。
前のめりに倒れかけた身体を足で踏ん張り、鶴丸は肩越しに相手を振り返る。
「驚いた…。きみだったのか」
相手は鶴丸の驚いた顔が素であることを見て取り、にかりと笑った。
鏡を見るように同じ顔で。
「ははっ! 驚き大成功だな!」

そう。
この本丸には、鶴丸国永が二振り在る。



切っ掛けは、本丸の刀剣たちの中心とも言えた一振り目の鶴丸国永が、何の前触れもなく倒れたことだった。
まるで糸が切れたように意識を失い、それきり目覚めなかった。
そのときの恐怖を、審神者に限らず顕現していた者たちはよぉく覚えている。
つい先刻まで笑いあっていた相手が、夜にある宴の話をしていた相手が、明日の出陣の相談に乗ってもらった相手が、返事をしなくなったのだ。
人の身体に異常は無く、彼の本体も手入れをとうに終えて異常は無く美しい。

それが、異常だった。

取り乱す者、呆然とする者、テキパキと床の指示を出す者、と行動がはっきりと分かれる中、一番取り乱していたのは審神者である。
手入れで治らぬものなど、風邪や夏バテのような軽い病以外への対処など、マニュアルには存在しないのだ。
まったく取り乱さなかったこんのすけに急かされ政府窓口へ報告を入れた後、審神者はひたすらにおろおろとして使い物にはならなかった。
その様子に取り乱していた者たちが冷静さを取り戻す始末で、出陣していた第一部隊と第二部隊の帰還の鐘で弾かれたように前田藤四郎が言った。
「同じ鶴丸様に聞いてみれば、何か分かるのではないでしょうか…!」
折しも、第二部隊が拾得してきた刀はなんと鶴丸国永。

これが、二振り目の鶴丸国永の顕現理由である。

演練ではなく顕現させるという手段を取ってしまったことを、審神者は今でも戒めのように思い出すという。
一振り目の鶴丸の倒れた理由が『審神者の霊力』に起因していたら、二振り目の彼までも同じ目に遭わせてしまうところだったのだ。

一振り目が目を覚まし床を上げた今でも、二振り目の鶴丸は健在だ。
刀のままならともかく人の姿を取ってしまった彼を刀解など、審神者の心が耐えられなかった(刀剣たちは物なのだから構うなと云うけれど)。
それに一振り目の太刀の彼に審神者も他の刀たちもずっと頼ってきたこともあり、「今度は頼られたい!」と謎のやる気が出ている。
今ではこんのすけの政府宛報告に、「二振りの鶴丸国永を中心とした本丸」などとヘッダーで説明文を入れられていた。
戦に出る鶴丸は二振り目、本丸で療養中なのが一振り目にあたる。

「きみ、帰ってきたばかりだろう。早く風呂へ行ってきたらどうだ?」
「…そんなに埃っぽいか?」
自分の袖に顔を近づけて首を傾げる二振り目に、一振り目は何とも言えぬ笑みを返した。
「……戦場の匂いがな」
敵を斬りたいと血が騒ぐ。
ああ、と納得した二振り目が苦笑し、一振り目から離れた。
「分かった。風呂で流してくるぜ」
彼が踵を返そうとした処へ、今度は軽い足音が複数。
「あっ! 鶴さんこんなところに居た!」
「もう、お風呂行ってからにしようって言ったのに!」
「あれ、鶴丸さんだ。ただいま」
堀川国広、乱藤四郎、大和守安定だ。
彼らは二振り目の鶴丸と同部隊で出陣していた。
「おう、おかえり。首尾は上々だったようだな」
「もちろん!」
この本丸のほとんどの者は、一振り目の鶴丸を『鶴丸』と呼び、二振り目の彼を『鶴』と呼ぶ。
逆に鶴丸を『鶴』や『国永』と呼ぶ者は、二振り目を『鶴丸』と呼んでいた。
「じゃあ、みんなで先にお風呂もらうね!」
また後で! と彼らに連れられ二振り目が来た道を戻っていった。
一振り目は彼らにひらりと手を振り、自室へ向かう。

一振り目は一人部屋であったが、今ここは『鶴丸』の部屋だった。
同じ服が同じ数だけ仕舞われて、同じ大きさの布団が二組、文机や道具は共用だ。
(…一体、いつになったら本調子に戻れるのやら)
二振り目に言った言葉は本当だ。
戦場の匂いに惹かれるし、早く敵を斬りたいと思う。
だが、身体が言うことを訊いてくれない。
(また怠くなってきたな…横になるか)
二振り目が来てから動き回ることは出来るようになったが、それだけだ。

