夢を見る。
千年の齢を超えた付喪神は、夢を渡って現実世界へ降り立つという。
こちらは生憎と千の齢に届かぬので、夢を渡るがせいぜいだ。
渡る先は幾つかあれど、渡りたい夢は唯ひとつ。
輝く白と灰色が混ざる世界で、手を伸ばした。

「本歌」

バチンッ、と伸ばした手が空に弾かれる。
これ以上は進めない。

「本歌」

呼ぶ。
山姥切国広を世に打ち出した枢、写したる身の本歌を。

「山姥切」

人の記録は曖昧で、人の記憶も曖昧だ。
人の強いはただひとつ、想いだけ。
けれどそれが、付喪神としての存在を生み出す力にもなる。
己を弾いた空の先、佇む姿が僅かだけ振り返った。

「お前も飽きないね。国広の写しくん」

本歌と写しは、特に写しにとっては切っても切れぬ関係にある。
本歌が無ければ写しは生まれず、国広の場合は銘にまで刻まれた強い縁。
(そうだ。俺は『写し』だ)
山姥切長義の写し、山姥切国広。
しかし時の政府の初期刀に選ばれてしまったがゆえに、恐ろしいことが起きた。

国広は初めからずっと、自分は写しだと言い続けてきた。
けれど本歌が実装されていない中で『山姥切』といえば国広を指し、審神者の間では『写し』という認識すら薄れていく。
なまじ審神者は、霊力も併せて『力』が強い。
彼らは無自覚のまま、『本歌・山姥切』という存在自体を揺らがせてしまった。

その結果が、極・山姥切国広。

山姥切長義の写しであり刀工・堀川国広の傑作、それが山姥切国広だ。
あろうことか極めた国広は、写しである己を己で切り離してしまった。
政府側は『審神者のための刀という自覚を持つに至った』ということで、存在自体が無い今剣らと同様に極の山姥切国広を良しとしている。
長義はゆるりと国広から視線を外した。

「写しが本歌を切り捨てるとは。お前の分霊は、随分と頭が悪いらしい」

山姥切長義の本丸への実装について、様々な要因で遅延させた政府の咎もある。
持てるものこそ与えるを信条とする長義は、その点については非難しない。
呆れはするが、政治とプロジェクトとはそんなものだ。

「己に自信を持つ。結構。主の…審神者の刀であると自覚する。大いに結構。でもねえ…さすがの俺も、これは受け入れられないな」

こちらへ近付こうとする国広を阻む壁。
それは長義の本能であり理性であり、そして夢ばかりではなく政府への無言の圧力だ。
刀剣男士としての顕現を許した刀剣は、保全された刀剣のうち極僅かに過ぎない。
現代において付喪神かつ本霊となる霊格を持つ刀は、2000年代に打たれたもの以外のすべてに当て嵌まる。
刀剣男士としての顕現を許可せず、だが写しを抱える本歌の刀剣は幾振り有るか?
無論、己に写しが有ることを知らぬ者も居るには居る。
だが山姥切国広が政府により選ばれた時点で、山姥切長義が本歌の代名詞となることは自明の理であった。

すべての『本歌』の危惧と怒りが、長義へと収束している。

山姥切の写しであるだけの国広では、その怒りを打破出来ようもない。
記録が少なく朧に渡り続けた身すら誇る鶴丸国永や、自身の代名詞たる打ちのけの所以が揺らごうとも美の揺らがぬ三日月宗近。
彼らのような確固たる力が、国広には足りていなかった。

「本歌、本歌。俺はあんなことは望んでいなかった。山姥切を『どうでもいい』なんて、」

そんな恐ろしいことを望むなんて!
(どうやったら、そんな結論に至れるんだ…!)
比較され続け、屈折した日々も。
国広の最高傑作だと、褒め称えられた日々も。
写しの己を通して、本歌に思いを馳せられる日々も。

「全部、あんたが居なければ存在しない! 俺は『山姥切の写し』なんだ!」

人の口伝は、刀と持ち主の逸話は、記録があったとしても事実だとは限らない。
人の想像の中でそうであった、なんてよくある話だ。
それでも妖怪斬りの刀が有るように、病斬りの刀が有るように、刀と付喪神に付随した物語であることも間違いない。
国広にとってもっとも枢であるのは、どちらが山姥を斬ったか、ではない。

『山姥切国広』が『山姥切長義の写し』であることだ。

(なぜ、それを忘れられる…!)
時の政府が審神者と刀剣男士という軍隊を組織してから、もうすぐ片手の指を塞ぐ年月が経つ。
刀剣男士という器で人に近づき、審神者という主のためにさらに近づき、『刀』としての己を忘れてしまったのだろうか。
長義がくるりと国広へ向いて、常に敷く笑みの唇を開く。

「哀れだねえ、国広の写しくん。まさかお前の分霊たちも、自分で自分の本霊を損なっているとは思わないだろう」

審神者の認識で損なわれているのが長義なら、刀剣男士の認識で損なわれているのが国広だった。
見えぬ壁の前で、国広は奥歯を噛み締める。

「持てるものとしては、損なわれるお前にも与えるべきだけれど。…俺は本歌だ。『俺』という本歌を損なわせるお前に、与えるものは何も無い」
「ほんか、」
「せいぜい頑張って、お前の叫びを分霊たちに聞かせてやると良い」

それじゃあね、と美しい声音が告げると同時に、国広は彼の『夢』から拒絶された。
見慣れた蔵の光景が目に入り、しくしくと痛む胸を抑えて慟哭を噛み殺す。
(本歌、俺の本歌…!)
付喪神に人のような情緒が有るとして、写しのそれが本歌へ向かうのは世の理である。
(どうして!)
それを本歌に拒絶されるなど、どのように受け入れろと云うのか。
数百年を経てきた付喪神が、悪意なき人の想いで自壊など。

「ーーー」

この慟哭を、呪詛を、呑み込めなくなったら。
その『いつか』が遠いことを、国広は切実に願い続けている。
(だってそのときは、)
写しとしての繋がりすら、本歌の手で断ち切られるともう知っていた。


ゆめわたり


2019.1.15

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