身体が軋むような、言ってしまえば『動かずとも良い』と身体が認識してしまっているような感覚。
(宝物庫で眠っていたときと似てるなあ…)
戦うために顕現した。
無論、戦う以外にもやることはたくさんある。
しかしそれでも、元が戦刀である鶴丸は戦場に出たかった。
(ままならんものだ…)
幸い、この本丸には二振り目の鶴丸国永が在る。





二振り目が部屋へ戻ったとき、一振り目は座布団を枕に眠っていた。
何となくそんな感じがしていたので、静かに部屋に入り障子を閉める。
傍へ腰を下ろし、そっと白い頭を撫ぜた。
呼吸の間隔からして、随分と深く眠っているようだ。
彼の伸びた襟足をくるくると弄りながら、二振り目の腹から込み上げてくるものは。

「…きみは災難だなあ、『宝刀"鶴丸国永"』」

笑みだった。
それは嘲るようなものではなく、苦笑に近いもの。
「この本丸にはきみしか居なかったから、気づかなかったんだろうが。"きみ"は戦向きじゃあないんだぜ」

審神者の元に顕現される付喪神は、本体を写した分霊である。
現代風に言えば『コピー』だ。
寄り憑く刀も『コピー』だし、質量を持った肉体もまた付喪神のための『人間組織のコピー』である。
順番に言えば、『本体のコピーがコピーのための刀に憑いてコピーのための肉体に入る』。
「俺たちは『本体』じゃない。"本体のすべてを写し取る"なんて、無理な話だ」
分霊は人の用意した刀に寄り憑けるように、分霊となる時点で何かを削がれている。
大太刀を擦り上げて打刀にするようなもので、つまりはどうしたって『欠ける』のだ。
大抵の者は、神格や内包する霊力が相応まで落ちる。
それは鶴丸とて同じだが、他とはやや異なる点があった。

「…"本体の俺"は眠っちまってる。だから分霊の俺たちは、"俺"の歴史をすべて受け取ることが出来ない」

二振り目の鶴丸は、戦に持ち出されていた鎌倉の頃を芯としている。
他方、一振り目の鶴丸は献上された後を芯としていた。
例えるならば、絵巻物だ。
端まで広げて自身の視界に入るものははっきりと見えるが、視界の外の絵巻はほとんど見えない。
一振り目にとって、はっきり見えるのは献上された後。
二振り目にとっては、鎌倉の頃がはっきりと見える部分だ。

時代の移り変わりと共に、刀は求められる役割を変えてきた。
日ノ國でもっとも尊い方の元へ献上された刀の役割は、『損なわれずに在ること』だ。
だからこそ、その性質を色濃く持って顕現した一振り目の鶴丸国永は、戦向きではないのである。
もちろん、戦刀であることを忘れたわけではない。
人に例えるなら、知ってはいるが得意でもない分野に手を貸しているようなもの。
おまけにこの本丸には、神格の高い刀、あるいは御神刀が石切丸しか顕現していない。

二振り目の鶴丸には何でもない敵の穢れも、回数が増えると一振り目には耐え切れない重荷となる。

ゆえに、何の不具合もないのに倒れたのだ。
専門外のことを長く続ければ、それは見えぬ疲労となって蓄積される。
穢れに敏感である石切丸もまた分霊であり、一振り目の鶴丸が倒れた原因を視ることが出来なかった。

さらさらと髪を弄る手を止め、二振り目の鶴丸は肩を竦める。
「…俺が来たからといって、改善策になったわけじゃないんだよなあ」
戦に出なくなったことで、一振り目は床を上げることが出来た。
しかし出陣して帰ってくる部隊は、どうしたって穢れを纏ってくる。
それに毎回当てられてしまう結果、一振り目は本調子に戻れないままだ。

一振り目の髪を弄っていた手は、白い頬へ下りる。
よく眠っている顔を覗き込み、二振り目は徐に彼へ唇を寄せた。
ちゅう、と唇を合わせ、緩んだ唇の間から舌を差し込み腔内をぬるりと舐める。
「…んっ」
小さな声が一振り目から漏れた。
合わせた唇をひと舐めして離れると、心なしか一振り目の鶴丸の顔色が良い。
彼に口づけて穢れを吸い取ったためだ。
それに満足し、二振り目はまた一振り目の頬を撫でた。
「戦には俺が出る。きみが溜め込んじまう穢れも、俺が喰らってやるさ」
だからきみは、と続く声はあまりに小さい。

「きみは宝刀として、此処に安寧を齎してくれれば良い。
なに、伽羅坊や三日月が来れば、もっと良い方法を考えてくれる」





この本丸には、戦刀・鶴丸国永と、宝刀・鶴丸国永が在る。
まったく同一であるはずの彼らの違いを知るのは、戦刀・鶴丸国永だけである。


とある刀のジレンマ



16.10.10

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